14 おしゃべりな少女と魔女の気配

 ニコは開け放たれたドアを閉めて、ベイブを振り返った。


「すごい剣幕だったね」

「ホント。驚いた」


 彼女は床に散らばっている手紙を拾い集めていた。テオが投げ捨てたものだ。

 読み始めるなり彼の顔は怒りに染まってゆき、送り主を口汚くののしった。そして、ニコの止める間もなく飛び出していったのだ。


「クレイブさんの手紙でこんなに怒ったの、初めてだよ。どんなイヤミ言われても、いつも鼻で笑ってたのにどうしたんだろう?」

「ふふ。多分この一文のせいね」


 ベイブが手紙の一部を指さし、読み上げニッコリと笑った。


「――自分の弟子が出来が悪く、素性の分からぬ孤児だからといって、他人の弟子に嫉妬心を抱くのは―― ニコ、あなたが侮辱されたことに怒ったのよ」

「え?」


 途端にニコの顔が真っ赤になる。

 あのテオが自分の為に怒ってくれたのか、そう思うと嬉しいような照れくさいような妙な気分だった。


「クレイブさんの言うとおり僕は孤児だし、ろくに魔法も使えない。出来が悪いのは本当だよ……別に怒ることじゃないのに」

「そんなこと言うもんじゃないわ。魔法だって使えるじゃない。ちゃんと指導しないテオがいけないの。彼はあなたを信頼してるし、期待しているわ」

「そ、そうかな……」


 ますます赤くなる頬をポリポリかきながらキッチンに入っていくニコを、ベイブはクスリと笑って見送った。


「それにしても自分は平気で人を侮辱するくせに、身内がされると怒り狂うなんて、とことん自分勝手な男ね。ブロンズ通りの魔法使いは」


 独り言をいいながら、くすくすと楽しげに笑い続けた。




 しばらくして、コンコンと扉がノックされた。

 ベイブは例によって、またさっと物陰に身を隠す。

 扉をあけると、クリクリとした大きな目の十歳程の少女がニコを見上げていた。体の弱い母親のために、よく薬草を買いに来る少女だった。ツインテールを揺らして、元気に挨拶する。


「おはようございます、ニコさん。いつもの薬草を下さい!」

「おはようジル、お母さんの具合はどう?」


 ニコは微笑んで、すぐに薬草を用意してやった。


「うん。大分いいみたい」

「そりゃ、良かった」

「あのね、先週はお留守だったから、仕方なくレンガ通りの魔女さんちの薬草を買ったの。そしたら、どうなったと思う!?」


 おしゃべりのスイッチが入ったジルは、早口でまくし立て始めた。


「もう大変! 飲んだ途端に緑色のジンマシンだらけ! 家中大騒ぎよ! お父さんは怒鳴るだけで役に立たないし、おばあちゃんはオイオイ泣き出すし、お母さんは真緑だし……。あたし、もう見ていられなかったわ!」


――それは可哀想に……体質に合わなかったのかな。たまにこういうこと、あるんだよなあ。


「ここの薬草が少し残ってて、本当に助かったわ。飲ませてあげたら直ぐ治まったの。あの時はどうなるかと思ったわ。あそこの薬草や呪文は、もう絶対買わないんだから! 町の人たちにもこの話教えてあげたの。だってそうでしょう、ひどんだもん!」


――うーん、レンガ通りの魔女も気の毒に……。


 弁解に走り回っている魔女を想像し、ちょっと同情してしまった。


「あ、そうだ、ニコさん知ってる?」


 いきなり話題が変わった。


「隣の国の王女様が行方不明なんだって。インフィニードの魔法使いが何人も捜しに行ってるけどなかなか見つからないみたい」


――それ、テオさんが断った大臣命令だ……。秘密のはずなのに、すっかり知れ渡ってるじゃないか。


「ミリアルドは魔法使いが少ないんだって。だからこっちにお願いしたのね。それにね、あちらでは私たちの王様と王女様の結婚の噂があるんだって!」


――へえ、それは知らなかったな……。


 ミリアルドとしては、その結婚で友好国インフィニードとの結びつきを更に強くしておきたいのだろう、とニコは想像した。ミリアルドは大国からの侵攻におびえているのだと聞いていた。


