疑惑の狂信者



翌日、いつもと同じ様にぼくは学校へ向かう。



[ソドム]の中で見た、最寄り駅、学校までの通学路、行き交う人々。

 


意識していなかったがやはりアレは、

ぼくの脳内に集積されていた情報の全てを細かく再現していた。



一瞬、ぼくはまたココが現実か脳内世界なのか混同し初める。

 


プァァァァァーン!

 


けたたましいクラクションが耳に届き、自分が交差点の真ん中にぼーっと突っ立ている事を自覚した。目の前を大型トラックが通過していく。




ココは[ソドム]じゃない……リアルなんだ。


そう確信して、学校への道をゆっくりと歩き出す。


ぼくの通う高校は、創立150年という立派な歴史と、今どきまだあるのかという古い校舎が売りだ。高層ビルでもなければ、大学さながらの整った施設が完備されているワケでもない。大人たちが、懐かしいこういうのが本来の学校、という理由だけで存在している。


もちろん、最近ほとんどの学校にある様な安全対策の為の生徒手帳を機械に翳して校舎に入るとかもない。


しかし運良くまだ校内に不審者は入って来た事が無い。 

 

ぼくは校門から動く歩道なども使わずに徒歩で校舎へ向かい、巨大なエスカレーターなどではない古い階段を昇り、いつも通りの時間に教室に着いて、自分の席に鞄を置く。


クラスメイト達は、いくつかの輪を作り、ザワザワと昨日までの連休の話にあちらこちらで花を咲かせていた。


その一つからぼくに気付いた浅沼が、コチラに手を振りながら近付いて来る。


「オッス! 良太郎」


「あぁ、浅沼、昨日は……」


途中で急にいなくなってゴメン。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


いや、あれは違う。[ソドム]の中で起こった事だ。


「昨日? なんかあったか?」


「いや……、何でも無い……」


浅沼は不思議そうに、ぼくを見つめた。


「オレ、昨日まで親父の田舎にいたんだけどさ~、いや~、もう、なんもほんとな~んもなくってマジヒマだったわ~。良太郎は?」


「家で寝てた」


後は取り留めの無い話しを交わし、教室に担任が入って来るまでの時間は過ぎていった。


朝のHRが始まると、マニュアル通りの様な「長い休みを空けると気が弛む」だのという担任からのメッセージがあり、続けて「転校生を紹介する」という、突然の告白を受けクラスは一気にどよめき出す。


時期的にも珍しい、尚且つ転校生という毎日同じ日々を繰り返す学生にとっては、日常のささやかな変化に色めき立っていた。


「入って来い」


担任が廊下に声を掛けると、そいつは静かに教室に踏み入って来た。


「………………!?」


その姿が、ぼくの視界に入って来た瞬間。


ドクリと心臓が脈を打つ。


『どうして!? どういう事だ!?』


何度も何度も何度も、呪文の様に頭の中で連呼する。

 

黒いセーラー服、腰までの黒い髪、白い肌。

 


間違いない! 彼女だ!

 


