5 可愛い子ちゃん
テオはニコを急かして足早に帰路についた。早く卵を観察したくてたまらないらしい。
そして、ウキウキと玄関扉を開けたとき、事件が起こった。強烈な悪臭が二人の鼻を、思い切り殴りつけてきたのだ。
「ぐふおおぉぉ! おえぇぇ!!」
あられもない声でテオが叫ぶ。
一瞬で吐き気をもよおし、頭が痛くなるほどの凄まじい臭気だった。ニコは腰が砕けてヘナヘナとその場にしゃがみこんだ。
慌てて鼻をつまんだテオが風おこしの呪文を唱えた。
ブオォッと強い風が沸き起こり、部屋の中に充満していた匂いを外に放出させた。途端に通りを歩いていた人たちが、悲鳴を上げて逃げ出す。
「なんだなんだなんだぁ!?」
テオはローブの袖口で鼻を押さえて中に飛び込み、匂いの発生源を探す。
そしてすぐに戻ってくると、半泣きになっているニコの前に鉢植えをドンと置いた。黒猫はとっくに向かいの家の屋根の上に逃げている。
「おまえの仕業だなぁ?」
「ほへ?」
その鉢植えは昨日ニコが花を咲かせようと、何度も呪文をかけたパンジーだった。いや、元パンジーだった。
肉厚の毒々しい真っ赤な唇のような花が咲き、それが悪臭を放っているのだ。
ニコの顔は一瞬で真っ青になり、魚のように口をパクパクとさせた。
まさか一日遅れで魔法が効くとは。というか、これは効いたと言えるのか。花は咲きはしたが……。
「す、すみません……」
テオはニコの返事など聞きもせずに、炎の呪文を唱える。
あっという間に、鉢植えは焼却され匂いもすっと消えた。
「まったく」
テオが腰に手を当てて見下ろしている。
怒鳴りつけられる、そう思ってニコはギュッと目をつむった。
「なんだって、こんなことになるんだよ……お、面白すぎるだろうが!」
ブハハハッとテオは大声で笑い出した。あっけにとられるニコの背中をバンバンと叩いて、ゲラゲラと笑い続ける。
「しょうがねえなあ、教えてやるよ。魔法」
ニコがパッと顔を上げた。
テオは笑いすぎて涙がでたのか目をこすりながら、ナイスと親指を立ててみせた。
「あ、ありがとうございます!!」
ニコの顔に笑顔が咲いた。
それから数時間後、テーブルの真中におかれたバスケットに二人と一匹の視線が集中していた。
卵の表面に小さなヒビが入っている。今また少しヒビが広がったところだ。バスケットの中で卵がゴロンと動く。中で何かが盛んにもがいているようだ。
ぐううぅと、苦しげなくぐもった小さな声も聞こえてくる。
「……さあ出ておいで、ベイブ。がんばるんだ」
テオは穏やかな目で卵に微笑みかける。どうやら、名前はベイブで決まりのようだ。彼にはネーミングセンスも無いらしいが、今のニコにそれを突っ込む余裕はない。名前通りに赤ん坊みたいな愛らしい生き物でありますように、と祈るばかりだった。
どうか、バケモノじゃなくて可愛い子ちゃんでありますように……。
ゴン! バリ……バリバリ……
突き上げる音が大きく鳴り、どんどんヒビが広がった。
ニコの鼓動が早まる。何が出てくるのか……。テオは危険はないと言うが不安だった。
「後一息だ」
ゴン! ゴン! と中のモノがますます強く殻を突き上げ、網の目のようにヒビが走る。
猫はせわしなくテーブルの上を行ったり来たりしていたかと思うと、卵が音をたてて大きく揺れるたびにニコの肩に飛び乗った。
「ママ・キャット、少しじっとしてくれよ。気持ちはわかるけどね」
メッとテオに注意されて、猫はすまなそうにニャウと鳴いた。
……うううがああぁぁぁ……
不気味な声が聞こえていた。
テオの唇の両端がきゅうっと吊り上がる。
「出てくる!」
その言葉と同時に、ガッと殻を突き破りソイツは出てきた。
ニコは自分の目を疑った。
手が出てきたのだ。
人間と同じ五本の指を持つ手だった。赤ん坊のように小さな手だ。しかし、愛らしさなんてものは欠片も無い。細い枯れ枝のような茶色い腕の先に、これまた細く筋張った指。尖った爪。
その手は、ぎこちなく何かをつかもうとするかのように震えながら蠢く。
うううぉぉはあぁぁぁ……
その声にニコの背筋がぶるるっと震えた。誰が想像するだろう。卵から人型のモノが出てくるなんて。
確かに赤ん坊のような生き物ならいいと願いはしたが、これは違うだろう。第一、可愛くないじゃないか。あんまりだと、ニコはクラクラとする頭を抱えた。
一方テオは、歯をのぞかせて笑みを浮べている。とても嬉しそうだ。
殻がポロっと剥がれ落ち、腕に続いて肩そして頭がずるりと出てきた。
がはぁぁ……。
苦しげなうめきを上げてソイツが顔上げた。
「うわあぁぁぁ……!!」
テオは目を見開いて体を乗り出し、ニコはガタンッと椅子から転げ落ちた。
とんでもないものが出てきた。
全身の毛を逆立てたキャットが、ニコの腕に飛び込んだ。
ソイツはよろよろと這うようにして殻から抜けだした。そして四つんばいのまま、自分を見つめているテオをゆっくりと見上げた。
「……おああえええああおおぉぉ……」
ソイツは自分の声に驚いたように、口に手を当てた。思うように声が出せないようだ。
キョロキョロと不安げに辺りを見回す。そしてまたテオを見上げた。
「やあベイブ、はじめまして。ここは安全だ。心配しなくていい」
