第40話
「気分は、悪くないですか?」
水を含ませた布で彼の顔を拭きながらユアンは聞いた。
「爽快とはお世辞にもいえないね。でも大丈夫、吐き気はないよ」
ローナスは答えた。
ローナスの額からは血が流れている。正確には”流れていた”だ。
すでに血は止まり、傷口は応急処置されているが、
砂利と乾いた血が、岩に張り付く藻のように、
ローナスの顔に赤黒い化粧を施していた。
ここは闇国迷宮。そしてどこだかわからない。
プラネット共和国戦官養成学校の生徒である
”戦闘師”ローナス・ガフ・ギャブルと”療術師”ユアン・ロメ・ギャブル。
二人はその日執り行われた、”成人のしきたり”において、予定路の最深部で
やってきた生徒たちに試練を与える”怪物役”を命じられていた。
だが、突如起きた大揺れによって、崩れる壁や天井から
洞窟内を無我夢中で逃げ回った彼らは”予定路”を大きく外れてしまう。
どうにか揺れは収まったものの、どこだかわからない迷宮の通路の片隅に
ひっそりと身を寄せた二人。
逃げる途中、上から落ちてきた小石で負傷したローナスの額の治療をしていた。
そういう状況である。
「止血布を取り換えたいのですが・・・」
ユアンが申し出ると、ローナスはかぶりを振った。
「使いすぎだよ。もう血は止まってるし、
取り換えたところで急に傷が治るものでもない。
薬は節約した方がいい」
傍には血のにじんだ止血布がもう何枚も転がっていた。
「ローナスさん、生存術心得1を?」ユアンが聞くと
「”病こそが最大の敵、戦いに勝つより風邪に勝て”か」ローナスは微笑んだ。
「仰せに従おう。療術師殿」
「これで終わりにします。大したケガじゃなくて本当によかった」
ユアンは止血布をローナスの額に当てがった。
「帰ったら父や兄たちに進言するよ。
”剣も盾も鎧ももう古い、これからは”兜”の時代です!
新製品を開発して売り出しましょう!”ってね」
ローナスが言うと、
「賛成です。発売の際には医療的見地からの
推薦文をしたためさせてもらいますわ」
ユアンが答える。
「それは心強い、プラネット随一の療術師のお墨付きなら大売れ間違いなしだ。
でも評判が軌道に乗るまではどこかに使ってもらいたいな。
一般に売りたいから軍隊以外がいいのだが」
「それなら大量に買ってくれそうな
”道大工屋さん”に心当たりがありましてよ?」
二人は笑った。
ユアンが言う「ルイスさんが言ってました。
”どんな時でも笑うことで心を落ち着かせることができる”って」
「言えてる」二人はまた笑った。
「ローナスさん、生存術心得2を?」ユアン
「”混乱した時は、まず現状の分析から始めよ”だね」ローナス
「ではお伺いします。私たちは?」
「遭難した。それは認めないと」
「不利な点は?」
「二つある。まず一つ目は、現在位置がわからない事。
ここは”予定路”ではないし、学校で教わった地図にも当てはまらないようだ。
本来なら新通路発見で喜ぶべきだろうが、今はそれどころではない」
「二つ目、孤立したがゆえに敵味方の状態が皆目わからない事。
ウィラーフッド先生や教官たち、他の仲間が退避できたか、そうじゃないのか。
もちろん無事を信じるが、不確定な推測に乗っかるわけにはいかない。」
ローナスは目を閉じて自分にも言い聞かせるように話し続ける。
「同じことが敵にも言える。さっきの”大揺れ”が敵の魔法攻撃なのか、自然現象なのか、
ここは大口洞からそれほど離れていないはずだが、ここが見知らぬ通路な以上、
闇ノ国人や戦獣、仕掛け罠の脅威はあるとみるべきだが・・・
それが今どの程度迫っているのか?僕らにはわからないんだ」
「有利な点は?」
「君と僕が、元気に生きているという事さ。戦官養成学校で最も優秀な療術師と戦闘師がね」
「まあ、ローナスさんたら」
「あれだけの落石を、たんこぶ一つで切り抜けられたのは驚異的な幸運だよ。
ここは地底だけど、僕らにはソーラ神のご加護があると信じよう」
「では、どうしますか?」
「ここを起点にして、周辺を調べる・・・来た道を戻るのは」後ろをかすかに振り返る。
落石で完全に埋まった横穴があった。「もう無理だからね」
「何とかして、地上への道、予定路、見覚えのある道でもいい。手がかりを見つけるんだ」
「本来なら二人で回りたいところだが、体力や物資面を考えると悠長に構えている場合でもなさそうだ。手分けしよう。ユアン、一人でも大丈夫だね?」
「いま私が一番心配なのはローナスさんの額の怪我ですよ」ユアンはくすりと笑った。
「君は本当に、追い込まれるほど強くなる人だね。お世辞抜きで尊敬するよ。これを」
ローナスはギャブル盾を差し出した。
ユアンはため息をついて「さっきこれがあったなら、たんこぶを作らなくても済んだんですよ?」
ローナスもため息をついて「さっきこれがあったから、今君は無傷で、僕は安心していられるんじゃないか。なんなら剣の方を持っていくかい?それでもいいけど」
「・・・盾をお借りします」ユアンは盾を手に取った。ローナスは剣を持って立ち上がった。
「じゃ、気を付けて」通路に入ろうとするローナスを
「ローナスさん」ユアンが呼び止めた。
「ん?」ローナスは振り返った。
「私がこんな今でもケロッとしていられるのは二つ理由があります」
「一つは、学校で一番の戦闘師が傍にいてくれるからという事」
「あはは、どうも。もう一つは?」
「希望があるんです。」
「希望?どんな?」
「ないしょです。あまりに突飛すぎるので。地上に戻れたらお話しします。それじゃ」
盾と携帯灯火を持ったユアンは通路に消えていった。
ローナスも反対側の通路に入ってゆく。
ユアンは思っていた。
(ルイスさんとカチェリさんが・・・あのまま引き下がるとは思えない。
黙って学校で自習しているとは思えない。
特にカチェリさんにとって、今回の”成人のしきたりは”・・・
今は、それが、わたしの、希望。
もしかして・・・ひょっとしたら・・・
いや・・・きっと!)
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