2 シェーキー魔法店

 ニコは一通りいつもの仕事を終え、雑然とした居間をぐるりと見回した。そして大げさに溜息をつく。

 と言うのも、わけの分からないガラクタが居間を占領しているからだ。整頓好きなニコとしては片付けたいのは山々だったが、手を出せないでいるのには理由がある。勝手に動かすなとテオが怒り出すからだ。

 ではテオが片付けるのかというとそうでもなく、ガラクタは山積みのまま何年も放置されているのだった。

 それでもニコがここにやってきた頃よりは、随分マシになったものだ。

 腐ったジャガイモが悪臭を放ったり、カビの固まりのようなハムが転がっていたり、ほこりがうず高く積もりクモが巣をはることは、もう絶対にない。

 ニコは居間の掃除をあきらめ、表の通りに出て玄関扉を拭き始めた。


『シェーキー魔法店』


 扉にシンプルな手書きの看板がぶら下がっている。大して人目も引かない、申し訳程度の小さな看板だ。

 ここは魔法使いテオドール・シェーキーが営む魔法店だった。

 店と言っても、見た目は普通の家と少しも変わらない。花屋や八百屋のように陳列する商品がないからだ。魔法使い自身が商品と言える。

 だから、玄関扉に『シェーキー魔法店』の看板をぶら下げているだけだ。

 店主は不在がちなので、接客するのはいつもニコだった。薬草や呪文の御札を買いにくる客がほとんどだから、ニコでも対応できるのだ。難しい依頼が来た時だけ、テオの出番となる。

 呪文の御札は前もって用意されている。

「足が早くなる」「ケンカに必ず勝つ」「客が増える」「探しものが見つかる」「異性にモテる」「よく眠れる」「嘘が言えなくなる」などなど。

 ケガや病気を治す御札はないのかと良く聞かれる。答えは、無い、だ。だから薬草で代用していた。

 魔法使いは自分が使える魔法しか、御札にはできないのだ。テオは癒し系の魔法がてんで不得手で、性格と同じムラのある魔法使いだった。

 扉を拭いているとテオが帰ってきた。宣言通り昼前だった。

 妙なモノを大事そうに抱え、満面の笑みで言った。


「ニコ! いいものを拾ったぞ」

「な、何ですか、それは!」

「見ればわかるだろう。卵だ」


 確かに見ればわかるが、その大きさが普通ではない。テオの腕の中で赤ん坊ぐらいの大きさの卵が、あの青と黄色のローブにくるまれていた。

 しかもその卵は色も普通ではなかった。紫と緑のマーブルに、黒い斑点模様がついている。妙な色の卵が派手な配色のローブにくるまれている様は、実にグロテスクだった。

 上機嫌のテオは、眉をしかめるニコを軽く押しのけて家の中に入ってゆく。


迷霧めいむの森で拾った。さあ、何がかえるか楽しみだ」


 ウキウキとキッチンに入りバスケットを持ち出してきた。逆さにして中のじゃがいもを転がし、代わりにローブごとそっと卵を寝かせた。愛おしそうに卵をなでている。

 ニコはじゃがいもを拾いながら、顔をしかめた。


「迷霧の森に行くなんて! 最近、行方不明になる人が多いし、魔女がいるって噂があるのに。あんなとこで、何か分からない卵を拾ってくるなんて……はあぁ、やだなあ。色といい、気味悪いですよ」

「そう言うなよ。コイツには魔法がからんでるのは間違いないんだ。面白そうじゃないか。何が起こることやら」


 テオの顔は生き生きとして、まるで新しい遊びを発明した子供のようだ。


「それにドラゴンの卵かもしれないし」

「……ド、ドラゴン?!」


 ニコの顔が一瞬でこわばった。声も上ずっている。


「なんてことを! 早く返してきて下さい! 親が取り返しに来たら、どうするんですか!!」


 以前見た黒いドラゴンが、まざまざと目の前に浮かんだ。巨大な真っ黒なドラゴン。吐き出す炎が夜空を焼いていた。あの時、ニコは家と両親を失ったのだ。

 テオは慌てて訂正した。


「い、いや、冗談だ。えーっと、これはサラマンダーだ。そうそう火吹きトカゲ。ちっちゃいやつ。それにドラゴンは地上で卵を産まないさ。…………多分」


 ギロリとにらみつけられて、テオは頭をかいた。そしてニコの両肩をパンパン叩いてわざとらしくハハハッと笑う。

 バスケットを抱えると、そそくさと階段を上がっていってしまった。


「テオさん! 本当に大丈夫なんでしょうね」


 ニコの声が追いかける。

 階段の端から、ちょこっと顔をのぞかせてテオがニカッと笑った。親指を立てて、ウインクをする。

 ニコはその無邪気な笑顔に負けて、しょうがないなあと肩をすくめる。


「まったく……初めて会った時は、こんな人だなんて思いもしなかったのにな」


 つぶやくと、笑いが込み上げてきた。すっかり怒る気を失くしてしまった。

 ニコは扉拭きの続きをしようとまた外にでて、空を見上げた。

 六年前、濃紺の近衛騎兵の制服を来た青年は、真面目で頼もしげに見えたものだった。





 テオは両親を失った自分を教会に連れて行ってくれた。そこには既に大勢の子どもがいた。

 今日からここが自分の家になるのだろうと、ニコは漠然と理解した。

 テオはニコの頭をくしゃくしゃとなでると背を向けた。そして肩越しに手を振り去っていった。

 そのテオと再会できたのは、それから二年後のことだった。

 教会の神父に言われてお使いに出かけたとき、雑踏の中に偶然テオの姿を見つけたのだ。慌てて追ったがすぐに見失い、それならばとテオが出てきた店に飛び込んで店員から住所を聞き出した。


