娯楽と空腹と……
翌日は、あんな事があった事もあり、学校は臨時休校となった。
まるで現実と変わらない、そういう所までここにはリアリティがあるみたいだ。
浅沼からのメールで救急車に運ばれたクラスの人はみんな、入院にはなったが命に別状が無いと聞き、安堵と共に僅かにぼくの中にあった罪悪感が薄れた。
けれど、未だぼくの中にはモヤモヤとした気持ちが残る。
今回の原因は全てぼくにあるらしい。
このままでは、また無関係の人が巻き込まれてしまう。
この先、ぼくは一体どうすればいいのか……。
いや、ぼくは何を言っているんだろう?
脳内の世界でなぜそんな心配をしているんだ?
彼らはココには実在しないのに……。
学校に登校する時と同じ、いつもの時間に起きてしまった。
普段からのクセというものは、身についてしまうと抜けないものだ。
夢見の悪かったぼくは体を起こさず、うだうだとベッドに横になったままそんな事ばかり考えていた。
何より気になるのは、遊安だ。
ぼくが死ぬ事で、何故遊安が?
つい最近会った彼女がどうして傷つくんだ?
そして、[
考えても考えても答えは、全く出そうにない。
遊安については、問いつめたい思いもある反面、聞く事が恐いという気持ちも拭えない。
ぼくがそれを知る事は、ナゼか酷く恐ろしい事を知るような気がしてならなかった。
ここがまだソドムの中だという事よりも、もっと残酷な事を知ってしまいそうな……。
「おにいちゃん……? 寝てる?」
部屋の外からアズの声が聞こえた。
「ああ……寝てる」
ぼくがそう答えると、
「もう、起きてるじゃない!」
そう言って扉を開けた。
「なんだよ……オマエ学校は?」
「行くよ、ただ、ちょっと心配だっただけ」
「……そうか」
「うん、でも大丈夫みたいだから行くね」
「ああっ……」
「あっ、今度彼女ちゃんと紹介してよね!」
パタンと扉を閉めた途端、物凄い勢いで階段を駆け下りていく音がした。
「遅刻する~」
とかいう声まで聞こえて来る。
恐らく、心配して様子を見に来たのだろう。
アイツは昔から優しいヤツだから……。
でも、ここは脳内世界だ。
アズもぼくの記憶の中の産物でしかない。
ここには実在していないんだ……。
ふいにベッドの隣にある机の上に置いたカード式電話が、
【電話着信】
そう表示して、テーブルの上で振動音を鳴らし出した。
ベッドから起き上がり、それを手に取る。
液晶の画面には[遊安 絆]の名前が表示されていた。
万が一の事を考えて、昨日電話番号を教え合ったんだっけ……。
「もしもし……」
ぼくは名前の表示をスライドさせて、そいつを耳に当てた。
「起きてた? おはよう」
どちらが寝起きかわからない。
遊安の電話越しの声は偉くトーンが低い。
彼女のコトを知らないヤツが聞いたら、今日はカナリ機嫌が悪いのだと勘違いされてもおかしくは無い。
「朝から一体どうした? 何かあったのか?」
「あったといえばあったかもしれない……、君、今からちょっと出て来れない?」
もし、これがデートの誘いなら、カナリ愛想が無い相手だ。
「何だよ、どうした? こんな朝早くに?」
「ちょっと、困った事になったから……」
「何だ? また殺人鬼か?」
それにしても珍しく電話越しの遊安は、随分と気弱そうで本当に困り果ててるといった雰囲気に感じられる。
「違う。それは別に、私が困る事じゃない」
それはごもっともな答えだ。
殺人鬼に追われているのは、ぼく。
そして、殺人鬼に対抗手段が無いのも、ぼく。
遊安が、困る問題では無い。
「じゃあ、何だよ?」
「来れるなら、来て。君の家の少し先にある公園にいる」
「えっ? 公園にいるのか今?」
遊安は、ぼくの最後のセリフは聞かずに電話を切った。
ぼくの耳に、『ツー……ツー……ツー……ツー……』と無機質な音がただ、響いている。
ぼくは、軽く上着を羽織り、Tシャツにスウェットというスタイルで家を出た。
途中、台所にいた母に「コンビニ行って来る」と言うと、母から牛乳を頼まれた。
脳内の世界だとわかっている、母もここには実在しないのも知っている……。
何故だろう、ぼくは普通の生活を送ろうとしている。
玄関を出ると、早朝の外気は少し肌寒く感じる。
ぼくは、足早に遊安に指示された公園へと向かった。
公園は、目と鼻の先だ。
時刻は通学や通勤時間の時間帯で、通りでは制服やスーツの人々と幾度もすれ違う。
何だか、ズル休みでもした気分だ。
小さい頃にはよく来た公園。
ぼくは辺りを見渡す。
ブランコ、砂場、トンネルと滑り台。
そんなに広くは無いスペースに、遊具が幾つかあるだけだ。
遊安の姿は、見当たら無い。
すると、一番奥の滑り台にある下部のトンネルから、何かがノソノソと出て来た。
最近の癖で、ぼくはびくっとして思わず身構える。
「来てくれた、良かった。君に助けて欲しい事があるんだ」
制服姿の遊安だった。
「助ける? ぼくが?」
「私じゃ、どうにもならない事だから……」
遊安にどうにも無らない事が、果たしてぼくなんかにどうにかなるんだろうか?
