【ひー5】 さらさらとした愛言葉はいつも雲隠れ

▶①

 下萌え。これは決して可愛い女の子を見つけたから俺の下の俺が萌えるとかいう意味ではない。季節が春になって気が付けば草花の芽が生い出ることを下萌えというのだ。よく俳句を詠むときに使われる季語であって、決して卑猥な意味はない。春というよりも初夏に近づいてきたと感じるこの頃だからもう時期的に使わないか。

 なぜ俺がこんなことを考えていたのか。それは俺が今見ている光景が卑猥でしかないからである。

 

 季節が少しづつ移ろい始めて約一か月。てらという少女の正体は神様であり、この世界の時を止めていたのも彼女だった。神意や理由は不透明だが、少しは元の世界に近づいた。そんな気がしていた。

「お風呂空いたよー。次、だれかどうぞ」

「じゃあ、あたし入るー」

「早苗、先が詰まってるから早めにね」

「わかってるよ、舞。ん? あ、その次に咲来が入るって」

 きらめくファンシーな世界に似合わない俺は残った濡れ雫にときめくことしかできなかった。風呂上がりの先輩方は皆、どことなくぎこちなく思い出になるほど恥ずかしき狐火で、俺はおどけて情けなくなるしかなかった。 



 俺はキッチンからリビングを眺めていた。どうにも居場所がないのだ。部屋に引き籠るのもなんか違う気がしてコーヒーをちびちび言わせていた。

 視界に入るのはどれも多分おそらくパジャマ。パジャマだ。パジャマと言うのは寝巻のことでつまりは部屋着であるとも言いなおせる。ここは室内なのだから部屋着を着ていても何らおかしくはない。ましてや今は夜なのだから当然といえば当然のスタイルだ。すごく当然で何ら不思議もないのに、薄着になった物語の外側にある砂漠のフタコブラクダを備えた舞さんが、つまりティーシャツ一枚で過ごすのだけは直視できない。ただ質量保存の法則を確認しようとしていただけだ。

 

 なんだろうね。普段見ないからこそ見た時の背徳感と表裏一体の高揚感は。今現在自分に対してこの状況に嫌悪を示している女子てんし達が誰もいないと言う状況証拠に基づけばこれは俺がいても構わないというサインだと捉える。

 よって楽しむことにした。心の底から。


 念のためこれはただ女子の皆さんがキャッキャウフフしたいがために集まったパーティーではないことは言っておく。臨時的な不可抗力による一時的避難だ。



 ▶七月の上旬というか、月のど頭。高校生界隈にとっては非常に憂鬱になってしまう時期だ▶なぜならばテストが月の変化と同時に襲来してくる。つまり六月の下旬である本日二十七日は絶賛勉強中というわけだ。だがこのパーティーが開かれることになったのは勉強会ではなく一つの事件が要因となっている▶実はこの忙しい時期に都市伝説が出現した。都市伝説というのはあるような、ないような事をあたかもあるようにして吹聴されることが多いのだが、今回は違う。出現したといった方が正しいだろう▶すべての家ではないのだが、市内数多くの家に巨大招き猫が置かれた。その招き猫は左手を下から上げている。招くのではなくどこかへ呼んでいるようだ▶これがただの置物であればだれも困らないのだが、この猫は人を招き入れないことが問題だ。実はこの猫が現れた家には人が入れなくなっている。家の敷地内に一歩立ち入ると入ってきた方向の逆に、外に逆戻しされてしまうというのだ▶大概、屋根に設置されている例が多いようなのだが、そもそも家にすら近づけないので取り除くことすらままならない▶女子の先輩方も例外ではなく、偶然か必然か被害に遭わなかった色内家に避難してきたということである。

 以上だ。


 俺はこの事態を知ったとき、果たしてこれで彼女たちの学校生活に影響は出ないのかと心配した。家に入れないのでは普段通りの生活を行うのは非常に困難になると思ったからだ。

