3-4

 ――なんだったっけ? 何が?

 疑問があった。疑問以外に何もなくて、何に対する疑問なのかも分からない。

 自分が闇にいることは理解した。

 色も音も匂いもない闇だ。

 やがて闇に呑み込まれたと思い出した。エテナと共に呑み込まれたと。

「エテナっ! エテナ?」

 返事はなかったが、右腕をつかまれているのが分かった。

「エテナ、大丈夫か?」

 身体の右側へと左手を伸ばす。滑らかな手触りの繊維――おそらくは髪に手が触れたため、その根元へと手を向けた。そこには頭があった。撫でれば分かる。ぬくもりを感じる。

 ここにエテナがいるのだ。

 それだけで離れ離れにならずに済んだと少し嬉しくて、嬉しく思ってから不安になった。

「エテナっ! おい、エテナ!」

「うっ……うぅん?」

 呼び続けていると、うめき声が返ってきた。そして、唐突に白い光が生じた。

 思わず目をつむってしまうほどの明るさで、けれども、やがて丁度良い感じに落ち着いていく。光はエテナが指先につまむ何かから生じていた。

「それは、魔石か?」

「うん、フルアルがくれたの」

 輝きを宿した翡翠の瞳が見つめてきていた。いつもの無表情だ。

「そうか。動けそう、だな。ここはどこなんだろうな?」

 立ち上がったエテナと共に周囲を見渡す。白い魔石の光は、壁面までをも白く映し出した。

「これは大理石――とはちょっと違うか」

 壁面や足元を埋め尽くす石は一見すると白い大理石にも見えてしまうのだが、よくよく見ると質感が異なって白い砂を押し固めた感じだ。

 部屋か何かというよりは斜めに傾いた通路のようで、くだっていくと白い砂へ沈み、のぼっていくと黒い闇へ沈んでいる。

 エテナが白い砂を少しかき分けて、ため息をついた。

「これが砂丘の砂だとすれば、来たのはこっちからなのか?」

「どっかいっちゃった、フロー君」

「うん? フルアルさん?」

 エテナが自らの頭を、頭の少し上を指差す。

「あぁ、人形のことか」

 落胆しているエテナには悪いが、なくしてしまったのがそんなもので良かったと思った。

「またフルアルさんに作ってもらえばいいさ」

 エテナは不服そうではあるが、小さくうなずいた。

「向こうに進んでみるしかないか」

 何も見えぬ闇を見つめる。ここで立ち尽くしていてもどうにもならない。黒い塊に呑み込まれたことと現状とのつながりは全く分からないが、だからこそ、何かの手がかりが必要だ。

「シロはともかく、フルアルさんなら助けに来てくれるかもしれないけど」

 そこでフルアルから貰ったお守りのことを思い出した。白い土の入った透明な小瓶を腰に付けたポーチから取り出す。今この場で使うべきかは迷いどころだ。自力でもできることはまだあるし、自らの置かれている状況も把握できていない。

「エテナ、これから先に何か起こったら、これを割るなりして中の土をぶちまけるんだ。仕組みはよく分からないが、フルアルさんに助けを求められるはずだ」

 首をかしげながらもエテナは小瓶を受け取った。もしも自分に何かあったとしても、フルアルさえ来てくれれば、きっとエテナは助かるだろう。

 コートから懐中魔導灯を取り出して、闇へとかざして歩み始める。

 何があるのかという疑問は、不安なのか期待なのか。

 闇に包まれた冷たさの中に気持ち悪い温かさを感じた。


 どのくらい歩いただろうか。

 道が分かれたら基本的には右へ進むと決めて歩いてきたが、行き止まりとなって引き返したのが二回、ループになっていて元来た道へ戻ってしまったのが一回――歩き疲れたというほどには歩き疲れてはいないものの、どこまで進んでも終わりの見えない闇に進み続けても大丈夫なのかという疑念がごまかしきれなくなった頃合い。