不安と疑問を抱えながら、ぼくは本題を聞き出す事にした。
「ぼくに出来るかわからないけど、一体、何をして欲しいっていうんだ?」
「出て来て大丈夫」
遊安がそう、トンネルの中に声を掛ける。
白い手と、色素の薄い髪が微かに見えて、暗闇から
「えっ? 何だ? 一体、どうしてコイツがココに?」
ぼくは、虫と会話出来るという異端の少年を凝視した。
相変わらず何かに怯えて、すぐさま少年は遊安の後ろに隠れてしまう。
「行く宛てが無いそうだから、私が面倒を見る事にした」
「お前が?」
ちらっと遊安の後ろから顔を覗かせて、
「そう。私の側にいさせる」
遊安に隠れながら、
そういえば結局ぼくは、あの時、例の遊安が使った『魔法の言葉』とやらも教えてもらっていない。
少年は遊安に随分と懐いて、心を許しているみたいだが。どういう事なのだろう?
二人の雰囲気から、少年と遊安の関係が特別な物だと、ぼくは察知した。
遊安は、元々この少年とは知り合いの様だったし、行く宛てが無いと言うのなら、それも致し方無いのだろう。
「で、ぼくに何を助けろっていうんだ?」
遊安が彼を預かる事にしたのなら、ぼくに面倒を見て欲しいという事では無い。
「今から私達と、一緒に来て貰いたい場所がある」
遊安はただそう言って、
「来て欲しいって、一体ドコに行くんだよ?」
「いいから、早く」
ぼくの質問には、相変わらずちゃんとした答えはくれないらしい。
ぼくは、仕方なく遊安の後ろをただ着いて行く事にした。
遊安のあとをただ黙ってついて歩き、しばらくして着いた場所はなんて事ないぼくの地元駅の繁華街だった。
あのゲームセンターが近くにある見慣れた場所だ。
「おい、何だよ? こんなとこに一体何の用があるんだ?」
遊安は何も答えずただ繁華街を、少年の手を繋いだまま足早に歩いて行く。
「たくっ……」
ぼくは少し遅れ気味だった歩調を合わせようと、駆け足でそれに追い付いた。
そして、ようやく遊安の足が止まる。
「ココ」
遊安の指差す先を見た。
そこは……、ただのショッピングモールだった。
「ココ?」
「そう」
「こんなとこ、一体何の用事があるんだよ?」
「ココは普通、買い物に来るんじゃない?」
「いや、普通は確かにそうだけど……」
『オマエは普通じゃないから……』喉に出掛かっていた言葉を、グッと堪えた。
「じゃあ、そう。買い物に来た」
「はぁ?」
益々、ワケがわからない。
「ぼくに、助けて貰いたい事って?」
「買い物」
平然とした顔で、遊安が言った。
「買い物って……」
「買い物を助けて欲しい」
買い物を助ける、そう聞いてぼくが真っ先に思い浮かんだのは……、
「悪いが……金なら無いけど?」
何を買うかは知らないが、とんでもない高額なモノを買うとかでもなければ、助けてとまでアノ遊安が言うとは思えない。
ソドムでの買い物は、事前にネットバンク申請を行ったものだけが出来るはずだ。
ぼくは突然この世界に放り込まれたから勿論、金なんか無い。
一応、ソドムにはログインボーナスとして5000ポイントが支給されるサービスがあるので、5千円が携帯の電子コインとして入ってたのはこの前ゲーセンで確認したが。