ぼくの殺人の邪魔をした、アノ彼女が確かにそこには存在していた。


あまりの事に、情けなくも思わず自席から転げ落ちそうになるところだった。


「今日からこのクラスでみんなと一緒になる、遊安 ゆあきずな 君だ」


「遊安 絆です。よろしくお願いします」


間違いない! 彼女から発っせられた声も、アノ時と同じだ。


ぼくは、やはりバット・トリップでも、してしまっているのだろうか。


でなければ、ぼくの脳内世界に登場して来た彼女が、現実の世界に現れるなんて事は有り得はしない。


相変わらず激しく、心臓は脈を刻んでいる。


[遊安 絆]と現実世界で名乗る少女は、教師に促されぼくの斜め前の空席に静かに座った。


ぼくが彼女を凝視しているのに気付いた隣の浅沼が、コソコソと耳打ちして来る。


「お前、ああいう子が好みなのか?」


ニヤニヤと笑みを向けて来るが、ハッキリ言って今、浅沼の冷やかしに付き合ってやれるほどの余裕がぼくには無い。


「いや、違う」


恐らくぼくは、その時とても恐い顔をしてしまっていたのだろう。浅沼が少し顔を引き攣らせて、


「悪かったよ、冗談だって~」


と、すぐに謝罪して来たぐらいだから。


休み時間になると、お決まりの様にクラスの女子達は[遊安 絆]の周りに集まって、質問の集中放火を浴びてせていた。


席が近い事もありその問答は、特に意識を集中させなくとも、ぼくの耳へと入って来る。


「遊安さんて、前はどこの学校だったの?」


「ここよりずっっと田舎の方、お父さんの転勤でコッチに来たの」


「髪綺麗だね~」


「ありがとう! 小さい頃からずっと伸ばしてるの」


[遊安 絆]は、女子達の質問に一つずつ丁寧に答えていた。


疑似世界の時の口調とは、全く違う。


以外だった、容姿や雰囲気からいって近寄り難いイメージの彼女だったが、明るい表情と丁寧な受け答えでたちまちクラスの女子(男子もだろう)達から好感を得ていた。

 

そんな彼女の振る舞いから、幾分かぼくは[ソドム]で出会った少女と、やはり彼女は違うんではないかという、そんな考えに至っていた。

 

 



その日。


ぼくは、[遊安 絆]の事は頭の片隅に置いておきながら、気にする事を極力避けた。


彼女が、例の少女と関連性があるかどうかはわからない。勿論、ぼくの考え過ぎだという事もあるだろう。


脳内の中に突如現れた謎の少女に、今日現実に転校して来た女の子が酷似していたなんていう、余りにも出来過ぎた展開には、流石のぼくも冷静になれば馬鹿馬鹿しいとさえ思えて来たからだ。


その後もクラスメイト達が、[遊安 絆]を取り巻いて、楽しそうに微笑み合う様子をちらっと横目で見ただけで、特に会話を交わす事もなかった。




「良太郎、ゲーセン寄ってこーぜ」

 

放課後は浅沼の誘いに乗って、普段通りに近くの繁華街にあるゲームセンターに立ち寄った。ココは昨日、ぼくが[ソドム]の中で、殺すヤツを決めたあの場所だ。


改めてその場所に来てみると、現実世界と脳内世界は幾分の違いも無く、最早どちらが現実なのかわからなくなり、ぼくの視界はクラクラした。


昔からよく三人で来ていた場所なだけに、ぼくにとって特別な思い入れのある場所な事も目眩の原因の一つかもしれない。




……? 三人って誰だ? ぼくと浅沼と……それから──



「おい? 大丈夫かよ?」


ぼくの半歩前を歩く浅沼が、不安気な顔をして見つめていた。


「あぁ、悪い……大丈夫だ」


「まっ、連休明けだもんな。オレも、なんか今日は一日ダルかったんだ~。コレが、かの五月病ってヤツか?」


「お前は万年五月病だろ?」


「いやいやいや、オレだって毎日毎日ダルいワケじゃないぞ? 連休明けだからなんだよこのダルさは」


「確かに、休み明けの学校はいつもよりダルいけど……」


「だよな~……」


「アズなんか休みなのに、部活で学校行ってた……」


「アズって、妹のアズちゃん!? いいな~、オレにもあんなカワイイ妹がいたら、この怠い日常が輝かしいモノへ変わるというのに……」


浅沼は、何度かウチの妹とは面識がある。


しかし挨拶を交わすだけの間柄では、おせっかいで口うるさく以外と男勝り。というアズの内面を知らない為コイツの中では可憐でおしとやかな美少女に変換されてしまっている。


「お前は幸せモノだな……」


「はぁ? 何がだよ? 幸せモノは良太郎だろうが!? あんな可愛い妹が、一つ屋根の下にいるなんてさ~」


(本当に、お前は幸せ物だよ浅沼)


ぼくは小さく溜め息を零し、それ以上の反論を浅沼にはしなかった。


その後は、いつもと同じだ。


二人で馴染みのゲームセンターに行った。


いつもの様に入口でコインの交換機に携帯を翳し、電子マネーでゲーム機用コインを買う。


(あれ? 五千円多いな……母さん小遣い早めに入れてくれたのか?)


