第三章 王宮からの使者

15 怪異は続く

 大通りを騎馬警官の一団が走り抜けてゆく。その後ろを、パトロールの小隊が懸命に走って追いかけていた。

 買い物の帰りに、ニコはその様子を目撃することになった。

 行き交う人々が途端に立ち止まり、一斉に注目するなかを、彼らは駆け抜けていく。皆、一様に緊張した面持ちだった。ただならぬ出来事があったと、想像するのは簡単だった。

 兵士たちが走り去ったあとから、もう一人兵士が必死に駆けて来た。

 丸々とした男だった。走っているというより、転がっているようだ。ゼイゼイと息を切らしている彼を、通行人が呼び止めた。


「いってえ、今度は何があったて言うんだい?」


 その呼びかけに、少しホッとしたような顔で兵士は立ち止まった。

 休憩ができることを喜んでいるようだ。

 息を整え、唾を飲んで兵士は話し始めた。


「……ひ、人が、いきなり燃えたんだ。少しは名の知れた魔法使いだったそうだ」


 集まってきた人たちの顔がくもり、ざわざわとどよめきが起こった。

 魔法使いという言葉に、ニコの心臓がドキリと鳴る。

 最初に声をかけた男が質問を続ける。


「それってえと、やっぱりアレかい?」

「アレって?」

「あんだよ! 決まってんだろう。魔女アンゲリキの仕業かって聞いてんだよ」

「……あああ、オレは何も聞かされないから、答えられないよ」

「っち。役に立たねえなあ。あんた、ちゃんと働けよ。ほれ、置いて行かれたぜ」


 言われて、兵士は慌ててまた走りだした。

 兵士を見送りながら、ニコは魔法使いが狙われているのだろうか、ならばテオにも危険が迫っているのだろうかと不安になるのだった。


「よう! 見習い。ブロンズ通りの魔法使いは元気かい」


 背後から突然、赤毛の若い男に声を掛けられた。

 テオを、イカれ具合が最高だといつもほめる、レオニードという男だった。


「元気ですよ」

「最近、オレの店に顔出さないから、死んじまったかと思ったぜ」


 カラカラと豪気に笑う。

 バーテンダーをしている男だった。ブロンズ通りからほど近いクロッカス通りで店を出していた。テオはそこの常連なのだ。

 男の肩にピクシーがちょこんと座っている。レオニードのセリフに会わせて、表情豊かに身振り手振りしている。

 ニコが笑うと、チュッと投げキッスを返してきた。


「イカレマホウツカイヨリ、アチキハアンタガスキヨ」


 彼女は、レダという名の屋敷妖精だった。

 レオニードの店に居付き、いつでも彼の側を飛び回っている。お色気過剰気味だったが、嫌味はなく客からの評判もいい。店のマスコット的な存在だった。

 彼女が居付くようになってから、レオニードの店はグンと繁盛しはじめた。幸運を呼び込む妖精なのだ。


「先々週は二日もオレんとこに入り浸ってやがったのに……。喧嘩したっていうヤツの可愛い子ちゃんとは、もう仲直りしたってことかい?」


 ニコは、吹き出した。

 その可愛い子ちゃんは実はゴブリンで、レオニードが思うような恋人のベイブ 可愛い子ちゃんではないのだ。


「ええ、もうすっかり」


 レオニードはニンマリ笑った。

 そして、急に真剣な顔になった。


「テオに頼みたいことがあるんだ。言付けてくれないか」

「アチキタチノハナシ、キイトクレヨ」


 レダもお願いというように手を合わせている。

 ニコはなんだろうと首をかしげ、そしてうなずいた。





「あのチンピラのレオニードの弟なら、ソイツも相当ワルなんだろうさ。ほっときゃいいんだ」


 テオはせせら笑って相手にしない。親しい友人のはずなのにひどい言い様だ。

 ニコが顔をしかめる。

