4 黒猫あらわる
「食品庫が空だ。今日は買い出しに行こう」
珍しく朝からずっと在宅していたテオが、笑いながら買い物に誘った。
金を出すのはテオだが、何をどれだけ買うか決めるのはニコの役割だった。テオに任せるとパンとチーズだけで一週間過ごしたり、そうでなければソーセージとじゃがいもにキッチンを占領されるハメになるのだ。
いつもは財布を渡してよろしくと手を振るテオだが、今日は一緒に行くつもりのようだ。卵を肩から下げた大きな布袋に入れて、玄関で手招きしていた。
「あとは何を買うんだっけ?」
テオがのんきにたずねる。
様々な商店が並ぶ、大通りを二人は大量の荷物を抱えて歩いていた。多くの人が買い物に仕事にと忙しく行き交っている。
インフィーニード王国の首都アソーギは活気に溢れた町だった。一度焼かれたとは思えないほどに、以前の賑わいが戻っていた。
「お、ブロンズ通りの魔法使い! 今日も町一番イカれてるじゃねえか。最高だぜ」
通りの向こう側の店から顔を出した赤毛の男が、陽気に手を振っていた。
テオも、おうっと手を振り返す。
彼の今日のローブは、モスグリーンとオレンジの正方形のブロック柄だった。
ただでさえ背が高く目を引くのに、こんなローブを着ていれば注目を集める事この上ない。しかし、それはいつものことで、テオは全く気にならないようだ。
「夏も近い。女性が薄着になって嬉しいねえ。スカートの丈がもっと短ければ、なおイイ」
たまたますれ違った美しい女性を、名残惜しげに見送っている。
ニコはテオを見上げてクスリと笑い、それからメモに視線を落とした。必要なものは大体買いそろえた。
「あとはパンだけですね。テオさんが他に食べたいものがなければ」
「じゃあ、あとでブランデーを買おう。お前こそ、キャンディーとかチョコレートとかいらないのか? 遠慮するなよ。ファニーの店のチョコレートブラウニーは美味いらしい」
「遠慮じゃないです! お菓子なんていりません。子ども扱いしないで下さい」
「ブラウニー……いらないのか?」
テオは露骨に驚いた顔をした。だって子どもだろうと言いたげだ。
ニコは、顔を真赤にして足を早めた。
「さあ、早く行きますよ」
自分はブランデーで、僕はブラウニーだって? もう十五だ。お菓子を欲しがるようなガキじゃない。ニコはむっと口をへの字に曲げて、小走りでテオを振りきりパン屋へ向かった。
店に着くと、いつものように愛想よく店主夫婦が迎えてくれた。女将さんは顔も体もパンのように膨らんだ、年増の女性だ。
ニコがいつものパンを注文すると、女将さんとは対照的にほっそりした旦那さんがニッコリうなずく。明るい二人の笑顔を見ると、なんだかホッとした。
ふとニコの視線が店の奥に吸い寄せられた。ガラス戸に真っ黒なワンピースを着た少女が写っていたのだ。通りの向こう側からこちらを見ているのか、行き交う通行人の中でただ一人立ち止まっている。
なんとなく気になり振り返えると、丁度荷馬車が通りかかり視界をさえぎられた。馬車が行ってしまうと既に少女の姿はなく、幾人かの人が歩いているばかりだった。
すぐ側の路地を曲がったかなと思っていると、テオがいきなり顔を出した。店の入り口で、薄緑色の短冊をひらひらとさせている。
「やあやあ久しぶり、繁盛してる? 良かったら客よせの呪文があるんだけど」
「あらぁ珍しい! あんたも一緒だったの。呪文は間に合ってるよ」
パンの入った紙袋をニコに渡した女将さんは、テオを見て楽しげに笑った。
テオは店の中を見渡した。ニコの他に客はいない。
「繁盛しているようには見えないけどなあ。このパンも昨日の売れ残りなんじゃないか?」
「全く失礼な男だねぇ。焼きたてに決まってんじゃないの」
二人が笑い出すと、ニコはそれきり黒い服の少女への関心を失った。
女将さんがテオの持っている布袋の中身に、興味津々の視線を送っているのに気づくと、やれやれと肩をすくめる。
女将さんは大きな卵をのぞきこんだ。続いて旦那さんもひょいとのぞく。
「それよりあんた、何、抱えてるのさ」
「あーこれ、オレの可愛いベイビー。こないだ生まれたんだ」
「これがベイビーだって! やだよ、どんな娘さんに手ぇ出したんだい。ロック鳥の娘かい?」
「うーん、どの娘だっけなー? マリア、ソフィー、エレーナ?」
ワッハッハと女将さんは豪快に笑った。
「よく言うよ。あんたそんなにモテやしないだろ? 顔はイイ男だけど、口は悪いしうなぎみたいに掴みどころが無いんだから」
「参ったなあ」
全然、参ってない口調でテオは女将さんと世間話を続けている。
ニコの肩を、パン屋の旦那さんがつついた。
「で、あの奇妙な卵は何なんだ? ダチョウの親戚かい?」
「あー、アレ拾ったらしいです。何の卵かわからなくて。ダチョウだったらまだマシなんですけど……。テオさん、今はアレに夢中なんですよ」
ニコはさも困ってるんですと、険しい顔を作ってみせた。
同情するように旦那さんはウンウンとうなずいた。
「なるほどねぇ。魔法使いってぇのは、なんでああいう妙なモノが好きなのかねぇ。オレの叔父貴もあんなだったなあ。ヘンなもんばっかり集めやがって……オレだったら近づきたくもねぇ。気味ワリィや」
「まったくです」
パン屋の旦那さんは、テオに呼びかけた。
