▶③

 エレベーターの前に並ぶ男はハットを深く被って顔を恐れていた。俺は整然と近づいてしっぽをつかんだ。

「その招き猫、なかなか可愛いですね」

 俺の声に静かに反応したは、目玉一つだけで確認したはハットをきちっと被りなおした後に、地軸をぐるっと回して足を上げた。

 唐突な痛みは予想外に響いた。

「ぐぅっ」

「大丈夫? 恒くん?」

 空返事をした後すぐに視界を探ってみるが、いない。傷が痛んで集中が切れる。

 くそっ、どこに行った。

 舞先輩は俺ことを察してくれて、それとなく教えてくれた。

「色内がすぐに追っかけていったよ」

「ありがとう」

 俺はふらふらの右目を無意識に閉じながら立ち上がった。

「ちょっ——」

 店内で走ってはいけないことぐらい小学生から散々聞かされてきたことだから知っている。それは原則に従えばだ。アンリミテッドルールブックに従えばルールも人間も凌駕できる。


 角を二回曲がったところに二人はいた。は俺のことをまたもや片目だけで確認するとそのまま消えた。霧の摩周湖も釧路の濃霧も冬のロードヒーティングも溶かせない雪をなかったことにして。俺はさっきまでそこの何を見ていたのか分からなくなった。



▶▶▶



 家に帰ったみんなは家にある限りの部屋を使って、今日の戦果を確かめていた。俺は一人居間でソファに体育座りをしてをおいて顎を休ませて頭を働かせていた。

 直後に忽然と姿を消した男を一緒に見ていたであろう周囲の人にすぐ聞いて回ったのだが、誰一人として覚えていなかった。この事件に犯人はいる。だがそれはおそらく人間じゃない。神がいるぐらいだから怪人がいても何もおかしくないと自分を説得できてしまう。現に俺は別任務にて出動していたはずの警察の行動をコントロールしている。これが必ずしも神による力だと決めつけるのは早急だが可能性は非常に高い。人外であることは確かだ。未知であるというのは、いつもでもどこでも怖いものだ。

「もういーかーい」

 そういえば、彼女たちのことを忘れてた。ファッションショーでも始めるのかな。新しい物好きの道民がそれをすぐに見せたくなる気持ちはよくわかる。俺も新店舗オープンとかなるとせわしなく通っていたりするものだ。

「じゃーん、ほらどう? どう? 可愛いだろ」

 ん? ああ、おっぱいか。

 へ?

 うゔん。ちょっと待て、きちんと状況を分析して把握しよう。安直すぎた。

 

 上に一枚下に一枚。身に着けているのはそれだけでそれしかない。見ようと思えば、ああ、ピンクの中にピンピンしたピンクが見えてしまうじゃないか。プロでもモデルでもない彼女たちは油断と隙でしかない。彼女だけではなく彼女たち全員がそうであったことが俺の腰を抜かし、呼吸を乱れさせた。

 これで頬を染めたのならそれはきっと可愛いレベルで、確実に俺は泣きそうになった。斜めった芝生をどこまでも転がっていくような、そんな心地であった。

 

 賢者の聖域へと達してしまったのは他でもない、居間へ出てきた彼女たちは皆揃って下着姿であった。今日買った物といえばそう言えばそうだけど、それは俺に見せるものじゃないだろう? このままでは可愛らしいとかいう好意や好きだという感情からくる恋愛ではなく、俺の性なる欲の坂道を駆け上ることになる。

 

 おそらく言い出しっぺであろう舞先輩は堂々とピンクで仁王立ちしている。寧ろすがすがしい。そしてでかい。他の皆さんは各々片手や両手で恥じらいを保ちつつの隠せない隠れ方をしながらの熱視線で、俺は普通に赤々と沈んだ。


 だが俺はこれでも男だ。女子てんし達がこれだけの意気込みと勇気によって成しえた奇跡を俺はただ両手で塞いで終わりにしていいのか。

 否、違う。

 ここは楽しませてもらえるのであればその好意に最大限の感謝を示しつつ、常に謙虚でありながらも貪欲に称賛するのだ。艶やかに彩られた青と桃と橙がそれぞれの大小を網膜にプロジェクションマッピングするのだ!