「うん? なんだ?」

 遠くの闇に淡く青白い光が浮かんでいた。

 これまでの狭い道から開けた場所へとつながっているようだ。

 夜更けの月明かりが差し込んできているのか――しかし、外へ出たわけではなかった。

 思わず息を呑んでしまう空間――天井は岩石で覆われていた。ただし、普通の岩石ではない。青白い光を放つ岩石だ。空の青さとも夜の星々とも異なる柔らかく優しい明るさ、感覚で言えば透明な海が天井を薄く覆い尽くし、さざなみを立てているような、そんな淡い光が降り注いでいた。

 さざなみ揺れる天井から視線を下げていくと、

「これは一体――」

 岩石の放つ光によって青白く照らし出された壁面に、絵が彫られていた。

 龍と女の絵――目を見張るほどに大きな龍がお辞儀をするように頭を下げ、その龍の鼻先へとレターの背よりもわずかに小さいくらいの女性が両手を差し伸べている。それはどこか見覚えのある女性で、記憶を探ってみるとドーリス様と呼ばれていた彫像が思い出された。

「ドーリス様が龍を手なずけている?」

 よく眺めると、差し伸べられた両手の上に勾玉の形をした不自然なくぼみができていた。

 伝承と照らし合わせて考えると、この龍は――――

「レター、危ないっ!」

 エテナの声に振り向くと、中空に浮かぶ刀がこちら目がけて斬りかかって――よけられない。腕で身体を守る。

 瞬間、火花が散った。

 腕、レターの右腕を包み込む淡い光が、血肉求める刃を阻んでいた。

 何が起こったのかと考えるまでに再び振り下ろされる刀。

 それが当然かのように右腕に傷はつかず――刀が翻り、今度は左から差し迫ってくる。

 思わず身体をひねって右手で受け止める。それでは指がはね飛ぶだけだと頭のどこかで判断しながらも、とっさの動きをやめられはしなかった。

 しかし、右手をわずかに斬りつけるのみで刀は動きを止めた。

 凍りつく時間、目の前に、こちらをねめつける暗い瞳があった。

 こいつは――と思った時には、腹部へと強烈な蹴りが入れられ、気付いたら仰向けになって青白く光る天井を――と、胸元へと刃先が向かってきている。横へと必死に転がり、どうにか起き上がろうとして、今度は喉元のどもと目がけて――――左腕でかばう。

 散る、火花。

 左腕にも謎の光がまとわりついて、守ってくれていた。

 それから右右左の斬撃を浴びせられ、ぎりぎりのところで光纏う両腕によってしのぐと、かすかな笑い声が聞こえた。

「ふっ」

 そこで刀は姿を消した。

「まさか防がれるなんてね」

 いや、姿を消したわけではない。

「ようこそ、微睡む龍の間へ。けれど、残念、ここがあんたたちの墓場だよ――って不意打ちに失敗してから言ってもカッコつかないか」

 声のする方向に目を向ければ、背景に溶け込んでしっかりとは見えないものの、さやへ戻した刀を腰に携えた何者かが立っていた。

「それで今度はどういう芸当なのかな? これだけ斬ったのに、腕や指すら切り落とせないなんて驚きだ」

「さぁな。それより今日は黒装束じゃないのか?」

 自分ですら分からない質問には答えず、相手へと問いかける。これで会うのは三度目になるのだろう。

「手早く始末しようと思ってね。ほら、邪魔が入ってほしくないからさ」

 会話をしながらも女の右手は刀のつかへと添えられている。

 よく見ると、両手はむきだしの素肌で、足元は黒い靴だ。

 そこで頭に浮かんだのは擬態コートという言葉。あらゆる方向から見て、一番見分けにくい色に変化するコートだったはずだ。そこにいると分かってさえいれば気付けるのだが、周りの変化に合わせてコートの色も変わるため、ずっと目で追わないと見失ってしまうらしい。コートに隠れていない部分は元の色のままなので役に立たないのではないかと思っていたが、こうして実際に目の前で動く姿を見ていると、注意深く見ていないとどこにいるのか分からなくなってしまいそうだ。