「よお、ブロンズ通りの魔法使い。この通りの先にある石橋がさぁ、危ねぇんだよ。今にも崩れそうでよ。早いとこ修理してくれって伝えてくれよ」
「伝える? 誰に?」
テオはきょとんと首をかしげる。
「王様に決まってんじゃねえか。あんた王様の命令で町中の様子を調べてるっ言ってただろ。王様に頼みゃあ、すぐ直してくれんじゃねえのか」
ニコは天井を仰いで、大きく息を吐いた。
まただ。
パン屋の旦那さんは、テオの言ったことを信じているのではない。面白がってからかっているのだ。その証拠にカラカラと笑っている。
「そんなもん、役所に陳情しろよ」
「なんでぇ、役に立たねぇなあ」
「おう、そうさ。役人を動かさなきゃ橋は直らない。オレを当てにしたって何も変わりやしないさ。自分で動き出さないとな。ま、どうしてもって言うなら伝えてやってもいいけど、手間賃高いぜ。金色、出せるか?」
指を三本立てて見せる。金貨三枚という意味だ。随分と吹っ掛けたものだ。
女将さんがプッと吹き出した。旦那さんも笑いだし、テオも一緒になって笑った。
ニコだけが面白く無い。
「いや、もういいって。明日、仲間と直談判しに行くことになってんだ」
「それがいい」
目を細めてニッコリと笑う。テオは楽しげに手を振って店を後にした。ふんふんと鼻歌を歌っている。
その後に、ふくれっ面のニコが続く。
「何がそんなに、楽しいんですか?」
町の人がテオをからかうのは親愛の証なのだと解っていても、バカにされているようで気に入らなかった。ニコにとってテオは、恩人でありいつまでも変わらぬ憧れの魔法使いなのだから。
「みんな生き生きとしている。楽しいじゃないか」
「テオさんの言うこと、僕にはよくわかりません……」
だからいつまでも子ども扱いされるんだ、とニコは自分が情けなくなった。
テオは黙ってニコの頭をくしゃくしゃと撫でた。
二人が細い路地に入った時、いきなり黒い影が目の前に飛び出してきた。
それは猫だった。
フウと低くうなると、黒猫はいきなりテオめがけて飛びかかって来た。
「なんだ?! コイツ」
すんでのところで猫をかわした。
しかしテオが何度振り払っても、黒猫は向かってくる。全身の毛を逆立て牙をむき、まるで猛獣のようだ。
猫は体を低くして体制を立てなおし、再度攻撃のチャンスをうかがっている。
一歩も引かぬテオに対して、ニコは猫の迫力に押されて後ずさってしまった。
黒猫の金色の目がキラリと光る。
テオの腕が上がり、人差し指が猫を指した。
バンッとバネのように猫が飛び上がる。
ニコは息を飲んだ。
鋭い爪がテオの腕に突き刺さると思った瞬間、猫はドサリと地面に落ちた。テオの指が猫の額を突いたのを、ニコは見逃さなかった。
横たわる猫を、テオが膝をついてのぞき込んでいる。
「…………死んだんですか?」
「殺すもんか! 人聞きの悪い。大人しくさせただけだ」
テオがもう一度猫の額に触れると、かすかに目を開いた。
低い声でつぶやく。
「おいキャット。いいか、乱暴な真似は止めるんだ。オレに何か言いたことがあるなら言え」
ゆっくりと諭すように毛皮をなでてやる。
猫はゆっくりと頭をあげテオの眼を見つめ始めた。
テオは何度もうんうんとうなずき、猫をなで続けていた。喉を軽くかいてやると、猫はうっとりと眼を閉じてゴロゴロと鳴らし始めた。
「……なるほどな。大丈夫、卵はちゃんと守ってやるから」
「猫の言葉が分かるんですか?」
「なんとなくな。どうやらこれはコイツの卵らしい。自分の卵を守ろうとしてたんだ」
立ち上がり、袋の中から顔を出している卵をポンと叩いた。
「はあ? ソレがこの猫の卵?」
「そう。自分の大事な卵をオレに取られたと思って、襲いかかってきたんだ。取り返そうと、コイツは必死だったんだな」
猫がニコを見上げてにゃ~と鳴いた。そうだと言っているようだ。
「オレが卵を大切にしていると解って、納得したみたいだ。預ける気になったようだな。さあついておいで、ママ・キャット」
テオは満足そうに歩き出した。猫も当然のように澄ましてついて行く。
わけが分からずにいるのは、ニコだけのようだ。
慌ててテオの隣についた。
「マ、ママ・キャットってなんなんですか……。猫が卵を産むわけないでしょう。だいたいオス猫じゃないですか、ソイツ。ちゃんと教えて下さいよ。また魔法がらみなんでしょう? だから、連れて行くんでしょう?」
「まあ、何でもいいじゃないか」
テオは笑い飛ばす。なんだかとても嬉しそうだ。
「それより早く家に帰ろう。卵がかえりそうだ。コツコツ音がして震えてる。いよいよオレの
「えええ~!!」
ニコが驚きの声を上げると同時に、猫がその肩にぽんと飛び乗ってきた。鼻をひくつかせ心配そうに卵を見つめている。頭がクラクラするのは、猫の重さのせいだけではなかった。
これ以上ないほどにげんなりとつぶやく。
「……う、生まれちゃうんですか……ソレ」
「なんだよ。少しくらい喜んでくれてもいいだろうに。ああ、お前はオレを全然解ってくれない」
白々しいほどがっくりした顔で恨めしげに言う。
それはこっちのセリフだと喚きたくなるのを、ニコはこらえた。
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