12 思い出がいっぱい

「…………マ、マネキン?」

「おう、そうさ!」


 ケケケっとテオが笑うと、ニコの身体からドッと力が抜けた。

 ポスターで隠されたドアの向こうにあったのは、白いドレスを来たマネキンだった。木製の顔のないつるんと丸い頭部の、シンプルなマネキン。


「…………なんだ、脅かさないでくださいよ」

「脅かしたのはオレじゃなくて、このドチビじゃねえか。オレを人殺し呼ばわりして」

「……え? マネキンなの?」


 ベイブが間の抜けた声をあげる。背の低い彼女からは見えづらかったのだろうが、これを人間だと思うのは少々おっちょこちょいというものだ。

 テオはしゃがんで、ニコの足に子猿のようにしがみついているベイブの額をペシンと指で弾いた。そしてクスクスと笑いながら彼女の頭をグシャグシャと撫でまわす。


「早とちりしてんじゃねえよ」

「うそ……」

「ほら、な?」


 ベイブを抱き上げ、マネキンの頭部がよく見えるようにしてやった。


「ふえぇ……」


 ただのマネキンだと確認して、今度は安堵から泣き出しそうなベイブだった。ヒシっとテオの服を掴んでいる。

 そんな彼女を見て、ニコも笑い出した。


「ねえベイブ、本当にこれが人に見えたの?」

「……さ、さっきはそう見えたのよ。ダークブロンドの長い髪も見えたし……」


 ベイブは少し納得がいかないといった顔だった。


「へえ、ダークブロンドか。ってことは見えちゃった・・・・・・んだな。このドレスの持ち主が……」


 テオがまた目を細くして低い声でふっふっふと気味の悪い笑い方をする。

 意味深なテオの物言いに、ベイブは再び青くなる。


「な、何よ!? 変なこと言わないでよ」

「このウエディングドレスの持ち主が見えた・・・んだろう?」

「知らない知らない、知らないったらぁ!」

「…………その人、何か言ってたかぁ? 曰くつきのドレスだからなぁ……」

「やだ! 止めってって! 幽霊いやー!」


 ベイブが金切り声をあげる。キャーキャーと頭を振りたくる。

 妄想たくましく、非業の死を遂げる花嫁を思い浮かべてしまったらしい。


「ハッハッハッハ! 冗談だ。ただのドレスさ。お前みたいに呪いをかけられてる訳でもないし」


 しがみつくベイブの背を、笑いながらトントンと優しく叩く。赤ん坊をあやしているようだった。


「い、曰く付きって何よ」

「だから冗談だって」

「じゃあ、なんでこんなとこに隠してんのよ!」

「隠してんじゃなくて、保管してただけさ。置いてても意味はないんだが、捨てるのもなんだし」


 ただのドレスを、ニコすら知らなかった隠し部屋でなぜ保管しているのか分からない。第一、男のテオがどうしてウエディングドレスを所有しているのか。

 眉をしかめて質問すると、テオはさらりと答えた。


「母親の形見だっていうからさ」

「あんたの……お母さん?」

「そう」


 ベイブはパチパチとまばたきをして、テオを見つめた。彼は肩をすくめて笑っている。


「……下ろしてくれる?」


 なんだか拍子抜けした。

 テオの母親のドレス。

 形見というからには、亡くなっているのだろう。もしかしたら、自分はテオの母親を見たのだろうかと、ドレスと彼を交互に見つめた。

 と、ベイブはハッと息を飲んだ。テオの後ろで誰かが微笑んだような気がしたのだ。真っ白なウエディングドレスを身にまとった美しい女性が。そしてその幻はすぐに消えてしまった。


「…………」


 自分の母親が着た特別なドレスを、捨てることなど誰にもできないだろう。それが形見であるならなおさらだ。

 小部屋の中にはマネキンがポツンと置いてあるだけで、他の物は何一つない。家の中は物だらけなのに、ここだけはガランとしているのだ。

 秘密の小部屋は、テオの思い出の隠し場所なのだと、ベイブは思った。

 テオはぐるりとドレスの回りを歩き、マネキンの肩に肘を載せた。ベイブを見つめてニヒッと笑う。


「ダークブロンドだったらしいぜぇ」

「ふん! もう怖くないわ。正体があんたのお母さんなら、ぜぇんぜんへっちゃらよ!」


 ベイブは少し頬を赤らめる。

 本当にもう怖いとは思わなかった。さっきまでは不気味にしか見えなかったドレスが、美しく輝いて見える。よく見れば、シンプルなデザインながら本当に素晴らしいドレスだった。