その後は特に変わった事もなく、浅沼が得意の音楽ゲームで高いスコアを出し上機嫌でぼくにジュースを奢った。


VRゲームがほとんどというくらいの今、こういった昔のゲームはレトロだとか懐古だとか言われ、一部のゲーマーにはもてはやされている。


脳内世界を体験して、ぼくは思う。ゲームはゲームであるからこそ楽しいのだ。


その世界を体感し現実化することは最初こそ興奮するかもしれないが、後になって後悔する事もあるのだと……。


ぼくは、昔のテーブルみたいなゲーム機で古い映像のシューティングにしばらく夢中だった。



そうして気が付けば、時刻は19時を過ぎていた。


「そろそろ帰るか」


帰り際、店の前にあるやけに年期の入ったゲーム機に目がいく。


ガラスのケースにはぬいぐるみが詰められており、金属製のアームをレバーで動かしてそれを取るというものだ。


「うわ、そりゃ化石もののゲームだな」


浅沼がケースに張り付いて、ぬいぐるみとアームを交互に見て言った。


「アレ、取れそうだな」


ぼくは、ゲーセンで換金したゲーム用メダルを投入し、レバーの先端に付いた赤い丸を動かした。


「おおっ、スゲーやるじゃん」


「……妹にでもやるよ」

 

 

黒い猫のぬいぐるみが一匹、アームに掛かった。






ゲームセンターを出て、お互い駅までの道を歩き、浅沼とは別れた。


駅からぼくの家は、15分くらいだ。もうすぐ季節も夏になる、少しじめっとした空気が纏わり付くが、微かに頬に触れる風は心地が好い。


いつもの日常に身を置くと、やはり昨日の異質な体験が夢や幻だったんじゃないかという思いに駆られた。


ふと、ぼくは思う──


『ぼくは、本当に昨日、[ソドム]へ行ったんだろうか?』

 


そんな疑問で、頭の中をいっぱいに満たしていたそんな時だ。


微かに湿気を孕んだ風に、僅かにだが違和感のある臭いが混じっている。


それは、何処かで嗅いだ事のある様な、胃袋から込み上げて来る不快感から、決して良いと種類分けが出来ない臭いだ。

 


錆。しかし、生臭い。



そう、これは多分、血だ。



辺りを見回す。


繁華街から少し離れた、住宅街へと続く大きな十字路。まだそんなに遅いという時間でも無いが、人影は皆無だ。


いつの間にか、街灯の明かりに照らされた電柱やガードレール、ぼくの姿が道に影を落としている。




ズッ……ズズズズっ……




立ちすくむぼくの後ろで、何かを引き擦る様な音が聞こえて来た。




ズズズズッ……ズズッ……




(なんだ……?)


すぐに振り向く事が出来ない。いや、ぼくの中で今、振り向いてはいけない、そんな気がしてならなかった。



ズズズズッ……



音はどんどん近付く、それと共にあの生臭い錆の臭いも更に強くなって来る。



ズズズズッ……ズズズズッ……



音はもうカナリ近い。


ぼくは、とうとう好奇心と恐怖から、つい後ろを振り返ってしまった。


視界の先には、影があった。

 

5メートル以上、そいつとの距離はまだあるが、明らかにそこにポツリと佇んでいる。



ズズズズッ……という音と共に、影はまた一歩、ぼくに近付いて来た。


街灯の真下に、影が移動するとはっきりとぼくは、その影の主を確認出来た。

 


女がいた──


 


