3 不思議な卵

 卵を拾ってからというもの、テオは夢中で世話を始めた。

 日に三度、焼いた石を布に包んでバスケットに入れてやったり、時折向きを変えてやったりと、なんとも甲斐甲斐しい。優しくさすりながら話しかけ、母鳥のように卵を抱いて眠ることさえあった。

 その熱のこもった献身ぶりに、ニコはあきれ返っていた。

 見れば見るほど不気味な卵なのだ。長径三十~四十センチという大きさも嫌な予感を誘うのだが、何と言ってもその色が毒々しすぎる。

 だからニコは、できるだけ近寄らないようにしていた。

 しかし数日が過ぎた頃、一度だけ触れてしまったことがある。掃除の邪魔なのでバスケットを動かした時、ほんの少し指先が卵に触れたのだ。すると、バチンッと静電気のようなものが指を弾き、ゾッとした。魔法がかかっているのは確かなようだ。

 テオは何ともないのだろうかと、不思議だった。何が生まれるにしろ、魔法がらみの生き物に違いないし、ましてや迷霧めいむの森で拾ったという曰くつきなのだ。

 ニコは、卵がやってきてからずっと不機嫌だった。


「可愛い可愛い卵ちゃん、おはよう」


 バスケットを抱えて降りてきたテオは、今日も甘ったるい声を出して、卵にキスをしている。

 ニコはぶつくさ呟いた。


「……僕には全然挨拶を返してくれないってのに」

「そうだったか? おはよう、ニコ」

「あー、これはどうもご丁寧に!」


 テオがフガァとあくびしながら顔も見ずに言うものだから、ニコの目はキッと釣り上がった。

 ドンと、ハムエッグの皿をテオの前に置く。


「おや? これも卵ちゃん……ひよこになり損ねたようだねぇ」

「文句があるなら食べなくていいです!」

「食べるさ。卵は大好物」


 テオはしれっと平らげてしまった。

 あぁ、あの卵もハムエッグにしてやりたいと、ニコは恨めしげにテオをながめた。


「うん、美味いね。この絶妙な焼き加減は絶品だよ、ニコ。でもコイツだけは焼いちゃだめだから、ね」

「え?」


 卵を指でコツコツ叩いてニヤニヤ笑っている。なんだか嫌味っぽい。

 まさか頭の中をのぞいたんだろうか、とニコは口をとがらせた。そして、ゴホンと咳払いをする。


「ところでですけど、今年の試験の申込期限は明後日ですよ。受けなくていいんですか? マークがないってだけで三流呼ばわりされてるってのに」

「試験? なんの試験だっけ?」

「『王国公認魔法使い』の資格認定試験ですよ!」


 この国には、王国公認魔法使い制度がある。

 試験に合格し一定以上の魔力があると認められれば、王国公認魔法使いに認定される。そして、堂々と公認マークを掲げて魔法店の営業ができるようになるのだ。


「ああぁぁ、あれね。受けないよ。前にも言っただろう。お前クドいわ」


 全く興味がないといった顔で、テオは卵をなでまわしている。


「もう……絶対合格できるのに。資格は持ってて損しませんよ」

「なら、お前が受けろよ」

「…………僕が受かるわけないでしょう。知ってるくせに」


 またまた、ニコは口をとがらせた。

 テオは王国公認魔法使いではない。しかも資格を取る気も全くないのだ。

 公認マークは客寄せに持ってこいだ。だから普通なら誰もが資格を取りたがるのだが、彼は必要ないという。

 魔法の腕と達者な口で、公認マークは無くても生活に困らない程度に客はついていた。それが資格を取らない理由の一つである。

 もう一つは、自分は近衛騎兵隊の下士官だから資格は必要ない、というものだ。

 だが、今の彼はどう見てもただの魔法使いだ。この四年、テオが兵として働いているところなど見たことがない。制服さえ持っていない。なぜかと聞けば、極秘の特殊任務中で身分を隠してるんだと抜け抜けと言い放つ。

 そのくせ町の人達には「オレは勅命を受け、市井の動向を調べているのだ。はっはっは」などと、自分から言って歩くのだからわけがわからない。

 もちろん誰も信じていない。テオは変わり者の魔法使いとして受け入れられていた。住んでいる通りの名にちなんで、ブロンズ通りの魔法使いと呼ばれている。


 でも、とニコは思う。

 初めて会った時のテオは、確かに近衛騎兵の紺色の制服に身を包んでいた。見目良き精悍な若きエリート兵だったのだ。

 口が裂けても正直者とは言えないテオだが、全くの嘘八百では無いのだろう。

 きっと何かやらかして軍をクビになったんだ、とニコは密かに思っている。

 相変わらずテオは、ニコには目もくれずに卵をさすり続けている。

 ニンマリと笑いながら、優しく何度もなでている様子は、少し満足気でもあった。


「なんだか、我が子が産まれてくるのを待ちわびてる父親みたいですね」

「おう。コイツはオレの可愛いベイビーなんだ。さあどんな子かな? オレに似てるかな? 楽しみだ」


 ニヒッと白い歯を見せて笑った。

 こんな無邪気な顔で笑われたら、いつまでも卵のことですねているのが馬鹿らしくなる。ニコは苦笑して、食器を片付け始めた。

 キッチンから戻ってくるとテオの姿は消えていた。またふらりと出かけてしまったようだ。

 卵にはしっかりとタオルが巻かれ、お守りを頼むとメモ書きが添えてあった。


「気ままなんだから……自分の赤ん坊だって言うんなら、僕に押し付けないで欲しいよ」


 ぼやきながらも、いつもテオがやっているように焼いた石をタオルでくるんで、バスケットに入れてやった。もちろん卵には触れないように気をつけながら。

 そしてバスケットの上にバサリとブランケットをかぶせた。


 一人になると、ニコはいつも呪文の練習を始める。

 今日は何をやってみようかと、部屋を見回し窓際のパンジーの鉢植えに目をとめた。既に花は終わりかけで、一つだけ蕾が残っていた。これを咲かせてみよう。

 ニコは、テオが花を咲かせたときの呪文を、そっくりそのまま唱えてみた。

 何も起こらない。


「呪文自体は間違ってないと思うんだけどなあ……」


 はあっとため息をついた。

 テオは魔法を教えてくれない。弟子は取らないと最初に言い渡されているのだから、仕方ないだろう。

 教えてはくれないが、見よう見まねで魔法の練習をすることは咎められない。ニコがこっそり練習するのを、テオは黙って知らないふりをしているのだ。


「教えて下さいって頼んだら、教えてくれるかなあ……」


 頬づえをついてパンジーの蕾を見つめる。

 自分には才能がないと見抜かれていて、教えてくれないような気もする。それなのに、試験を受けてみろなんて無責任なことを言う。


「まったく酷い人だよな」


 今のニコに使える魔法と言えば、数ある呪文の御札の中からお客が注文したものを一瞬で飛び出させるものくらいだ。あまりにも地味だ。

 しかし、ニコは諦めることはなかった。テオが使う呪文全てに聞き耳を立て、しっかりと頭に刻みこむ。そして毎日一人で練習を続けていた。


「絶対、いつか公認魔法使いになってやるんだ」


 ニコは、グッとあごをひいてうなずき、再び呪文の練習を始めた。

 蕾が開くことは無かったが、何度も何度も抑揚を変えて試してみるのだった。



 ニコが目指す公認魔法使いの中でも、特に優れていると認められれば『王宮付き魔法使い』として宮廷に召し抱えられることがある。大変名誉なことだ。

 もしかしたらテオは王宮付きになれるんじゃないか、とニコは思っている。だから、公認試験を受けるように度々勧めているのだが、聞き入れては貰えない。

 この王宮付きではなく軍にも所属していない、いわゆる一般的な公認魔法使いで組織されているのが、クレイブが代表を務める王国公認魔法使い組合だった。

 テオはこの組合と、日頃から折り合いが悪い。

 何かと衝突するのだが、大抵はテオが原因を作っている。人を怒らせるのが趣味なのか、とニコは疑いたくなるのだった。クレイブはこの悪趣味の犠牲者の一人だった。


 つい先日、大臣から組合に通達があったらしい。隣国から内々に依頼されたある仕事のために、能力のある魔法使いを集めて欲しいというものだ。

 クレイブはテオを推薦した。これは能力を認めたのではなく、常々気に入らないテオに面倒を押し付けようとしたのだとニコは思っている。

 クレイブは王宮付き魔法使い筆頭からの呼出しを、嬉々として伝えてきた。

 だがテオは、自分は公認魔法使いではないからクレイブの推薦など無効だ、仕事を受ける筋合いはないと言い張り、断固拒否したのだ。

 一見筋が通った主張に見えて、実は通っていないわがままを言うのが得意なテオだった。大臣や王宮側が望む魔法使いとは、なにも組合員に限ってなどいないのだ。

 そしてテオが従わないことで、推薦したクレイブは大恥をかいたという訳だ。


「うるさい手紙で済んでるうちはいいけど、そのうち本当にひどい仕返しされそうだよな……」


 ニコは、肩をすくめる。

 二人のいがみ合いはまだまだ続きそうだ。

 気を取り直して、また呪文を唱える。真剣に蕾を見つめ、心の中で「咲け!」と念じる。

 しかし、花は咲かない。蕾は固くとじたままだ。

 と、コトリと物音がした。

 ハッとして、ニコは卵の入ったバスケットを振り返る。

 今、かぶせていたブランケットが揺れた? 不審に思い、そっとブランケットをめくってみる。

 紫と緑のマーブルに黒い斑点模様。グロテスクな卵は先程と変わらずバスケットの中に収まっている。


「……君、今動いた?」


 卵はしんとしている。動くはずないかと、ニコはまたブランケットを元にもどした。

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