 絹のトロリとした光沢、パールを縫いこんだ精緻な刺繍、華美過ぎない上品なドレスだった。思わずうっとりと眺めた。

 ベイブは自分でも変わり身が早いなと思ったが、それほどに美しいドレスだった。

 突然、そのドレスに向かって、サッと黒い影が跳びかかっていった。

 キャットだ。


「コラァ! くそ猫!」


 慌ててテオが立ちふさがった。

 が、キャットはその肩に飛び乗り、マネキンの胸元に顔を突っ込むとすぐさま飛び降りるという早業を見せた。口に四角い紙をくわえている。

 それは写真だった。


「何しやがる! 返せ!」


 テオは逃げようとするキャットをムギュウと押さえこんで、顎をつかんだ。

 キャットはペッと写真を吐き出した。そして、テオの力が緩むと、一目散に部屋から逃げ出していった。

 ひらひらとベイブを足元に落ちた写真を、テオがサッとポケットにねじ込む。


「ったく、なんなんだあの猫は」


 呆然とベイブとニコも走り去るキャットを見送っていた。

 キャットの突然の行動は全く意味が分からなかった。捕まえて理由を問うたところで猫に話せるわけもなく、肩をすくめるばかりだった。


「……それじゃ、取りあえず片付けから始めましょうか」


 ニコは、はあっとため息をついて言った。


「あたしも手伝うわ」

「お前ら、掃除好きだなあ。オレだったらこのまま放置する」

「…………足の踏み場もないのに?」

「まあ、任せるよ。でも絶対に何も捨てるなよ」


 テオは自分で片付ける気はさらさら無いようだ。

 ニコは苦笑しながら、頭の中でどこから片付けようかと考え始める。何せ、テオの部屋は物が多すぎるのだ。絶妙なバランスで積み上げられていた雑多な置物たちを、再び同じ状態に戻すのは不可能だろう。どうやって収めようかと眉を潜めて思案する。


「テオさん……この小部屋って物置なんですよね。マネキンを隅に寄せたら、他の荷物も置けそうですけど、いいですか?」

「ダメよニコ。もうここはいっぱいよ」


 え? っとニコは首をかしげる。

 テオではなくベイブが異議を唱えたのが不思議だった。


「大切な思い出がつまってるもの。そうでしょう?」


 ベイブはテオを見つめてニッコリ笑う。単なる物置部屋ならとっくに物で溢れかえっていただろう。テオにそのつもりがなかったとしても、あそこは特別な空間なのだとベイブは思ったのだ。

 意表を突かれたのはテオも同じだった。パチパチと瞬きし不思議なものを見るように、じっとベイブを見つめ返した。


「思い出か……まあ、そんなもんも入ってた……かもしれないな……」


 つぶやきながら、ふっと笑う。

 柔和に目を細めて、彼女の頭をグリグリと撫でた。


「君は面白いことを言う……」


 ベイブの女の子らしい感傷が気に入ったようだった。ベイブを興味深げに見ていた。

 一方、ニコは急に恥ずかしくなっていた。


「すみません……デリカシーの無いこと言っちゃって」

「ん? 何が?」


 謝られた方は全く気にしていないようで、首をかしげてニコニコと笑っていた。





 二人が掃除を始めると、テオはいつの間にか姿を消していた。自分の部屋だというのに、本当に何一つ片付けようとしなかった。

 ここまで人任せにできるというのも珍しいものだとベイブは思う。自分の持ち物を他人にいじられても平気なのだろうかと不思議だった。

 それに対してニコは、とても意外な反応に驚いていた。何度片付けを申し出ても、テオは頑なに拒否し勝手に触るなと目くじら立てていたのだから。

 大体、ベイブの為に自室の一角を明け渡し、そこだけは自ら片付けてやったのはまるで奇蹟に近い出来事だ。ニコがやってきた時は、一階のゴミだらけの物置と化した小部屋を指差して、勝手に使っていいぞと言っただけだったのだ。