細く華奢な身体、顔は俯き良くわからない。


修道服というのだろうか、黒と白のシスターの様な格好をしている。


更に、女の足元には黒く長い箱があった。


恐らく、アレを引き擦る音がアノ音なのだろう。


ぼくは、箱がなんなのか気になって凝視した。



黒く長い箱。



『棺……アレは棺か?』



ズズズズッ……ズッ……



また一歩、棺を引き擦るシスターが、ぼくへと歩み寄って来る。



「ねぇ……ちょーだいよ~」


呟く様に女は言った。


「ねぇ~……欲しいの……」


それと同時に女は、足元の棺を思い切り蹴り上げる。


ぼくは、ただ呆然とその様子を見つめていた。蹴り上げられた棺は、その衝撃で蓋が上に持ち上がり、まるで手品でも見ているみたいに、中からシスターが二つの影を取り出す。


雲間に隠れていた月が顔を出し白い光に照らされたそれは、二本の鋭利な鉈だった。


「いいでしょお~……ちょ~だいよ~」


鉈からは、強烈な生臭い錆の臭いがする。


月光の下でシスターの顔がはっきりと見えた。


白い陶器の様な、マネキンみたいな顔。


表情は無い、ただ赤い唇だけが呪文みたいに同じ言葉を吐き出す。


「ちょ~だいよ~!!」


シスターみたいな女は突然、ぼくの方へと駆け寄り、その両手に持った鉈を目の前で振り下ろす。


鉈は空を切り裂き、ぼくの鼻先を掠めた。


「ぅわっ!?」


訳がわからない。


突然、ぼくは今しがた会ったばかりの女に鉈で切り付けられそうになっている。


女は、酷く残念そうな表情をしていた。恐らく、ぼくの身体に傷を付けられなかった事が悔やまれているのだろう。


そうして、ぼくが躱した事が解せないとばかりに小首を傾げた。


「よけちゃだめでしょ~?」

 

女は笑顔で更にもう一度、鉈をぼくに振り下ろした。


「ひっ!」 


防衛本能というのだろうか、ぼくは思わず両手で顔を庇っていた、目を閉じているのではっきりわからないが、痛みが無い事から今度も女は空振りだったのだろう。


そっと目を開けると、右手に持っていたさっきのゲーセンで取った猫のぬいぐるみの頭が吹っ飛んでいた。


「あら~……」


女は転がるぬいぐるみの首を笑顔で見つめている。 


(コイツ狂ってる!)


早く逃げなければ、ぼくは走った。


ドコに逃げればいいかわからないがともかく走る。


すると、三叉路の先にライトを灯した自転車が見えた。





「君、どうかしたの?」


運が良い、巡回中の警官だ!


「あっ、あの、ぼく、変な女に……」


息も絶え絶えになんとか助けを求めた。


足が震えて立っていられず、思わず警官の制服を掴みながらその場にしゃがみこむ。


「えっ? ……おん……な──」



ベキョっ──!!



あまり聞いた事が無い音がした。


しいていうなら、強い風で木の枝が折れた時に似ている。


見上げると警官の首があり得ない方向に折れていた。


「あっ……ガガガガガガッ……ヒュゥ」


警官の目は見開かれ、自転車をひいたまま細かく痙攣している。


ドス黒い血を首根から壊れたシャワーみたく吹き出させ、頭と胴体は薄皮一枚で繋がっていた。


ぷらんとその外れ掛けた首がぼくの方を向く。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────!!」



その後ろには、いつの間にか血まみれの鉈を持った女が笑顔で立っていた。


女は警官の頭を勢いよく首から引き剥がし、体を自転車ごと蹴り飛ばす。


『逃げないと!! 殺される!!』


混乱する思考の中、とにかくその場から逃げ出さなければいけないと思ったぼくは、鉈を再度振りかぶった女に背を向け走り出そうとした。



昨日、脳内世界で人の命を奪おうとしていたぼくが、今日は、リアルで殺される側となっている。



やっぱりこの世は理不尽だ!



いや、多分他人に命を奪われる事なんて、誰にとっても奪われる側からしたら理不尽なモノだろう。


そして、マヌケなものだ。


こんな時によりによって足を縺れさせ、アスファルトに思い切りダイブしてしまった。


日頃の運動不足が悔やまれてならない。


起き上がろうと必死にもがくが、身体に力が入らないのだ。


振り向けば、鉈を持ったシスターが口が裂けるほど開いた満面の笑顔を向けて鉈を振り上げていた。



あぁ、ぼくは……やはり奪われる側なのか?