ちなみにさっきぼくが母に買い物を頼まれた様に、ぼくの意志と関係なく脳内の人物に頼まれた買い物をする場合等は別だ。
疑似キャラクター達はネットコインではなく、今はあまり見掛けない硬貨や札というものを使用している。
母から渡された500円硬貨というメダルみたいなものを、僕はじっと見つめた。
(これがカネとはな…………)
ぼくの馴染みのゲーセンのコインと大差ない。
第一、この世界ではあまりカネが必要無いのが事実だ。
武器は思考で手に入るし、交通費や娯楽くらいだろうか。
勿論、車や家や宝石だって買えなくはないが、目的が殺人のソドムで車はともかく家や宝石は別段必要ないと思う。
メシは食べても食べなくても本当の自分の身になるワケではないからか、空腹というものはそこまで感じない。
あと身近で必要な欲しいものといえば、服くらいか……。
「平気。お金はある」
「えっ……? じゃあ、何だよ……?」
更に、解答から遠くなった。
「服を買うから、選んで」
「えっ? 誰が?」
「君が」
「だっ、誰の服を?」
突然の思いもしなかった申し出に、パニックになるぼくに遊安は目配せした。
自分の足元から、離れない少年を見つめる。
「君、このコの服をどう思う?」
「どうって……」
少年は、昨日と同じ真っ黒い服装だ。
しかし、所々汚れているし膝には擦りむいたのか穴が空き、靴もボロボロで、まあ、簡単に言えば小汚い。
相変わらず、頭に留まる蝶だけは鮮やかだ。
衣装だけは当初の設定時の支給と、現実世界にある自分のクローゼット内のものが再現される以外は購入する事になる。
恐らく、少年にはこの服1着しかないのだろう。
ふと気づけば、街行く人々が少年の事を見つめ、怪訝な顔をして通り過ぎてゆく。
「無駄とは思うけど、あまり目立つのは色々な面で得策では無いと思うから」
「なるほど……いや、待てよ、理由はいいとしても、なんでぼくが選ぶんだ?」
「君は、服を買った事が無いとか?」
「そりゃ、あるけど子供の服なんて……、オマエが選んでやれば良いだろ?」
「…………」
珍しく遊安が少し困った顔をして、黙り込む。
「ごめん。そういうの、わからない……」
そうして、何だか酷く悲しそうな表情になり、ぼくはとても申し訳無い気持ちで一杯になった。
「……わかったよ。普通ので良いんだろ?」
罪悪感から思わず、引き受けてしまった。
「センス悪いとか言うなよ?」
「ありがとう」
ぼくは、短く嘆息した。
子供服売り場でめぼしい物を幾つか見つけ、ぼくはそれを遊安に渡した。
「こんなんでいいんじゃないか?」
服なんて、自分のでさえ選ぶのが苦手なのに。
そう、思った瞬間──
『ねぇ、この服とかいいんじゃない?』
ふいに、頭の中で声が聞こえだした。
『良太郎さんにはこういうのが似合うよ……』
『服なんて……どれでもいいよ……』
(なんだ、これ……? こんなのいつの記憶だ……)
「どうかしたの?」
遊安がぼくをじっと見つめている。
「いや、なんでもない……。こ、この服でいいんじゃないか?」
「そう、じゃあこれを試着してみて」
今のはなんだ?
突然、頭の中で始まった記憶の回想。
こんな事、あったか?
