2、魔法→魔術→魔導

2-1

 ――どれも決め手に欠けるな。

 中央通り、『八百万仲介所』の職業仲介受付近くにある求人票を再び見に来たが、一日で内容がそこまで更新されているはずもなく、目新しいものはなさそうだ。しかし、それでもなんの気なしで眺めていた昨日とは違って、仕事内容のみではなく労働条件までじっくりと読み込んでいる。内容がいくら面白そうでも劣悪な条件では働きたくない、というのも無論あったが、長期や正規の雇用はまず無理だろうとドロシーに説明されたからだ。発行してもらった身分証があくまで一時的な滞在という形であるため、仲介所を通した場合では短期の仕事しか紹介してもらえないらしい。

 短期の仕事というと、おおよそはアルバイトといった感じのものだ。土木作業員、各種商店の店員、清掃員、子守り、荷運び、警備員――――一部を除けば、やってやれなさそうなものはない。かといって、あえてやりたいと思うものもなかった。

「あっれぇ? 今日は一人なの?」

 かすれた甘い声。瞬時にあいつだと思った。

「ねぇ、一人なのぉ?」

 聞こえない振りをしたら、背中をつんつんしてきた。

「見れば分かるだろ」

 女の指摘通り、レターは一人だった。ちょっとした事件があって、エテナは宿に置いてきたのだ。

「ふーん、ケンカでもした?」

「お前には関係ない」

 厳密に言えばケンカではない、と思うのだが、当たらずとも遠からずだった。

「図星かぁー。あっ、それでシロに慰めてほしくって、ここに来たんだ? ねっ、そうなんでしょ? そうなんだよね? 分かっちゃったもん」

 いや、それは違う。と否定しかけたが、余計に厄介な追及を受けそうなので、好きなように考えさせておくことにした。

「じゃ、どうしよっか? いきなりお仕事の話もつまんないもんねぇ。一緒に楽しめることがいいよねぇ…………食事にする? お風呂にする? そ・れ・と・もぉ――――」

「待った。それはおかしい。食事はともかく、一緒に楽しめるお風呂って、なんか、その、おかしいだろ?」

 思わず突っ込んでしまっていた。なぜ突っ込んでしまったかは、あまり考えたくない。

「レンジャーお風呂。有名でしょ? ちびっ子から大人まで人気超絶大の温泉型娯楽施設で、湯船につかるだけじゃなくって、泳ぐことはもちろん、サバイバルゲームや宝探しまで楽しめるんだよ? あとあと、地獄の釜ゆで風呂とか、薔薇の庭園風呂とか、激辛の麻婆風呂とか、とにかくお風呂の種類も色々あって――――って、そういえばカラドリにはまだできてなかったんだっけ。砂丘があるんだし、生き埋め砂丘風呂とか作ってみても良さそうなのにな」

「そ、そうか。それは残念だな」

「うん、期待させちゃってごめんね」

 期待できる要素よりも不安になる要素の方が多かった気がする。

「だけど、食事っていうのも考えてみたら時間的に早いよねぇ。それなら最後の選択かな」

「最後?」

「あなたのお洋服探しだよ」

 ずばっとレターの着るジャージを指差してきた。確かに服は幾つか持っておいた方がいいだろうし、いずれ買うつもりではあったが、寝る時は宿に用意されていた浴衣ゆかたを着れば良かったし、今すぐにどうしても入手する必要はなかった。いや、本当のところは、今日エテナと一緒にどこかで買う予定だったのだが、それどころではなくなってしまったのだ。

「別にいい、問題ない」

「うーん、でもぉ、そんな格好してると、何も知らないよそ者だってバレバレすぎて、狙われちゃうよ? わっるぅい人たちに、ね?」

 脅かすような口調で告げ、満面の笑みを向けてきた。

 そういえば、街中でレターの着ているようなジャージを見ていない。スウェットっぽいものは見かけたため、あえて気に留めなかったが、女の口振りからすると悪目立ちするようだ。