 なんだか妙な嫉妬を感じる。自分への態度と全然違うじゃないかと思うのだ。

 もしもマネキンを人と見間違えたのが自分だったら、きっともっとバカにして大笑いしていたはずだと。間違っても安心させるような態度やセリフを言ったりはしないだろう。

 なんだかんだと喧嘩しても女の子に甘いのだ。

 それがゴブリンであっても関係ないという、見境いのない女の子へのエコ贔屓に、ニコは割り切れないものを感じるが、微笑ましくも思うのだった。



 二人の努力のかいあって、夜には家中すっかり生まれ変わっていた。

 ニコとベイブは心地良い疲労感と達成感にひたって乾杯した。ついでだからと、テオのいないうちに居間の片付けもしてやったのだ。

 テオの驚く顔が楽しみだと、ベイブはニヤリと笑う。

 夜も更けてそろそろ寝ようかという頃になって、やっとキャットが帰ってきた。びっくりして部屋を見渡すその姿に、二人は笑いあった。しかし、テオはまだ帰ってこない。


「テオさん、遅いね。……そういや、あの写真なんだったんだろう?」

「よく見えなかったけど、多分テオの子どもの頃の写真よ」


 テオがすぐに拾ってしまったので分からないが、確かに黒髪の少年の姿が見えたのだ。もしかしたらテオと母親の思い出の写真なのではないか、とベイブ想像している。

 亡くなった母親をダークブロンドだったらしい・・・、とテオは言った。ということは、幼い頃に母を亡くしてよく覚えていないということだろう。

 とにかくあれは、テオの大事な写真なのだということだけは分かった。


「そうかなとは思うんだけど、他の子も写ってたよね。金髪の……」


 ニコも思い出そうとするがチラリと見ただけなので、顔などまったく解らない。

 公園の芝生のようなところで、金髪の小さな子どもが黒髪の子ども膝の上に座っている、そんな写真だったように思う。


「じゃあ、二人ともアイツの隠し子なのよ。慌ててポケットにねじ込んだしね」


 ベイブがふざけてニヒヒッと笑う。

 本当はニコが言う金髪の子どもなんて目に入っていなかった。はにかむように笑う少年のテオだけが頭に焼き付いていた。思わず可愛いなんて思ってしまったことは、絶対に秘密にしておこうと、素知らぬ顔で笑うのだった。


「……そりゃないよ、ベイブ」


 ニコが苦笑すると、キャットがニャーウと低い声で鳴いた。

 自分のことを忘れるなという感じだ。頭をなでてもらうと嬉しそうに目を細めた。


「こんなに可愛い顔できるくせに、どうして今日はあんなに暴れたのよ。変な子ね」

「なんであそこに写真があるって気付いたんだろう。猫も鼻が利くのかな?」

「さあ? どうでもいいわ、もう寝ましょ。疲れちゃった。おやすみ、ニコ」

「うん、おやすみ」


 ベイブは二階に上がってゆき、ニコもキャットを連れて自分の部屋へと向かった。






 家中が静寂に包まれた頃、静かに玄関扉が開いた。

 真っ黒な影が現れた。目も鼻もどこにあるのか分からない、人型の大きな影だった。背を丸め、重い足かせをずるずると引きずるように歩いてくる。

 影は指を小刻みに動かして数回印を結んだ。すると影が薄れて人の姿が現れた。

 テオだった。髪は汗ばみ疲れた顔をしていた。

 部屋の中は薄暗かったが、街灯の灯りでほんのりと照らされている。その部屋をぐるりと見回し様子が変わっていることを確認すると、ふっと小さく微笑んだ。


 ベイブは、ガチャリとドアノブが回る音を聞いたが、どうにも眠気が勝り起き上がることも目を開けることも出来なかった。

 カーテンが揺れるかすかな空気の流れ。誰かが自分を見ているようだ。

 誰? と尋ねたつもりだったが声にはなっていなかったようで、返事は返ってこなかった。


「…………」

「…………」


 少しして、ぼそぼそという声が聞こえてきた。

 二人いるようだ。

 彼らは小さな声でささやき合っているのだ。


「君子危うきに近寄らず……」


 聞き覚えのない声だった。

 ベイブは半分夢の中で、その会話を聞いていた。


「私でしたら、関わりを持ちませんね。貴方の場合は、愚者危うきに大いに近づく、なのでしょうが」

「皮肉はいいから、どうなんだ」

「貴方の結果と同じですよ。何も確証はないし、まして居所など特定出来るものではありません。簡単に尻尾をつかめはしないことは、充分心得ておいででしょうに」


 深いため息が聞こえた。

 テオが帰ってきたんだ、誰としゃべっているんだろう。ベイブはそう思いながらも、また眠りの中に落ちていった。





 翌日はとてもいい天気だった。

 美しくなった部屋に清々しい朝の光、コーヒーの香りが心地よく鼻をくすぐる。ベイブはうっとりとカップを傾けた。

 すぐ隣にわざと新聞をバッサバッサとめくる目ざわりな男がいたが、あえて無視していた。


「昨日はさぞや忙しく、休む暇もなく働いたんだろうねぇ、お二人とも。いやぁ、見上げた勤労意欲だ。清掃人の鑑だ。素晴らしいね。まったく!」

「ん~ふふんふ~ん」


 ベイブは鼻歌を歌って、テオの皮肉も右から左に聞き流す。だが、しつこくテオは続ける。


「称賛、いや絶賛に値するよ。表彰したいくらいだ。勲章ものだ。何の報酬もなしに、これだけおせっかいができるなんてね!」

「あのねぇ。ありがとうってことなんでしょう? 素直にそう言いなさいよ!」


 ぷいっと顔をそむけるテオを、ベイブがにらんだ。

 そんな二人のやり取りに、ニコはプッと吹き出すのだった。

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