第43話

「今の聞こえた?」カチェリ

「ああ。人の叫び声だった。距離はそんな遠くない」ルイス。

「行こう!きっと仲間よ!」走り出そうとしたカチェリを、

「待て!二人とも!」ウィラーフッド先生が鋭い声で制止した。

「唸り声もした。敵がいる可能性が高そうだ」

「カチェリは下がれ。ルイスは周囲を警戒。」ウィラーフッド先生は腰の剣を抜いた。

「カチェリ、私に幻界をかけろ」

「ルイス、携帯灯火は消せ。暗闇に目を慣らしておくんだ。撤退時の目印も忘れるな」

幻界に包まれた先生だが、カチェリのそれはユアンほど強くない。おぼろげに輪郭が見えてしまっている。「すみません、不慣れで」カチェリは謝るが、「十分だ。君たちもかけておくといい。雷撃波はどうか?」

「それならいつでも行けます!」カチェリの指先がほの白く光を帯びている。ウィラーフッド先生は微笑んだ。

「はやるなよ。いざって時にしくじるぞ。じゃ、行こうか」細身の剣を構え、注意深く歩き出す。二人はその後に続いた。







黒い塊が飛び跳ねるように向かってくる。セレクは小さな短剣と盾を構え、目を凝らした。走りぶりからして獣なのは間違いない。


いまセレクたちのいる場所は、いくつかの通路が交叉する広間だ。その中央にセレクたちは身を寄せ合っている。


傷ついたゲルダはデイビスがおぶっている。ゲルダは震えているが、これなら安心だろう。

しかし同時に深刻な問題が発生したともいえる。ゲルダをおぶっているということは、

デイビスの両手はふさがっているのだ。つまり彼は戦うことができない。

組で最も高い戦闘力を持つ者が戦えないということだ。


(となると、私とウォルフだけか)セレクは思案した。どうしよう?

その時、岩場に駆け上ったその獣が、急にたちどまった。

大きな黒い影。顎らしき所からから4本の長い牙が生えている。

ようやくセレクはそれが何か理解した。


猪だ。


それもとんでもなくでかい奴だ。


牙の先は鋭く削られ、先端は刀剣のように鋭く、その下は鋸のようにギザギザしている。

不自然な形だ。おそらく闇ノ国人が戦闘力を高めるために加工したのだろうと思われる。

あの牙で体当たりされたら、防板探検服などひとたまりもなく突き破られてしまう。


戦獣猪は口を開いた。「敵、殺す、敵、殺す、」その眼は赤く光っている。


本来、猪はしゃべったりしないし、脅威から逃れるとか縄張りを守る以上の暴力も振るわない。

奴は戦獣化されているのだ。闇ノ国人の魔法使いに”知能”を与えられ、

”闇国迷宮に侵入する者すべてを殲滅せよ”との命令を受けて放たれたにちがいない。


広間の中央に固まるセレクたちの周りを、戦獣猪はぐるぐると回っている。蹄を荒々しく蹴立てて岩棚を飛び回る。隙あらばとびかかってくるつもりだ。セレクとウォルフはゲルダを背負ったデイビスの前後を円陣を組むように囲む。


「デイビス、ゲルダをお願い」セレクは小声で言った。

「わかった、任せろ」デイビスは答える。その声にはもう普段ののんびりした雰囲気はなかった。

「でもそれじゃどうやって戦うの?」デイビスの背中のゲルダが少しほっとした様子で、それでも心配げに言う。

「そうだよ、デイビス抜きじゃ厳しいぜ」ウォルフがぼやく。

「相手は獣だよ。弱みを見せたらそこを突いてくる。ゲルダを一人にしたら真っ先に狙われる」セレクは答えた。その間にも戦獣猪は周囲をぐるぐると駆け回り続けている。獰猛な紅い目はセレクたちを見据え決して離れることはない。

セレクも負けじと獣を睨み付けながら、足元から拾い上げた。デイビスの長剣を。ずっしり重い。

「よせ、セレク。お前の力ではそいつは扱えない」デイビスが言う。

「そうだね。でもいいの、ちゃんばらをしようってわけじゃないんだから」にしても・・・重い!。



ウォルフに突き付けた。「ウォルフ、火ぃ点けて」

”火を点ける”これは剣に布を巻き付けて松明にすることではない。魔術師の力を借りて、刃に炎の魔法を宿らせる事を指す。闇国迷宮にて闇ノ国人と戦うには必須の技術なのだった。

「わ、わかった」ウォルフは呪文を詠唱し始めた。ほのかに刀身が熱を帯びてくる。もうすぐ燗燗に熱くなる。たしかにセレクはこの重い剣を扱えない。が、振り回す程度ならなんとかやれる。奴の鼻面に”焼きごて”を当ててやるくらいできるだろう。倒し切る必要はない。獣の戦意を殺ぎ、諦めさせればいいのだ。


だがしかし!突如、戦獣猪は方向を変え、こちらに向かって突進してきた!まずい!