「あぁ、けど、今回も邪魔されちゃったのか。うまくいくと思ったのにな。そっちの女の子が気付いちゃうなん――――へぇ、そういうこと。分かったよ」

 女がエテナの方を見つめ、何かに納得したかと思ったら、一歩、二歩、とエテナへ歩み寄って――まずいとレターが感じた時には明らかに手遅れだった。

 まだ数歩の間合いがあいているとはいえ、レターよりも女はエテナにかなり近い距離。いくら駆け寄っても、これでは先にエテナが斬りつけられる。守ってあげられない。

 それでも守らねば。

 知らず、足は動いていた。

 女も歩みを速めるのが分かった。

 やはりダメだ、きっと間に合わない。

 あとずさりするエテナへと女が小さな一歩を踏み込み、刀へと手をかける。

 数秒あれば、二人の間へと割り込めるだろう――その数秒がない。

 ――こんなに焦らなくたって、エテナだったら、大丈夫かもしれないだろ。

 根拠のない期待が頭をよぎる。もしエテナが魔法を使えるのなら、魔法で刀なんて跳ね返す壁を作れるんじゃないか。この状況を変えられるんじゃないか。

 そこまで考えて、さっき自らに起こったことが分かった。あれは魔法――いや、魔術だったんだ。フルアルが土の壁を作って守ってくれたように、エテナが光で――それなら、何も心配いらないじゃないか。こんな必死になって駆け寄らなくたって、きっと。

 しかし、足を止められない。

 だって、エテナの表情が明らかに青ざめていた。余裕なんて全くない表情だ。どうして、そんな絶望した顔をしているんだ。

「エテナッ!」

 思わず叫んでいた。

「レター、助けてっ!」

 色を失った表情の中で、翡翠の瞳が希望に輝いた。

 もう間に合うはずがない距離。

 刀は既に鞘を滑り抜け、エテナ目がけ――――それでも頭の中に駆け巡ったのは、

「あぁ――けるっ!」

 自らの身体が光の矢となって弾け飛び、エテナの前で再び元のあるべき姿を取り戻す。そして、迫りくる斬撃を受け止める。そんなイメージが駆け巡り、しかし、それでも実際に自分の左腕が刀を受け止めていた。

 これまで気付かなかったが、思ったよりも刀身は短く、もう二回りほど小ぶりであったなら小刀と呼んだ方が良さそうな刀だった。そんなことまで観察していると、斬撃が再び繰り出された――今度は両手でつかみとった。

 これ以上、好き勝手に振り回させはしない。

 動きを封じられた相手は、至近距離でにらみつけてきた。瞳だけではなく、髪の色も黒く、服に隠れて見えなかった鼻から下ものぞける。そこには宿屋で手紙を渡して、姿を消した何者かの顔が確かにあった。

「お前は誰なんだ?」

「ライラだよ、レター・ワース」

 女はライラという名前らしい。名乗ってもらえるくらいには認められたということか。いや、それよりも、

「どうして俺の名前を知っている?」

 レターと呼んだのではなく、レター・ワースとライラは呼んだ。本名ではないのだし、カラドリで使っている名前を知っている人物は限られるだろう。

 しかし、返ってきたのは意味深な微笑み。

「ふっ、ここまで、とはね。本気を出すしか――」

 腹部に違和感があった。

「待ちくたびれました、ライラ」

 ライラの背後から、何者かが顔を見せた。

「お前、ここはあたしだけで、って話だったろ?」

「えぇ、そうね。でも、全く終わらないんですもの。待ちきれなくなったから、横やりを入れて差しあげました。言葉通りにね」

 新たに現れた女も瞳や髪が黒く、ライラと比べれば、かなり赤みがかっていると分か――などと、目鼻立ちを確認している場合ではない。強烈な痛みがあった。下を向けば、お腹に青い光を放つ何かが――――横やりが言葉通りであるとするなら、槍が深々と突き刺さり、突き抜けていた。