――でもうちの国王はとても気性の激しい恐ろしいお方らしいし、娘を差し出したからってミリアルドを助けるかどうかは……。


「王女は、結婚を嫌がって家出したって言う人もいるけど、あたしは違うと思うの。きっと魔女の仕業よ! アンゲリキがさらったのよ! ああ、かわいそうな王女さま! 目玉を食べられてるかもしれないわ。どうしよう」


 ジルは芝居がかった仕草で手を合わせ、天をあおいだ。


「早く助けてあげないと! だって未来の王妃様よ。ああ、王様もご心配でしょうね。王様はとてもお強いって言うし、もしかしたら自ら助けにいかれるかも! ええ、そうよ、黒竜王ですもの! きっと魔女を倒して、愛する姫をお救いになるわ! そう! そして二人は堅く抱き合って……ああ、なんてステキ」


――いや、それは絶対にないと思うよ……。


 ニコは苦笑しながら、ようやくおしゃべりが止まりうっとりと妄想に眼を輝かせている少女に言った。


「面白い話をありがとう。でも、そろそろ帰らないとお母さんが待ってるんじゃないかな?」

「あ……」


 我に返ったジルは、ペコペコと頭を下げると足取りも軽やかに帰っていった。

 女の子とは、いくら小さくても噂好きなんだなあとニコは感心する。おしゃべりのパワーに圧倒されたものの、嫌な気はしなかった。むしろ、女の子はいるだけで楽しい気分にさせてくれる。でも、できれば自分と同じ年頃で、もう少し静かな女の子と話したいものだ。


「あの子、あの時はまだ小さかったんだろうな。なんで黒竜王って呼ばれてるか、知らないみたいだし……」


 ニコのつぶやきを聞きながら、ベイブは扉の影に隠れつつジルの後ろ姿を見送っていた。





 その日の夕刻、王宮内の公認魔法使い詰め所で、驚くべき事件が起こった。

 一部始終を見ていたクレイブは、ひどく青ざめた顔で内大臣に報告をし、たった今その部屋を辞して来たところだった。

 長い廊下を歩きながら、彼はこみ上げる吐き気を必死にこらえている。思い出される光景にクレイブの体がよろめいた。


 テオ宛の手紙を紛失した件で、クレイブはフリッツを伴い謝罪の為に王宮を訪れていた。

 手紙は王宮付き魔法使いアインシルトから託されたもので、テオを王宮に招聘しょうへいするものだった。

 王宮付き魔法使いとは、この国で最も権威ある魔法の使い手たちのことだ。その筆頭であるアインシルトとは、国中で名前を知らぬ者はいないという大魔法使いなのだ。その重鎮からの大事な手紙を紛失したのだから、平謝りに謝るほか術はない。

 しかし、王宮に着いてもなお反省の色が見えないフリッツにクレイブは激怒し、アインシルトへの謁見前に、詰め所で再度彼に説教をしていた。


 その時、突然フリッツが硬直し頭から煙がゆらゆらと立ち昇ったのだ。

 最初それが、何なのかクレイブには理解できなかった。いや、理解したくなかったというのが正しい。

 焦げ臭い匂いが引き起こした直感を、感情が猛烈に否定したのだ。そんな馬鹿なことが、と。


 しかし、煙の量は増し嫌な匂いが部屋を満たしてゆく。

 フリッツの体が燃えているのだ。それも内側から。

 目や鼻、口から黒い煙が噴き出してきた。続いて真っ赤な炎が這い出してきて、彼の全身を覆った。棒立ちのまま、ブスブスと音をたてて激しく燃えあがる。

 クレイブは、人間の肉が焼ける匂いを初めて嗅いだ。おぞましさに腹の中が冷えきり、立ち尽くすばかりだった。

 哀れな青年のなれの果てが、どさりと床に崩れ落ちる。天井まで火の粉が舞いあがった。そして炭化した身体の中から小さな火の玉のようなものが飛び出し、クレイブの目の前を横切り窓の外へと出て行った。


