3-3

「ふーん、それは大変だったねぇ? ところでレターはシロとの約束、覚えてるかなぁ?」

 場所はカラドリ駅前広場。時刻は朝十時くらい。同行者はエテナとフルアル。目の前ではシロが不敵な笑みを浮かべている。

 フルアルに「面白い仕事を見つけたから、もしよければ一緒にやらないかい?」と誘われるがまま、雇い主の元へとやってきたのだが、そこで待っていたのは白いローブ姿のシロだった。

「ローブのことだよぉ」

 そんな言葉を口にして、一歩こちらに詰め寄ってくる。

 借りていたローブについては事情を今さっき説明したはずで、もちろん謝った。よほど貴重なものだったのかもしれないが、それだからといって、斬られたものはどうしようもない。

「えっと、だから、いきなり襲われて――」

「服探し、忘れたのかなぁ?」

 そういえば、シロと服をどうのと約束していた気がする。その約束の証としてローブを無理やり押しつけられたのだ。約束の証を台無しにして、約束の内容を忘れていたということになる。

 ――あぁ、それで怒られてるのか。服、買っちゃったことも話してるし……うわっ、どうする?

 シロに会ってすぐ「そのコート、どうしたのかな? 買ったの?」と尋ねられて、服は幾つか昨日に買ったものの、今着ているのはコートも含めてフルアルに借りたという主旨を喋ってしまっていた。

「約束してたはずなのになぁ」

「あっと、それは、その――」

「どういうことかなぁ? シロの家もどこにあるか教えたよねぇ?」

 ローブを渡された時に教えられた気がする。中央通りを西に進んだ九番通りの――よく覚えてない。また仲介所かどこかで会えるだろうと適当に聞き流した気がする。一応は覚えておこうとも思ったのだが、エテナのことで頭が一杯になっていく中で完全に忘れてしまったのだ。

「いや、その、また今度お願いするよ。うん、シロ、お前に頼む。俺に似合うのを買ってくれ」

「へぇ、シロに買わせるつもりなんだ? それじゃ、きっとシロのお願いをなんでも聞いてくれるってことだよね? どんな仕事でも引き受けてくれるってことだよね? ローブのこともあるし、もちろん断れるはずないよねぇ?」

 冗談の通じない黒い瞳がにらみつけてきている。

「まぁ、落ち着きなよ。知り合いだったなんて、丁度いいことじゃないか」

「フローは黙っててね?」

 仲裁に入るフルアルの言葉に耳を傾けるつもりはないようだ。

 万が一にも黒装束に襲われても、フルアルといれば安全だろうと思って、誘いに乗ったのだが、失敗だったかもしれない。どんなことをさせられるかは分からないが、まともなことでは絶対にないという予感がして、でも、引き受けざるをえない状況だ。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何を俺にさせるつもりなのか教えてくれないか?」

「やだ」

 短い拒否。あまりに短い拒否。

「そんなの引き受けられるはず――」

「心配しなくても大丈夫。エテナのことはシロが精一杯に守ってあげるから」

 見た目だけは優しそうな笑みを浮かべてくる。

「俺のことは守ってくれないのか?」

「うん、そだよ」

 文句あるのか、とでも言いたげな冷たい口調。

「あの、フルアルさん、俺のことを守ってくれませんか?」

「えっ? あぁ、任せてくれ。頼まれなくとも、そのつもりさ。できる限りのことはする」

 心地良いくらいに軽快な返事をくれるフルアル。まず目の前のシロから守ってほしいと思うのだが、そこまではきっと求められないのだろう。

「分かった。エテナが納得してくれたなら、仕事を引き受けるよ」

「ふーん、そう――――初めまして、エテナ。って、会ったことはあるよねぇ。あなたにもシロの手伝いをしてほしいなって見かけた瞬間から思っていたの。ちゃんと報酬は用意するから、力を貸してもらえないかな? ねっ、お願い」

 最後の抵抗でエテナが首を横に振ってくれることを期待したが、有無を言わさぬ気迫に呑まれたのか縦に振ってしまった。ちなみに彼女の肩に乗った人形もなぜか頷いた。

「ありがと。じゃ、ついてきてね」

 満面の笑みを見せたかと思ったら、駅の方向へと足を進め始めた。街の外へ出るのだろうか。

「それで俺は何を手伝うんだ?」

「まずは移動しようよ。魔導列車に乗っていくからねっ」

 さっきまでの威圧感が嘘みたいに霧散する軽やかな声音だった。うまく乗せられた気がしてならない。


 カラドリ駅から魔導列車で東へと向かい、到着した場所は砂丘。ほぼ何もない広大な砂粒の世界が広がっている。何かを叫びたくなるような景色ではあるが、シロに冷やかされそうなため我慢する。

 もちろん仕事の内容は、砂丘に眠る秘宝探し。よくよく考えれば、フルアルに誘われた時点で気付いても良さそうなものだが、自分には関係ないはずだという思い込みで気付けなかった。

「砂丘に入っても大丈夫なのか?」

 既に足を踏み入れ、靴の中へと砂が入ってきている状態で、今更ながらも尋ねてみた。

「カラドリの役所に調査申請書なら出したねぇ」

 一応、無断ではないようだ。しかし、そういう意味だけで尋ねたわけではなかった。

「黒き龍がいるっていうし、危ないんじゃないか?」

「かもね。だけど、実際にいるかも分からないし、いたとしてもシロとフローでなんとかできるよ、たぶん」

 シロはともかくとして、フルアルが頼もしい魔術を扱えることは分かっている。けれども、相手は伝承に謳われる龍。できればお目にかかりたくない。

「むしろ俺とエテナは足手まといだろ?」

「そんなことないんじゃないかな? レターはおとりとかいけるはずだよぉ」

 その「いける」は、漢字にすると、「逝ける」なのだろう。勘弁してほしい。

「雪姫、少し脅かしすぎだよ? 砂丘が安全なのかは確かに分からないけど、ドーリスでは滅多に危険な魔物なんて出ないはずじゃないか」

 どうでもいいことだが、フルアルはシロを雪姫と呼んでいる。ある意味で的確な表現だ。

「そういえば、魔物って、どういう奴らなんですか? 危ない奴らだっていうのは分かるんですが、詳しく知らなくて」

 街でも見かけた言葉であり、言葉の意味もなんとなく想像できるが、想像通りなのかが分からない。

「ヰオンの作用によって変質した動物っていうのが本来の定義なんだけど、特に狂暴化していたり、知能が発達していたりすることで人間を襲う可能性の高い奴らを指すのが一般的かな」

 ほぼ想像通りではあったが、やはり魔の文字を冠するだけあってヰオンと関わりがあるのだ。

「この子も実は魔物なんだよ?」

 シロはどこで捕まえてきたのか、手に白いウサギを持っていた。首の後ろをつかまれて、しょんぼりとした様子で、つぶらな瞳を向けてくる。

「いや、普通のウサギにしか見えないけど」

「ウサギさん! 触りたい」

 ほとんど喋らず、人形と遊んでいたエテナが声をあげる。

 野生の動物は時に危険な感染症をうつす場合があると、レターの知識が告げている。もちろん確率は低いし、この土地の動物が該当するのかは分からないものの、分からないからこそ、不用意に触るのは避けた方がいい。特に死んでいたり、弱っていたりする動物は危険なはずだが、取りあえず目の前のウサギは元気そうで見た目に異常はない。

「触るにしたって少しだけにしろよ?」

 過度なスキンシップをしなければ、よほど大丈夫だろうと考えた。気にしすぎるのも良くないだろう。

 ウサギの耳にふれ、頭を撫で、そしてシロからウサギを受け取ろうとしたところで、やめさせる。

「動物と人との間には適切な距離がある。特に野生で生きる奴らの生活に考えなしで踏み入るのは避けた方がいい。こんなに可愛いんだから触りたくなる気持ちは分かりすぎるくらい分かるが、いきなり捕まえられて触り回されるウサギの気持ちにもなってみろ」

「うーん、分かった」

 残念そうな様子ではあるが、どうやら納得してくれた。

「あのね、動物っていうか魔物だよ? この子は襲ってこない奴だけどね」

 そういえば、そんなことをさっきも話していた。けれど、やはり見た目は普通だ。

「どの辺りが魔物なんだ?」

「まっ、見ててね」

 言葉と共にシロが解放したウサギは、砂の上に着地し――消えてしまった。跡形もなく瞬時にウサギが消えたのだ。

「ウサギさん、どこ行ったの?」

 首をかしげるエテナの問いかけに、シロは足元の砂を指差す。

「あの子は砂ウサギっていう名前でね、砂の中を自由に泳ぎ回れるの」

「泳ぎ回れるっていうのは言葉のあやで、実際には前足のところから目の前の砂を払いのける魔術が放たれているらしいけどね」

 シロの説明にフルアルが補足する。魔物なのだから、魔術が使えてもおかしくはないのだろう。魔法の存在を認めてしまったら、どこに疑問の余地があるのかまで分からなくなってきた。

「砂の中を調べるなら、あの子にも手伝ってもらうんだけど、取りあえずは当たりを付けないとね」

「当たりって、目的地はどこなんだ? 俺は何をさせられるんだ?」

 当然のように荷物を持たされているのだが、単なる荷物持ちだけでは済まないだろう。

「目的地はこの砂丘のどこかで、レターにはシロの手となり足となり働いてもらうつもり」

「へぇ、それはやだな」

 とはいえ、既にローブの弁償を差し引いても二百マナス×日数は払うと約束してもらえているので、よほどのことがなければ働こうと思っている。よほどがありそうな気がして恐ろしいが、その時はフルアルに助けを求めるつもりだ。

 そこでふと気になっていたことを思い出した。

「シロ、貸してくれたローブって何か特別なものだったのか? 俺を襲ってきた奴が手抜きじゃ斬れないとかなんとか言ってたんだけど」

「そだね。あれは元々あらゆる危険な外力から身を守る防護服だったんだけど、シロが改変して外力の分散に特化させたんだ。具体的な方向付けをした方が効果は高くなるからねぇ。業火とか吹雪ふぶきとか広範囲に及ぶ場合はダメなんだけど、局所的な外力には強くて、普通は斬ったり刺したりできないはずなんだけどね」

「いや、だけど、斬られたぞ」

 細かいことはともかくシロの話通りに斬ったり刺したりできない代物しろものだったとして、しかし、結果からすると、ローブは黒装束の女によって斬られてしまった。

「それは何度も斬られすぎたか、斬り方が特殊だったかだろうねぇ。話を聴く限りだと特殊だったのかなぁ」

 なんとなく気付いてはいたが、目の前にいる黒髪黒目の女は口調や態度とは違って意外とできる奴なのかもしれない。もしくは専門バカなのか。どちらにしても魔法道理についてはフルアルにも劣らない知識がありそうだ。

「あの鳥の名前を知ってるかい?」

 突然フルアルが立ち止まって尋ねてくる。

 フルアルの視線の先には街の中でも見かけた鳥が高い空を飛んでいた。白くて大きな鳥だ。

「カラドリっていうんだよ」

 それは改めて考えるまでもなく、街の名前だ。

「名前の由来はカラカラ鳴くからだって言われているけどね。どう思う? 僕は昨日ドロシーさんから聴いた伝承に出てくる鳥と無関係には思えないんだ」

「もしかして、あの鳥が秘宝のありかに導いてくれると?」

 しかし、フルアルは答えなかった。シロが説明しろとでも訴えかけるようにレターとフルアルへ交互に視線を向けてきていただけだ。

 昨日ドロシーから聴いたカラドリ砂丘の伝承と女神ドーリス像の伝承についてフルアルがシロに語った。もちろんドロシーについても説明した。

「ふーん、そういうこと。レターは昨日デートをねぇ。色んな店を回って、とっても楽しかったんだろうなぁ」

 棘のある言い方だ。しかし、あえて黙っておくことにする。

「フローもエテナとデートするなんてなぁ。一緒に行きたかったなぁ」

「雪姫とレター君がこんなにも親しいだなんて思わなかったのさ」

「まぁ、伝承は役に立つかもしれないし、いいとしますかねぇ」

 シロは鳥を見つめて、棒読みで告げ、

「取りあえず鳥を追いかけようかな」

 呟くように言葉を零した。

 これからの道行きが鳥任せになってしまったようだ。


 本当に鳥は空を自由に飛んでいるのだろうか。

 ふとそんな疑問が湧いたのは、自由に飛び回っているはずの鳥を追いかけ続けたら、砂丘の中に湖が現れたからで――生きるために欠かせぬ水や餌を探し求めて、必死に空を飛んでいるだけなのではないかと感じたのだ。もし、空を飛ばずとも生きていけるなら飛ばなかったのではないか。それでも飛ばずにいられなかったのだろうか。疑問に答えは出ない。

 空の青さと雲の白さを映し込む湖には何羽かの白い鳥が泳いでいる。飛ぶのをやめても空の世界と共にあるのは、少し面白い気がする。

「この湖は雨水がたまっているのかな」

 湖に指を突っ込んで、味を確かめてみたところ、特になんの味もしなかったのだ。

「それにしても湖以外これといって何もなさそうだけど」

 無駄足だったのではないかと思った。シロとフルアルが湖の周りを手分けして見て回っているものの、現時点で特に発見はない。そろそろ日が傾きだす頃合いで、まさか野宿ということはないだろうし、今日は間もなく帰路に着くはずだ。

「何を見ているんだ?」

 エテナが頭に人形を載せて、湖をぼんやりと眺めていた。

「黒い鳥」

 視線の先を見る。白い鳥が羽を休め、ぷかぷかと浮かんでいるだけだ。

「いや、白い奴しかいないだろ?」

「ううん、黒い鳥が湖の空、飛んでるよ?」

 エテナが指を向けた場所。そこに大きな黒い鳥が――いや、何かの影ではないかと思って空を見上げるものの、それらしき鳥は見当たらない。

 真っ黒な鳥が湖の中にいた。白い鳥を真っ黒に染めたような容姿をしている。形だけは鳥なのだが、鳥ではないのかもしれない。

 ――黒き龍……いや、やっぱり黒い鳥だよな。

 湖の空をゆっくりと旋回している。と、急に動きを止め、こちらに向かってきた。

 少しずつ着実に黒い鳥の姿は大きくなっていく。

 ――っていうか、この大きさは一体!

 どのくらい見つめていただろうか。黒い鳥は、もはや鳥とは思えない大きさ、レターの数倍はあろうかという黒い塊となっていた。

 すぐに逃げなければと頭が告げていた。しかし、予想していなかった事態に身体を動かせなかった。あるいは湖の中から出てくるはずがない。何かの幻だと思い込みたかったのかもしれない。

 気付けば、黒い塊は湖の空を突き破って、降りかかってきていた。視界の全てを侵食していく闇。とっさにエテナだけでも逃がそうと突き飛ば――しかし、突き飛ばそうとした腕はエテナによってがっちりつかまれてしまう。

「どうして? お前だけでも――」

 声さえ届けられぬうちに黒い塊が全てを呑み込んだ。

 なすすべもなく、闇に喰われたのだ。

 何も見えない真っ暗闇。

 かみ砕かれるかとも思ったが、そんなことはなく、どこかへ流されていく感覚だけがする。

 暴れようとしても、身体に力が入らない。闇の濁流に身を任せるしかなさそう――――などと判断する思考にすら黒い染みが広がっていく。

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