「悪い人っていうのは、お前のことだろ?」

「やだなぁ、シロが悪い人なはずないじゃん」

 顔の前で違う違うという感じに手を振る。

「信用できない」

「んもうっ! なら、シロの身分証、見せてあげるよ。あっ、でもでも、あなたのも見せてね」

 問答無用で身分証を渡してきた。そこには白雪・エフィーク・フィエントという名前や見た目通りの性別の他に、生年月日が唯暦三〇二年九月九日だとか都市国家アトラス発行だとかが記載されていた。もちろん顔写真もついていて、意外なことに真面目な顔をして写っている。なんの気なしに裏返してみると怪しげな単語が目に飛び込んできた。魔導車、大型車両、小型船舶、薬物、毒物、危険物、連盟商会、小型魔導具製造・販売・管理、大型魔導具販売、危険魔導具所持、一般魔工技士、特殊魔工技士、魔導鑑定士、術理解析師、術式解読師などなど。

「なんだ、これ?」

「免許だけど、あれ、知らないの? 身分証を更新する時に申請すれば、免許証代わりになるんだよ。まぁ、正式には免許証が必要になる場合もあるんだけど、大体はこれでいいね」

 もういいでしょ、とでも言いたげな態度で左手を伸ばして身分証を取り返してきた。

「魔導具とかって?」

「エセ魔導師、白雪しらゆき・エフィーク・フィエントだからね。それくらいの免許は持ってるよぉ。あっ、ちなみに呼び名はシロが第一希望でユキが第二希望だから覚えておいてね? と、シロの見たんだから、あなたのも見せてよぉ」

 自らエセとか名乗ってる時点で怪しさ倍増だが、詐欺師の間違いなのではないかと思った。というか、魔導師なんて言葉からして信用できない気がする。だからといって、自分の身分証を見せずに済む雰囲気でもなかった。

「ほらよ」

 シロの目の前に身分証を突きつける。渡しはしない。

「レター・ワース、九九年の一月二十三日生まれねぇ。ふーん、そっか……うん、ありがとね」

 生年月日は適当に決めたものだ。ドロシーの話からすると、こよみについても時間と同じく、レターの知識と取り立てて異なる部分はなく、一ヶ月は三十日前後で一年は十二ヶ月だった。ちなみに今は唯暦ゆいれき三一九年十月らしい。

「それじゃ、レター、ショッピング行こっ!」

 やんわり断ったはずなのに、とため息をつきながらも、今はこの強引さがありがたくも感じられてしまう。正直、仕事探しは気を紛らわすためにしていた。宿に残してきたエテナのことが気になって仕方なかったのだが、かといって宿に戻る心持ちにもならなかったのだ。


   ´


 昨夜から今朝にかけて二つの小さな事件が起こった。


 一つ目の事件は夜のことだ。

 夜食を終え、風呂に入ってから浴衣に着替えて寝た。疲れていたためか意外とすんなり眠れた。そこまでは良かったのだ。エテナは寝つかない様子でごそごそしていたものの、あえて気に留めることもなかった。

 ――暑い。なんだか暑いよな?

 夜中になって暑苦しさで目が覚めた。

 目を閉じたままの状態でも原因はすぐに分かった。エテナが抱きついてきていた。仰向けに寝ているレターの右腕を抱き枕のようにして、レターのこめかみ辺りに頭か顔かをぶつけていた。いつの間にベッドの中へ忍び込んできたのか。驚いて、それでも、右腕は動かさないように頭だけ位置をずらして、顔をのぞき込んだ。照明は落としていたものの、淡く光る常夜灯だけはつけていたため、どうにか顔かたちが見て取れると思ったのだ。

 ――寝ているのか? 寝ているんだよな? っていうか、エテナだよな?

 果たして寝ていたのは、エテナだった。まぶたを軽く閉じ、小さな寝息もたてていた。

 安堵感と共に妙な緊張感に襲われ、ため息をつきそうになるのを慌ててやめ、息まで止めた。あまりに至近距離すぎたのだ。

 ――全く、どうしてこんな――――う、うぅん?