絶望とも後悔とも付かない、そんな感情が溢れ出す。


小さい時に、なんの迷いも無く蝶の羽根をもいだ事があった。


あの時、あの小さく無力な蝶でさえ、羽根をもがれる事を抵抗したというのに。


ぼくは、どうだろう、命を正に奪われ様としているというのに、力が出ない。全くの無抵抗だ。


なんと、ぼくは無力なんだろう。そう思い、目を固く閉じた。


しかし、目の前に暗闇が覆いかぶさってから数秒、時間にするなら30秒以上経っても、ぼくの体には頭の中で予想されていた痛みも衝撃も感じられなかった。


(どうした? 何故殺されないんだ?)


戸惑いながらも、ぼくは考えた。


もしかすると、脅えるぼくを見て楽しんでいるのか?


目を開けた瞬間にぼくの体を、思い切りアノ鉈で切り裂く算段なのか?


頭の中は、様々な思考や憶測でいっぱいになっていく。それでもまだ、ぼくは殺されない。


限界だった、もうどうなっても構わない。


目の前の状況を確認する!


ただ、その欲望だけがぼくの思考を支配した。

 


ゆっくりと、瞳を開くとそこには──



ぼくの前で盾の様になっている黒いセーラー服姿の人物がいた。


「遊安……絆!?」


紛れも無い、それは[遊安 絆]だった。


よく見ると彼女は、片手に持った細いナイフの様なモノ一本で、シスター女の鉈を受け止めている。


ナイフ? いや違うあの時と同じアレはメスだ。


静かに、まるで時が止まったかの様な攻防だった。


「遊安……?」


ぼくは、まるでストップモーションにでもなっているかに見える、彼女に声を掛ける。


キンっ! という鈍い音を響かせ、遊安の刃先とシスター女の鉈が離れた。


「逃げなさい」


遊安は呟く様にそう言いながら、ちらっとだけぼくを振り返り見た。


動転したぼくは、遊安の袖を掴む。


「オマエは!?」


「いいから早く!」


声をやや荒げて、彼女は叫んだ。


「ナンデ~? ナンデ邪魔するのさ~? アタシの楽しみを横取りするのさ~?」


シスター女は若干後ろに下がり、遊安との距離を取りながら眉をヒクヒクさせ唇に歪んだ笑みを浮かべ問い掛ける。


「……それが、私のここにいる理由だから」


「あ~……なるほど~、あんたが噂のランカーか~? 突然出て来て、最近やたら殺しまくって点数稼ぎまくってるっていう……確か~……マーダー・ネーム[デビルズ・ハート]だっけ?」


