6 呪いをかけられたゴブリン
ニコは部屋の中をオロオロと行ったり来たりしていた。バスケットが気になって何も手につかないのだ。
ゴブリンは布の中でもぞもぞと動いていたが、しばらくすると動かなくなった。するとキャットは、ニコに向かってもう大丈夫だと言うように小さくフニャと鳴いた。
眠ったのかなと、ニコはそろそろと近づき何度かためらった後に、意を決して布をめくり上げた。
ゴブリンは体を小さく丸めて眠っていた。
見れば見るほど、醜く奇妙な生き物だ。身長は六十~七十センチほどで、土色の肌にとんがった耳、板のようなガリガリの胴体から枯れ枝のような細い手足が生えていた。
そして普通のゴブリンとまったく違うのは、もちろん四つの目だった。
今は全ての目が閉じられているが、その目がバラバラに瞬きするのを見た時は、不気味さに吐き気がした。
自分の顔を見てあんなに取り乱したのだから、四つ目は生まれつきではないのだろう。テオの言うように魔法をかけられ卵に閉じ込められた時に、顔も変えられたのかもしれない。
本来二つの目を四つに増やす魔法。どういう意味があるんだろう。
ふと、ニコはゴブリンの目から涙が一筋流れているのに気づいた。微かに体も震えている。
急に可哀想にという思いがわいてきた。卵に閉じ込められた上に、恐ろしい顔にされてしまうなんて、と。
ニコは布をそっと元に戻した。
キャットはバスケットの側を離れずに、じっとニコを見つめる。
ゴブリンを我が子と思っているかどうかはともかく、守ろうとしていることは分かった。
「お前たち、どういう関係なんだい?」
頭をなでながら問いかけてみるが、もちろん答えは聞けなかった。
日は落ちて、もうすっかり夜になっていたが、テーブルの上に置かれたバスケットの中でゴブリンはずっと眠り続けていた。キャットもいつの間にかその隣で眠ってしまい、一向に起きる気配がない。
夕食の後、テオは本を読み始めた。時折ペンダントをいじりながら、読みふけっている分厚い本は、背表紙には異国の文字で題名が記されていて、ニコには何と書いてあるのか解らなかった。
テオはふと思い出したようにバスケットを眺めるので、きっとゴブリンについて何か調べているのだろうと思い、彼の読書の邪魔をしないよう静かに黙っていた。
ニコは何年か前に、魔法商人に捕まったゴブリンを見たことがある。
カゴに入れられたそのゴブリンは、どこかに売られて行く途中のようだった。
彼らは地下で生活しているが、時折地上に出てきて人間にいたずらしたり、物を盗んでいったりする。しかし住み慣れた土地を離れることはない。
だからこの辺りで見かけるゴブリンは、国を追い出された「はぐれゴブリン」ということになる。助けてくれる仲間も、帰るところもない。
捕らえられたゴブリンは、もの好きな魔法使いの下僕となって暮らすことになるだろう。
卵からかえったこのゴブリンも、そんなはぐれゴブリンなのだろうか。
バスケットを見つめると、タオルが規則正しく上下している。まだ眠っているようだ。
暇を持て余し、ニコはついさっき教えてもらった、風起しの呪文を練習し始めた。あの毒花の悪臭を追い払ってくれた救世の魔法だ。
もうテオに隠れて練習する必要はない。その事を嬉しく思うニコだった。
石版にチョークで小さな魔法陣を描き、深呼吸して気持ちを落ち着かせ集中する。じっと魔法陣を見つめ、呪文を唱えた。
何も起こらない。
ニコはハアと息を吐き出して落胆する。
テオが手本を見せてくれた時は、たちまち鉛筆ほどの小さな竜巻が湧き起こり、魔法陣の中をくるくると舞ったのだ。
そして、ひとしきりダンスを踊ったあとは、チョークの粉を吹き飛ばして魔法陣を消してゆき、消滅した。自分もあんなふうにやってみたい。
大きく息を吸い、ヨシっと気合を入れてもう一度呪文を唱えた。
するとカタカタと石版が震えた。
いいぞ、と呪文を続けるニコの心は高揚した。
「……渦巻く風よ来たれ!」
ブオオオオォォォ!!
