2-2

 ドロシーが用意してくれた宿は中央通り沿いにあるが、幾つものお店が立ち並んで賑わっている市場からは離れているため、あまり人通りはなく、落ち着いた雰囲気が漂っている。特に豪勢ということも粗末ということもなく、ちょっとした装飾の施された建物が並んでいることも、落ち着いた雰囲気に一役買っているのかもしれない。

「お帰りなさいませ。レター様、お留守の間にお手紙を頂戴しております。どうぞ」

 宿のお姉さんから、預けてあった部屋の鍵と共に、半分に折りたたまれた紙を渡された。

 ――手紙なんて、一体なんだろ?

 紙はメモ用紙ほどの大きさで、ざらっとした手触りがあった。その場で中を確認する。


『少女。

 北の砂浜。

 持ち物、全て』


 三行に分けて書かれた文言もんごん。意味が分からないが、嫌な予感しかしない。

 二階の部屋へと急いで向かい、扉をあけた。鍵はかかっていなかった。出かける時にかけておいたはずなのに。

「エテナ、いるか?」

 返事はない。どこにもいない。

 部屋をくまなく探してもエテナの姿は見つからなかった。

「さらわれた?」

 手にしたままの手紙を読み直す。部屋を出ているだけの可能性もあるし、どこかに隠れている可能性もある。しかし、疑念は着実に深まっていく。

 部屋だけでなく宿の周辺も含めてエテナを探したが、それでも見つからなかった。

 ――どうする? いや、迷うまでないか。

 北の砂浜がどこにあるのか宿で尋ね、とにかく出向いてみることにした。

 手紙の内容は誘拐だと断定するには難ありで、むしろエテナのいたずらなのではないかとも思えてしまう。そんな状況では、この街の警察組織に頼ることはできないだろう。かといって、何もせずエテナの帰りを待つ気にもなれない。


 宿から北の方角、陽光を背に受け、中央通りを市場とは逆方向へと向かった。人通りはさらに減っていき、少しずつ道はせばまっていく。やがて住宅街の間に通る小道と変わらぬほどになり、しまいには住宅街から雑木林へと入り込んでしまった。

 本当にこちらで合っているのだろうかと、ほぼ真南に浮かんでいる太陽が背後にあると一度振り返って確認してから奥へと進んでいく。緩い斜面をのぼってくだって、しばらく進んで、潮の香りが漂っているなと感じ始めた。そして、香りに誘われるように歩を進めると、視界が唐突に開けてきた。木々の隙間から白い砂浜が見て取れ、さらに遠くには紺碧の海が打ち寄せてきているのが見えた。

 砂浜へと足を踏み入れる。波打ち際近くまで来ても、人の姿は全くない。独り占め状態だ。

 ――誰もいないじゃないか。やっぱりいたずらだったのか?

 真正面の海には岩礁が幾つか散らばり、海に向かって右手には砂浜がどこまでも続いている。左手には遠目に灯台らしき棒状の塔が見受けられる。向こう側には漁港があるのかもしれない。

 きゅっきゅっ。

 砂の鳴く音が聞こえた。背後からだ。

 振り向くと、黒装束の何者かが数メートルの距離に立っていた。

「お前は誰だ?」

「教えると思う?」

 女の声。服装と合わせて考えると、昨日の物取りのような気がしてならない。

「昨日の奴か?」

「さぁね」

 どうやら当たっていた可能性が高い。もし違ったなら、意味を問われるか、何も答えないかのどちらかだろう。

「持ってるもの全て、こっちに寄越せ」

「エテナはどこにいる?」

 相手の要求には応じず、質問を返す。

「殺した…………といったら?」

 試すような視線を向けてきた。のどの奥からこみあげてくる感情があった。しかし、無理やりにでも呑み込んで冷静さを保とうとする。

「そんなことは絶対に許さない」

「へぇ……けど、別にあんたに許されなくたっていいな」

「エテナはどこだ?」

 相手をにらみつける。こちらの意志を伝えるため、あるいは動揺を見破られないため。

「さぁ、どうだろ。今頃はバラバラになって埋められてるかも?」

 なんでもない雑談をするかのようにからかう声音で指を下へと向けて答えた。殴りかかりたい衝動に駆られるが、こぶしをギュッと握り込む――今はそんな場合ではない。

「ふざけるなっ!」

「そんなに怒ってさ、あんたとどんな関係だったの? もしかして大切な人?」

「あいつは――とにかく居場所を教えろ」

「じゃ、持ってきたものを全部渡せ」

 女は一歩こちらへ踏み込んできた。仕方なくドロシーがくれたお金(百マナス紙幣三枚)をローブの中、ジャージのポケットから出して見せつける。

「全てって伝えたはずだけど?」

「これで全てだ。他には何も持ってない」

 嘘ではなかった。残りのお金はエテナに持たせてあったし、このお金以外に持っている金品なんてなかった。

「あっ、そう」

 レターの差し出した紙幣を受け取ろうと女が右手を伸ばしてきた。しかし、レターは紙幣をつかんだまま離さずに相手の目をにらみつけた。ぎらつく黒い瞳だ。

「エテナをどこに連れていったのか、答えろ。渡すのはそれからだ」

「そういえば、あんたって、この街に何をしに来たんだ?」

 互いに紙幣をつかんだままの状態で言葉を交わす。

「お前に教えることじゃない」

「教えてもらえないなら、仕方ないっか」

 伸ばしてきていた右手を唐突に引っ込め――左手でレターの腹を殴りかかってきた。と思ったが、違う。左手にはきらりと光るナイフが握られて――――突き立てられた。腹部、肋骨ろっこつの下辺り。よけられるはずもなかった。頭によぎる、どくどくと血が溢れる光景。

「ここであんたを殺そう」

 相手の口元はスカーフで隠れていたが、きっと不敵な笑みを浮かべている。そんな目をしている。

 腹部に熱を帯びた痛みが、えぐり込んでくる感触が――――――なかった。わずかに痛みを感じはしたが、それはなぜかこぶしで殴られる程度のもの。ナイフで刺されたと思ったのだが、何かの見間違いだったのかもしれない。

「――っ」

 女が目を見開いて後ろへ飛びのき、わずかに距離が開く。

「何をした?」

 こちらが尋ねたいことを訊かれた。女の左手にはナイフが握りしめられている。だが、鋭利な刃は血に濡れてはいない。

 やはりナイフは腹へと突き立てられたはずで、女の反応からすると刃の引っ込むマジックナイフというわけでもなさそうだ。

「答える気なし、か。なら、訊き方を変えないとね」

 踏み込みで距離を一息に詰め、女が斬りかかってくる。慌てて後ろへ下がろうとして、しかし、砂に足を取られて転んでしまう。

 今しがた身体のあった場所をナイフが斬りつけた。

 どこかで何かの冗談かと思っていたが、相手が本気なのだと悟った。逃げなければ、と思いつつも、逃げられるはずがないと考えてしまう。足が震え始めている。立つことすらおぼつかないだろう。なら、どうすればいいのか。

 倒れたままのレター目がけてナイフが差し迫ってくる。ここで立ち上がろうとすれば、間違いなく斬りつけられる。かといって、立ち上がらなくたって斬りつけられる。

「待て。どうして殺されなきゃならない」

 話しかけるしかない。まともな話し合いができる相手とも思えなかったが、それでも、何もしないわけにはいかない。

「心当たりがないのか?」

 見下ろしてくる瞳は暗い。それまでのどこかふざけた声音は圧倒的な闇に沈み込んでいた。

「心当たり?」

「ないみたいだね」

 言葉と共にナイフが首元めがけて迫ってきた。身体をそらして、よけられる距離ではない。とっさに左腕でかばっていた。

 腕に痛みが走る。斬りつけられたのだから当然だ。当然なのだが、しかし、ナイフで斬られたというよりは棒で打たれたような痛みだった。

 どうしてなのか。考えるよりも先に立ち上がって逃げ出した。交渉の余地なんてなかったのだ。もちろん逃げ出す瞬間に肩やら背中やらを斬りつけられたが、痛みは走れなくなるほどには強くなかった。

 女が追ってくる様子もなかったため、ある程度の距離を取ってから振り向く。

「へぇ、なるほどね」

 独り納得した様子で女がナイフを右手へと持ち替えるのが見えた。その瞬間、気のせいか、ナイフの刃がほのかに青みを帯びる。

「手抜きじゃ、あんたの服は斬れないってことか」

 女の言葉通りに腕や肩どころかローブさえも切断されていない。ナイフがなまくらだからとか、そんな理由ではないだろう。シロから預かったローブが特殊なのだ。と思ってみても、そうとは思えない。だが、少なくとも目の前の女はそう考えたようだ。

「首を狙えば簡単そうだけど」

 こちらに首を斬りつける仕草を見せつけながら歩いて近づいてくる。ローブについたフードを慌てて被って、女に背を向けて逃げ出す。

「あんたは服ごと斬られたい、と」

 砂浜から雑木林の方へと必死で走る。声からすれば女との距離はまだ――――

「望むところだよ」

 すぐ後ろに聞こえた。嫌な気配が背後に迫る。

 足元の砂が草地へと変わり、どうにか雑木林の中まで――――背中に激痛が走る。今までのものとは明らかに質が異なり、斬られた感触が全身を熱くさせていく。熱いのに、身体の芯から震えが生まれてくる。しかし、震えている余裕などない。とにかく走り続ける。前へ進もうと身体を動かすたび、背中から全身へと広がる激痛がくずおれてしまいそうな恐怖を塗り込んでくるが、それゆえに立ち止まれず、走り続ける。

 が、進みゆくは木の根にむしばまれた狭い道。焦れば焦るほどに足元が揺らいでいく感覚に襲われてしまう。それでも足は止められない。

 途中で何度か転びそうになりながらも、必死に雑木林をひた走る。後ろを振り返る余裕はない。

 まだ追ってきているのか、と考えながら、一歩踏み出した足が土の柔らかさに滑る。まずいと思った瞬間、近くの樹木へと手を突いて、ぎりぎりでバランスを保つ――かと思ったが、背中を駆け抜ける激痛に力が緩み、走ってきた勢いまでは抑え切れず、前のめりに転んでしまう。

 直後、グンッと低い音がしたと思ったら、さっき手を突いた樹木が倒れてきた。下敷きにならぬよう、転んだ状態のまま身をずらす。

 かろうじてよけられた。しかし、一息つくことなどできない。

 樹木だったものは綺麗に腰の高さほどの切り株になり――――その向こう側、わずかに青く光るナイフを手にした黒装束が見つめてきている。

「もう追いかけっこは終わり、かな。残念だね」

 緩やかに続く斜面をくだれば、街に入り込めるだろう場所。ここまでは逃げられた。いや、ここまでは逃がされたのか。頭の中を、もうこれ以上は逃げられないという諦めが広がっていく。背中は血のせいか、汗のせいか、びっしょり濡れている。

 ――ここで死ぬのか? 何も分からず? エテナも助けられず?

「っはぁ……嫌だ。それは嫌だっ! 死ぬわけにはいかないんだっ!」

 差し迫った死を拒絶するように叫んだ。それでも黒い死はまた一歩近づいてくる。あらがう方法なんて何も思いつかない。けれど、死を受け入れる心持ちにもなれない。どうせ無駄だと思っても立ち上がって身構えた。酔ったように身体はふらついて、逃げる気力は失せていた。

「へぇ、向かってくるつもり? 驚きだよ」

 嬉しそうな響きが混じっているのみで、不安や焦りなど露ほども感じていないと分かる。

「見逃してくれないんだろ?」

「あぁ、そうだね」

 真正面に黒装束の女をにらみつける。手を伸ばしてもわずかに届かぬであろう距離。一歩を踏み込んできたら、瞬時にナイフを握る女の右手を封じ込めねばなるまい。

 沈黙の中に自らの粗い息遣いを聴く。

 そして、一歩が踏み込まれようとした刹那せつな

「――緑育む土くれよ、我の求めに応じ、凶刃阻む壁を成し、傷負いし青年の盾となれ」

 後方から若い男の声がした。

 その声が念じた通り、目の前で急速に土がせりあがって壁を成す。斬り込んできたナイフが土に呑み込まれていくのが見えた。

 何が起きたのかと思わずあとずさりして、何者かに肩を叩かれた。

「大丈夫かい? 僕の後ろに下がってもらえるかな?」

 木製の杖を手にし、黒い外套がいとうを纏った男がいた。ぼさぼさの茶髪で目元が隠れていて、表情は読み取れない。

「えぇ……えっと、あなたは?」

「僕は、うん? あぁ、名前かな。フルアルさ。っと、あまり話してる暇はなさそうだね」

 土の壁はレターの盾となる形で現れただけで、容易に回り込め――いや、黒装束の女の動きに合わせて、こちらへと近づけぬように壁も移動しているようだ。しかも、ナイフで斬りつけられても一時的に切り裂かれるのみで、すぐ隙間は埋まっていく。

 どういう仕組みなのかは分からないが、どうやらフルアルと名乗った男に助けられたようだ。

「我がやいば 、断ち切れっ!」

 しかし、命令の言葉を伴って、上下に斬りつけられた土壁はあっさりと崩壊し、単なる土の塊に戻った。

 再び目の前に現れた黒装束。視線はフルアルに向いている。

「あんた、何? 邪魔するつもり?」

「通りすがりの魔術師かな。僕は争い事が嫌いでね、邪魔するつもりかと問われたなら、まぁ仲裁するつもりだとでも答えようか。できれば君とも仲良くしたいな」

 かばわれる形でフルアルの背後から様子を見るレターには、魔術師という言葉も気になったが、それ以上に緊張感の欠けた優しい声音が不思議で不気味だった。

「仲良くしたいなら、邪魔しないでもらえない?」

「うーん、こうでもしないと君の気は惹けないんじゃないかな?」

「殺気を引き出したいっていう意味なら、あんた間違ってないよ。ただし、この距離なら、あんたは呪文を唱え終わる前に八つ裂きだね」

 ナイフをかまえ、今にも飛びかかってきそうだ。

「詠唱だけが魔術じゃないさ」

「へぇ、そう?」

「試してみるかい?」

 威嚇するように、あるいは挑発するようにフルアルが左手に持った杖を突く。

 じっとこちらをにらみつけたまま、女は答えない。

 長い沈黙が時を刻む。

「はぁ、仕方ないな」

 一つのため息、女がナイフをしまう。

「見逃してやるよ」

「お嬢さん、ありがとう」

 フルアルが軽く会釈をすると、女はにらみつけたまま少しずつ後ろへ下がって、ある程度の距離が開くと木々の中へと姿を消した。

 助かったのだろうか。油断した瞬間に襲われるんじゃないかと思ったが、身体が限界だった。

 その場にレターは倒れた。

 フルアルが何かを喋りかけてきた気がしたものの、もう意味を考える思考すら失われていく。

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