第48話

カチェリは魔法の発動態勢に入った。通常の雷撃波なら瞬時に繰り出せる彼女だが、

今回は最大出力である。時間がかかる上に、いつも以上の集中力が要求されるのだった。


その体は青白い燐光に包まれ、目は虚空を見つめたまま焦点が定まっていない。

「雷圧設定値無限大」「放電子加圧縮」という単語が随所に入り混じるその呪文は、ルイスには到底皆目理解しえないものだが、彼女を包む燐光が次第にその半径を広げ、球体の膜のように変化していくのを見れば、そこに尋常ではない魔力が充填されつつある事は十分に伝わってくる。やがて球体の表面に幾筋もの青白い蛇のような稲妻が這い回り始めた。詠唱とともに稲妻はその太さを増し、蛇から大蛇となっていく。

煎り木の実が弾ける様な音と共に、雷の蛇たちは周囲の岩肌にあたりかまわず咬みつき始めていた。


(機会は一度きりだ。抜かるなよ俺!)ルイスは剣を握りなおした。


作戦は単純だ。この剣を戦獣猪の体のどこかに突き立てるだけでいい。後はそこへカチェリが最大出力の雷撃波をお見舞いしてくれる。狙いは大まかにならざるを得ないが、金属の剣が雷を呼びよせ、戦獣をデイビス好みの「猪の丸焼き」としてこんがり仕上げてくれるだろう。なんも難しいことはない。誰にでもできる簡単なお仕事。そう楽勝!余裕だ余裕!


だ が し か し !


戦獣猪は動きを止めた。赤い瞳がルイスをにらみつけてくる。鋭い牙をがちがちと噛み合わせ「てぎ こぼす へき ころふ」口を歪めてしゃべっているようだが、もはや言葉になっていない。怒りだ。獣の憤怒が、魔法で与えられたはずの”知能”を消し飛ばしているのだった。獣本来の暴虐さが、獣臭と共に湯気のように沸き立っている。躊躇も思慮も分別もなく、ひたすら眼前のルイスを轢き潰す事のみを渇望し、狂怒の獣は猛然と突っ込んできた!ルイスも反射的に剣を突き出したが・・・軽々と避けられた!。ただ直線的に突っ込んてくるだけに見えた猪の突撃だが、実は左右へのしなやかな動きも持っていたのだ。牙の直撃こそどうにかかわしたものの、巨体の体当たりを避けるのが精いっぱいだ!とてもじゃないが剣を突き刺すどころではない!。


(逃げてばかりじゃラチが明かない!)息つく暇も与えず、戦獣猪は突撃を繰り返してくる。ただ、なぜかその狙いは妙に雑で、紙一重ではあるが、ルイスは敵の猛攻をどうにかかわし続けられていた。(頭に血が上ってるせいか?助かるぜ)ルイスがそう思った時、


「ダメです!先輩!そっちに行ってはダメ!」セレクの声が響き、そして背中に何か当たった。岩壁が、ひんやりとした感触と共にルイスの背後を塞いでいた。ルイスの心にも冷水が浴びせかけられる。戦獣猪は突撃をやめ、静かに見据えた。逃げ場を失った獲物を。焦ったルイスは左右を見回したが、そこは岩場の裂け目だった。両脇とも崖に囲われている。袋小路になっている!


戦獣猪は出口を塞ぐようにルイスを追い詰めてくる。牙の隙間から声が漏れる。

「にげみち ない おまえ おしまい」口調に落ち着きが戻っている。というより、(ま、まさか、俺をここに追い込むためにキレたふりしてたっていうのか?!)


"凶暴さ"に加えて"狡猾さ"も併せ持つ、それが闇ノ国の”戦獣”である。闇国迷宮に突入した戦官の死因の首位がこの戦獣との戦いによるものだという事は、戦官養成学校では暗黙の常識だった。


冷静に間合いを確かめると、戦獣猪は、行き止まりに追い詰められたルイス目がけて最後の突撃を開始した!地響きと共に巨体が迫ってくる!ルイスの手には剣があるが、もはやこれを突き出したところで巨獣の勢いは止められない。刺す暇もなくルイスの体は岩壁と戦獣猪に挟まれて"挽肉状の何か"にされてしまうだろう。敵の狙いもそこなのだ。


(畜生! 万事休すか!)牙をむきだした巨体がみるみる迫ってくる!