 そこで何か変なことに気付いた。気付いてはならぬことに気付いたような、ハッとするような恐ろしさとドキッとする好奇心が同時に訪れた。

 エテナの顔をじっと見つめ、見つめながらも考え始めていた。鼓動の高まりを自覚せざるをえなくなって、それでも息を殺して、右腕に意識を集中させた。

 エテナはレターの右腕を引っ張り、抱き枕状態で腕と、そして足を絡ませていた。薄い胸をレターの肩に押しつけてくる形になり、エテナの腕、右腕はレターの胸元へと伸ばされ、左腕はエテナの右肩に手を向かわせる形で口元に添えられていた。変な気恥ずかしさの混じった複雑な感情に揺れながらも、そんなことはどうでも良かった。問題は足で、いや、足と足の間で、丁度レターのひじの辺りで、そこに――柔らかな違和感があった。

 ――いや、しかし、だからといって、それでも。いや、いやいやいや、ちょっと待ってくれ。落ち着くんだ。落ち着こう。落ち着け、俺。落ち着いてくれ。どうすれば、そっ、そうだ。あれだ。あれしかない。

 右腕は極力動かさないようにして、左手を右のひじへと、エテナの足と足の間へとじわりじわりとすべり込ませていった。

 ――もし気のせいだったなら俺は、いや、でも、確かめないわけにも、いかなくもないこともないような気がしなくもなくて……とにかくだ、とにかく――う、うぅっ、この感触は、いや、でも、つま、つまめるし、ぬくもりもある、よな。大きさだって他に、っていうことは、えっと、えーっと?

 外れていてほしかったのか当たっていてほしかったのか非常に微妙でどちらかといえば外れてほしかったような気がした予想は、どうやら当たりだった。

 レターの知識が間違っていない限り、ほぼ確実レターの股間についているものがエテナにはついていた。

「う、うぅーん」

 エテナの口から洩れた吐息に危うく声をあげてしまいそうになったが、どうにか我慢して、左手をそろりそろりと引っ込めた。

 ――そ、そういえば、ちゃんとエテナに確認してなかったし、服装なんかから勝手に判断したんだっけ。あっ、あぁ、そうだよな。別に嘘をつかれたわけじゃないし、勝手に勘違いしただけか。そ、そうだな。全く紛らわしい格好しやがって。

 冷や汗なのかなんなのか、よく分からない汗をかいていた。目は完全に覚めてしまって、なかなか眠れそうにはなかった。

「うっう……夜、夜は……の。一緒…………なの」

 エテナの寝言は以前より少し低めに聞こえた気がしたものの、それでもエテナのもので、やはりエテナのものだった。

 右腕をなるべく動かさぬように意識しながら、じっと夜が更けていくのを感じていた。


 そして、二つ目の事件は朝のことだ。

 外が明るくなり、幾らかの時間が過ぎた頃に目が覚めると、レターはベッドの上に一人で寝転がっていた。眠れない夜を過ごしながらも、どうにか寝つけたようだった。

 夢見心地のぼーっとした頭でトイレに向かって、そしてそこで浴槽からシャワーの音がすると気付いた。果たして何を思ったのか、何か思ってしまったのだ。

 浴槽とトイレを隔てているカーテンをよく考えもせずにあけていた。

 当然そこにはシャワーの音をたてていた人物=エテナがいた。しかも、少し手を出せば、ふれてしまえる距離。

 シャワーを浴びたままの状態でこちらを見上げ――――瑞々みずみずしい形の良い唇は何も告げず、長く白いまつげを従えた翡翠の瞳へとレターの顔を映し込んだ。

 濡れた淡い色の髪からこぼれたしずくがエテナの頬を伝って、落ちていく――意識することなく、雫の行方を目で追っていた。

 か細い腕の先、すらりと伸びた指の持つシャワーヘッド。噴き出す湯水は驟雨しゅううのごとく髪から零れた雫を巻き込み、わずかながらも膨らみつつあるようにも見える胸、たやすく傷つくであろう柔肌へと薄く透明なヴェールをとめどなく広げ――そして、ヴェールの流れゆく場所、肉づきの少ない腹部の、へその下、とろけそうなほどにうるおいしたたる太ももの付け根へと――――――そこに、薄いヴェールの向こうに――――。