 ブロンズ通りの『シェーキー魔法店』


 ニコの目がパッと輝く。ずっと会いたいと思っていた恩人の居所をやっと見つけたのだ。

 テオがしてくれたのは、教会に連れて行ったことだけだ。しかしニコは命を助けられたように感じていた。あの時の優しさが、今の自分の命に繋がっているような気がしてならないのだ。

 テオが魔法使いだと知ったのもこの時だ。

 魔法使いの弟子になりたいと願っていたニコにとって、それは素晴らしい偶然だった。

 ぜひ彼の弟子になりたいと思った。いや、なれなくてもいい。雑用でもなんでもいい、家事なら得意だ。彼のもとで恩返しをするのだ。そう心に決めた。

 そして翌日には、テオの家に強引に転がり込んでいた。四年前、まだ十一歳になったばかりのことだった。



 ニコは微笑みを浮かべて、玄関扉を拭き続ける。

 初めてこの扉をノックした時は、手がブルブルと震えていたっけ、と懐かしく思う。

 ぶら下げている看板も外し、扉を丹念に磨きあげる。今は『シェーキー魔法店』が自分の家なのだ。そっと看板を抱きしめた。

 あの日、扉を開けてあらわれたテオはボウっとした顔をしていた。

 短い黒髪をボサボサに乱し、夢遊病のようにフラフラと歩きながら、ニコを部屋に通した。

 穴のあいたジーパンに、変色し首が伸びたヘンリーシャツ、初めて会った時とは大違いな小汚い格好だった。

 そして、大きな黒いペンダントをぶら下げているのが印象的だった。鱗のような形をしたペンダントトップが三つ付いていた。

 ニコはまず礼を言い、それから遠慮がちに弟子にして下さいと頼んだ。だが返事は「断る」と一言だけだった。少し期待していたのだが、ニコのことは覚えていないようだった。

 その後、何度も頭を下げて頼んだが、返事は同じだった。

 テオをよくよく見てみると、心ここにあらずといった様子で時々声を出さずに唇を動かしている。まるで、耳には何も届かず機械的に「断る」と言っているように思えた。

 試しにいい天気ですねと声をかけると、思った通りの返事があった。「断る」と。

 酔っているのか寝ぼけているのか、どうも様子がおかしい。ニコは彼が正気に戻るまでしばらく待つことにした。


 その間、部屋の中をじっくりと観察することができた。棚には乱雑に積み上げられた古い書物、いかにも曰くありげな置物、トカゲや蛇の干物、薬草らしき植物の束などがあった。

 テーブルの隅に飲みかけのスープ皿が放置され、カビの生えたパンがわたぼこりの中でガチガチに固まっていた。脱ぎ散らかした服は床に散乱し踏みつけられ、まるでカーペットのようだ。

 子供心にも呆れたものだった。

 じっと座っていると手持ち無沙汰でたまらなくなり、そっと椅子を立った。

 コーヒーサイフォンが目に止まった。その横に使ったまま洗わずに放置されたフラスコが、ずらりと並んでいる。ただのフラスコなのに、乱雑な部屋の雰囲気と相まって怪しげな実験道具のようにも見える。

 テオはまだ、ボウっとどこを見ているのか解らない目つきのままだ。

 ニコはそっと部屋の中を歩き、キッチンへと入っていった。そして汚れたサイフォンのガラスを丹念に洗った。

 キッチンも散らかり放題だったが、意外とコーヒー豆はすぐに見つかった。何種類もの豆がすぐ手の届くところに置いてあり、コーヒードリッパーやエスプレッソメーカーもあった。この家の主はコーヒー好きなようだ。


 フラスコに水を入れ、火をつける。一番減っている豆を選び、一さじミルに入れ挽き始めた。ガラスの漏斗にサラサラと粉末を入れる。コーヒーが抽出されてくると、芳ばしい香りがゆったりと漂った。

 出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、そっとテーブルに置いた時、ハッとテオが我に返った。

 目を丸くしてニコをじっと見つめている。そして、動揺をつくろうように言った。


「さて、なんの用だったかな? 随分前からそこにいるように思うが」

「今日からここでお世話になります! ニコです。よろしくお願いします!」


 思わず言ってから、ニコは顔を真っ赤にした。

 しかし、テオはパチパチと瞬きをしただけだった。


「あー、弟子は取らないよ。ガラじゃないんでね」


 ニコはうるんだ目を大きく見開いて、テオを拝んだ。崖っぷちに追い詰められた仔ウサギが、命乞いをしているようだ。

 悲壮感いっぱいの少年を、テオはあっけにとられてじっと見つめている。それからゆっくりとコーヒーカップに手を伸ばした。


「……ま、美味いコーヒーが淹れられるなら、居てもいいけど」


 ニコの顔がパッと輝いた。


「はい! 美味しいコーヒー淹れます!」


 その日から、ニコはこの家の住人になったのだ。



 どうしてテオが自分を置いてくれる気になったのか、今でもわからない。気ままな一人暮らしの方が性に合ってるだろうに、と思う。来る者は拒まずといったところだろうか。

 そして一緒に暮らすうちに、ニコは恩人の魔法使いが実はとんでもなく気まぐれで嘘つきで子供じみていて、ちょっぴり意地が悪いということを知ったのだった。

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