「そう呼びたいなら、呼べばいい……疑惑の狂信者ファナティックダウト


遊安は、制服のスカートを太股までたくし上げた。黒い革のバンドに、メスが数本収まっているのが見える。


「アハハハハ!! オモシロイ!! アンタの首もせっかくだから貰おうか?」


疑惑の狂信者ファナティックダウトと遊安に呼ばれたシスターは、後ろにあった棺を、思い切りまた蹴り飛ばした。


棺は勢い良くひっくり返り、中から黒く丸いボールの様な物が飛び出して来て、ゴロゴロとぼくの足元にも幾つも転がって来る。


「これは……」


何か確認しようとしたぼくは、それの正体に気付き、思わず口を手で押さえる。昼の消化しきれていない弁当が、胃から込み上げその場に嘔吐してしまった。


最初それは何かの果実にも見えた。


黒みがかったものや、真っ赤なもの、大きなザクロみたいにも見えた。


古いものは灰色がかっており、その全てがヒドい悪臭を放っている。


棺から転がり出た物。



それは、全て人間の頭部だった。



首から綺麗に切断され、まだ顔の形状が崩れていないモノ達は、何が起きたかわからないといった表情でコチラを見ている。


ゲームでもバーチャルでも無い、これは現実だ。


「んふふふふ~、コレはね~アタシの戦利品~。見事でしょ~? コレがアタシの快楽と愉悦の芸術品よ~」


シスターは聖母の様な微笑みで、転がる首を一つ手に取り、その生首の唇を舐め上げうっとりとした表情を浮かべている。


「悪趣味……」


遊安は、侮蔑する様に言い放つ。


「あら~? この愛情と美の傑作がわからないの~?」


「とんだサロメだ……」


「人間なんて~頭だけあったら十分だと思わない~……? だって~、体があると言う事聞かないでしょっ!?」


いつの間にか振り上げられた鉈が、遊安を狙い振り下ろされた。


空を切る音と、アスファルトに鉈の刃がぶつかる衝撃音から、またも空振りになった事は明白だ。


鉈の奇襲を寸でに避けると同時に、遊安がメスを飛ばしその一本が見事シスターの左目へと突き刺さる。


「ぎゃあぁぁっ!! 痛い痛い痛いっ!! 許さない! 許さない! 許さナイッ! 殺す殺す殺すぅーっ!」


左目を押さえながらシスターは、狂人の如く叫び続ける。


押さえている指先の間を、赤黒い血が静かに流れていた。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」


何度も何度も、呪詛の様な言葉を吐き出しながら、シスターは鉈を構えた。


「殺す! 殺す! コロスぅ──────!!」


奇声を上げ、人間とは思えない跳躍力でシスター女が飛び上がる。


二本の鉈が遊安を目掛けて、一気に空から振り下ろされた。


「遊安っ!!」


 ぼくは、思わず叫んでいた。


 一瞬、遊安が名前を呼んだぼくを振り返り見て微笑んだ様に見えた。


まるでダンスでもするかのように、鉈の攻撃を連続で見事に交わし続けて 日常の動作の如く数本のメスを構える。滑らかな手つきでそれらをシスター女の方へ垂直に投げた。


銀色の刃がまるで生き物の様にシスターの右目、喉、そして胸を深く貫き、最後の一本が眉間に刺さるとその衝撃で女の体は後ろへと反り返り、空中からアスファルトに激しく叩き付けられた。


