▶②
跳ねた髪のままであった。
時刻は午前六時二十分ちょい前。
小さなへそであった。
鼻をくすぐるこの香りはみそ汁かな。
そしてあれは確実にピンクであった。
それはおへそとズボンの間に位置し、僅かにはみ出しているだけで、薄暗く光力の薄い場所で、確実に判別は難しいがあれはおそらく桃色。つまりピン——
「ひぃ」
「何してんのかな」
持ち合わせているお玉はどう見てもゴルフドライバーにしか見えず、きっと想像した以上に騒がしいことになりそうだと思った俺は覚悟した。
逃げず隠れず悪びれもせず。
「手伝って」
そのため息は諦めや軽蔑というより残念そうだった。俺も別に好き好んでやったわけじゃなくて、新聞読もうとリビングを徘徊してたら隣の和室の襖が空いていたからちょっと出来心の興味しんしんで近づいて行っただけで確信犯だとかそういうのは……。
俺は誠心誠意、心を込めて朝食作りを行った。
▶
学校に着くとそれはけたたましい喧噪だった。どうやら帰宅難民となった人たちに学校が体育館等を貸し出しているのだという。よって授業どころではないため生徒が学校の校門で門前払いをくらう羽目となっていたのだ。日常を取り戻したくば己の手でってか。
事件の規模としては札幌市内全体とまではいかないようだから少しは安堵した。それでも招き猫事件はやはり地方ニュースのトップになった。影響が出ているのは一部の人だけで対象は老若男女ばらばらだ。市内の生活に影響が出ているとは言い難い規模ではあるものの、被害に遭った人間にとっては死活問題。市も早急な対応を始めているらしい。生活必需品の配給と共に独自の調査を開始。警察も捜査本部を設置して本格捜査に乗り出しているが、難航しそうだ。俺は必死に情報を可能な限り集めていた。SNS・ブログ等ネットに溢れるものからマスメディアの力によるもの、噂に聞き耳を立てて神にもささやいた。それでも染めた物が見えるだけで染める物が見えて来ないのだった。
宇宙と俺とを遮る雲がふわふわと見下ろしている陽の下で、一行は札幌駅方面を目指して歩いていた。買い物をするならばやはり人の集まるところが一番である。
「なんなんだろうね、あの招き猫」
「ちょっと気色悪くね。下から招いてるとか、何か『よこせ!』とか言ってるみたいであまり縁起良く無さそうなんだけど」
おねだりなのか、あれは。宝くじ売り場方式でやらせれば、確かに腕を振らなくちゃいけないからそうも見える。……想像したらショベルカー以外に思えなくなってきたんだけど。
「あの招き猫が絡んでるのは確かね。あの猫が示す意味が何か分かれば、どうにかできるんだけどさ。うーん、早く解決するといいんだけどね」
「そういや今日って二十八日?」
「そうだよっ」
「そっか、ちょっとほしい本があってね。確か今日が発売日だったはずなんだ。探してこよ」
「それじゃあ、舞は先に本屋行ってきて。私らは先に行ってるから」
「あ、じゃぁ俺も本を……」
「恒は財布だからこっちきて」
舞先輩は家が金持ちということらしいから任せてもいいにしても、こちらは全員普通の高校生だ。そこで、小遣い事情を色内先輩にどこからか調べ上げられた俺が財布となることが決定した。
この世界には神が実在する。架空でも抽象的でも曲がった魂でもない。人が神なのか、神が人の形をしているのかといえばおそらく後者であろう神がいる。その神様はなぜか俺に良くしてくれる。どれだけ神社に通い詰めても叶わない願い事も、聞き入れてくれた。そこで俺は「ここで生きていくためのお小遣いがほしい」と言ってみたんだ。冗談交じりで。すると、その神様は少し多めに現金でくれたんだよ。けっこうなたんまりを。
「まず、何が必要かな」
「食べ物? 服? お菓子?」
いや確かにおれもおかしいとはおもうよ。何せ神からお布施されるんだぜ? 逆だろ普通は。お賽銭とかすべきは人の身であるこちらの義務だ。でないといつ逆鱗に触れてしまうか分からないからな。貨幣が流通する前は米を奉納していたらしいぜ。ほら、おひねりとかは有名だろ?
神から金を送られるとか俺は逆に怖くなった。罰が当たるのでは? これはきっと試されているのだとか言い訳してだから使わずに取って置いたのだが、それがなぜか見つかってしまった。これが俺の財布への道のりである。
「食べ物は近くでまた買い込みましょう。少し遠くまで来たのだからとりあえず最低限の衣料品かな。あとは個人的にほしいものを恒に頼んで」
一瞬見定めるような品定めを全員にされたのだが、財布を取り出し振ってちらつかせたら全員の顔が明るくなった。
男のATM化はこうして進んでいく。
「やっぱりピンクかな。可愛いし」
「水色とか、あ、黒のほうが好みだったりする? ねえ、こうくん」
「……自分の好きな物にしてください」
最近の人は下着売り場にカップルでよく来るのだと言う。だから男が入っても問題ない、お財布は肌身離さず大切にしないと、貴重品だし♪ それで、何色がいい? ……勘弁してくれ。浮き輪を失ったのだから消えた振りした炎から火種を探さないでくれ。
店内に設置された鏡には妙な男がしっかりと映っていて余計に帰りたくなった。
「ね、これとか、どうかな」
小さな生き物は俺にこう聞いてきた。彼女が俺に話しかけてきたのは初めてだ。彼女もおっかなびっくりだが俺もどぎまぎしている。震えて消え入りそうだったので俺は感想を言わなかった。代わりに好みを教えた。
「俺は黒より、その、青系とかがいい。ピンクとかも可愛いと、思う」
それから二つの上下セットを差し出してきた。濃い青と薄い水色と。俺が焦っているとピンクも出てきた。かすかな上目使いは同意を求めている。だから俺は全部買ってあげることにした。変な下着に夢と妄想が弾けて叩き合ったのでもう仲良しだ。
その後、他の先輩方にあれやこれや聞かれたので努力した。努めて力を発揮した。普通の服屋に着いたときのほうが悩んだのは事実だ。ガウチョ・レギンス・トレンカ・ゴアード・バブル/チューリップ・ぺプラム・フィッシュテール・ギャザー・ティアード・プリーツ・キュロット。
わからん、知らん。
俺はこれらのせいでまともにパンクした。
なんと種類の多いこと。それに対して一々意見を俺に求めるのだ。真面目に答えたり、適当に同意したり、頷いて、褒めて、疲労した。世の彼女持ち男子を尊敬せざるを得ない時間だった。
服を一通り揃えたら、各自必要な物の調達へとバラバラに動くことになった。俺は各自に必要経費だけ渡してどこか適当なベンチを探して座り込んだ。目の前のエレベーターが行ったり来たり忙しかった。
「
「いえ、私はもう、もらったので」
「そっか」
咲来は遠慮してあれこれ欲しいとは言わなかった。最低限必要なものだけを買えたら他にいらない。そんな感じだった。欲がないのか抑えているのか。
ぽつりぽつりとした会話だったけど、どこか彼女は嬉しそうだった。
ぼちぼち用事を済ませて集まってきた時だった。布石は温められていたのだ。
「ねえ、あれって」
早苗さんが指さした先にはリュックの男がいた。指しているのはリュックではなく紙袋のほうだ。買い物袋の縁からは猫の顔が覗いている。本物ではなく偽物の作り物。間違いない。〝例〟の招き猫だ。
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