 レオニードがチンピラだというのなら、テオだって同類だろう。端正な容貌を台無しにして無思慮に毒を吐く。できれば発言も美しくお願いしたいものだ、とニコは思う。


「なんだかんだ言っても、やるんでしょう? だったら気持良く始めたらどうですか?」


 レオニードの依頼は弟の捜索だった。一週間前から、行方がわからないので探して欲しいというのだ。

 弟は配達の仕事で、迷霧の森を通り隣国のミリアルド王国へ行くはずだった。馬で行けば、一日で充分往復できる。しかし帰って来なかった。

 魔女の噂や行方不明者が相次いでいることもあり、心配になったのだ。


「ツケはチャラにしてくれるって?」

「ええ」

「なら、仕方ないから探してやるよ……」


 わざと面倒くさそうに言いながら、そそくさと魔法に使う鏡をセットしはじめた。

 なんだ、やっぱりすぐに始めるんじゃないか、とニコの顔が笑いに歪みそうになる。友人の為に一肌脱ぐというのが、照れくさいもんだからすねた態度をとるんだ。

 テオの仕事の邪魔にならないよう、そっとその場を離れた。だが、好奇心には逆らえずのぞいていると、鏡は何も映さず真っ黒になっていた。

 何が始まるのだろうかと興味をひかれたが、テオの背中に隠されてそれ以上は見ることは出来なかった。

 ニコは諦めてキッチンへ向かう。


 バン! と乱暴に扉の閉まる音が聞こえた。

 すぐに振り返ったが、テオはもういない。慌てて外に出て行ったようだ。


「どうしたんだろう?」


 ニコは鏡を見た。

 一瞬、鏡の中に男が倒れているのが見えた。よく見ようとした時には、もう普通の鏡に戻っていて、自分の顔が写った。


「今の……レオニードさんの弟?」





 迷霧の森に、また乳白色の霧が漂っていた。

 この霧のせいで方向を見失った旅人がよく道に迷い、そのまま見つからないことも多い。

 テオは、ねっとりとまとわりつく霧の中を真っ直ぐに歩いて行った。

 左耳の紫水晶が、チリチリと熱を帯びてくるのがわかる。

 水晶に近い目の奥に、鈍い痛みを感じる。

 目的地はもうじきだろう。





 翌日。

 朝食の後、ニコは昨日のことをテオに聞いてみた。


「見つかったんですか?」


 テオは広げた新聞で壁を作り、ニコやベイブの顔を見ようとしない。機嫌の悪い証拠だ。

 昨夜も彼の帰りは遅かった。きっとレオニードの弟を探していたに違いないとニコは思っている。


「……物騒な事件が二つ。スプリング通りの王国公認魔法使いが焼死。食事中に突然、体が燃え上がった。迷霧の森ではまた死体が見つかった」


 ベイブが眉間にシワを寄せる。


「読んだわ。怖いわね、人間がいきなり燃え出すなんて。一体どういうことなの。魔女なのでしょう? ……で、それがどう関係があるの?」

「さあな」


 そっけなく言う。


「それよりもニコ、臭くないか? ヘンな匂いがする」


 また話をそらそうとしてる。

 質問に対して真っ直ぐに答えないテオに、ベイブはいつも不満を感じていた。

 魂が抜けたようになる件についても、結局何も話してはもらえなかった。


「……ああ、キャットですよ。このごろ、やたらとネズミを捕まえて持って帰ってくるんです。獲物をわざわざ僕の目の前に運んできて、自慢気に見せつけるんですよ。勘弁して欲しいなあ」

「今朝も早速、一匹仕留めてきたわよ。あんたが起きてくる前に片付けたけどね」


 ベイブも気味悪そうに言った。

 キャットがネズミを食べることはない。単に自分の狩りの腕前を見せたいだけのようだった。そして放置された血まみれのネズミの死骸を、ニコは処分させられるハメになっているのだ。