手から離れた鉈が留めの如くその体へと墓標の様に突き刺さる。ぼくは、ただ呆然とその場に座り込んで、この一連の流れを眺めていた。


遊安が何事も無かった様に、シスターからメスを抜き血を払う。


まるで、映画でも観ている気分だった。


その部分だけが切り取られ、ぼくは第三者の傍観者としてそこに存在している。


そんな感覚の中ふと我に返り、ぼくの頭は遊安に対しての疑問と、この状況への困惑でいっぱいになる。


「……今のは、なんだったんだ………?」


しかし、遊安は何も答えてはくれなかった。


血で汚れたメスを、丁寧にポケットから取り出したハンカチで拭い続けている。


「どうして逃げなかった?」


更に、質問を質問で返された。


「どうしてって……」


ぼくは、言葉に詰まる。


逃げなかったのではない、正確には、逃げられなかったのだ。


目の前に繰り広げられる惨事に、足どころか体を動かすという行為すらぼくは忘れてしまい、ただただ、途方に暮れて見届ける事しか出来なかったのだ。


情けない話しだが、それが事実だった。


これでよく昨日、ソドムの中で殺人行為を行おうとしたものだ。


ぼくは自分の愚かさと情けなさに、ほとほと嫌気がさした。


「体が動かなかったんだ……」


「ふ~ん……、いくら脳内空間とはいえ、それでよく昨日は人を殺そうなんて出来たね?」


遊安の一言に、ぼくは、はっとなって彼女の顔を凝視した。


「やっぱり……、昨日のは君なのか? 遊安!?」


「…………」


彼女はまた、何も答えてはくれなかった。


「どうして、ぼくの脳内世界に君がいたんだ!? いや、今のコレは現実なのか!? もしかして、ぼくはバッド・トリップしてしまって……」


頭の中が混乱した。


「大丈夫、バッドトリップはしていない。もう終わった、 早く帰りなさい」


「おい! 待ってくれ! ぼくの質問に何も答えていないぞ!?」


「…………大丈夫、君は、誰も殺さない。君は、誰にも殺させない」


遊安は、足元に転がる先程までぼく達を殺す側だった、無惨な亡骸を見下ろして言った。


「一体、なんだっていうんだ……」


「さぁ、早く家に帰った方がいい……」


「おいっ……待てよ……!」



青いランプの光とサイレンの音が近づいて来た。



「ほら、面倒くさいのはイヤなんじゃない?」


ぼくらのいる場所からさほど離れていない所に、車が停まり中から白い防護服を着たヤツらがぞろぞろと出てくる。


異様な雰囲気に、思わず物陰に身を隠して様子を伺った。


「キャリアは!?」


「死亡した模様です」


「この地域の消毒作業と感染者の捜索を開始」


(なんだ? あいつら……)


「なぁっ──」


気付けばそこにはもう、遊安の姿はなかった。


「……アイツ、一人で先に逃げたのかよ……」


ヤツらの正体は気になるが、なんとなく見つかる事はいけない事のような気がした。


「向こうの方を探せ」


防護服の声が聞こえ、ぼくはその場を逃げるように後にした。



とにかく誰か人のいる方へとぼくは走り、なんとか車通りのある道に出る事が出来た。


会社帰りのサラリーマンが目の前を過ぎり、そこに[日常]が戻って来ている。


「お兄ちゃん? 何してるの?」


振り返るとそこにはいつも見慣れている、自転車をひいた女子校のブレザー姿のアズがいた。恐らくこんな時間に帰宅しているのは、また部活の練習とやらで遅くなったからなのだろう。


妹の登場は一瞬にして、ぼくの意識をついさっきまでの、夢でも見ていた様な出来事から現実に引っ張り戻してくれた。


「アズ……、見なかったか?」


「何を?」


「あっ、だから、何か見たり聞こえたりしなかったか?」


「なんかって何?」


妹はわざわざ自転車から降りると、怪訝な顔でぼくの顔を覗き込んで来た。


「いやっ……、なんでも無いんだ……」


「……どうしたの? 大丈夫?」


「ぼくは平気だ……オマエはいつ駅に着いた? この辺りにはどのくらい前からいたんだ?」


「いつって……、今さっきだよ。自転車を走らせてたらお兄ちゃんがボーっとしてたから……」


「そうか……。いや、何も見てないなら良いんだ……」

 

少し距離があるとはいえ自宅の近くだ。


シスター女や、さっきの防護服の連中に妹が出くわしたりしていなければそれでいい。


ぼくは、妹をこの良くわからない状況に、巻き込む事は避けたかった。


さっきので全てが終わっていればいいのだが……。


ぼく自身、良くわかっていないのに家族にまで得体の知れない何かに、危害を加えられたりされるのはごめん被りたい。


「ああ~……わかった。お兄ちゃん……もしかして彼女出来たの?」


「彼女……?」


「だって、さっきから私に見られたら何か困る事があるみたいなんだもん、彼女といたんでしょ?」


「……いや、そういうのじゃなくて……」


「大丈夫だよ、お母さん達には黙っていてあげるね」


妹はすっかり、勘違いしてなんだか自分だけが兄の弱みを握れた事に、微かな優越感を得たらしくニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「何も見ていないなら、もういいんだ……」


ぼくは溜息を吐き、やれやれと思いながらも幾分か妹が勘違いした事には安堵した。


「今度、私にだけ紹介してね? ね?」


何故だか上機嫌で自転車を引きながら歩く妹の横をぼくは歩きながら、混乱する頭の中を落ち着かせようとした。


さっきの場所の近くも通ったが、もう何事もなっかった様に住宅街は静まり返っていた。


アレは現実だったのか?