そして大轟音が響き渡り、戦獣猪は猛速度で岩壁にめり込んだ!。

「せ、先輩!」悲痛な声をあげたセレクの目の前に、乾いた音を立てて何かが落ちる。鈍い輝きを放つ刀身。ウィラーフッド先生の 剣 だった。


ルイスの作戦は、失敗した。


「先輩!ルイス先輩! そ、そんな!・・・いやああああ!」セレクの叫び声が響きわたる。仲間の制止も聞かず、駆け寄ろうとした。がその岩場の奥から

「来るな!セレク!」大声と共に戦獣猪が飛び出してきた!その背中にルイスを乗せたまま。


いったい何が起こったのか?


確かに前後左右に逃げ場はなかった。


だが”上”は?


そこは狭い袋小路で両脇は"崖"になっていた。

戦官養成学校の生存術科首席で、その上プラネット国随一の道大工の一族なら難なく登れる崖がそこにあったのだ。戦獣猪が突っ込んできたところを、間一髪で上によけ、壁に激突した猪の背に飛び降り、しがみついた。それが今である。


戦獣猪は怒った。今度は芝居でなく本当に怒り狂っていた。吼え声と共に背中にまとわりつく”異物”を振り払おうと、跳ね回り、体をくねらせ、壁に体をこすりつける。ルイスも振り落とされまいと巧みに巨獣の背を移動し、しがみつき続ける。


その時、あたりがひときわ明るくなった!。

広間の隅に青白い、というよりほとんど白光と言っていいほどの光の球が出現したのだ!光球の周りには稲妻の蛇、いや雷の大蛇、いやいや雷撃の龍が、何十本も這い回っている。


「・・・待たせたわね!」

光球の中から、甲高い声が聞こえてきた。


「周りが見えない! ルイス!奴はどこなの? 剣は?剣は刺せたの?」カチェリの声がルイスの耳に届く。


(刺せてないんだよそれが)ウィラーフッド先生の剣は、セレクの足元に落ちている。さっきはそれどころじゃなかった。突っ込んでくる猪を避けるために、全力で崖を上った。両手を自由にするために、剣は捨てざるを得なかったのだ。


カチェリの声を聞いて、戦獣猪は光球に気付いた。本能で脅威を察知した。すかさず光球に牙と蹄を向ける!(まずい!)


ルイスは叫んだ。

「カチェリ!俺はここだ!ここに撃て!俺の声がする方に雷撃波を撃つんだ!」


カチェリはしばし黙った。

「・・・・・・何 言ってるの?」


続いて不審げな声が光球の中から響く。

「ルイス!あんた今 ど こ に い る の ? 」


凄まじい勢いで走り出した猪の背上からルイスは怒鳴った!

「戦獣猪が君を狙ってる! 魔法が発動する前につぶす気だ!

 俺の事はかまうな! 最大雷撃でこいつを倒すんだ!」


光球が焦った声で言い返してくる。

「ダメよ!囮の金物がなきゃあんたにも稲妻が向かう!言ったでしょ!痺れるじゃすまないって!この雷撃はあんたを黒焦げにしてしまうわ!」


「俺は生存術師だ!絶対に死なない!いいから撃て!君がやられる!」


「バカ言わないで!逃げてルイス!もう戻せない!あたし!この子たちを抑えておけない!」


「撃て!」


カチェリが何か言ったようだったがもうルイスには聞こえなかった。かすかに光球の光が弱まる。もしかしたら魔法を中断しようとしたのかもしれない。だが、収縮したかに見えたのは一瞬で、直後、光球から稲妻の龍たちが弾けるように飛び出してきた!。一匹、十匹、百匹!。大蜂の羽音のような振動音と炒り木の実が弾けるような炸裂音を響かせつつ、無数の雷龍群は戦獣猪に襲いかかった!。


最初の雷龍は、猪の牙にかぶりついた。乾木をへし折るような音がして獣は棒立ちになった。次の雷龍は、獣の口をこじ開け、その舌を燃え上がらせた。猪の体は硬直し痙攣を始める。のべつ幕なしの勢いで、光球から放たれた稲妻の龍たちは次々と猪の口に食い込んでいった。やがて鼻から、耳から、白煙が立ち昇る。それでも龍たちは噛みつくことをやめない。総毛立った毛皮がめくれて燃え上がり、肉が弾け、頭骨が剥き出しになった、それでも龍たちは獣を焼き焦がすことをやめない。青白い炎が既に目玉を失った眼窩から噴き出ている。ついには膝が曲がり、その場に崩れ落ちた。獣脂が焦げる異臭が立ち込める中、雷龍に食い荒らされた戦獣猪の巨体は、自らの炎の中でいつまでも燃え続けていた。

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