第5話

 正午の日差しが差し込む廊下を、カチェリ、ユアン、ローナス、ルイスの4人が歩いてゆく。



「あーあ、信じらんない。このあたしが探索実習に出遅れるなんて」

先頭を歩くのは赤毛の少女。カチェリ・テウ・ミシェリだ。ミシェリの一族で、記書屋の娘である。

記書屋というのは「本」を作る家業で、依頼を受けるとまず原稿を暗記する、次に

記書屋独自の魔法で木版に活字を浮き彫りして版下を作る。墨を塗って紙に押し付ければ

一枚の書が出来上がる。それを複数束ねてヤニ糊付けし、革表紙をつけて虫除けのまじないをかければ「本」の出来上がりだ。テウ記書屋の作る本は品質が良く、老齢になると自叙伝を作りたがる富裕層に人気で、戦官養成学校の図書館の書物もテウ記書屋によって作られた本が多くを占めていたのだった。


そういう家で育ったせいもあるかも知らない、カチェリは”言葉"と”文字”を操る能力に長けていた。どんな長い呪文もすらすらと暗記することができたし、筆記試験では向かうところ敵なしだった。養成学校の専攻を選択する際、魔術師の道を選んだのは必然と言えた。


得意技は”雷撃波”。大気に交じり合う蒸気の粒を、魔法でこすり合わせることで生成される「雷の素」。それを貯めて指先から放出する攻撃魔法だ。相手を気絶させたり、場合によっては死に至らしめる効果がある。また、闇の国人が暗がりで良く使う目くらましの術”幻界”を破ることも、このカチェリの雷撃波なら可能だった。


大きな瞳に少しとがらせ気味の口をへの字に曲げ、小さな顔の周りには肩まで伸びる赤い巻き毛が燃えているかのようにたなびいている。張りのある胸をつんと突き出しながら自信たっぷりに大またで歩いていく様は、なんというか、ふんぞり返った子フクロウを思わせる。それが、カチェリという少女だった。



「探索実習は年4回行われています。明日がだめでも、次があるじゃないですか」

そう言ったのは”いるんだかいないんだかはっきりしないほど存在感の薄い幽霊のような少女”ことユアン・ロメ・ギャブル。漆黒の長い髪が細い肩にかかる。伏目がちの細面は、カチェリを日とするなら闇夜に浮かび上がる三日月といったところか。だが一見華奢に見えるその顔に時折浮かぶ凛とした表情は、彼女が見た目に反して強い意志の持ち主であることをもうかがわせるものだった。


彼女はギャブルの一族である。鉱山夫や製鉄屋が多いギャブル一族には当然傷病も多い。

ロメ家は代々そういった傷ついた人々を治す仕事をすることで、高度な医療術を会得してきた。

そしてプラネット国で指折りの医療屋となり、貴族院用達の医師を何人も輩出し、

多くの貴族の怪我や病を治し、寿命を延ばしてきた。その影で貧しい庶民は病で倒れても祈りや呪いしか抗うすべはなく、毎年多くの子供や老人が怪我や病で命を落としてゆく。

そういう景色を見て育ったユアンは何とかして普通の人にも安く頼りになる医療をもたらしたい、迷宮へ赴くことでその答えが見つかればと思っていたのだった。

得意技は「幻界生成」魔法で作った偽りの景色"幻界”を周囲にまとうことで、見かけ上、姿が消えたように見える。ただでさえ存在感の薄い彼女がこの魔法を使うと、気配も含めて完全に存在を消すことができるのだった。


「ユアンの言うとおりだよ。焦る事は無いさ。どのみち一般生徒も参加する合同実習では

それほど深くへは行かないよ。遠足並なんじゃないかな」

ネコのような雰囲気の金髪の少年、ローナス・ガフ・ギャブルは戦闘師である。

彼の家、ガフ家はギャブル一族の中でも名うての武器工房だ。

名のあるギャブル剣、ギャブル盾、ギャブル鎧には大抵ガフ家の紋章が刻まれている。

背中に翼の生えた獅子の印が。


ローナスは3人兄弟の末っ子である。二人の兄はともに優秀で、成人のしきたりも済ませている。上の兄コクレンは闇国迷宮の深淵部にて闇黒魔竜と闘い、そのウロコを財宝として持ち帰った。その勲功によりコクレン・ガフ・ギャブルは若くして共和国貴族院議員に選ばれている。