 何が起こったのか解らない。

 後に残ったのは、大量の真っ黒な炭だけだった。

 クレイブの背中に冷たい汗が一筋流れた。


『魔女なのか……?』





 日が沈み空に星が瞬く頃、クレイブは屋敷に戻ってきた。

 と、扉の前に嫌でも目を引く背の高い男が立っていた。今、最も見たくない男だった。


「よお、大変だったそうじゃないか」


 極太ストライプのローブがふわりと揺れて、こちらに近づいてくる。


「……なぜお前が知っている」

「オレの耳は特別仕様なのさ」


 テオは昼間のことなど無かったかのように、人懐こくニッと笑う。

 そして、急に真顔になった。


「あのフリッツは、本当にフリッツだったのか?」


 テオの言葉に、クレイブはドキリとする。

 彼が、一番不審に思っていたことだった。

 フリッツは少しおっとり屋だが、生真面目で約束を違えることのない誠実な好青年だったはずだ。信頼出来る弟子の一人だった。だからこそ使者に選んだのだ。


 ひょっこり帰ってきた弟子に、クレイブは違和感を感じた。

 頭を下げ真摯に謝るフリッツ。しかし何かがおかしい。彼が言っておかしくないセリフなのに、何故か別人が話しているような妙な感じがしたのだ。

 だが、この時は苦情の手紙を送った直後であり、大恥をかくことになるぞと焦り、その事を深く考えることが出来なかった。

 しかも問いただす間もないうちに、殴りこみまがいの訪問者が来てしまった。クレイブは、王宮で彼が燃え上がる直前まで、彼とろくに話せなかったのだ。


 あのフリッツは、本当にフリッツだったのか?

 頭の中でテオの言葉を反芻した。

 その顔に深いシワが刻まれる。フリッツはフリッツでなくなっていたのだろうか。


「……今思えば、いつものあいつと様子が違っていた」

「何かに取り憑かれていた、そう思うのか?」


 探るようにテオが問う。

 ふうとため息をつき、クレイブは足元の地面を見つめた。


「私には解からん。姿形は変わらない、それなのに一瞬、見知らぬ者のような気がしたのは確かだ」


 もっと注意を払うべきだった。

 後悔がクレイブの腹の中に重く沈む。


「そうかい。他には?」

「王宮に行くと言ったら嬉しそうな顔をしていた。謝罪のためだと言っているのに」

「なるほど、王宮か。……邪魔したな。ねんごろに弔ってやるといい」


 テオはクレイブの肩をポンと叩いて静かな声で言うと、背を向けて歩き出した。


「私は、魔女を王宮に招き入れるところだったのかもしれん」


 つぶやくようなクレイブの言葉に、テオは軽く振り返った。


「そう思うなら、なおのことフリッツの死を悼んでやるんだな。あんたの愛弟子だ」

「あれは魔女だったかもしれない。燃え上がる体の中から、火の玉が飛びだして逃げていった。フリッツはどこかで生きているかもしれん」

「そう思いたいなら思うがいいさ。しかし、せっかく王宮に入り込んでおきながら、自ら体を焼く理由は魔女には無い」


 テオはまた背を向けた。

 クレイブが空を見上げると真っ黒な空にキラキラ輝く無数の星、そして小さな雲がいくつか浮かんでいた。

 雲は風に流されてゆっくりと形を変えながら、動いていく。

 地上にも、さっと一陣の風が通り抜けた。


「……そうだな」


 クレイブがそう言った時には、もうテオの姿は消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る