「婚約者の、お姉さん?」

 かすれた声でエテナが問いかける。

「あぁ、エテナちゃん、おとといぶりかな? 今の槍、やっぱり当たらなかったんですね。ちゃんとあなたも刺し貫くつもりだったのに。ごめんなさいね、無駄に怖い思いをさせちゃって」

 女の言葉と同時に、レターの腹部から青い光=槍が跡形なく消え去った。

 傷口から血が溢れだす。

「レター、大丈夫?」

 エテナの手が腰へと当てられ、腹部から痛みが消えていった。

「あれ……もしかして傷口、もう塞いじゃいましたか? エテナちゃん、すごいですね」

 と称賛の声をあげた女――青い光がレターのみぞおちを刺し貫く。

「なら、これはどう?」

「ひあっ」

 それはエテナの悲鳴。

 レターはなんの言葉も出せず、みぞおちに広がる奇妙な光景をどこか傍観者の感覚で眺めていた。急速に激しくなっていくのは痛みや吐き気、息苦しさとかで、面倒だなと感じ、このまま死ぬのかと思った。

「あぁ、全く。ほんっとメリーは容赦がないからな」

 左から声が聴こえた。少し前まで目の前にいたはずのライラが姿を消していた。腹部の槍に気を取られた瞬間、レターに隙ができ、刀を自由にしてしまったのだ。

 ということは、当然――メリーと呼ばれた女が至近距離で新たに槍を創り出していることなんて気にしていられない。みぞおちの奇妙さなんてどうでもいい。

 左腕を後方へと伸ばす。

 予想通り、エテナへと振りかざされた刀。鋭利な刃は伸ばした腕へと当たり、しかし、これまでとは違って、激痛が走った。腕の光が消えている。

 エテナが無事なのか確かめたかった。けれど、振り向けない。メリーの、おそらくは魔術の槍を、槍が放たれるのを止めなければ。

 もうろうとする意識。後ろから抱きついてきた温もり。続く斬撃。次なる槍。

 守りたいと思った。

 守れないと感じた。

 ひたすらに苦しくて、絶望する気力すら失って、もやがかっていく視界を眺めていた。切り裂く刀も、刺し貫く槍も、どこからくるのか。

 真っ白すぎて、もう何も見えない。何も聴こえない。

 腰にまとわりつく温もりだけが、感じられた。

 どのくらい、そうしていたのか。

 次第に身体の痛みが消え、視界も戻っていき、そして怒号が聞こえてきた。

「くっ――誰だ?」

「そっちにはいないよぉ。ほらほら、こっちだよぅ」

 誰何すいかするライラに答えたのはかすれた甘い声――シロだ。いつの間に現れたのか、うすもやの中に踊る黒髪と白いローブ。

「大丈夫かい?」

 強く右腕を引っ張られ、よろけながらも振り向くと、フルアルがいた。なぜか黒ぶちの眼鏡をかけている。

「さっ、こっちだ、二人とも」

 腕を引かれるままに歩き出す。

「一体、何が?」

「煙幕だよ。一種の幻覚作用つきのね」

 数センチほどの球体をつまんで見せてくれる。素材は白い紙か何かで表面に細かな文字が黒でびっしりと書かれている。

「術封と術記さ。ちなみに、眼鏡は煙幕の中で君たちを見つけるためだね」

 疑問に思っていることを先回りして答えてくれた。

「それにしてもどうやって――」

「お守りを使ったよね? だから、助けに来たのさ、約束通り」

 どうやらエテナが小瓶の中から土をぶちまけていたようだ。

「あと、こいつも手掛かりにはなったけどね」

 視線を追うと、フルアルの腕に土でできた人形がしがみついていた。

「フロー君、フロー君」

 嬉しそうなのに、力のない声。抱きついたまま離れようとしないエテナのものだ。

「エテナ、大丈夫か?」

 無事を確認しようと、振り向い――青い光がこちら目がけて飛んできている。

