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『ほとばしるエナジー、はちきれるマッスル、持て余していませんか? おバカ自慢、力自慢の腕白野郎募集中!  笑顔と信頼のワンパック運輸』

『あなたの手でこの街の景色を作る。  コロンバージュ工務店』

『草花に露が煌めくように、労働の汗を流しましょう♪  ヴィルリ農業組合』

『そこにある砂と戯れるロマン。めくるめく砂粒の世界に君は何を見るのか  空鳥観光協会』

『緊急告知! 海の魔物クラーケン出没? 撃退した者に報奨金五万マナス  キシラト漁港』


 仲介所の中ほど、職業仲介受付の待ち合い周辺に貼られた人材募集の張り紙を眺めていた。幾つか並ぶ張り紙の中でも特に気になったのは異質な内容のものだった。

 ――マナスっていうのは通貨単位だろうな。それにしても、まぁ、魔法があるなら魔物もいて当然か。って、いや、やっぱり何かの冗談だろ、たぶん。

 自らの感覚に自信が持てなくなってきている。何が正しくて何が間違っているのか、そういった基本的な感覚ですら、どこまで確かなのかという疑念が生じてきてしまう。

 どうして疑念が生じるのか――――きっと知識はあっても、それを絶対に正しいと断言できる経験の記憶がない、つまりは今まで過ごしてきた日々の積み重ねが記憶という形で残っていないからだ。

 果たして何が本当なのか。信頼できるのか。

「難しい顔してますねぇ…………いい仕事、見つかってない感じ、かな?」

 突然、耳元で囁いてきた。かすれた甘い女の声だ。

 飛びのき振り向くと、ベージュ色のローブを羽織った中性的な顔立ちの女がいた。肩口につくかどうかといった長さの黒髪に、好奇心旺盛そうな黒目で、機嫌良さげに口元を緩めている。

「そんなに見つめても、シロの顔に穴はあかないし、心に矢は刺さらないんだからね?」

 どう反応を返したものかと相手を見定めていたら、ぐいっと顔を近づけて、これまた反応に困る発言をしてきた。

「はっ? いや、そんなこ――」

「うわっ、即否定。ひどいよぉ。シロ、狙われちゃったのかもって、ちょっと嬉しかったのに、わくわくしちゃったのに……むぅ」

 全体的に幼い印象を受けるのは、口調のせいなのか、口をとがらせているせいなのか、おそらくは両方だ。なんだかイラッとするし、あまり関わらない方がいいような気がする。しかし、かといって、この場を離れるわけにもいかない。

「まっ、狙ったのはシロなんだけどね。で、絶賛お仕事探し中なの?」

「別に絶賛じゃないが、探してはいる」

「そんなあなたにいい話があるのっ! ねぇ聴く? 聴くよね? 聴いちゃうよね?」

「いえ、遠慮しておきます」

 こんな怪しい女が持ってくる話が良いものだとはどうしても思えなかった。

「つれないです。すげないです。無下なりです。なので、そのぉ、殴っていいかな?」

「いや、ダメだろ」

「じゃ、抱きついてほしいのかな?」

「なぜ、そうなる? まぁ、別に――いや、何が悲しくて抱きついてほしいとか思うんだ?」

 すぐ隣にいるエテナの物言わぬ視線を感じた。写真撮影や署名といった手続きに必要な諸々の事項をこなしてから、ドロシーが最終的な手続きを済ませてくるのを待って、一緒に求人票を眺めていたのだ。

「えぇえっ……ま、まさかシロに――」

「それは遠慮しておく」

「まだ何も言ってないー。何を想像したのかな。教えてほしいなぁ」

 どうせロクでもないことだと判断しただけなのだが、何も言わずにそっぽを向く。

「そっ、そんなツンツンな態度取ったって、シロはなびかないんだからね。あっかんべぇで、いじけてやるだけなんだもん」

 やはり関わってはいけない人物だったようだ。素知らぬ顔をしてエテナの頭を撫でる。なんとなくそうするのが良い気がした。エテナの無表情の中に苛立ちが読み取れたわけではない。たぶん、なんとも思ってはいないはずだ。けれど、今までになく突き刺さってくる視線を感じた。エテナが見てなかったなら、などとは少ししか思っていないのに不思議なことだ。

「ねぇ、無視しないで。あなたぁ、話聴いてよぉ」

 こちらの心情なんておかまいなしで女はレターの背中に指をはわせてきた。

「取りあえず、気安く触らないでくれ。あと、話がしたいなら、一人で勝手に話せばいい。俺も今は暇だから耳に入れてやらないこともないかもしれない」

「やったぁ。聴いてくれるんだね。良かったぁ」

 随分と喜んでいる。そんなにもなんの話を聴かせたいのか。相手の策略に乗っていると分かりながらも気になった。

「これは内密の秘密の密談にしてほしいんだけどね。実はシロ、手伝ってほしいことがあるの。本当はちゃんとそこの張り紙みたいに募集したいんだけど、ちょーっと、そういうわけにもいかなくてね。だって、仲介料が結構高くてさ、内容とかもチェック厳しくて、それならシロがここでお仕事探しに来た人へ直接お願いした方がいいかなって、そういうの実は禁止で、目をつけられるとかなーり厄介かな、とも思うんだけど、あなた……とそこの女の子もなんだけど、見た瞬間に、びびびっと来たの。それで、いいかな? ねっ、お願い」

 予想通りではあったが、明らかに怪しい話だ。何が怪しいかとあえてあげるならば、ここまでの話に何一つ内容がなく、同意を求めてきている点だ。どう考えても、まともな仕事内容とは思えない。だから当然、

「断る。密談にしたいなら、それ以上は話さない方がいい。そろそろ俺の連れも戻ってくるはずだ。すまないな」

「えぇえっ? もう仕方ないなぁ、今日は引いてあげるよ。それじゃ、まったねぇ」

 やたらとしつこかったくせに、意外なほどにあっさりと去っていった。結局どういう仕事をお願いしたかったのかは分からいし、なんだったのかと逆に気になってしまう。だが、これもきっと策略だ。気にしないようにしよう。それが身のためだ。

 エテナが当てになるとは思えないし、自分の置かれている状況を冷静に認識した方がいい。そうでなければ、ドロシーの忠告を無駄にしてしまうだろう。

 やがてドロシーが手続きを済ませてきた。

「お待たせしました。どうぞ、レターさんのと、エテナさんのです」

 受け取った身分証にはレターとエテナそれぞれの名前が記載されていた。小さな顔写真もついている。

「あれ……ドロシーさん、身元保証人になってくれたんですか?」

 身元保証の項目にドロシー・ネイレリンスと記載されていた。

「わたくしがこの街に招いたお客様という形で発行させて頂いたものですから」

「なるほど。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ドロシーは胸元に右手を当てて軽く会釈した。こういう物腰の柔らかさが安心感を与えてくれるのだと、先ほどの怪しい女とのやり取りを思い返して感じた。

「これで働けるのかな?」

「それについてですが、詳しく説明致しますね」

 含みのある言い方だった。


「レター様とエテナ様ですね。身分証の提示をお願い致します」

 宿のおじさんへと身分証を差し出すと、簡単な宿泊に関する注意のあと、部屋の鍵を渡された。セルフサービスの部分が多いようだが、接客は丁寧だし、部屋の内装や手入れも悪くなかった。一泊いくらなのだろうとつい考えてしまう。

「エテナ、一緒の部屋で本当に良かったのか?」

 部屋に置かれた二つのベッドを眺めて尋ねる。ちなみに部屋の内装は、ベッド以外にはデスク机が一つと照明器具が幾つか、それ以外には三点ユニット(浴槽、トイレ、洗面台が一室になっている状態)のバスルームがあるのみで、他には何もない。それでも寝起きして出かけるだけの生活、例えば観光目的などであれば、十分な設備だろう。

「別にいい。レターが襲って来なければ」

「おっ、襲うはずないだろ?」

 エテナは首をかしげてみせるのみだった。信用できないと言いたいのだろうか。いや、本当に信用できなかったら、ドロシーに無理を言ってでも別々の部屋にしたはずだ。

 この部屋はドロシーが取ってくれたものだった。なんでも明後日にレターとエテナに頼みたい仕事があるとのことで、その前金として宿代は払ってくれたらしい。しかも一週間分の朝夕食事付きの宿代であり、生活費として別に六百マナスもくれた。正直、いずれ返さねばと思っているが、返せる目途などあるはずもないのだから、現状ではもらったと言わざるをえない。

 ――どうにか割のいい仕事を見つけられるといいんだけど、そんなにうまくもいかないよな。

 ドロシーの手助けによって、身分証だけでなく、寝る場所や食事、当面の資金まで得られたのだ。これから先もうまくいくようならば、逆に不安になるというものだ。といっても、運がいいと言えるのはドロシーに出会えたことのみで、それ以外はひたすら彼女の世話になっているだけだ。

 ――それにしても、こんな自分のことも分からない奴の身元を保証してくれるなんてな。

 正直、驚きだった。もしなんらかの記憶が戻ったとして、それがこの街にとって不都合という可能性も皆無ではない。そもそも記憶がないというのは、あくまで当人のみの感覚であって、自己申告以外に他者が確認する方法はない。せいぜい相手の矛盾を突くことで、記憶がないというのが偽りだと確認することしかできない。それはなんと曖昧あいまいなことだろう。長い時間をかけなければ、あるいは既に長い時間を共に過ごしてなければ、信用なんてできないのが普通だろう。もっとも、その普通という感覚すら普通なのか定かではないと考えてしまうけれども。

 そう、それも問題なのだ。自らの普通が世間の普通からずれている気がする。これがもしも記憶を失ったために生じたずれなのだとしたら、自分はどうなってしまったというのか。何が起こったのか。考えれば考えるほど不安になる。

 それでも、とレターは思う。記憶がないという事実と共に記憶がない状態にある自分のことをドロシーは信用してくれたのだ。自分がわらをもすがる思いで彼女を信用したのとは異なる。彼女には自分を信用する必要性がない。むしろ信用しない方が、余計な手間も責任も増えずに済んだはずなのだ。

 どうにか彼女の信用に報いたい。そのためには、記憶を取り戻せる見込みがない以上、まず働くのが一番なのだろう。

「エテナ、そろそろ夕食の時間だぞ」

 ベッドにうつぶせ寝しているエテナの肩を揺さぶった。

 部屋の時計は夜の七時を回っていた。時計というか時間はレターの知識とずれることなく、一日は二十四時間で、半日は十二時間だった。

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