弱々しく体をふるわせているソイツに、テオは柔らかいタオルを巻いてやった。
小さな手がタオルを握りしめる。そして体にしっかりと巻きつけた。
「テ、テ、テオさん……こ、これは一体……」
キャットを抱いて、ようやくニコが立ち上がった。
足が震えている。
「ああ……驚いたな」
ソイツは何度も何度も瞬きしながら、かわるがわる二人を見つめた。
うっ、とニコは後ずさる。
フーッとうなりかけたキャットだったが、意を決したのかそろりとテーブルに降りた。するとソイツはビクンと身構えた。
テオはこの様子をしげしげと観察し、そしてつぶやいた。
「……ゴブリン、かな? 卵に閉じ込められていたのが出てきたんだ。殻にまとわりついていた呪文は封印だったし。オレも少しは呪文を解くのを手伝ってやったけど、ベイブはほとんど自力で破った。大したもんだ」
「え? そうなんですか? っていうか、そんなことよりこの顔! 目が、目がおかしいじゃないですか!」
ニコの声がヒステリックに、甲高くなる。
冷静に解説しないで欲しいと思った。
「うん。余分なのがついてるな」
「なんで!!」
「知るか」
そのゴブリンは、なんと四つの目を持っていた。
本来眉毛のある位置にもう一対の目があるのだ。
ゴブリンとは、地中深くに住むイタズラ好きな醜い小人の妖精だ。
この辺りによくいる妖精はもっと小さなピクシーで、ゴブリンを見かけることはほとんど無い。本来、彼らはもっと北方の国々に生息しているはずなのだ。
インフィニードの北にある高山の麓に、ゴブリンの地下王国へ通じる入口があるという話だが確かめた者はいない。ゴブリンに関わると、ろくな目に合わないと言われているからだ。
小さな体に尖った耳、ゴブリンの目は暗闇でも金色に輝く。ただし、普通は目は二つだけだ。
テオのベイブは、とんだ可愛い子ちゃんだった。
「四つ目か。こんなのは初めて見る。面白い」
「……お、面白いですか。僕は不気味すぎて、怖いですよ」
二人の会話を聞いて、ゴブリンはギョッとしたのか、自分の顔をぺたぺたと触った。
言葉は理解出来るらしい。
動揺しているのかしきりに周りを見回し、体に巻きつけたタオルを握りしめていた。そして、テーブルの隅に置いてあった銀の水差しを見つけると、ヒョイとバスケットを飛び出し近寄って行った。
「きいいいいいっひゃあああぁぁぁぁぁ!!!!」
途端に、とんでもなく大きな悲鳴をあげた。
ニコは思わず耳をふさぐ。耳に突き刺さるというのはこういうことかと実感していた。
ゴブリンは水差しの前で叫び続けている。そこに映った自分の顔に驚いているようだ。
両手をバンバンとテーブルに打ち付け、キーキーとわめき続ける。そして頭を振りたくり、水差しにゴンゴンと激しくぶつけ始めた。ひどい癇癪を起こしている。
「落ち着け! 落ち着けって! 怪我するぞ!」
テオは、慌ててゴブリンの口を手でふさぎ抱きかかえた。
ゴブリンの小さな指が、カリカリとテオを引っかく。足をバタつかせながら、なおもフギーフギーと奇声を上げている。
しかしがっしりとテオに押さえこまれ、ゴブリンは逃げ出せない。四つの目でキリキリとにらみつけてくる。
「いいか、落ち着け! 黙るんだ! 今すぐ黙るならこの手を離してやる」
ゴブリンの額に、自分の額が引っつかんばかりに近づいてその眼を見つめる。その時、テオの唇がかすかに動いたが、ニコには何と言ったのか聞こえなかった。
ゴブリンはプッツリとわめくのをやめた。キャットを大人しくさせた時と同じ魔法を使ったようだ。
ふうっと大きく溜息をついて、テオはゴブリンの口をふさいでいた手を離した。
その瞬間、ゴブリンは細かく鋭い歯がズラリと並んだ口をガバっと開けると、テオの指に噛み付いた。
「痛っだあぁ! 何すんだ、この!」
テオが振り払おうとした時にはもう、自ら飛びのいてバスケットの布の中にもぐり込んでしまった。コソッと布の隙間からこちらをうかがっている。
テオが歯をむいてにらむとサッと引っ込んだ。
「ったく……」
キャットは恐る恐るゴブリンに近づいてゆき、テオの視線からさえぎるようにバスケットの前に座った。ゴブリンを守ろうとしているのだろうか。
「大丈夫ですか!?」
「まあ、大したことはない」
テオは言ったが、その指に小さな赤い穴が一列に並んでいるのをみると、ニコはゾッとした。
大丈夫だなんて言ってたのに充分危険な生き物じゃないか、と眉をしかめる。
「とんだ跳ねっ返りだな……」
指にふうと息を吐きかけてテーブルを離れると、ブツブツと不満気につぶやきながらテオは階段に足をかけた。
「ちょっと、テオさん! 行っちゃうんですか? コレ、ここに置いていくの止めて下さいよ」
「むやみに近づかなきゃ、大丈夫さ。ゴブリンってのは強い魔法なんて使えないし、腕力も無いから」
はあと肩を落として、二階へ上がってしまった。
噛まれても追い出す気はないようだ。
卵の時はあんなに可愛がって世話をしてやったのに、出てきた途端にこんな仕打ちを受けるとは、少々テオを気の毒にも思う。
しかし逃げるのは卑怯というものだ。
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