 凝視して頭を動かして角度を変え、わずかに開いた太ももの辺り、幾筋にも分かれて流れる透明のヴェールを眺めていた。あるいはヴェールの端から零れていく雫を眺めていた。

 どのくらいの時間が経ったのか、唐突にシャワーのざぁーという音が耳へと戻ってきた。

 翡翠の瞳はレターの瞳を追尾するように真っ直ぐ向けられ続けていた。途端に身体中が熱を帯び始め、汗が噴き出してきた。

「――――いっ、一緒に、は、はは、入れないかな?」

 のぼせ上がった頭で考えることも考えずに言葉を口走った。ひどく噛んじゃったし、そもそも一緒に入るには浴槽が狭すぎるじゃないかと、どうでもいい突っ込みが頭をよぎる。

 かすかに開かれた少女の口元からは音にならない吐息が零れ、しばらくして首が小さく横に振られた。

 それでも、真っ直ぐさを失わない翡翠。

 どうしようと思いながら考えることはできずに、無言のままカーテンを閉じた。

 カーテンを閉じて部屋に戻っても、まだ翡翠の瞳が突き刺してきていると感じた。

 ――なかった。どうしてだ。どうしてなんだ?

 混乱していた。反省よりも混乱が先だった。次第にないものはないんだと思って、昨夜にふれた何かを確かめるように何度もぐーとぱーを繰り返し、じっくり左手を見つめた。

 ――あれはなんだったんだ? まさか夢だったのか? あんな鮮明な?

 左手で右ひじをつかんでみても答えは出なかった。いや、認めていいのか迷っていた。

 それでも、シャワーの音が聴こえなくなり、やがてバスタオルを巻いただけのエテナが現れる頃には、迷いは消えていた。

 ――っていうか、バスタオルだけって、おい。

 と思っていると、こちらを見ずに昨日のワンピースをデスク机から持っていき、再びバスルームへ向かってしまった。

 ワンピースを着たエテナが出てくるのを待っていると――――全く出てこなかった。

 一時間近くは経過した頃に、意を決してバスルームの扉をノックした。

「エテナ、さっきはすまなかった。その、とにかく……すまなかった。なぁ、話せないか?」

 返事はなく、ドアノブを回して軽く押してみると、鍵はかかっておらず、わずかな隙間があいた。

「中に入ってもいいか?」

 やはり戻ってこない返事。重苦しい沈黙。

「入るぞ」

 一言だけ断って扉をあけ――瞬間、

「レターのエッチ」

 言葉と共にワンピース姿のエテナが駆け寄ってきて、お腹に向かってこぶしを静かにぶつけてきた。うつむいているため、表情は分からなかった。

「ごめん」

 どんな反応をして良いものか分からずに頭を撫でていた。淡い金色の髪はつやめいていて、シャンプーの匂いがした。

「レター、謝って」

「へっ? あ、あぁ」

 指を下へと向けて告げられた言葉の意味を推し測り、さすがに簡単には許してもらえないよな、と思いながら、ひざを折って謝ることにした。どう考えても自分が悪いのだ。

「エテナ、ごめん。すまなかった」

 頭を床ぎりぎりまで近付けて謝った。謝るしかないと思った。後頭部へと何かが押し当てられ、これは足で踏まれているのか―――と思ったが、頭を包み込む形に広げられ、違うと分かった。

「仕返し」

 ――土下座させて、撫でるって、全く……。

 少し頭をあげてみると、いつかみたいにしゃがみ込んでいるエテナの足が見えた。つい薄桃色の布に隠されたなめらかな白まで思い出し――――そんな思考を振り払ってエテナと同じ目線の高さまで身体を起き上がらせた。

「エテナ、許してくれないか?」

 翡翠を見つめて告げた。

「いいよ、今回だけ……ね。お腹、空いたの」

 エテナが立ち上がって告げた。

 その後の朝食では、二人で向かい合って食べているにもかかわらず、会話が昨日にも増して全く続かず、目が合うこともなかった。おそらく意識的に目をそらされていたのだろう。

