第8話

  床から天井までは、ルイスの背丈の10倍分はある。天井どころか、真ん中辺りでも、手足を滑らせて落ちようものなら、床に叩きつけられて死んでしまうだろう。しかもツララから染み出る水で壁が滑りやすくなっている。考え無しに挑むのは危険すぎる壁だった。


だがルイスは道大工の息子である。小さい頃からいろんな現場の手伝いをしてきた。というか、させられてきた。高い所にも何度も登った。一番高かったのは・・・ギャブルの依頼で、クリナ鉱山から麓へロバ道を造って欲しいとの依頼で断崖絶壁につり橋道を引いた時だったか。あれは怖かった。(それに比べればこんなもん!)剣と盾は放り捨てる。


壁のぼりでは壁のでっぱりやくぼみが頼りだが、それが身体をあずけるに足るかどうかを判断するには指の微妙な感覚が全てだ。余計なものはない方がいい。


慎重に壁のくぼみを見定め、指をかける。足を踏ん張り、身体を引き上げる。ツララ化してはいるが、水が染み出ると言うことは相応に隙間のある岩壁だと言うことだ。手がかりは多そうだが、崩れやすいかもしれない。「”水”は想像以上に岩や崖をもろくする」道大工の間では常識である。足をかけた。滑った!身体が壁から離れかかる!全身全霊をこめてルイスは指先に引っかかりかけている壁の隙間を掴んだ。何とか持ちなおす。危なかった。すでにルイスの背丈5つ分くらいは登っている。ここで落ちたらどうなるかはもう考えないことにした。


 手を伸ばし、指をかけ、足で探り、ときには顔を岩にこすりつけ、ひどくのんびりと、でも確実に、ルイスはツララに近づいていった。そしてようやくツララの先に手を延ばせば届きそうなあたりまで来た時、問題が起きた。


冷たい。岩も壁も氷のように冷たい。ツララができるほどの壁なのだ。少し考えればわかるはずだった。壁にへばりついた手足がかじかんで感覚がなくなりそうだ。まずい、このままでは力尽きて落ちてしまう。どこか、しっかりしがみつける場所を探さないと・・・あった!少し遠いが、大き目の横穴が空いている。あそこに体半分でも入れられればだいぶ楽になる。迷ってる場合じゃない、体力の残っている今のうちに・・・ルイスは反動をつけると思いきってその横穴へ手を延ばした。


手を横穴に差し入れようとした時、横穴から黒い何かが一斉に飛び出してきた。

・・・見ていたはずだった。

この洞窟の天井に、たくさんのコウモリがいたことを。

その横穴にもコウモリが潜んでいたのだ。

・・・知っていたはずだった。

だが驚いた弾みに手を引っ込めてしまった。

絶対に掴まなくてはならないその穴から、ルイスは手を引っ込めてしまった。

もう一度手を伸ばしたが、もう間に合わなかった。

足をばたつかせたが、その足はもう何も蹴る事ができなかった。

時間が止まったように、周囲の景色がひどく鮮明に見えた。


「フェイラー家は昔はえらーい貴族だったんだぞ」父の顔。


「生き残る事だけ考えな!」母の顔。


「グズ!とんま!」あの赤毛の女の子はなんて名だったか。


そしてなぜか闇国魔王の顔が見えた。


「 お ま え は な ぜ こ こ へ 来 た ? 」


手を伸ばした横穴、目指していたツララの天井、

全てがはっきりと見え、そして急速に小さくなっていった。


気が付くとルイスの目の前にツララの天井があった。横にはつかまろうとしていた横穴が。でも彼は横穴に掴まってなどいなかった。そして床に叩きつけられてもいなかった。両脇から鋭いツメを持った太い腕が差し込まれ、ルイスを抱き抱えている。肩越しに振り向くと蒼鉄色の鱗に赤く燃える目が見えた。大きな翼がばっさばっさと羽ばたいている。


竜の姿に戻った闇国魔竜(妹)ダドラだった。


ルイスは口をぱくぱくさせた。「ありがとう」と言ったつもりなのだが、渇ききった喉からは声が出なかった。ダドラは何も言わずその赤い目でルイスを見ている。人に変化していた時と違って、表情が全くわからない。笑っているのか怒っているのか。黙ってルイスを抱きかかえたまま、空中に浮遊している。


ルイスはツララを見た。その視線を追ってダドラもしばらくそのツララを眺めていたが、やにわに大きく身体をくねらせた。長い尾が鞭のようにしなり、ツララを横殴りにへし折った。いくつかの大きな氷塊がはるか下の床に落ちていき、鈍い轟音と共に床の上に白い花を咲かせた。上からそれを見下ろしたルイスは「あれが俺なら、赤い花だったろうな」とかふとどうでもいい事を思っていた。


ルイスを抱きかかえたまま、ダドラはゆっくりと地上へ降りていった。



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