滝川空人 巳の下刻

 俺はこいつのことが嫌いだ。すごく嫌い。なんでかって言われても分からないけど、とにかく嫌いだ。

 沓形恒くつがたこうとか言うやつは俺と身長が大して変わらないチビだからかもしれない。年は十七才だから俺より五つも年上なのに、ちっちぇの。

 こいつは俺を迷子だから送り返してやるって繰り返し言ってくる。だがそれは真っ平ごめんだ。別に俺は迷子になっているわけじゃねぇ。自分から出てきたんだ。家出してるんだ。行く宛がないのは確かだけど、それでも迷子じゃねぇ。

 確かに昼間から小学生が街中をぶらつくのは良くなかった。友達とか複数ならまだしも一人で明らかな荷物を持っていることが不信感を増長させたのかもしれない。けっ、くそ。


 飛び出したあと、目的地がないことに今更ながらに気づいて、なんとなく大通りまで来てしまい、そのままベンチに座っていた。逃げても変わらないしどうにかなるわけでもないのに。分かっていながらどうしていいか分からなくてイライラして走ってきた。

 どうにか頑張って落ち着こうと一息吐いたら、そしたらその時に運悪くお巡りが声をかけてきやがった。

「きみ、どうかしたかい。迷子かな?」

 不味いと思った。家出なんてバレたら強制送還される。それじゃあ、意味がない。

 そこに奴が来たんだ。そのときは救世主とかヒーローとか、流石にそんなにすごいモノには見えなかったけど助かったとは思った。

「お待たせ。空人。えっと、連れが何かやらかしましたか?」

 こいつはあれこれ有りもしないことをいってお巡りを追い払ってしまった。そして当然のように隣に座ってアイスを差し出して来た。―押し付けられたも同然のようなものだったけど。

「これでよかったかい」

「何で俺の名前知ってんだよ」

「ふぅ、取り敢えずたすけてもらったんだから礼ぐらい言えよ。押し付けでもお節介でも人の好意には感謝しとくものだぜ?」

 なんだこいつ。俺はこの時点で嫌いになった。

「何で俺の名前知ってたんだよ」

 アイスで小学生を釣ろうとした男は溜め息交じりにこう答えたんだ。

「君が迷子だからだ」

 迷子? もう家出がバレて連れ戻しに来たのか。だったら、そっちの人なら関わりたくない。計画が狂ってしまう。

「俺は帰らない」

「そうか。ならそれでいい。君は“家”には帰らなくてもいいさ。でも、“現実”には帰らないといけない。向き合わないといけない」

 なんだこいつは。何が言いたいのか目的も意図も分からないから、俺は分からなくなった。

 

 そもそも俺が家出をしたのは両親が離婚するのが嫌だったからだ。父さんと母さんがそれぞれをどんなに嫌おうと俺は二人が好き―この場合、嫌いではないぐらいの好き―だから別居でばらばらで俺を取り合うとか、ついてくるとか来ないとか、どっちの方が好きだとか意味わからなくて逃げ出した。それが家出のすべて。こいつはどこまで知っていて、どうしたいんだ。俺を地獄に引き戻そうって言うのか。それならお断りだ。

「お前には関係ない。さっきは助かったから、その、それは感謝するけどこれ以上はもう放っておいてくれ」

「そうか。俺もできたらそうしたい。俺も君の気を害したくはないんだけど、そうにもいかない事情があるんだ」

 沓形と名乗る男は一枚の写真を押し付けてきた。そこには俺が和風の騎士に殺されている様子が克明に残虐に写されていた。



▶▶▶



「俺は何をすればいいんだよ」

「俺の指示に絶対従ってくれ。どんなに無茶でも無理だと思っても絶対にだ―頼むから、お願いだからそうしてくれ」

 アイスに舌鼓を打ちながら、妙な暑さと空気を紛らわせながら反対側のとうきび売りを見ていた。見ていたというよりも視界に入ったというのが相応しいんだけど、この時期に売れるのか疑問だったところに観光客が買っていったので何か驚いた。

 大通公園では見慣れたいつもの光景なんだろうが、あまり街中に出ることのない小学生の端くれとしては物珍しかった。ただそれだけだ。

「わかった。いや、わからないけどわかったことにする。死にたくはないから、だからそうする」

 ありがとうと言われて、何に感謝されているのか本当にわからなくなって困った。悪い気がしなかったのは気のせいだ。



 そう。気のせいだった。俺が奴に言われたのは高所に段ボールを置くことだった。高所というのはテレビ塔の人が立ち入れる一番高いところ。整備の人や雪まつりのポストカード用に全体を撮る時ぐらいにしか使わないようなところだそうで(掃除のバイトという体で潜入)とにかく足元がスースーする。怖い。帰りたい。いや、帰りたくはない。

 指示された段ボール箱を置いてすぐに非常階段を降りていく。俺がやる必要ないんじゃね? あいつがやれよ、とか愚痴を百個ぐらいこぼしながら慎重に下っていく。危なっかしすぎる場所でホントに怖いんだよここ。もう二度と来ない。

 だけどさ、そんなんでも景色に罪はない。だから俺は絶望的にまで綺麗だと思った。美しいものは美しいと思えるぐらいの純粋さは残っている。だから非常階段で足を止めたんだろう。真っすぐ伸びた大通公園は札幌を二分にしてモーゼの十戒みたいだ。

 絶望を切り裂く道しるべ。

 あなたの通る道はこちらですよ、と。示してくれたらどれほど楽だろう。

「なんでこうなっちゃたんだろう」

 恥ずかしい涙にさえ苛立って目じりをぬぐい、大きくいて再び俺は降りだした。



 指定された箇所は残り三か所。他にやることがあるとかで去ってしまったあいつは、謎のハイエースと運転手を連れてきて置いて、後部座席に積んである段ボール箱を指して指示した。

 指定箇所にこれを置いて来てくれと。

 これじゃあ、まるで四赤陽陣しせきようじんみたいだ。そう考えると俺かっこいい。いえい。

 誤魔化して上塗りしようと必死になるのに他の無関係なことをやるのはうってつけだった。不本意に好都合だった。

 俺は結界を張るが如く次の場所へ向かうためにハイエースのドアをスライドさせて閉じた。


 

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