ヤメロ、考えるなこれ以上はダメだと、どこかで警笛が鳴っている。
ぼくは、混乱する頭の中を落ち着かせようとして遊安の方へと視線を移した。
「どう? 着れる?」
「うん……大……丈夫…………。これで……平気……」
試着室のカーテン越しに、遊安と少年は話していた。
傍から見れば、仲の良い姉弟の様にも見える。
「そう。じゃあ、それにしましょう……」
遊安が、少し離れた位置から見ていたぼくに手招きする。
こういう場所は、やはり男のぼくにはなんだか居心地が悪い。
足早に遊安に駆け寄ると、全くの無表情で彼女は言った。
「
「……なぁ、その名前、もう少しなんとかならないか?」
「何?」
「いや、だからさ……その名前……」
流石に恥ずかしい。
脳内世界であろうが、周りにその特異な名前を聞かれていたらと、どうしても考えてしまう。
「何か呼ぶ事で不都合が?」
「いや、その……通称じゃない名前とか、それ以外に呼び方ないのか?」
そりゃ脳内世界では、どんな名前でも違和感は無いのかもしれないが、なんだかちょっとそれを呼ぶには抵抗があった。
「本名は、[アゲハ]。[
「アゲハ……、本名まで知ってるって事は、脳内世界だけじゃなく、現実でもやっぱり知り合いなのか?」
遊安は、頷き首肯した。
「オマエとの関係は?」
遊安は少し小首を傾げ、少しの間を置いてから答える。
「友達、かな?」
「友達、ね……。なぁ、
遊安は悲痛な面持ちで、首を横に振った。
「
「どういう意味だ?」
「この世界で一番強いモノは何だと思う?」
「はっ? それは、だからその
「違う。
「より残虐に殺す……」
「そう。だから決して強いとはいえない」
「じゃあ、誰が強いっていうんだよ?」
「……子供」
「子供?」
「そう、彼らは制限が無い、純粋に全ての存在を認める。ドラッガーの世界では自分の本来経験した事や見てきた事しか再現出来ない。大人にはそれが足かせになる」
「無意識に、現実とよりリンクさせようとするって事か?」
「そう、現実にはありえない事を大人はここで再現出来ない。でも子供は違う、なんだって出来る。本当なら出来るはずが無い事が出来る、やりたい事がなんでも出来る。虫を操ったり、自分の頭の中の空想の虫をリアルにここで再現出来る。何故なら、彼らの思考はいつも空想との狭間にある様なものだから……」
「狭間……」
「そう。だからアゲハは利用された……」
つまり、
そいつが遊安になんの恨みがあるのかは知らないが、それに何故ぼくが関係してくるのか、一番知りたい事はコレだ。
「なぁ……オマエ、まだ何かぼくに隠してるだろ?」
遊安は、沈黙した。
「何故ぼくが傷つくと、オマエが傷つくんだ?」
「……………」
また、だんまりかよ。
「ぼくだって、突然こんな事に巻き込まれて正直なにを信じていいのかわからない。だからオマエだけは……」
いつの間にか、遊安の側には黒のハーフパンツとパーカーを着たアゲハが立っていた。
「真実を話して欲しい……」
「この話しは、また今度」
そう言うと、アゲハを連れ会計をする為に店の奥へと行ってしまった。
遊安は、やはり何かをぼくに隠している。
そんな気がする。
ナゼぼくが狙われるのか、ナゼ遊安はぼくを守るのか……。
わからない。
でも、ぼくはこの二つの答えがぼくが狙われる理由に通じてるんじゃないか?
憶測でしか無いが、そんな考えがまだ確信ではないけれどぼんやりと浮かんだ。
「お待たせ、ありがとう」
会計を済ませた遊安と、その後ろには真新しい服を着たアゲハが、ぼくの方へと近付いて来た。
「良いのを見つけて貰えて良かった」
「う……ん…………」
多少不安だったのだが、二人共ぼくのセンスを批判しては来ない。
それどころか、
「……あっ……ありが……と……うっ……」
初めて、アゲハに口を利いて貰えた。
ぼくは、気恥ずかしくなり「あっ……あぁ……」とだけ、これまた愛想の無い返事とリアクションをしてしまう。
そんな無愛想なぼくに脅えたのか、アゲハはまた遊安の後ろに隠れてしまった。
(やっぱ、嫌われてんのかな……)
行く宛ては特に無かったが、歩き出す。
とりあえず、これでアゲハが奇異な目で周囲から見られる事は無くなったワケだ。
普通にしていれば、周囲の子供とも何ら違いは感じられない。
異能力を持った殺人鬼だなんて、誰もコイツを見ても思わないだろう。
確かにここで目立ち過ぎるのは得策ではない気がする。
抗戦的なヤツらがどこに潜んでいるとも限らない。これは正しい選択だったと思う。
「もうこれで、買い物は終わりか?」
「うん、わざわざこんな所まで着いて来てくれてありがとう。もう、大丈夫」
(…………アレ?)