 そして、朝食後のことだ。

「レター、お風呂、なぜ? エテナの…………見たかったの?」

 部屋に戻ってきて早々、エテナが背を向けたまま尋ねてきた。言葉は少なかったが、意味は十分に理解できた。

「いや、見たかったというか……確かめたかったというか」

 カーテンをあけるまでの考えは正直思い出せなかったが、あけてからエテナの裸を見た時、下半身に目を向けずにはいられなくなった理由は自覚していた。

「確かめたかった?」

「お前の身体が、その、男か女か」

「男か女か?」

 初めて耳にした単語の意味を問うかのように見つめてくる翡翠の瞳。

「夜に、お前のに触ったんだ。それで男なのかと思って……いや、夢だったんだろうけど」

「エテナの、触った?」

「お前のなんだ、ここを触ったんだ。そしたら、俺のここについてるのと同じ感触がしたんだ」

 レターが指で示した場所を見つめ、険しい表情になったエテナはゆっくりと後ろへ下がる。

「あっと、勘違いしないでくれ。お前が俺の腕に抱きついてて、丁度ひじの辺りに股が当たってて、変な感触がして、それで――」

「意味、分からない」

 エテナは頭をゆっくり左右に揺らした。

「いや、そうだ、夢なんだとすれば、実際には触ってないんだ。だから、安心してくれ。触ってないはずなんだ。そもそもお前が俺のベッドに入ってくるはずも――――」

「分からない。分からない。分からないっ!」

 強い語調で叫ぶような感じだった。エテナが激しい感情を初めて露わにした瞬間だった。

 それからは全く話にならなかった。ベッドの上でひざを抱えて座り込んだエテナは目を合わせようとせず、何かを言っても返ってくるのは「分からない」という言葉のみで、それすらも返ってこないことが多く、近づこうとすれば手のひらをこちらに向けて前に突き出し、拒絶を示された。


 そして、どうにも居たたまれなくなって宿を抜け出した。


   ´


「ねぇねぇ、レター、シロどっちが似合うかなぁ?」

 赤いフリルドレスと黒いゴシックドレスを両手にシロが尋ねてくる。本人は装飾過剰な白のレースワンピースに黒のジャケットを羽織っていた。ちなみにシロのローブを持たされているレターにはドレスやワンピースの定義はよく分からなかったが、シロの説明で呼び方がそれぞれ違うというのは分かった。

「どっちかっていうと黒い奴の方がお前の印象には合うんじゃないか? っていうか、お前の服選びをしにきた覚えはないぞ」

 シロに連れてこられたのは中央通りから一本路地に入ったところにある洋服店で、品揃えは女物が六割、子供物が三割、その他一割という感じだ。エテナに似合いそうな服なら、幾つか目につく。

「えぇっ、いいじゃん。シロの服選び、楽しいでしょ?」

「いや、それはない」

「うわわっ、即否定。むぅ、レター、ひどぉい」

 言葉とは裏腹に楽しげな口調だった。これでもシロは元気づけようとしてくれているのかもしれない。

「じゃ、そろそろ本命の店に行こっか?」

「ここはやっぱり違ったのか」

「くふっ、もしかしてドレス着たかった?」

 答えず、店の外へ出た。空を見上げれば、鳥が飛び交い、雲の合間に太陽が浮かんでいる。

「どんな喧嘩したの、かな?」

「お前には関係ない」

「まっ、そだね」

 そんな会話をしながら到着した本命の店には、至る所に様々な大型の機械が並んでいた。なんと表現すれば良いのか困る奇妙なものもあるにはあったが、基本的には大小の違いこそあれ箱の形をしていた。

「ここはなんの店だ? やたら大きいし、明らかに服屋じゃないだろ?」

「魔導具専門店だよ。まっ、大型魔導具って、見た目がガチッとしたものばっかだし、魔導具に詳しくない人だと服なんて売ってるはずないだろって思っちゃうかもねぇ。でも、実は構成素材が異なるだけなの。魔導機構からすれば、ここにあるのも魔導服やなんかも、用途に合った汎用魔術を特定の範囲と威力で発動させている。もちろん、複雑さはまちまちなんだけど、原理的には大抵の魔導具って変わらないの」

 すたすたと前を歩くシロのメルヘンな思考回路が理解できず、いや、理解しちゃいけないような気がして、ついていくのが怖い。

 しかも、案内板や商品説明を見る限り、店にある見覚えのない機械は冷蔵庫や洗濯機、掃除機といった類いのものだった。違和感を覚えることからすると、どうやらレターの知識にあるものと外観が若干異なるようだ。といっても、元の形がどんな風かは全く思い出せず、具体的な違いは指摘できない。しかし、機能面に関してはシロに尋ねた感じからすると、大体レターの認識通りだった。