「置き勉してるから大丈夫じゃね」

「色内が服いっぱい持ってるから今日は借りて、布団も一応あるみたいだから大丈夫じゃないかな。その、色内さえ良ければだけど」

「もちろん、大丈夫だよ。困ったときは助けられるときに助けなきゃ」

 心配して損した。だがこの光景を眺められる価値からすれば寧ろプラスが多いと言えよう。

「私は恒と同じ部屋で寝るから大丈夫、何とかなるって」

 前言撤回。これはいろいろと俺がやばい。俺がやばいだけならいいんだが、俺の俺がやばいと尚更やばい。


 すぐに解決はしないと見込んだ俺たちは、明日の放課後買い出しに出ることを約束して床に就いた。



▶▶▶



 就寝。ねること。安眠。快適な眠りをあなたに。

 どうしたらすぐに寝れるのか検索していたのだが、有効手段は何一つしてなかった。ベッドは先輩に明け渡し、俺はリビングのソファにでもと思ったのだが、先輩が「一緒に寝るのは、いや?」とか言われた俺は死亡した。だが俺は自分に勝つことにより一命をとりとめた。我はサウスサンドウィッチ海溝の淵ぎりぎりで押しとどまり、尻餅を付いた後に床で寝たのだ。同じ部屋で寝ているわけだから一緒に寝ていることには変わりないと言う極めて稚拙なひねくれであった。

 がっかりしているのか、すねているのか、悲しませているのか知りたくなかったのでそっぽを向き続けた。世界一長い夜だったことは間違いない。

 ここで俺は今回のリアル都市伝説について考えることで思考と理性を保たせた。

 

 俺が知る限り出没開始は二週間前ぐらいだったはず。ちょうどよさこいソーラン祭りが終わった頃に、新聞の隅に載っていた気がした。その後徐々に——といっても一日一つぐらいのペースで―数が増えて行ったらしい。

 急に増殖したのは昨日だ。市内がパニックになったのは午後四時ごろ。学生の帰宅ラッシュを迎えたころに彼らは現れ、家主の帰宅を迎えなかった。


 これは誰かのいたずらなのだろうか。計画的陰謀なのか。そもそも人々を帰宅させないことで利益を得られるのは誰だ。ホテル系統は一番に恩恵を受けそうだが、札幌はここ数年海外旅行者急増とともにホテルは平日であっても満室が多くて大変だと聞いたことがある。客を呼び込むために行われたとは少し考えづらい。飲食業、ネットカフェ等のサービス業、これらはどれも直接的にではなく、間接的な利益しか得られない。ここまでのリスクを冒してまで行うのはやや不道理だ。

 

 では、これは愉快犯か。人々が困ることを楽しんでいるだけの人の手による犯行だとしたら。可能性は十分にある。また、家庭そのものに対して不満があり、その当てつけだという可能性もあるだろう。泥棒が入りやすくなる状況であることから犯人のみ侵入可能だという特殊性能のパターンもあるのではないか。

 この場合は、何か信号を無線で送ってオンとオフを切り替えている可能性が。どうだろう。もしそんなものができたのであれば、全国的に金持ちの家を狙うはずだ。札幌でわざわざ起こす必要性はない。収益だって多く見込めるか不透明だとしたら、これもまた中らずと雖も遠からずか。

 

 札幌でなくてはいけなくて、人々を家に入れないようにすることが必要なこと。ただ家に入れなくして、それだけでお終いだとすればそれはただの愉快犯確定。もしもこれが手段で、その先の目的があるのだとしたら。

 事件が起こる前に何とかしないと、取り返しがつかなくなることは身をもってもう学んでいる。できそうでできない逆立ちのようだ。鼻の下を伸ばした三下にできることは可能性を潰して見つけることのみ。

 

 誤魔化すための回っていた螺旋は、いつの間にかもうとっくにアリューシャン海溝に落ちていた。


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