まただ。
何だろう、ぼくは、今これと全く同じ場面に遭遇した事がある。
俗に言う、デジャ・ヴュってヤツか?
だが、そんなはず、あるワケは無い。
遊安とぼくが買い物に来た事なんて少なくともぼくの記憶には無いし、第一、遊安と知り合ったのだって最近だ。
それなのに…………。
やはり何かが……オカシイ。
「どうかした?」
不思議そうに、遊安がぼくの顔を覗き込んでいた。
「いや、その……、変な事を聞くかもしれないんだけど……ぼくは、君に前に会った事があったか?」
口から、自然に出て来た疑問だった。
遊安の瞳が一瞬気のせいか見開き、揺らいだ、そんな気がした。
何だか、気まずい空気を感じ、取り繕う台詞を探す。
「いや、あっ、あのさ! 勘違いだと思うから、気にしないでくれ」
「…………」
遊安は、何も答えてくれない。
「まさか……どこかで、会ってるのか?」
溜まらず、もう一度同じ質問をぶつけた。
「会っていない」
二度目の質問は、即答だった。
「そうか…………」
何か、納得が出来ない。
しかし、これ以上の詮索はもう無駄な気がして、ぼくは、聞く事を留めた。
何より、今それを聞くのがとても恐ろしい事にぼくには思えてならなかったのだ。
今は、ダメだ。
そうどこかで誰かに言われている気がした。
「……あっ……、アレは……何ですか……?」
二人の不穏な空気を割って、アゲハが遊安の後ろから顔を出し、行く先の向こうに見えるゲームセンターを指差す。
「ゲーセン、知らないのか?」
アゲハは、怖ず怖ずと遊安の後ろから、ぼくの様子を伺い小さく頷く。
「あれは、ゲームセンターという場所。体感型から景品が取れるものまで、様々な種類のゲームがある娯楽施設」
そんなマニュアルでもあるのかと言いたくなる説明が、遊安からは発された。
「……ゲーム……遊べる……トコ……?」
アゲハの顔に、初めて見せる好奇心に満ちた子供らしい表情が見え、ぼくはこいつが本当に子供なんだと妙に納得した。
「行ってみるか?」
コクんと頷き、アゲハが遊安の制服を掴む手に力を入れている。
このゲームセンターは、ぼくがよく行く場所とは違うゲーセンだ。
設備が新しく、子供向けの景品が貰えるゲームや、体感型の乗り物なんかがある、ファミリー向けのゲーセンといった場所だった。
アゲハは、ゲーセンへ入ると一目散に、可愛いピンクのウサギのぬいぐるみが積まれたゲームへと走り寄る。
「…………可愛い……」
目を輝かせ、ジッとぬいぐるみを見つめている。
「欲しいのか?」
アゲハは、それには答えず、そこから目を離さない。
「ちょっとどいてみな?」
ぼくは、そのゲーム機に自分の携帯を翳した。
電子コインが投入され、目の前に現れた、操作パネルの電光が、ピカピカと明滅する。
パネルを指でスライドさせ、ガラスケースの中のハンドルを操作して、ぬいぐるみを取るゲームだ。
ガラスのケースの中にある山と積まれたウサギに、ぼくの手が突っ込んでいく。
勿論、本当の手では無い。
ぼくの手首から下のデータをコピーし、無機質なギミックに透写した[手]だ。
その昔、[UFOキャッチャー]と言われていたゲームの進化系で、[ヴァーチャルキャッチャー]というのが正式名称らしい。
上手い具合にウサギを掴んだぼくの手だったが、もう少しでクリアという所で落としてしまった。
「結構むずかしいな……」
この前、古いタイプのヤツをやった時は上手く出来たのに、最新式のは勝手が違い思ったより難易度が高い。
もう一度、課金。
しかし、また結果は同じだった。
掴むタイミングが、なかなか上手くいかない。
ムキになって、ぼくは半分くらい所持金を使ってしまった。
「代わって」
見兼ねた遊安がぼくの肩を叩き、交代でパネルの前に立った。