 と、視界を何者か=白いローブが奪い去る。

「どこを狙ってるのかなぁ? あなたたちの相手はシロが引き受けたんだよ?」

 シロは襲いくるライラの刀をいなし、メリーの槍をローブで受け止めて打ち消してしまう。

「あなたのローブ、いつまで持ちこたえられるでしょうね」

 二度、三度とローブに消し去られる青い槍にも、しかし、全く動じていない様子だ。

「ヰオン遮断に防刃を組み合わせてるからね。まだ全然だよ」

「ふーん、わざわざ教えてくれるなんて随分と余裕だ、ねっ?」

 ライラによる素早い斬撃がよけきれず、お腹を斬りつけられ――かと思ったが、シロは何か棒のようなもので受け止める。

「レター君、ここは雪姫に任せるんだ」

 名前を呼ばれ、我に返ると、エテナを背負ったフルアルがこちらを見つめていた。そして、一度大きく頷くと、シロたちのいる側とは反対の方向へ走り始めた。

「えっ、えぇ――って、エテナ?」

 ぐったりとした様子でフルアルに身体を預けるエテナ。頬や首に血がついてはいるものの、それはおそらくレターの血であり、エテナ自身に目立った傷はなさそうだ。ただし、髪の色が淡い青に染まっていた。

「ヰオンを使いすぎたんだろうね」

 フルアルが前を向いたまま、ぽそりと呟く。

「どういう意味ですか?」

 問いかけに返事はなかった。しかし、ヰオンを使うという言葉が魔術を使うことを意味するならば、心当たりはある。

 自分のみぞおちへと、手を当ててみる。先ほど青い光によって刺し貫かれたはずの場所――服には穴があいているが、胸元に穴はない。脈打つ鼓動が感じ取れるのみだ。

 いくら一瞬で治せるからといって、いや、治せるからこそ、エテナにしいる負担は大きかったということなのか。

「さぁ、こいつに乗るよ」

 フルアルに連れてこられた場所にはウサギがいた。白い毛並から思い出したのは砂ウサギ。

「どうして、こんな?」

 ただし、目の前の砂ウサギは大きさが尋常ではなかった。レターの身体よりも二回り以上も大きかった。正直、物凄く怖いのだが、フルアルが背中を撫でると背中に乗れと言わんばかりに寝そべった。

「特別な餌を食べさせて、一時的に大きくなってもらったんだ。ちなみに草食だから、草と間違われなければ安全さ」

 つまり、間違われた場合はかみ千切られるということだろうが、気にした素振りもなくフルアルはエテナをこちらへ渡してウサギの背中へと乗る。

「そんな警戒せず。今は手綱たづなをつけているし、よほど噛まれる心配はないよ」

 確かに巨大砂ウサギには頭部へ巻きつく形でくつわのない手綱(むしろ頭絡とうらくと呼ぶのか)がかけられていたため、口は大きく開けそうにない。

 フルアルに促され、エテナをはさみ込む形でフルアルが前、レターが後ろに乗った。

「後ろは大きく揺れるから、遠慮せず腰にしっかり手を回してもらえるかい?」

「あっ、はい」

 血に濡れたエテナの手を上から包み込んで、フルアルの腰へと手を回し、エテナが落ちることのないように身体を密着させる。

「暑いの」

「我慢しろ」

 すぐ下にあるエテナの頭を見て告げる。どんな表情をしているかは分からないが、文句を言えるだけの元気はあるようだ。

「さて、いこうか」

「あれ? シロは?」

 シロの方を向くと、あれから数分しか経っていないはずなのに、ローブがぼろぼろに破れ、見覚えのある黒のゴシックドレスがあらわになっていた。

 それでも、遠目だと刀や槍をあしらう姿が楽しげに踊っているようにも見えてしまうのはなぜなのだろうか。というか、微笑みを浮かべているところからすると、実際に楽しんでいるのかもしれない。

「雪姫っ!」

 フルアルの声に、斬撃をよけながら、シロがちらりと視線を送ってきた。次の瞬間、ウサギがシロへと向かって走り始める。

 それを知ってか知らずか、こちらに背を向けたシロは襲いくる相手から隠すようにして棒のようなものを――おうぎを広げた。ほのかに青みを帯びた銀色に煌めきが散らばっている。

蒼天そうてんのしみゆく月に雪白く舞って踊るは儚き花か」

 歌うように口ずさまれた言葉。そよぐようにあおがれた扇。

 一陣の風が、いや、吹雪ふぶきが生み出される。

 思いもしなかったであろう反撃に襲撃者たちはあらがうこともままならず、吹き飛ばされ、白い嵐に姿が消えてゆく。

 同時にあおぐことで生まれた風を利用するかのように、シロは高く跳び上がった。そして、中空を飛翔したシロは駆けつけたウサギに乗ったフルアルによって受け止められ、お姫様抱っこされる。

「フロー、ありがと」

「あぁ、姫のお転婆に付き合うのは騎士の役目さ」

 ウサギは勢いを殺すことなく方向転換し、駆け続ける。目の前に迫りくる壁。

 その時、お姫様抱っこ状態のまま、シロが怪しい光を放つ赤い石をライラやメリーのいるであろう後方へと投げつけるのが見えた。

「今のは?」

「ザクロだよ? 火炎すらも溶かし込む焔が弾け飛ぶの。燃やすよりもぜることにヰオンを偏らせているシロのとっておきだね」

 口から零れた疑問に物騒な答えが返ってきた。しかも、涼しい顔で今さっき吹雪を起こしたであろう扇をあおいでいる。見た目からすると、材質は紙のようだ。しかし、ライラの斬撃を受け止めていたし、おそらく骨組みに金属でも入っているのだろう。

「ちなみにこれはシロ特製の扇でせつげつって呼んでるの」

 見つめていたのがばれたのか、訊いていないのに説明された。

「雪姫、そろそろちゃんと座ってくれるかい? 壁に突っ込むし、手綱を操りにくい」

 手綱を引いているのに、両腕の上でお姫様を続けられてはたまったものではないだろう。むしろ今までどうやって手綱を操っていたのか、後ろに乗っている身としては気が気じゃない。

 ――っていうか、今フルアルさんは壁に突っ込むって言ったのか?

 まさかと思いながらもできることといえば、フルアルの腰に回す手へ力を込めることくらいで――と、思考の吹き飛ぶ爆音が耳をつんざく。

 天井から降り注ぐ淡い青を映していた白い壁面が後方で炸裂したザクロによって瞬時に赤く染め上げられ、その壁へとまさにウサギは突進していく。

 思わず、目をギュッとつぶってしまった。

 目をあけると、赤い砂が前方に広がっていた。そして、見えない防壁が守ってくれているかのように頭すれすれのところで暗闇の奔流が過ぎ去っていく。

「真っ赤なの」

 前の様子をのぞき見たエテナが呟いた。

「実際に赤いのは砂じゃなくて、砂ウサギの瞳さ。魔術を使ってる時にだけ、強く光るんだ」

 そういえば、砂ウサギは魔物であり、砂の中を魔術によって泳ぎ回れるとか聞いた気がする。色々なことがありすぎて、すっかり忘れていた。

 日付が変わっていないとすれば、砂丘に来たのはまだ今日のことだ。なのに、黒い塊に呑み込まれたと思ったら、どこか分からない場所に倒れていて、龍と女の絵が彫られた変な部屋へ出た途端、急に襲われた。

