幕間 廃屋にて

 薄暗い廃屋の中に、コツコツと足音が響いていた。

 幾つも小さな穴の開いた天井から、白い線となって陽光が幾筋も差し込んでいる。埃がその光の帯の中で、キラキラと輝きながら舞っていた。


 部屋の真ん中には、がっしりとした体躯の男が立っていた。

 あずき色の制服、ミリアルド王国の兵士だった。迷霧の森を捜索している最中に、仲間から一人引き離された男だ。

 その周りを、引き離した張本人である黒いドレスの少女が歩いている。足音は彼女のものだった。

 色の白い、あどけなく美しい少女だった。十代前半といったところだろうか。


「私、ミリアルドに住んでいたこともあるのよ。むかーし昔のことだけど……」


 ふと立ち止まり、ぼうっと突っ立ているミリアルドの兵士のあごを、イタズラっぽく人差し指でつつきあげる。


「どこへ行っても同じだった。……私達はいつも忌み嫌われる。いるだけで厄介者扱い……。ねえ、どうしてだか解る?」


 少女は兵士の胸にしなだれかかった。

 鼻にかかった艶っぽい声で、囁き続ける。


「双子だからよ。不吉なんですって。男と女の双子は特に。あなたもそう思う?」


 兵士の胸に頬をよせ、指で「の」の字を書いてすねたように見上げた。

 兵士はぼんやりとうす目を開き、だらしなく開いた口からは涎がたれていた。少女の声は、果たしてその耳に届いているのだろうか。

 と、ギラリと少女の瞳が光り、急にその顔は大人びたものに変わった。百戦錬磨の毒婦の顔に。見かけどおりの年ではないのだろう。


「下らない俗信。無知な民衆。低俗な魔法使い。……そんなものに私達は虐げられた。生まれながらに強い魔力持っていたのも仇になったわ。……悪魔の生まれ変わりだなんてね」


 少女はくるりと兵士に背を向けた。そしてまた兵士の周りを歩き始めた。

 コツコツと足音が響く。


「でも、いいの。そのおかげで、素晴らしい力を手に入れることができたんですもの。今じゃ私の名前を知らない者は、一人もいないんだから」


 声がワントーン低くなった。

 兵士の前で立ち止り、下から睨めあげた。


「私の名前を言ってごらん」


 ざらついた声だった。一瞬にして、百歳も年をとったようだった。

 兵士の唇がぶるぶると震えだし、かさついた喉から懸命に声を絞り出した。


「ア……アンゲ……リキ……」


 魔女は名前を呼ばれ、年端もいかぬ少女のように嬉しそうにニッコリと微笑んだ。

 天使のように清らかな笑みだ。


「よくできました。では自分の運命も、もう解っているわね」


 愛らしく輝くような笑顔なのに見る者の背筋を凍らせる、そんな微笑みだった。

 部屋の隅から、静かに黒い影が近づいてきた。そのボディラインはしなやかでかつ筋肉質であり、まるで豹を思わせるネコ科の動物のものだった。しかし豹にしてはかなり大き過ぎる、真っ黒な獣だった。