「これ、結構見た目より難しいんだぞ?」
今だムキになって熱の冷めていないぼくは、遊安の背中に負け犬の遠吠えの如き台詞を浴びせた。
『ティロリロ~』
高らかな電子音が響く。
見ると、遊安は一瞬でウサギを掴み、ゴール地点に颯爽と運び、既に彼女の手にはピンクのウサギのぬいぐるみがあった。
「えっ? まさか、そんな一回で!?」
「簡単だった」
「やった事あったのか?」
「初めて」
「……あ~……そうっ」
遊安は、一瞬でゲームをクリアし、一瞬でぼくのプライド的な物もクリアにした。
ぼくは思った。多分遊安に勝てる事は一生無いかもしれないと……。
ガックリとうな垂れるぼくの背中を、後から誰かがつんつんと突く。
振り向けば、おずおずとアゲハがぼくを見つめていた。
「コレ…………あげます……から」
うさぎが取れずしょげていると思われたぼくに、アゲハが大事そうに握っていたモノをそっと手渡して来た。
見るとソレは、リアルなゴキブリのおもちゃだった。
「ひっ……」
「……元気……出して……くださ……い」
苦手なゴキブリのリアルな玩具は、今のぼくには泣きっ面に蜂なのだが、アゲハの好意を無下にしてこれ以上嫌われたくはないので、やせ我慢しつつも有り難く受け取る事にする。
「あっ、ありがとう……」
ウサギの代わりが、ゴキブリというのも理解不能だが、アゲハなりの慰め方なのだろう。
「……ウサ……ギ……いいな……」
アゲハは羨まし気に、遊安の手にあるウサギを見ていた。
「あげる」
目の前にウサギを出されてアゲハは目をキラキラと輝かせながら、しかし、少し戸惑った様子でウサギと遊安の顔を交互に見た。
「コレは、アゲハが似合うと思う」
「でも…………」
「コンニチハ! ボクの名前はロビーだよっ! よろしくね」
遊安のその言葉に、アゲハは今まで見せた事が無い満面の笑みで答え、ウサギを受け取りギュッと抱き締めた。
でもぼくは、正直アゲハの微笑みより、遊安のそのウサギぶりに驚いた。
遊安に対するイメージがなんだか変わった瞬間だった。
ゲーセンを出たぼくらは、宛てもなく繁華街を歩いていく。
それは不思議な気分だった、感じた事の無い気持ちだった。
何だか、今この場所に存在する全てが、もしかしたら実験なのかもしれないと、そんな風に感じていた。
でも、だとしたらなんの実験だ?
幾ら考えてもぼくに答えなど、見つからないのかもしれない。
だけど……、それを考えずにはいられなかった。
「……ぁっ……ぁの……ね…………」
アゲハが立ち止まり、遊安の袖を引っ張る。
「何?」
遊安は、アゲハの方へ振り向き、首を傾げた。
「ぉ……なか……すいた…………気がするの」
微かに顔を赤らめて俯き、か細い声で訴える。
子供はそういう感覚には正直だ。
「もう昼過ぎか……なんか食うか?」
ぼくの問い掛けに、アゲハは消え入りそうな声で、
「ぅ…………んっ……」
と返事をすると、遊安の腕にしがみつく。
「はぁっ……、いい加減慣れてくんないか?」
自然と、溜息が出ていた。
しかしおそらくこの様子では、それは当分無理そうだ……。
ぼくは、やれやれとばかりに苦笑いで、前方に見えるファミレスを指差した。
「あそこでいいか?」
遊安とアゲハが、ぼくの指差す方向を見つめる。
「私は、どこでも平気。アゲハは?」
「…………へぃ……き……」
「じゃあ、行くぞ」
ぼく達は、ファミレスへ向かう事にした。
遊安とアゲハの前を歩くぼくは、途中、ビルの上にある大型ヴィジョンにニュースが映っているのに気が付いた。
『……日から三日間、連続で起こっている猟奇殺人事件で、警察は本日未明に発見された遺体が、同一犯の可能性があると見て……』
殺人…………。
また、新しい殺人鬼……?
一体、何人の殺人鬼がここにいるんだろうか……。
ニュースにまだなってないものも複数あるだろうし……、それでもここ数日の殺人事件の報道量はとんでもなく多い。
ココは殺人鬼の街なんだから仕方ないといえば、そうなのだが……。
「良太郎?」
立ち止まっているぼくに、遊安が怪訝な顔をして呼び掛ける。
「あっ……、ゴメン。何でも無い……」
遊安が、ぼくの見ていた大型ヴィジョンの方を見た。
「殺人鬼……」
遊安が呟く。
「いや、だからといってすぐ襲って来るとも限らないし……」
ぼくは、自分に言い聞かせる様にそう言って、何も感じ無かったフリをし、また二人の前を歩き出した。
ファミレスは昼時の時間を上手くかわしていた事もあって、大分席も空き、店内も落ち着きを取り戻しつつある様だ。
ぼく達は窓際の席に通され、テーブルの上に表示されたメニュー画面に目を通した。
脳内世界では、本来食事を取らなくても死んだりはしない。
この世界での食べるという行為は、美味いとは思えるし空腹感を感じる事は出来るから一種の娯楽的要素の一つといえるだろう。
ただ実際に食事をするワケではないから、現実の自分は別だ。
なんらかの措置をしてなければ、現実では餓死、脳内で突然死もなりかねない。
脳内でいくらメシを食っていても、現実には栄養失調だ。
そう考えると、ぼくは現実の自分の体が心配になった。
ともかくここから早く出ないとな……、そう気持ちを奮い立たせる。
今はとりあえず、仮想でも腹ごしらえして落ち着こう。
「ファミレス久しぶりだな、何にしようか……」
「私は、キムチ納豆クリームパスタ」
遊安は、メニューを開いて数秒でスライドさせ閉じると、その得体の知れないメニューを呟いた。
「……なぁ、それ、美味いのか?」
「さぁ、食べた事無いからわからない。ただ、私はキムチも納豆も好き」
「いくら両方好きでも、味の想像がつかないもん頼むかよ?」
「平気。大概の物は口に入れたら飲み込める」
「何だよそれ……」
よくわからない理屈をこねられる。
「お前はどうするんだ?」
先程から、ずーっとメニューを直視したまま微動だにしないテーブルにのめり込み気味なアゲハが、ぼくの問いにチラッと顔を上げた。
「ぁ……ぁ……の……チョ……チョコ……パフェ……」
「チョコレートパフェ? それって、メシ?」
アゲハは、体を思い切りビクつかせ、テーブルの下にすっぽりと入り込んでしまった。
よく見るとテーブルは、小さくカタカタ揺れている。
「えっ? いや、別に怒ってるワケじゃ……」
「良太郎!!」
遊安が珍しく、語気を荒げて叫んだ。
「めっ!!」
続けて、まるで母親が小さな子供を叱り付けるみたいな台詞で怒られる。
とは言っても、遊安の無表情っぷりはいつもと変わらない。
本気で怒っているのかどうかは、何とも言えない。
「わっ、わかったよ、悪かったよ。いいんじゃないか? チョコレートパフェ……食いたい物は食いたい時食わなきゃな?」
とりあえず、その場は謝罪しておく事にした。
「そうだよ~、食べたいモノは~、食べたい時に食べないと~……」
突然、ぼくらの隣のテーブルから見ず知らずの女性が話し掛けて来た。
「だって~、食欲って~、止まらないじゃな~い? 食べるって~素晴らしい事だよ~」
年齢はわからないが、おそらく二十代前半、金髪の髪をフランス人形みたいにクルクルと巻いている。
長い睫毛と、パッチリとした瞳。
カナリ華奢な身体つき、ロリータファッションというのだろう、フリルとレースで彩られた真っ白なワンピースを着て、お揃いの白いリボンで髪を二つに結っている。
「あたし~、食べるのって~だぁ~い好きなのぉ~っ……」
女性のテーブルの上には、一人で食べたとはとても思えない枚数の皿が散乱し、積み上がっていた。
「でも~、どうしてかしら~? 食べても食べても食べても食べても……、お腹いっぱいにならないのよねぇ~っ……」
そう言うと、料理が乗っている最後の皿を手に取った。
赤い部分が目立つレアステーキ。
血が滴ってさえ見えるその肉をナイフで刺すと、真っ赤な口紅で塗られた小さな唇が裂ける様に拡がって、肉に喰らいつく。
「……ん~っ……美味しい~っ……」
わざとらしいほどに、グチャグチャと粘着質な音を響かせて、女性は肉を飲み込んだ。
ぼくらは、何も言葉を発する事無く、ただ彼女を呆然と見ていた。
一瞬にしてそれを平らげると、唇の周りに付いた赤みがかったソースを舌舐めずりして、口元をナプキンで綺麗に拭い立ち上がる。
そして何故か彼女は、ぼくの方へと近づき耳元で囁いた。
「……い~っぱい食べて、美味しくならなきゃね~……」
「……えっ……?」
「んふふふふっ」
彼女は、フラフラと出口に向かって行ってしまった。
ぼくは、状況が良く飲み込めず、ただ、空席となった隣のテーブルの空いた皿を見つめていた。
「良太郎? 大丈夫?」
遊安の声で、ふと我に返る。
「何かあった?」
(今の女性は……)
「いや……、なんでも無い」
(殺人鬼……か?)