 狙いすましたかのように、キャットがニコの部屋から出てきた。呑気に伸びをしている。

 新聞を下ろして、テオがじろりとにらむ。


「血の匂いがぷんぷんするぞ、キャット。殺し過ぎなんじゃないのか?」

「……ウニャー」


 キャットはぷいっと横を向いた。

 放っといてくれと言わんばかりだ。後足でポリポリと首をかき、ふと何かを思い出したのかニコの部屋に引き返していった。

 そしてすぐに戻ってきた。口には血を滴らせたネズミの死骸……。


「……臭うと思ったら……」

「ヤだ!」

「キ、キャット! またぁ?!」


 ニコが叫び声を上げると、その足元にビシャリとネズミを投げて寄こした。


「ふわああ!」


 ニコは慌てて片足をあげて避ける。

 ネズミと一緒に何か紙も飛んできた。ああぁぁと、情けない声を出しているうちに、バランスを崩しドスンと尻もちをついた。

 そのニコに近づくと、キャットは前足で紙を踏みつけてニャアと鳴いた。

 それは写真だった。見覚えのある写真。あのテオの隠し部屋にあった写真だ。

 テオがポケットにしまったはずだったが、キャットはどこからか探し出してきたのだろうか。

 ネズミの血で汚れていたが、そこに写っているのはおそらく少年の頃のテオと金髪の小さな子どもだった。

 キャットが、爪でガリガリと写真を引っ掻きだした。


「全く……」


 テオはひょいとキャットをつまみ上げると、容赦無く放り投げた。そして写真を拾った。


「何がしたいんだ? キャット」


 無造作に投げられてもキャットは見事に着地した。恨めしそうに、ヴニャ~と一声あげる。


 テオが写真を指で弾くと血は綺麗に消えたが、引っかき傷は残ったままだった。金髪の子どもの顔が少し破れてしまってるのに、ニコは気がついた。

 テオはさっと写真をポケットにしまう。腰に手を当て、キャットをギロリとにらみつけた。


「獲った獲物はちゃんと喰え。喰わないなら狩るな。絶対持って帰るなよ」


 キャットは不満気にネズミをくわえると、窓から外に出て行ってしまった。彼に、テオの命令を聞く気があるのかどうかは定かではない。

 ニコは、ふうとため息をついた。床の掃除をしなくてはならない。しかも、テオの機嫌が更に悪くなったようにも思う。


「で、見つかったんですか? レオニードさんの弟さん」

「……見つかった。死体でな」

「え……?」


 ニコは、テオの不機嫌の理由にやっと気が付いた。

 テオはもうこれ以上話す気はないと言わんばかりに、また新聞で壁を作る。

 余計な事を言ってしまったと、落ち込むニコの肩をベイブがポンポンと叩いて慰めた。


「ニコは悪く無いわ」


 ベイブはテーブルの上から、テオの新聞をバサッと取り上げた。


「ねえ、あんたも落ち込んでるんだろうけど、雰囲気わる過ぎよ。あたしたちにあたらないでちょうだい」

「別にあたってないと思うが」

「めちゃくちゃ、機嫌悪いじゃない」


 テオは新聞を取り返そうとするが、ベイブは離さない。思いっきり新聞を引っ張る。ビリリっと紙が破け始めた。するとテオはパッと手を離した。

 ベイブが、後ろにひっくり返った。


「ちょっとおぉ!」

「生意気言うんじゃないぞ。ゴブリン」


 後頭部をさすっているベイブのおでこを、テオは指で弾いた。

 ケケケと意地悪く笑う。

 また喧嘩になるぞとニコが思うより早く、ベイブは新聞を棒状に丸めるとテオの頭を思い切りはたいた。


「何よ! 自分勝手なんだから!」

「おい、こら! やめろよ。うっとおしいなあ」


 テオの頭をバシバシと叩き続けた。払おうとする彼の腕をかいくぐって、放った一発が新聞が顔面を、それも目をかすった。

 テオは小さくうなって、顔を伏せる。

 やり過ぎたかとテオを覗き込んだベイブは、ハッと息を飲んだ。


「え、ええぇ? ……あんた、目がズレてる……?」


 テオの左の黒目が大きく外側を向き、半分ほどの面積になっていた。

 愕然とするベイブの手から、丸めた新聞がばさりと落ちる。怪我をさせてしまったと、慌てて彼の顔に手を添えようとした。

 テオはベイブの手を押し返し、ニタリと笑って顔をあげる。


「失明したらどうすんだ!? なーんてな。義眼だよ、気づかなかったか?」


 事も無げに言い、ぐいとまぶたの下に指を突っ込むと、眼球を元に戻した。

 ベイブはそれをポカンと見つめるばかりだった。

 まじまじと、テオの顔を見つめた。その義眼は右目と見分けがつかない。色も大きさも右と変わらない。眼球の動きさえも違和感がない。

 ニコがくすくす笑っていた。


「義眼だなんて、気づかなかった……」

「僕も、なかなか気づかなかったよ。だってテオさん、本物に見えるように魔法使ってるんだから」


 ニコはたまたまテオが義眼を洗っているところを目撃して、腰を抜かしてしまたことがあった。

 テオの落ち窪んだ眼窩、手のひらにのった半球型の義眼。今まさに眼球がこぼれ落ちて、ひしゃげてしまったように見えたのだ。ベイブの驚きはよく解る。

 ニタっとテオが笑う。


「外してみせようか?」

「……い、いいわよ、外さなくて。どうしたのよ、その目」

「秘密の場所に預けてあるんだ。近々、取り戻しに行くつもりだ」

「何よそれ。意味わかんない」

「それより、よくもぶっ叩いてくれたな。いたずらゴブリンにお仕置きしてやる」


 すっかり牙を抜かれてしまったベイブの襟首をつかんで、バスルームに連れて行った。そしてポイと、バスタブに放り込む。

 蛇口に親指を軽くあててバルブをひねると、ベイブに向かって勢い良く冷水が飛び出した。


「やだ! 冷たい! やめてよ!」

「頭冷やして、反省しやがれ」


 負けずにベイブも蛇口に手を伸ばす。テオの顔にも、水しぶきが飛んだ。

 ギャーギャーと大声を上げて水を掛け合ううちに、二人ともすっかりずぶ濡れになり、バスルームは水浸しになった。


「……あのお、そのへんで水遊びはやめてくれませんか」


 呆れてニコは苦笑する。

 テオとベイブは目を見合わせて、ニっと笑った。


「……え?」


 次の瞬間、ニコもずぶ濡れになっていた。

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