 何がなんだか分からない。

 ただ、分かったことも幾つかある。

 まずなんらかの理由で命を狙われていたということ。そして、狙ってきたのはライラとメリーという女二人組――さっきの爆発が直撃したとすれば、もう襲ってくることはないのだろう。どうして襲ってきたのかは分からずじまいになってしまうのかもしれない。

 それにしても、と思う。あの襲撃者たちも随分と異様ではあったが、煙幕から吹雪に爆発、さらには砂ウサギの巨大化――やはりシロとフルアルは普通ではなかった。いや、もはや何が普通なのか分からない。

 ――もしかしたら本当に俺の記憶は改変されているのかもしれない。

 実際にこの目、この身体で体験したことは、明らかに頭の中にある常識から外れている。もしも今ウサギに乗っているのが夢でないならば、なんとなく信じていた、あるいはどうにか信じようと思ってきた自らの常識こそが幻想だったと考えるしかない。

 周りを取り囲んでいた暗闇が青みを帯びる。

 地上へ出たのだ。

「もう夜なのか」

 月明かりが、夜闇を静やかに照らしている。

 ほぼ満月だ。

 数多くの星々も月の輝きに消されることなく瞬いている。

 ウサギから降り、周囲を見渡す。

 どちらを向いても砂丘の景色が広がっていたが、満月の見える方角には割りと近くに森があった。さらによく眺めると、森の向こう側に見覚えのある高い壁が見て取れた。

「あれって、もしかしてカラドリですかね」

「あぁ、そうみたいだね」

 フルアルもウサギから降り、壁を見つめていた。少し角度が違うものの、砂丘へ訪れる際に魔導列車から見えたカラドリの外観に近い。

「この距離なら、すぐに着けそうか。雪姫、どうする?」

「うーん、フローたちだけで向かってくれないかな。まだ夜は始まったばかりで月も明るいし、ちょっと気になることがあるから、もう少しシロは砂丘を見て回ることにするよぉ」

 シロが砂ウサギに餌をあげながら答えた。ご満悦な様子で餌を頬張る砂ウサギではあるが、その餌の中に得体の知れない薬物か何かが入っているのだろう。自分たちが乗って足代わりとして利用するために巨大化させるのは、正直どうかと思いもする。しかし、この砂ウサギがいたからこそ助けてもらえたのだし、人が人以外の生物と共生していく関係性として、何かしてもらう代わりに餌をあげるというのは決して悪いとばかりは言えない気がする。

「ありがとう。お前のお蔭で助かったよ」

 砂ウサギの首元を撫でて、お礼を口にした。最初は怖いと感じたが、慣れてくると、巨大化していても思った以上に可愛い。

「ウサギさん、ありがと」

 隣に来たエテナが真似して撫でている。だいぶ調子が良くなってきたように見えるが、それでも髪や瞳は青に染まっている。

「あのぉ、シロにも言うこととかないのかなぁ?」

 なぜか物欲しそうな目を向けてくるシロ。

「うん? なんかあったか? 面倒事に巻き込んできた記憶しか――って、そんなふくれっ面するなよ。感謝はしてるよ、とっても。フルアルさん、ありがとうございます」

「どういたしまして。まぁ、ふくれっ面をしてるのは雪姫だけどね」

 フルアルがシロの頬を人差し指で突きながら冷静な突っ込みを入れてくる。

「ふーん、分かったよ。シロをねぎらってくれるのは、きっと砂丘に吹く風だけなん――」

「シロ、ありがと」

 いじけるシロの言葉を遮り、横からエテナがシロの頭を撫でる。

「あっ、うっうん、エテナもよく頑張ったね――さっ、さて、もう行こうかなぁ」

 困惑した様子ながらも、エテナの頭を撫で返したシロは再びウサギへと乗った。

「雪姫、気を付けるんだよ?」

 フルアルの言葉にまばたきで答えたシロは、

「お互いにね」

 という言葉を残し、森の見える側とはほぼ正反対の方角へと向かった。

「さぁ、僕たちも行くとしようか」

 フルアルの先導で、カラドリへと足を進め始める。

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