それとも幻か夢か、やっぱりハイパー・ドラッガーの副作用かわからない。


シスターのコスプレをした変な女に突然殺されそうになり、転校生が助けてくれた。


普通に他人に話したら頭の中身を疑われそうだ。



「あれ? どうしたのそれ?」


妹が、ぼくの首筋を指した。


言われて、反射的にぼくは自分の首筋に手をやる。微かな痛みが走った。


「ミミズ腫れみたいのが出来てるよ?」


いつの間にか、ぼくの首筋にはあの鉈によって付けられたと思われる傷があった。


痛みは、確かな証拠だ。


やっぱり、アレは現実だったのか?


だとしたら、さっきの女、そして[遊安 絆]アイツは、一体何者なんだ?



首筋に、つきんと痛みが走った。





自宅へ戻ると、ガレージに妹が自転車を置きに行き、ぼくは先に玄関の鍵を開けて中へと入る。


「……………!?」


ツンと鼻を突く嗅いが、部屋中に立ち込めていた。


確かこれは──

 


ぼくは、靴も脱がずに臭いの強く感じる台所へと急いだ。



ウソだ! ウソだ! ウソだっ!



そんなハズ無い! 


「母さん! 父さん!!」


叫び声は静まり返った台所に響き渡るだけだった。


二人は、台所で血に塗れ倒れていた。


辺りには、生臭い鉄錆の臭いが立ち込めている。


「お兄ちゃん? どうかしたの?」


後ろからアズの声がする。


ぼくは、この惨状を見せたくなかった。


玄関に走り戻り、妹を止め様とする。


母と父の血を吸った靴下が、ぐしゃぐしゃと音を立て不快だった。


「ダメだっ! アズ! 来ちゃダメだっ!!」


そう、叫んだ。


でも、何故かぼくの声は喉から出ていなかった。


玄関に立つ妹の後ろに、もう一つの影が見えた。


その影が二本の鉈を妹の喉元に充てると、噴水の様に血が飛び散りぼくの視界を真っ赤に染め上げた。



「うわぁぁぁぁ──────────────!!」


 


現実では、ぼくは叫んでいなかった。

 

床に放りなげておいた、通信機能のついた電子機器がアラームを鳴らしている。


ぼくは、自分の部屋でいつも通りに起床した。


「夢……かよ……」


悪夢だった。

最悪だった。


起きた後も、心臓が異常な程に脈を早く打っている。


足元を確認した、昨日、帰宅して制服姿のままぼくは爆睡してしまっていた。


靴下を確認する。

真っ白だった、血どころか赤を連想させる色は付いてなどいなかった。


ベッドから起き上がると、2階の自室の扉を開けて、そっと1階の様子を伺う。


調度パジャマ姿の父が、玄関から朝刊を取り出して、廊下を立ち読みしながら歩いていた。


視線に気付いた父におはようと声を掛けられ、ぼくは答える。


台所から母の声がした、ぼくを呼んでいる。もうすぐ朝ご飯だと言っている様だ。


アズが、バタバタと洗面所から駆けて行く、練習に間に合わないとかなんとか喚いている。


目覚めれば、ぼくのいつもの日常の風景だった。


ぼくは、階段を降りながら考えた。


昨日の事は、やっぱり全て夢だったのだろう。


突然、シスター服を着たマネキンみたいな女に鉈で襲われ、そこを転校生の少女(コッチも人形みたいな容姿だが)に医療用メスで救われ、更に、その少女はぼくの脳内の疑似世界に表れた少女に瓜二つだった。


そして、何故か彼女は、ぼくの飼っている子猫と同じ通称である。


こんな変な話、夢で無い方がおかし過ぎる。


ぼくは、頭の中を懸命に整理しながら、母の用意してくれた朝食を食べ始めた。


やはり、どう考えてもおかしい。


昨日の事、全てが夢だった方がしっくり来る。


そう思っていた時、朝食を乱暴に早食いした妹が、鞄を持って立ち上がった。そうして、ぼくに耳打ちする。


「今度、絶対彼女紹介してね!」


妹はそのまま、「いってきます」だけ言い残し、慌ただしく家を出て行った。


ぼくは、はっとしてそっと自分の首筋に触れてみた。


 

鈍い痛みが走り、昨日の遊安との出来事は、夢で無かったという事を、ぼくに確証付けてくれた。





 

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