「それにしてもあの子、どうやってあの魔法使いに取り入ったのかしら? それとも彼の方から、首を突っ込んできたのかしら」


 あごに人指し指を当てて小首をかしげる。

 獣がアンゲリキの胸に頭を擦り寄せてきた。グルグルと喉を鳴らしている。


「お前が言うから見逃してやったたけど……。いずれは取り返さないとね」


 よしよしと獣を撫で抱きしめた。小さな子どもをあやすように、背をトントンと優しく叩く。

 獣はうっとりと目を閉じ、ますます喉を鳴らした。

 アンゲリキも満足そうに微笑んだ。そして、ゆっくりと身を離した。


「さあ、はじめましょう」


 彼女の言葉に獣がうなずく。

 アンゲリキは兵士の手を取り、歩き出した。

 大きな姿見鏡の前へと進んでゆく。


「さあ、一緒にいらっしゃい。あなたに手伝ってもらいたいの」


 片手を鏡面に添えると、ザワザワと水面のように波紋が浮かび上がった。そして、すうっと手が鏡の中に入り込んでゆく。

 魔女は鏡の中に入っていった。

 彼女にしっかりと腕を掴まれた兵士は抗うこともできず、鏡の中へと引きずり込まれていった。獣もその後に続く。

 廃屋は静まりかえり、誰もいなくなった。


 しかし大きな鏡には、魔女と兵士の歩いてゆく姿が映っている。

 彼らは鏡の中をどんどんと歩いてゆき、扉を開けて屋敷の外へとでた。が、そこは現実世界の屋敷の立っている場所とは違っていた。

 暗い森の中だった。

 暗闇の中に、ボウっと光るものがあった。

 それは卵のよう形をした石だった。緑色にぼんやりと光っている。その表面には深いヒビが入り、今にも割れそうだった。

 アンゲリキと兵士はその石の前で立ち止まった。

 魔女はひざまずき、愛おしそうに石に頬ずりをした。


「もうすぐよ……」


 優しく石を撫で上げると、ドクリと脈動を感じた。

 アンゲリキの頬が紅潮する。

 立ち上がり、兵士に向かって微笑んだ。


「私の半身を取り戻すの。だから、死んでね」


 カッ目を見開き、魔女の体が発光した。

 すると、彼女の頭の位置がずんずんと高くなっていった。あっという間に、兵士の身長を追い越し、両腕で兵士の頭部を胸に抱え込める程になっていた。

 彼女の下半身は、白くヌメヌメとした蛇の胴に変化していたのだ。蛇は、兵士を容赦なくキリキリと締めあげる。

 ヒヒっと魔女は嗤った。


 それを合図に、獣が獲物の喉に喰らいついた。

 ボトボトと大量の血が、石に降り注ぐ。

 兵士の膝がガクリと崩れ、石の上に更に鮮血をまき散らした。石は真っ赤に染まり、兵士の流した血をゴクゴクと吸い込んでいた。まるで生き物のようだった。


 バン!


 大きな音を立てて二つに割れた。

 その割れ目から、ゴウゴウと炎が立ち昇った。

 四、五メートルはあろうかという、巨大な火柱だった。


「あああ……。あああ! やっと!」


 魔女は、うっとりとその炎を見つめ上げた。







 町外れにある朽ちかけた廃屋の前に、人だかりができていた。普段は全く人通りのない場所である。それが突如、騒然とした空気に包まれたのだ。

 大勢の警官が忙しく出入りし、シートに包まれた物を二人がかりで運び出している。物見高い人々が集まって、その様子にざわざわとささやき合っていた。

 シートの隙間から、ちらりとあずき色のジャケットがのぞいていたが、それがミリアルド兵の制服だと気づいた野次馬はほとんどいない。

 この廃屋の中で、数体の遺体が発見された。死後数日経ったものから、つい数時間前に亡くなったの思われるものもあったという。


「なんでも、喉を切られてたってぇ話だ。切り裂き魔か?」

「違うって。食いちぎられてたって、言ってたぜ」

「何に?」

「そりゃあ…………知るもんか」


 警官にしっしと追い払われて、不満気に後ずさる人々の後ろを、黒猫が通りすぎていった。ネズミの尻尾を口の端から垂らしたキャットだった。

 大きなあくびを一つして伸びをすると、我関せずと澄まして歩いて行く。


「あれ? テオさんちの猫ちゃん?」


 たたたっとツインテールの女の子が駆け寄ってきて、キャットの前にしゃがみ込む。テオの店に良く薬草を買いに来るジルだった。

 キャットの顔を覗き込み、嬉しそうに笑う。


「あ、やっぱり。ねえ猫ちゃん、なんでこんなとこにいるの? あっち行こう。ここ、怖いよ。前から幽霊屋敷だって噂はあったけど、本当に事件が起きちゃったんだって。いっぱい人が死んでたんだよ。怖いよね」


 ネズミの尻尾をぺっと捨てると、彼女の足にすり寄って普段より数倍可愛らしくにゃ~と鳴いた。

 ジルは、キャットから漂う血の匂いに一瞬顔をしかめたが、すぐに笑ってキャットを撫でまわす。話好きな彼女は、猫相手でも構わず噂話を続けた。

 キャットは彼女に身をまかせて、気持ち良さげに喉をゴロゴロと鳴らしていた。

 

「ねえ、知ってる? 最近、行方不明が多いけど、森で迷子になった人だけじゃないんだって。きっとここで見つかったのは、町で行方不明になった人だと思うんだ。……怖いね。一体どうなってるんだろう。この頃、町中兵隊さんばっかり。やっぱり魔女が戻ってきたのかなあ」


 ジルはブルっと身震いして、自分の腕を抱きしめた。

 彼女の言う通り、警官だけでなく数日前から軍も出動して、検問や見回りを強化していた。幾つもの小隊が、物々しく町の巡回しているのだ。

 少しでも不審な人物を見かけると即座に取り調べ、疑いが晴れるまで拘束する。魔女の手先が町に潜入しているのではと警戒しているのだ。ピリピリした空気が、警官や兵士たちから伝わってくる。


 ジルも不要の外出は両親から禁じられていた。今日は、たまたまこの近くに用事のあった父親に無理やり付いて来たのだった。

 その父親が馬車の御者台から、帰るぞ、と娘を呼んだ。

 小首をかしげて、キャットは彼女を見上げる。ぺろっとその指をなめてやると、少女はニッコリ笑って立ち上がった。


「一緒に帰ろうっか。歩いて帰るには遠いでしょう?」


 そう言って、キャットを抱き上げると馬車へと駆けていった。







 鏡の世界の森の中。二つに割れた石が転がっている。

 アンゲリキは悲しげにつぶやいて石の傍らに座った。


「失敗だったわ……でもお前にはどうでもいいことね……」


 獣の頭をなでながら自嘲気味に笑った。

 魔女が獣の喉をかいてやると、気持ちよさそうに目をつむった。


「でも、もう一つの計画は順調よ。お前のお陰でね。あの魔法使いはまだ気づいていない。ちゃんと見張っておくのよ」


 グルルと喉を鳴らして、獣は答えた。

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