「ウォルフ!まだなの?」セレクは叫んだ。「む、無理言うにゃよ!僕はカチェリにゃにゃいんだ!」焦ったウォルフは言葉遣いがおかしくなる。魔術師としてはあるまじきことで、この欠点を克服しない限り、いかなる時でも呪文を素早く正確に詠唱するカチェリとの差は埋まらないだろう。



ウォルフは懸命に呪文を詠唱している。この時の魔術師は無防備だ。奴の気を逸らさないと!

セレクは長剣を放り出すと「時間を稼ぐよ!あとお願い!」そう言うや盾を構え、

突進してくる戦獣猪の正面に立ちふさがった!「セレク!無茶よ!」ゲルダが叫ぶ。

みるみる獣はセレクとの間を詰めてくる。

わずかな時の間にセレクは必死に猪のことを思い出そうとしていた。


彼女の家は葡萄酒業だ。原料の葡萄を仕入れる農家から、畑を荒らす猪の愚痴をよく聞かされていた。

「猪は穴掘り名人だ。作物の根っこを掘り返して齧っちまう」

「猪は鼻自慢だ、なんでも嗅ぎ付けて嗅ぎ分けちまう、罠も毒餌も効きゃしねえ」

「猪は・・・」そうだ!セレクは革帯の小物入れに手を伸ばした!



獣は猛然と突っ込んでくる。その牙で地面にわだちを穿ちつつ、セレクを体ごと跳ね上げようと頭を下げたその時!

獣の眼前で閃光が炸裂した!セレクが足元に置いておいた閃光松明が燃え上がったのだ。

”地面からすくい上げてくるように攻撃してくる”その鼻先に一撃くらわしてやったわけである。

光だけではない、燃薬が燃える際に出る強烈な刺激臭も、炎熱とともに猪の鼻から吸い込まれた。

たまらず顔を背け、戦獣猪はのたうち回る。好機だ!いける!セレクは短刀を抜くと、

猪の首筋を狙って突き刺そうとした。しかし、


今度は・・・甘かったのはセレクの方だった。


獣の体は予想以上に固い皮と筋肉で覆われていた。小さな刀は猪の背中に突き立てられはしたものの、セレクの腕力では表面をかすかにえぐっただけだった。

それどころか暴れまわる巨体に跳ね飛ばされ、セレクはしりもちをついて転んでしまったのだ。

ほどなく巨獣はくしゃみのような息を繰り返し鼻汁とよだれをまき散らして立ち上がった。どうやら復活したようだ。赤い目が再びセレクを捕える。頭を低くして牙を向け間合いを取り始めた!


「デイビス、行って」背中のゲルダが言った。「ゲルダ!」デイビスはためらいがちに答える。

「このままだとセレクがやられちゃう。あの子がいなくなったら私たちは全滅よ。失うわけにはいかない!」怖がりゲルダは震え声で、それでもはっきりと言った。「わかった。俺も・・・そう思うよ」デイビスは慎重に負傷者ゲルダを地面に下ろすと「ウォルフ!」魔術師の少年に呼びかけた。「できた!できたよ!」ウォルフは長剣を指さす。それは鍛冶屋で鍛えたばかりのように赤黒く熱気を帯びた色に変わっている。「ゲルダを頼む。お前も幻界を張って隠れるんだ」

灼熱の長剣を、まるで藁でも拾い上げるようにひょいと手に取ったデイビスは、どすどすと走り出した

。普段ののんびり屋のからは想像もつかない姿である。戦獣猪とセレクの間に割り込むと、長剣を豪快に振り回す。


「デイビス!ゲルダは…」驚いた表情でセレクが言うと

「今は自分の心配をすべきだよー、セレク」ぶん回していた長剣を自分の正面で構えた。きれいな弧を描いて回っていた刀身がびたりと止まる。剣の重みの勢いに流されることはない。怪力デイビスならではの芸当だ。

「さあ俺はどうしたらいい?命令してくれ!」「倒す必要はないよ。追い払って!獣は火を恐れる。何度か火傷させればびびるはずだよ!」


「・・・・・・」デイビスは無言のまま口を尖らせた。少し不満気だ。「デイビス?」

「あんなに丸々太って・・・塩と胡椒で味つけて丸焼きにしたら・・・きっと美味いよ!4人分の晩御飯にちょうどいいと思うけどなあ」

「呆れた!今はそんな余裕ないよ!いいから追い払って!命令聞くって言ったじゃん!」セレクは怒鳴った。

「わかったよ~もう」デイビスは長剣を構えなおすと猪にのそのそ向かっていった。

明らかにさっきよりやる気がそげている。だが、それでも灼熱の剣を手に迫ってくる巨漢は、

戦獣猪にとって十二分に脅威のようで、さっきまでの勢いはどこへやら、戦獣猪は奇妙な唸り声をあげて、

たたらをふんでいる。が、それでいて逃げ出す気配はない。地面を牙でがつんごつんと穿ちながら、猪は奇妙な唸り声を上げ続けている。


「少し焼いてやるか。ふん!」気合と共にデイビスが長剣を振り出した。

刀身の熱気が陽炎のように周囲の景色をゆがめ、猪に降りかかる。そ本能的に熱さを察知したのか、

獣はようやくわずかに後退した。が、次の瞬間、翻ってこちらに突進してきた!


不意を突かれたデイビスだが、そこは戦闘師である。冷静に突進の延長線上を見極めると、獣の速度と合うように、薙ぎ払った!。迫りくる切っ先を戦獣猪はかわそうとしたが手遅れだった。肉に刃がめり込み。うめき声と毛皮の焼ける匂いが立ち上がる!。だがその程度では弱らない、すぐに距離を取り、再び襲い掛かろうと間合いを取り始める。戦意は一向に衰えていない。


セレクは不審に思った。(どういうこと?確かに一瞬ひるんだのに、急に強気になった)その時、ゲルダの悲鳴が聞こえ、振り向いた時に彼女はそのわけがわかった。動けないゲルダと、彼女をかばうウォルフに向かって、突進していくもう一頭の戦獣猪を見て。


(さっきの奇妙な唸り声、仲間を呼ぶ声だったんだ)そして同時に気が付いた。自分を見つけこちらに突進してくる、3頭目の紅い眼に。驚いたことに最初の奴よりもでかい。牙は刀剣のようにそそり立ち、ぎざぎざしている。きっとこいつが長だ。手下の戦いぶりをどこかで観察していたのだろう。


デイビスには1頭目

ゲルダとウォルフには2頭目

自分には3頭目!


どうする!

どうしよう?

どうしようもない!


もう考えはまとまらず、セレクはぼんやりと立ち尽くしてしまった。

ギザギザ牙をむきだした獣がみるみる大きくなる!その時!

”見えない手”がセレクをつかみ、強引に引っ張った!そして世界は真っ白になった。



(・・・・・・あたし、気を失った?死んだのかな?)だが、意識ははっきりしている。

うっすらと目を開けたセレクの視界に飛び込んできたのは・・・


ゲルダとウォルフを襲った戦獣猪は、奇妙なことに、とびかかった姿勢のまま、空中に静止していた・・・ように見えたが、違う。よく見ると、口から後頭部にかけ、剣がその体を刺し貫いている。

剣の柄の部分からそれを握りこむ消えかかった腕が生えている。それもまた奇妙な光景だが、

腕の先の消えていた部分が次第に露わになっていくのを見てセレクは理解した。

幻界だ。見えない影に隠れ、いつの間にかゲルダたちの傍に寄り添い、飛びかかってきた戦獣猪を正確無比な剣さばきで刺し貫いた達人がそこにいるのだ。

ほどなく幻界は薄れて消え、人影が現れた。

防板探検服で抑え込まれた豊満な胸と腰、バサバサの赤ブドウ色の髪の、ウィラーフッド教官が。


表情一つ変えることなく、突き出した剣を巨獣から引き抜く。戦獣猪は倒れた。



デイビスは、長剣を握りしめたまま尻もちをついている。

傍らには二頭目の戦獣猪が四肢をぴんと伸ばしてひっくり返り、けいれんしている。甲高い声が上から響く

「ごめーん!デイビス平気? 味方は外したつもりだったけど、剣とかの金属って雷を呼んじゃうのよね~」

張りのある胸をつんと突き出してふんぞり返る赤毛が、こちらを見下ろしていた。その指先はかすかに青白く光っている。「し、しびれちゃったよぉ~」デイビスが顎をがくがくさせながら言う、しりもちをついたまま、動くことができないようだった。敵に向かって放たれた、魔術師カチェリの”雷撃波”のおこぼれをもらって。だが何とか立ち上がり、気絶した猪に長剣を突き刺した。戦獣獣は倒れた。




そこで初めてセレクは自分が見えない腕が自分を引っ張ったことを思い出した。幻界が解け、見えなかった部分が見えてくる。革帯につけた小つるはし、こげ茶色の髪の毛。

「よかった、間に合ったみたいだ」

今年の”最高の一団”、生存術科首席の彼がにっこりほほ笑むと、安堵のあまり、セレクはそこにへたり込んでしまった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る