下の兄べフォーも、闇黒迷宮に赴き、新たな鉄鉱脈を発見した。今はガフ武器工房の棟梁補佐として父ゼグル・ガフ・ギャブルを手伝っている。故に子供に厳しい父ゼグルは、ローナスにも成人のしきたりにおいて高い功績を期待、いや命令していた。


「よいかローナス。闇黒迷宮に赴き、闇黒魔竜を倒すのだ。兄コクレンは竜のウロコをもぎ 取って来た。それが牙や爪、竜骸となれば、共和国内におけるガフ家の地位と名誉はより盤石なものとなろう。常に優秀であること、勝ち続ける事、それがガフ家に生まれたものの宿命なのだ。絶対に負けてはならん。たとえ相手が闇国魔王だろうとだ。」


その期待に、ローナスは応えたいと思っていた。今ここで日々の鍛錬に励むのも全ては、

兄たちを超え、父を満足させる為だ。そして自分にはそれができる。事実、戦闘師として

自分と渡り合える者はそうはいない。ウィラーフッド先生も含めて、だ。

ただ・・・ローナスはかすかに後ろを見た。軟膏を腫れあがった顔いっぱいに貼り付けて

とぼとぼと歩くこげ茶色の髪の少年を。


「へえへえ、優秀なお二人は余裕でございますわねぇ~。あたしも相方がグズでとんまじゃなきゃ・・・ちょっと!なに見てんのよ!」カチェリは肩越しにルイスをじろりと睨みつけた。「へ?」ルイスはきょとんとしている。確かにルイスの顔の先には、短めのすそからすらりと伸びたカチェリの真っ白な太ももがある、可愛らしいお尻が歩くたびにプリプリと揺れている。それは確かだ。事実である。だがしかし!今のルイスはそれを見るも何も、顔は腫れ上がって軟膏だらけ。塞がりかけたまぶたではろくに前も見えない状態だ。言いがかりである。完全な言いがかりである。「嫌らしいど助平」カチェリは軽蔑しきった低い声でルイスをなじった。「酒場の道大工ってこんな感じよね。血は争えないわ~」


思わずルイスは声を荒げる。「それ関係ないだろ!」


 ルイス・セウ・フェイラーは道大工の子として生まれた。道大工というのは井戸掘りを始め、

街の道路や橋を作る仕事で、プラネット共和国の中心都市マギカの道や橋、

地下水路などを作る職人衆である。作った道にはそれを手がけた職人の名が冠されるのが慣わしで、腕のいい道大工はそれが名声であり、誇りとなるのだった。そして「麦のセウ通り」「東セウ橋」など、ルイスの家の名が付いた通りや橋はいくつもある。そういう家に生まれ育ったのがルイスという少年だった。


道大工衆は、衆同士の子供を合同で育てるという慣わしがある。そして子供たちの世話をするのはその子供たちの中でもっとも年上の子ということになっていた。なぜなら夫は道大工の仕事へ行くが、妻もまた麦畑や女中の仕事に出ていく事が多いからである。大抵は何人かの年長の子が協力して世話役になるのだが、ルイスが年長だった年は子供の外れ年で、面倒見は彼一人しかいなかった。道大工の修行の傍ら、一人で幼子をあやしたり、喧嘩の仲裁をしたりしなくてはならず、同年代の子と遊んだりする機会はほとんどといっていいほど無かったのだった。


 だから「成人のしきたり」のため、戦官養成学校へ行くことが決まると、彼は子犬のように喜んだ。今までとは違う世界へ行ける!違う自分になれる!しかしそんな彼に、母は鋭く釘をさした。

「道大工の倅がなに浮かれてんだい!人は生まれたとこからどこへも行けやしないし、

変われやしないんだよ。相応の分てものがあるのさ、わきまえな!」


 高揚した気分に水を差されて彼はしょげ返った。

一瞬わいた母への反発の気持ちはすぐに消えてしまった。なぜならそれは

彼自身心のどこかで感じていた図星だったから。しかしそんな彼に父はこんな事を言った。


「ルイス、俺たちの氏名の”フェイラー”ってのはな、昔はえらーい貴族だったんだ。

フェルプス・セウ・フェイラー公って言ってな。闇国魔王と戦って相討ちしたって言う英雄さ。

その手柄を認められてフェイラー一族はプラネット共和国の道や水路の工事を全部任される栄誉に預かれた。ギャブルやミシェリなんか目じゃねえ。”失敗者”とか抜かす奴はぶん殴っちまえ。俺たちフェイラー家はこの国のイシズエって奴を造り上げた名家なんだからな!」


母はげんなりした様子で「まーた父ちゃんのヨタが始まったよ。いいからルイス、

イキがらないで五体満足で生き残ることだけ考えな!

あんたは父ちゃんの後を継がなきゃならないんだから!」


 そして、道大工の息子 ルイス・セウ・フェイラーは12の春、"成人のしきたり”を果たす為、

プラネット共和国戦官養成学校に入学した。


だが、現実は彼に厳しい試練を突き付ける。入学前に各種の習い事で先を行っていた同級生に対し、ルイスはろくに読み書き足し引きもできないありさまで、一年目の基礎課程で履修合格する事ができなかったのだ。


  落 第


それが、戦官養成学校が、ルイスの1年目に下した評価だった。

進級していく同級生に代わり、新しく入ってきた一つ年下の級友たちと共に

ルイスは基礎課程をもう一度履修することになる。


彼が上から落ちてきた”先輩”であることはすぐにばれた。

その上「没落の”フェイラー”」の出自であることも。その合わせ技で

”グズでとんまのフェイラー”のあだ名がささやかれるまで時間はかからなかった。

それはルイスにとってとても悔しく辛いことで、学校へ行きたくなくなった日は一日や二日ではない。


それでも彼は、歯を食いしばって学校へ通い続ける。

支えたのは意地ではないし、財宝や武勲への執着でもない。

長らく閉じた世界で生きてきた彼にとって、


「違う世界で、違う自分になる」


この思いだけが、級友たちの嘲笑を跳ね返す、たったひとつの心の武器なのだった。



とはいえ、自分はともかく、家業を馬鹿にされるのは我慢できない。


「道大工は国のイシズエを築く誇りある仕事なんだ!学校の周りの道も、城下の大通りも、

クリナ川からの水路も、ぜんぶ道大工が造ったんだぞ!」

ルイスの思わぬ反撃にさすがのおてんば娘も少したじろいだ。

だがむろん引く気配はない。彼女の頭には”撤退”とか”退却”だのといった概念は無いのである。

なじられたら3倍なじり返す!見る見る頬が紅潮し、呪詛のキツツキの回転が上がる。


「なによ!すっとこどっこいのあんたが凄んだってすこしも怖くないわ!そりゃ道大工は偉いかもしれないけど、あんたがグズでとんまのフェイラーって事実は変わらないんですからね!絶望的だけどそのぼんやりした頭にほんのちょっぴりでも脳みそが残ってるならあたしの邪魔をしない方法でも考えることね!たぶん絶対無理だけど!でも何事も努力は大事よすご大事!できないからって諦めちゃだめ!あんたみたいな極め付けのおばかさんが少しでもマシになれるかもしれない道はそれしかないんだから!それしか!」


 凄い勢いで悪くなる空気を察してか、いつもは完全に気配を無にできるほど存在感の薄いユアンが手を叩いて割り込んだ。

「そうそう!みなさん、そろそろお昼にしませんか?食堂のおばさまがいいオーキー羊が入ったから、とびっきりの香草焼きを作ってくださるそうですよ!限定15皿ですって!」

「いいねえ、僕おなかがペコペコだよ」ローナスも乗っかる。


ルイスとカチェリは互いに険悪なまなざしでにらみ合っていたが、

やがて顔を背けると食堂へ向かって歩き出した。小さくため息をついてユアンとローナスがそれに続く。

やれやれ。「最高の一団」の自分たち4人だが、ルイスとカチェリは本当仲が悪い。

その二人が図書室で自習だって?


・・・火事でも起きなければいいのだが。

 


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