「やっぱり電化製品みたいなものってわけか」

「電化、製品? 電化ってどういう意味だっけ?」

 ヒーターや照明器具といったものが並ぶ場所で、シロが立ち止まって尋ねてきた。

「えっと、電気を使うっていうような意味じゃないか?」

「電気……どこかで聞いたことある気が…………あれは、確かぁ、うーん……うん? そう、そうだ。あれ! SFだよね?」

「はっ?」

 こちらをパッと光り輝く表情で見つめるシロの発言が理解できなかった。変なスイッチでも押してしまったのだろうか。

「うーんと、サイエンスフィンクスンだっけ? あれ……サイエンスファンタジーかな?」

「いや、それを言うなら、普通サイエンスフィクションだろ」

「えーーっ、そ、だっけなぁ? まっ、とにかく、そのサイエンスファンクションか何か。それで出てくるよね? エレキテルとかエレクトーンとか、そういう感じのと一緒に」

 決定的に何かがずれている。その何かが知りたいけれど、知りたくない。

「ほら、魔法の代わりに電気なるものが存在する世界、なんていう書き出しで始まる感じの。確か電気って魔法とは違って安定性が高くて、どう扱えばどんな風になるのか、全てしっかり決まってるんだよね。安定性が高い代わりに自由度は低いっていう制約もよくある設定な気がするけど、その……電化製品だっけ? それって要するに術理じゅつり術式じゅつしきじゃなくて機械仕掛けをどう工夫するかが重要なんでしょ? 魔法と違って誰でも全く同じように扱えるんだとしたら、世の中、変わっちゃうかもねぇ」

 言っている意味はよく分からないが、まるで魔法が存在して、電気が存在していないかのような口振りだった。レターの知識と完全に食い違っている。

「あなたってSF好きなのかな? シロも割りと好きだよ、SF」

「いや、待ってくれ。なんの話をしてるんだ?」

「えっとぉ、だからSFの話、だよね?」

 顔をぐいっと寄せて、のぞき込んでくる。同じような話の食い違いがあったことを思い出す。エテナが魔法と口にした時のこと、ドロシーに魔術や魔導で来たのかと問われた時のこと。ずっと気にしていながらも深く考えないようにしてきた事柄。

「本当に魔法があるのか?」

 当たり前のことなのに何を言ってるんだろうという疑問符のつきそうな顔をシロがしている。その顔を見ていられずに思わず目を背けてしまう。照明器具が視界に飛び込んできた。

「ちょっと待ってくれ。電気がないとすると、これはどうして光るんだ? 電池か?」

「うんと、イオンかな。魔法素子やマナって呼ぶこともあるけどぉ、って本当に知らないの?」

「イオン? イオンって電子があったりなかったりで陰とか陽とかある奴のことか?」

「うぅん、もしかして、それって陰と陽へと全てのものはどうたらこうたら、っていう哲学にありがちな考え方かな。それは少し別かも。イオンは世の中のあらゆるものに存在していて、色んな風に形を変えて流れていく。生命の源泉とか、魂そのものとか信じ込んでる人も少なくないの。魔法だって基本的にはイオンが集まって引き起こされるって考えるのが普通かな」

 彼女の語るイオンは、もはや「ヰオン」と文字を置き換えた方がしっくりくるほどにレターの認識している意味から変化していた。いや、変化しているのは自分の認識の方なのか。

「ヰオンや魔法が分からないなんて、もしかしてあなたって――――あっ……だけど、うぅーん、ちょっと奪われたっていうのは違うかなぁ。SFの世界が真実だって思い込んじゃってる感じだしー、むしろ――うん、そっちだよね」

 左手の人差し指をレターの顔へと向けてきた。

「レター、あなたって記憶操作か何かで記憶が改変されてるんでしょ?」

 不意打ちだった。出身地やエテナとの関係性、カラドリに来た目的など、ぼろが出そうな質問には答えず、ことごとくごまかしてきた。なのに、記憶になんらかの異変が起きているとシロに見抜かれてしまったのだ。