突然、爆風が吹き荒れた。
食器やクロスを舞い上げ、椅子を壁に叩きつけた。
風が猛烈な勢いで渦をまく。
あらゆる小物が吹きあげられて、天井に壁に激しくぶつかった。
そんなバカなとニコは狼狽えるばかりだ。風の止め方はまだ教わっていない。
「静まれ!!」
テオが一喝すると、一瞬にして風はピタリと止んだ。
が、舞い上げられていたものが一度に落ちてきて、ものすごい音がした。部屋の中は無残に破壊されていた。
ゴブリンとキャットは窓枠にしがみついて震えていた。誰も怪我をしなかったのは、奇跡に近い。
ニコは真っ青だった。こんな事になるとは思いもしなかった。
「す、すみません。ぼ、僕……」
「コントロール法を先に教えるべきだったな。オレのミスだ。しかしまあ、派手にやったな」
あきれ顔だったが怒っている様子はない。
「ごめんなさい。……部屋をめちゃめちゃにしてしまって」
「別に構わないさ。もともと散らかってるんだから対して変わりゃしない。オレは上に行くよ。ベイブ、キャットくるか?」
テオがバスケットを椅子の下から引きずり出すと、ゴブリンとキャットはすぐさま飛び乗った。
「そんなに落ち込まなくていい。初めての呪文はこんなものさ」
テオはニッコリ笑う。
ニコは、いっそ怒鳴りつけてくれればいいのにと思った。昼間だって大失敗をやらかしてしまったというのに。
優しい言葉をかけられ、返って落ち込んでしまうニコだった。
ニコを残して、テオは自分の部屋に上がっていった。
窓際のチェストの上にバスケットを置くと、キャットはすぐに飛び降りウロウロと部屋を歩きまわった。
「大丈夫、何も危険なものはないから。……下より散らかってるけど」
テオは、タオルにくるまっているゴブリンにそっと手を置いた。
まだブルブル震えている。
テオが再び本を読み始めると、下でガタゴトと片付けをしている音が聞こえてきた。
ガガガ……と重たいテーブルを引きずっている音がする。
テオは黙って本を読み続けていた。
「手伝ってやればいいのに。あの子だって悪気があったわけじゃないんだから。魔法を使えばあっという間なんでしょう?」
おや? っとテオは顔を上げた。
ゴブリンだ。
ゴブリンのベイブがバスケットの中でタオルにくるまり、顔だけ出してこっちを見ている。姿に似合わぬ、若い女性の澄んだ声だった。気の強さが声にあふれている。
テオは興味深げに彼女を見つめる。
「わかってるさ。ニコは少しばかり失敗しただけさ。どうってことは無い。だから手伝わない方がいいんだ。それよりベイブ、話せるようになったんだね。眠ったら体力が戻ったのかな? それとも自分で呪いを解いた?」
本を閉じ目をキラキラさせて言った。拾った小石を宝石だと言って喜ぶ子供のような顔だ。
「ずいぶん落ち着いたみたいで良かった。また噛みつかれたらどうしようかと思ってたんだ」
「あたしを無理やり押さえつけようとしたり、魔法をかけようとしたら、何度でも噛んでやるわ」
さっきまで震えていたのが嘘のようだ。腕を組んでツンと澄ましている。
「困ったね。君にはオレの魔法が通じないみたいだし」
困ったといいながら、楽しげにクスクスと笑う。
癇癪を魔法で静めようとしたが、効き目がなかったことを言っているのだ。
ふんとベイブが鼻を鳴らした。
キャットがフニャンと嬉しそうに近寄り、ベイブの顔をぺろっと舐めた。
「猫ちゃん、あなたはあたしの味方なのね。あの魔法使いが悪い魔法をかけないように守ってくれる?」
ベイブは、キャットの鼻にキスをした。
フニャーオォーー!!
高らかに鳴いた。大した張り切りようだ。
「おいおい。オレは悪さなんてしないぞ」
「どうだか。さっきはいきなり束縛の魔法をかけようとしたし、思いきりあたしを締めあげたくせに。殺されるかと思ったわ」
「そりゃ済まなかったね。今度からもう少し加減するよ」
肩をすくめて笑った。
ベイブはチェストの上を歩いて、テオに近づいてきた。
彼の指についた歯型を見つけて言った。
「あら、あんた治せないの?」
「癒しの魔法は得意じゃない。怪我なんてほっといても自然に治るんだから、覚える必要もないさ」
「ケチな魔法使いね。こっちに手を出して」
テオが素直に従うと、ベイブはその指に手をかざした。桜色の淡い光が降り注いだ。
「ちょっとは、悪かったと思ってるのよ」
じんわりと温かくなるのをテオは感じた。
傷が消えていく。ほんの数秒で、跡形もなく傷は無くなっていた。
「へえ、すごいね。ゴブリンが白魔法を使えるとは知らなかった」
「きっとあたしは特別なんだわ。拾ったからには大事にすることね。そうしたら、これまでの無礼を許してあげてもいいわ」
また腕を組んで、ツンと澄ましている。
おやおやとテオは愉快げに微笑んだ。
「まるでクイーンだね。いいさ、仰せの通りに」
パチンと指を鳴らすと、可愛らしいレースのついたクーファンが現れ、天井から淡い水色のカーテンが落ちてきた。
窓際の一角をそのカーテンが区切っている。
「どう? 君の部屋だ。そこで寝てくれ」
テオは得意げに言ったが、ベイブは腕組みしたまま首をかしげた。
キャットも不満気に鳴いた。
「……あんたどうかしてるわよ。このベッドはあたしのサイズにぴったりだし素敵だけど、なんであんたと同じ部屋で寝なきゃいけないの。女の子なのよ。それにここは汚すぎるわ」
「空いてる部屋なんてないんだ。ニコの部屋はもっと狭いし。日当たりのいい場所を提供しているんだ、これで我慢してもらうしか仕方ない」
「ああ……本当、仕方ないわね……最悪な人生だわ。なんでこんな目にあうの。体中に呪いがからみついているのが解るわ……」
はぁとため息をつき、両腕をさすり悲しげにうつむいた。
「あたし、何も悪いことなんてしてないのに……」
「不運だって言いたいのかな? ところで本当の名前教えてくれる?」
テオは、ベイブの顔をのぞき込んでたずねる。
口を開きかけた彼女の顔が、突然、むむむとゆがんだ。唇を動かし声を出そうとするが、出来ない。答えたいのに話せなかった。
モゴモゴと喉の奥に空気の固まりが詰まっているような感じだった。息も苦しい。呪いのせいなのだろう。
もう一度、大きくため息をついた。
「はぁ、ダメみたい。少しも話せないわ」
「なるほどね」
テオはふふんと笑う。
「その呪い、オレが解いてやるよ。その目、元々は二つなんだろう?」
「本当に? できるの? あたしを元に戻せる?」
「まあ、なんとかなるさ」
ベイブは自信ありげに微笑んでいるテオを、じろりと見上げた。
この男は本当に自分の味方になってくれるのだろうか、と値踏みをしているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます