16 王宮からの使者
三人が着替えを終え温かなコーヒーで一息ついていると、ブロンズ通りの西からガラガラと馬車が走る大きな音が聞こえてきた。
いつも聞こえてくる荷馬車とは調子が違うその音が、だんだんこちらに近づいてきた。
気になったニコが玄関脇の小窓からのぞくと、二頭立ての豪華な馬車が見えた。一般人の乗り物ではない。その馬車がいきなり目の前で止まったので、ニコは驚きの声を上げた。
「な、なんだろう……」
御者が飛び降り、車の扉を開いた。
中から凛々しい口ひげをたくわえた、壮年の男が降りてきた。数多くの勲章が付いた濃紺の軍服姿は、堂々たるものだ。
まさかここに用があるわけないだろう、でも何事かな、とニコは小窓からのぞき続けていた。
すると男は数歩で玄関の前に立ち、腹に響く重厚な低音で言った。
「テオドール・シェーキー曹長は在宅か!」
ニコの顔が途端に青ざめる。
テオの名を呼んだ。なぜ? まさかまた何かやらかしたのだろうか、と心臓が激しく脈打ち始めた。テオを振り返りしどろもどろに言った。
「テ、テオさん……なんだかとっても偉い人がいらしたみたいなんですけど……」
「いないって言っとけよ」
「そんなあぁ」
焦ってオロオロとしている間に、男は勢い良くドアを開けてしまった。
目の前に突っ立っているニコをぎろりと一瞥》した。
「入らせていただく」
「……は、はい……」
ニコは思わず深く礼をして、脇に寄った。
男は、部屋を見回しテオに視線を止めると、太い眉をぴくりと動かした。
テオはいつものリネンのシャツにジーパン姿で椅子に腰掛け、足を組み尊大な態度でコーヒーの香りを楽しんでいる。
ニコはハラハラしながら部屋の壁にそって移動し、ベイブが慌てて隠れたバスケットの前に立ちふさがった。
「シェーキー曹長、久しぶりだな」
「うん。まあ、そうだな」
ニコはサーっと血の気が引くのを感じた。なんでそんなぞんざいな返事するんだ……と、背筋が凍る思いがした。見るからにその男は、中将や大将と呼ばれる、いやもっと上の位かもしれない風格と威厳を持っていた。
そんな相手に、余裕しゃくしゃくコーヒー片手にタメ口とは、無礼にもほどがあるのではないのか。
ニコはじっとりと汗ばむ手を握りしめた。
「元気そうでなによりだ」
怒鳴りつけるのかと思ったのに、意外にもその男はニンマリと笑った。
そして再び姿勢を正すと重々しく言った。
「貴殿の師匠アインシルト殿がお呼びだ。これ以上、呼び出しを無視してもらっては困る。今日はなんとしても私と一緒に王宮に来てもらう。いいな」
「……小うるさい老人の小言を頂くのか。たまらないね。同居人が増えたことだし、オレは今忙しいんだよ」
「言い訳は聞かん。馬車を待たせてある。早く支度をせよ!」
「……わかったよ」
テオは、渋々立ち上がる。
余裕があるなんてものじゃないと、ニコは焦りながらも呆れる。それにしてもこの会話、テオはこの男と知り合いなのか? と二人を交互に見比べた。
「リッケン閣下直々に迎えに来られたんじゃね。観念するさ。でも一ついいかな? オレのかわいい赤ん坊も一緒に連れて行きたいんだ」
テオがニコにウインクで合図をする。
――何? なんの合図だ?
ニコは猛スピードで頭を回転させる。
そして咄嗟にベイブの頭からタオルをかぶせ、そしていかにも赤ん坊のように横抱きにするという、見事な機転を利かせた。
「赤ん坊!?」
さっと、リッケンがふり返える。
ニコの作り笑顔がピクピクと引きつっていた。無茶ブリが過ぎる。
「母親のいない子でさ。しかも色々と事情があってね、目が離せないんだ」
リッケンは思い切り眉間を寄せて、テオをにらむ。
それから、ようやっと腹の底から声を振り絞った。
「……貴殿の子か? 子の母はどうした?」
「逃げられた。おまけに悲しいことに、その子はオレにまったく懐いてくれないんだ。その少年は子守なんだ」
「……へ?」
ニコの口から間の抜けた声が零れていた。いつから自分は子守になったのだ、とポカンと口を開けた。いつものことだが、よくもスラスラと嘘が出てくるものだ。
テオは、ニコとベイブを振り返ってまたウインクをしてみせた。そしてゆっくりとリッケンに歩み寄る。
「二人も連れて行くから、支度ができるまで待っててくれ」
テオは、玄関口に立ったままだったリッケンの肩をポンと押して、外に追い出した。ニコたちを連れてゆく了解を取りもせず、さっさと扉を閉めてしまう。
そして、白々しい程にこやかな笑顔を振りまいた。
「さあ、みんなで王宮へ行こう!」
なんでそういう展開なるんですか!