だとしても、ぼくを襲ってくる気配は今は感じなかった。
ここにいる全ての殺人鬼が
「良太郎?」
「何でも無い、ぼくはコレにする……」
すぐに、皿からメニューへと視線を移したぼくは、適当なモノにしてしまい、後々後悔した。
食事も一通り終わり、アゲハがチョコレートパフェの6杯目のお代わりを何とか止めたぼくは、自分の皿に残る苦手なカキフライを意を決して、水と共に飲み込んだ。
適当に頼んだフライプレートは、カニクリームコロッケと海老フライ、そしてメインはぼくの苦手なカキフライだった。
本当は残すつもりだったのだが、皿に残ったカキフライを遊安が凝視して圧力をかけて来たのだ。
格闘の末、そいつをどうにか食い終わったぼくは、洗ったのかと見間違うほど、見事なまでに綺麗にパスタを完食している遊安を見た。
「それ、そんなに美味かったのか?」
遊安は、少し沈黙して、更に首を傾げ、斜め上に視線を移す。
「……キムチと納豆と、クリームの味がした」
「それ、味が絶対分離してるよな……、別々の味って……」
「三者三様」
「なんのフォローにもなってないぞ?」
未開のパスタの味は、結局良くわからず。そろそろ、店を出ようとしたその時。
窓の外に見える大通りを、見覚えのある人物が歩いている事に、ぼくは気付く。
浅沼だ!
学校が休みな事もあり、暇を持て余して、ココまで遊びにでも来たのだろう。
だが、ぼくの視線はもう一つの別の存在に釘付けとなった。
白いフリフリのワンピース。金髪の縦ロール。
さっきの女だ!
さっきの女が何故、浅沼と!?
ぼくは、ジッと彼らに視線を送り続けていた。
ぼくの視線に気付いた女が、振り向き、そして酷く歪んだ微笑みをぼくに向けて来た。
(アイツ───!?)
ぼくは、思わず席を立ち上がる。
突然立ち上がったぼくに、遊安とアゲハの視線が集中した。
「悪い、ぼくは先に出る」
「ぇっ……ぁの…………?」
「良太郎……行ってはいけない」
遊安はいつもの淡々とした口調だった。
しかし、その目にはなんともいえない強制力があり、ぼくは一瞬体の動きを止めた。
「なん、でっ……!?」
「……忘れた? ここにいる人は、殺人鬼以外全て現実に存在する人ではない。頭の中の妄想の人たち。実際の人物と関係も勿論無い」
やはり遊安もさっきの殺人鬼には気づいていたか、そしてそいつの犠牲者に浅沼が選ばれてしまった事もどうやらわかっているようだ。
「助けたところで何になるというの?」
「そうだけど……」
「浅沼君も現実の浅沼君ではない。脳内空間の存在、この世界で死んでも死ななくても現実は変わらない……」
「そうだけど!!」
わかってる。遊安の言いたい事は……。
コレは、ぼくをおびき寄せる為のワナなのかもしれない、そうでなくとも自ら危険な事に首を突っ込もうとしているのもわかっている。
でも、例え現実ではなくとも、目の前で親友が無惨に殺されてしまうのを何もせずにただ傍観しているなんて、どうしてもぼくには出来ない。
「悪い……ぼくは行く」
遊安は止めても無駄と悟ったのか、何も言わずにぼくを見つめていた。
「あっ、えっ……あの……」
アゲハがおろおろとしている中、テーブルの上でタッチパネルを操作し、自分の分の支払いだけを済ませる。
驚いた顔をしたアゲハと、冷静なままでぼくを見つめる遊安を置いて急いで店を出た。
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