「な、なんの冗談だよ。そんなはずないだろ?」

「くふっ、別に隠さなくってもいいのにな」

 緩やかに微笑む口元。なのに、見つめてくる瞳は真剣そのものだ。レターが何も知らない奴だと、狙うには最適な奴だと語ってきているようで、言葉を返せない。

「――なぁんてね。もうあなたって、真面目な人かと思ったのに、意外とおふざけさんなのかな。もしかしなくてもSFの世界をまるで真実みたいに語ってシロが信じちゃうのか試そうとしたんでしょ? 全く……これでも魔法とかには詳しいんだから、馬鹿にしないでよねっ! まっ、でも面白かったから許してあげる。その代わり、シロにお薦めのSF作品とかあなたの秘密とか教えてね?」

 どう反応して良いものか分からずに、一方的に話し続けるシロに適当な相槌あいづちを打った。話の成り行きからすると、レターがシロをからかうためにSF話をいかにも真実っぽく話していると思われたらしい。実際にそうだったら良かったのだが、と思ってしまう。

 再び背を向けて歩き始めるシロ。その後ろを妙な気持ちでざわつく胸に落ち着けと言い聞かせながらついていく。電化製品っぽい大型魔導具売り場を抜けて、階段へと向かう。

「どうして黙り込んじゃったの?」

 階段をのぼっている途中、踊り場で振り向いて尋ねられた。

「いや、その、あー、特に喋りたいこともないからだな」

「ふーん、シロに喋ってくれる気ないんだねぇ。いいよぉだ、あなたがそういうつもりなら、シロもあのこと喋ってあげないもん」

「あのことってなんだ?」

「さぁねぇ、喋ってくれないレターには教えなーい」

 はぐらかされるばかりだった。何か重大なことをシロは知っているのだろうか。疑問ばかりが増えていく。しかし、その疑問を口にすれば、たちまち記憶操作されているのだと今度こそ本当に疑われてしまうだろう。そして、もし記憶操作されているのだと認めたなら、自分の中に残された記憶――知識までも全て信用できなくなってしまう。いや、既に信用できなくなっている。

 ――何が真実で、何が偽りなんだ? どうして記憶がない。どうして記憶と食い違う。おかしいのは、周りじゃなくて、俺なのか。俺はおかしくなっちまったのか? どうして、どうしてだ? どうしてなんだよっ!

 自分の中に答えを求めても意味がないとどこかで感じながらも、求めずにはいられなかった。足を進めている階段すら、今にも崩れてしまいそうな危うい状態にある気がしてしまう。自分の身体が何か別のものになって勝手に動いているような錯覚を覚えてしまう。分からないことだらけで世界が恐怖に染まっているのだ。一歩踏み出すことすら、拒絶したくなるような感覚に襲われる。

 周りの全てが遠い。あまりにも遠い。

 不安に心がきしんでいく。

「レター、大丈夫? ぼーっとして」

 心配そうに顔をのぞき込んできた。断ち切ろうとすればするほどに絡みとられる疑念の呪縛から引き戻されていく。

「あぁ、少し考え事を――――」

「ふーん、もしかして、あの女の子のこと? シロがいるのに、ひどいよぉ……むうぅ」

 ふくれっ面になって抗議の眼差しを向けてくる。

「違う。エテナのことじゃない」

「エテナっていうんだ? あの子」

「あぁ、エテナだ」

 何も覚えてない少女の姿が思い浮かんだ。無表情で無愛想なのに、自分には懐いてくれていたようにも思う。もしかしたら、自分と同じく不安を抱えて心細かったのかもしれない。けれど、今朝の事件で拒絶されてしまった。何度も「分からない」と繰り返していた。実際に分からないことだらけなのだとしたら――――

「すまない。ここで帰る」

「へっ? まだ何も買ってない――っていうか、肝心の服、見てすらないじゃん」

「また今度にしてくれ。宿に戻らないといけない」

 預かっていたベージュのローブをシロへと返す。返そうとしたが、受け取ってもらえなかった。

「はぁ、もぉ……また今度、絶対ね。約束だからね。約束の証として、そのローブは次に会う時までレターが使うこと。この場で着て帰ってよ? 拒否は認めないから」

 ここまで案内させておきながら、服探しを目前に帰るのだ。もっとごねられるかとも思ったが、次の約束だけで解放してくれるらしい。強引で馴れ馴れしいのに、どこかあっさりとしている奴だ。

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