ニコは叫んだつもりだったが、実際には声は出ていなかった。
「なかなか行けるところじゃないからな。嬉しいだろう、ニコ」
めまいがする。嬉しい訳が無い。
よろけるニコの腕の中からベイブが顔を出した。
「みんなでって何よ! 一人で行けば!? なんで王宮に呼び出しされるの。なんであんな口の利き方してんの。あんた、バカじゃないの!」
「ああ言っても大丈夫だって、解ってるからに決まってるじゃないか」
「わ、わかるわけ無いですよ、そんなこと!」
ニコはムキになって反論した。
「あんなお偉方、会ったことも見たこともないし。体がすくんじゃいましたよ。テオさん、なんで知り合いなんですか」
テオは二人の反応に、意味がわからないと肩をすくめている。
「お前、物覚えが悪いな。オレは近衛隊の下士官だって言っただろ。アレはその大ボス、ムラト・リッケン上級大将だ」
ますます目が回った。
ああ、確かにさっき曹長と呼ばれていた。しかしなぜ、その大ボスに曹長ごときが馴れ馴れしい口を聞いてるんだ。
ていうか、まだクビになってなかったんだ、とニコはクラクラする頭を抱えた。
テオの不可解な行動に、かなり慣らされていたニコでも、すっかり毒気に当てられてしまった。
「……なんでベイブを、赤ん坊を連れて行きたいなんて? 僕まで子守だなんて」
「せっかくだから、一緒に連れて行ってやろうと思ったんだ。行きたいだろう?」
「行きたくないです!」「行きたくないわ!」
二人は瞬時同時に拒否した。
「……見事なユニゾンだ」
ほうと腕を組んで感心している。
「まあ、それはさておき、ベイブの顔が見えないようにしっかりくるんで抱っこしてやれ。優しくな、大事な赤ん坊なんだから」
二人の異議をまるきり無視して、テオは青と黄色のローブに腕を通した。
馬車の中は、ひどく緊張した空気が張り詰めていた。
ニコは息をするのも苦しかった。一張羅のスーツにリボンタイを結んで、硬くなって座っている。向かいに座るリッケンからベイブの顔が見えないように、しっかりと抱きしめた。ベイブは協力的でじっと大人しくしている。
テオはニコの隣で窓わくに肘をつき外を眺めていた。風が髪を揺らすのが気持ち良いのか、目を細めて顔を窓から突き出す。
時々、すれ違う知り合いに手まで振る余裕ぶりだ。
苦々しい顔でリッケンはニコを、いや、その腕の中のベイブをにらんでいる。そしてため息をついて、恨めしげにテオに視線を移した。
「何か悩み事でも? リッケン閣下」
場にそぐわぬ、涼し気な声だ。
「山ほどある。今、目の前にも」
「ん?」
「貴殿、一人を連れてくるはずだったのに……アインシルト殿は、お怒りなるだろう」
ニコは震えた。やっぱり僕たちはお呼びではない、どうしようとビクつく。
しかし、テオはまったく動じていない。肝が太いのかバカなのか、とにかく気がしれなくて、ニコは泣きたいぐらい不安になっていた。
王宮付き魔法使いアインシルトは、国王の側近中の側近だ。そしてこの国の魔法使いの最高峰といっていいい。国王ですら一目置くと言われている有名な魔法使いなのだ。
そのアインシルトがテオの師匠だったとは初耳だった。
アインシルトには多くの弟子がいて、国王も以前彼に師事していたと聞く。
彼は身分の高低に関わらず、能力があると見れば弟子にとり、ゆくゆくは王を支える要職に就けるようにと厳しく育てている。
彼の目に留まれば、大きなチャンスを手にできるのだ。未来のエリート魔法使いへの道が開ける。とすれば、テオも本来なら出世間違いなしのはずなのだが、彼はその道を果たして真っ直ぐ進んでいるのだろうかと、ニコは不審に思う。脇道にそれているような気がしてならない。
また不思議なことに、軍にもまだ在籍しているようだ。何の仕事もしていないのに。しかも、そのボスとも親しげで旧知の間柄といった様子だ。
ニコは理由が分からず困惑するばかりだった。
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