「やっぱり、無理」

「うぅ……恥ずかしい、です」

「いくらなんでも、見すぎかな……」

「誰が好みだい? あたしかな? 色内かな? お、咲来かわいい♪」

「やっば、ちょうやばい。照れてんだ、もう真っ赤じゃん」

「恒の……エッチ」

 もう何と言われてもかまわなかった。なんだろうあれ、お花かな? 右手がひらひらしていたり、ふわふわだ。魅惑とか、いつでも飛べそうなぐらいこんもりしている。こんもりと。

 生きていてもいなくても俺はきっとこんなことには二度と立ち会えないだろう。洗われていないブラウスは包まれて、筋書き通りに汚されている。幸せとは、幸福とは何かって聞かれたらこれだって断言できるぐらいには、ルキンフォーしている。

 縮こまる毎に小さな胸が大きくなっているような錯覚。海溝という表現よりかは、弁当箱だ。おにぎり♪ おにぎり♪ ぎゅっと詰めたあれだ。


 つめこんだ……?


 ぎゅっと詰めた。詰め込んだ。見るからにないものをまるでそこにあるかのようにするために集めて詰めた。

「あっ」

 急に野太さが欠けた声が響いて一応にびくりとした。中でも一番、目を真ん丸にしているのは茨戸ばらと咲来さくさんだ。それもそのはずで急に立ち上がった俺は迷いもなしに歩いて行ったのだから。

「あ、ええと、何か変かな。その、一番これがいいかなって……え? ふぁ、ふぁい。なんでひょう、か」

 涼やかな水色のせいで声が上ずりそうなのは、俺もそうだった。少し落ち着いてから目を据えた。とても甘い柔らかな女の子の香りがした。

 俺は曲げた腕の先を顎に当てながら、顔を見てから胸を凝視。下に二秒逸らして確認。うん。視線を戻して三秒。おお。そしてそれから言った。

「もうちょい、寄せて」

「へぇ……?」

「もうちょい、こう」

 我ながらあいまいオブラート包んで指示している。それでも意図を汲んでくれた咲来はキュッと音を鳴らしながらも変形してからプルプル震えだした。それはただの殻の溶けたちゃちな少女だった。

「ふぇぇ。こ、こうですか」

 完璧だ。きれいで可愛らしい胸の谷間だ。日本百景にとりあえず登録しておいても損はしないと思う。

 俺がようやく目線を上げて合わせた時に、それは声に出ていた。

「なるほど、なるほどな。それが狙いだったんだ。いや、こっちの話だ。ありがと、咲来。あ、先輩方の中では咲来が一番に可愛い」

 頭を撫でられた咲来はどこかうれしそうに見えた。そしてその勢いで抱き着かれそうになったので俺はそれを制した。それ以上はいけない。言ってはいけない。さらさらとした合言葉は常に雲隠れされるものだから。


 不思議そうに見上げる咲来を片手に、ハイテンションに下手くそなスキップで、満面のにやけ顔だったのは他の誰でもない俺だ。口笛や驚きや小さな悲鳴がまばらいた後に先輩が膨らんだのはさすがに見逃したけど。



 引っ張り出してきたタブレットに映し出されたのは札幌市の地図だが、通常のとはやや異なる。メルカトルとかモルワイトとかランベルトでもボンヌでもグードとかサンソンとかでもない。これはハザードだ。

 日本語で言えば防災地図。犯人の目論見は人を追い出すことじゃない。集めることだ。非常時に集まる場所といえば指定された避難所。おそらく狙いはそこだ。どうやらこの猫はすでに公民館等にも置かれているらしく、置かれていない唯一の場所が学校だったのだ。人々を一か所に集めればそれだけ被害を集中させることができる。それだけではない。市や道はとんでもない責任追及がなされるだろうから、それが狙いかもしれない。いや、学校をわざと残しているから教育機関全体か。学生時代が動機なっているのか。いじめとかが根本にありそうだ。でもそしたら犯人は少なくとも人のはず。はっきりと言えるのは、これがどこかへ向けられた無差別復讐だということ。

 市内では小中高合わせた全部で三百三十以上ある。

 何としてでも止めないと。とんでもないことになる。



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