11 喧嘩と秘密

 迷霧の森での一件以来、ベイブは少し神経質になっていた。

 前にも増して店にやってくる客に警戒し、扉をノックする音にも過敏に反応するのだ。

 だが、数日が過ぎいつもと変わらぬ日々を過ごすうちに段々と落ち着きを取り戻してきた。それは、留守がちだったテオが一日中家にいることで、まるで用心棒がいるような安心感が生まれたせいだろう。

 そしてベイブが元気になってくると、テオはまたふらりと外出するようになった。彼は何も言わないが、恐らく森に潜んでいるものを探っているのだろうとニコは思っていた。

 ベイブも、どこをほっつき歩いて遊んでいるんだとは、もう言わなくなった。



 客足が途絶えたある午後、ニコとベイブはゆったりとお茶の時間を楽しんでいた。

 その時だ。


 バン!


 突然、扉が大きく開いた。

 ベイブはビクリと飛び上がった。キャットが毛を逆立てて、ブニャーっと威嚇の声を上げる。

 巨大な頭をした黒い影が立っていた。逆光のため顔がよく見えない。

 ニコとベイブの背にゾクリと緊張が走った。


「な! なんなの!」

「誰だ! お前は!」


 二人は部屋の奥に後ずさり叫んだ。

 途端に影が笑いだした。体をくの字にまげて、ゲラゲラと大笑いをするのだ。大頭の下、青と黄色の極太ストライプのローブにも見覚えがある。

 ニコは、やられたと小さく舌打ちをした。ぷうっと頬をふくらませて、近づいていく。


「……テオさん……なんなんですか、その頭」 

「面白いだろう?」


 テオはガバっと面を持ち上げる。

 頭にすっぽりとかぶるタイプの大きな面だった。目がへの字に笑い、はれぼったい丸顔少女ののっぺり顔。現れた瞬間はバケモノかと思ったが、見れば見るほど恐怖を感じたのが恥ずかしくなる、間抜けなお面だった。

 面を小脇に抱えてハハハッとまだ笑いながら、テオは部屋の中に入ってきた。


「スプリング広場にキャラバンが来てるんだ。遠い遠い東の国の、珍しいお面だってさ」


 そう言って大頭をテーブルに置いた。

 ベイブはテーブルに飛び乗り、むうっとうなってお面の前に仁王立ちになった。


「面白い? これが?」


 楽しそうなテオとお面を何度も見比べ、彼女は首をひねる。おかしいのは服の趣味だけかと思っていたら、そうでもないらしい。

 テオはローブの内側をゴソゴソと探り始めた。

 ニコは呆れ顔で、腰に手を当てる。


「ああぁ、もう。また無駄遣いして。やめて下さいって言ってるのに」

「まあまあ。二人の分もあるんだ。ほら」


 ウキウキとテーブルにお土産を置く。それは五十センチ以上もある羽飾りと、スパンコールがこれでもかと言うほど大量についた頭飾りだった。

 思わず二人は絶句した。けばけばしいにも程がある。


「ベイブには少し大きいけど、似合うと思うよ」

「…………」

「かぶってみる?」


 テオの満面の笑みに、邪気は全くない。

 ふらふらとよろけるベイブだった。


「……ねえニコ。この人、本当に頭大丈夫なの」

「大丈夫だと思いたい……」


 ニコは大きく肩を落としてキッチンへと去っていった。そのうち、妙な置物に部屋を占領されて、足の踏み場もなくなるに違いないと、思うのだった。


「ひどいな、二人とも。折角いいもの買ってきたってのに、なんだその態度!」


 ムッとするテオに、ベイブはつんと冷たく答えた。


「どこがいいのよ。バカじゃないの? だいたいこの家、ガラクタばっかりじゃない」

「なんだと!」


 テオもかなり負けず嫌いだ。黙ってなどいられない。言われた分は言い返す。


「オレには宝物だ! ここはオレの城だ、お前に文句を言われる筋合いは、ない!」

「何が城よ。あんたの部屋なんて、ゴミ箱と一緒じゃない!」

「ゴ、ゴミ箱ぉ~!! このゴブリンめ、言っていいことと悪いことの区別もつかねぇのか!」

「本当のことじゃない。あんたあのお面と同じね」

「はぁ?!」

「間抜けって言ってるのよ!」

「このチビゴブリン! お前こそ間抜けじゃねーか、卵なんかに閉じ込められやがって、バカが」


 だんだんと二人の声が大きくなり、ベイブの目が釣り上がる。

 そして彼女に加勢するように、キャットがフニャーッと鳴き声をあげてテオの足をズボンの上からひっかき始めた。ブンブンと足を振っても離れない。


「ひっどい! バカはどっちよ! 変人! 悪趣味!」

「うるせー! このドチビ! 短足! キャット離せ、爪が食い込んでる!」

「それが女の子に言う言葉? サイテー!」

「どーこが女だ! 枯れ枝の間違いだろう! いてっ、痛いって!」

「バカ! バカ! バカー!」

「悔しかったら、オレを惚れさせてみろよ!」


 言い争う声に、ニコが泣きそうな顔をキッチンからのぞかせた。

 大の大人のいうセリフかと、あきれるのを通り越して悲しくなる。この低次元の罵り合いを仲裁しなければならないのかと思うと、本当に涙が出そうだった。







 ガチャン! ドタン! ガッターーン! 


 先ほどから二階で大きな物音がしている。何か物が落ちる音や倒れる音、そしてブニャーブニャーというキャットの鳴き声。さっきテオに思い切り蹴飛ばされた腹いせに暴れてるのだろうか。


「あんのやろう……人の部屋で、何暴れてやがるんだ」


 しかめっ面のテオの両すねには、真っ赤な引っかき傷が無数についていた。今、ニコが消毒をしてやっているところだった。

 ベイブはそれを覗き込んで、ふふんと笑っている。

 二人の口喧嘩は取りあえずおさまった。言いたいだけ言い合ったら気が済んだようだ。


「嫌味ねえ。あたしがいるのに消毒薬だなんて」

「怪我なんて勝手に治るもんだ」

「あらそう。じゃあ、あたしはキャットと一緒に暴れてこようかな?」


 ストンとテーブルから飛び降り、両手を広げてポーズを決めた。ニヒヒと笑ってテオを見上げる。

 つられてテオも笑った。


「……止めにいくんだろう? 素直にそう言えよ」

「お願いしますって言ったらね」


 ベーっと舌を出してベイブはコツコツと階段を上がっていった。

 登り切ると短い廊下の左手にテオの部屋のドアがある。

 そのドアは開いていた。中からドッスンバッタン、ガリガリと聞こえてくる。

 ベイブはどうしてキャットがこんなに怒っているのか不思議だった。

 喧嘩をしたのは自分とテオで、それももう終わった。キャットが味方してくれたのは嬉しいが、かと言っていつまでもテオを目の敵にするのはおかしいと思うのだ。


「どうしたのよ、キャッ……」


 部屋に一歩踏み込んで、絶句した。

 酷い有様だった。

 元から散らかった部屋ではあったが、ベイブとこの部屋をシェアするようになってからは、多少は片付けられていたのだ。

 それが見るも無残な状態になっていた。

 椅子がひっくり返り、本が散らばり、ベッドカバーが破かれ、枕から飛び散った羽毛がふわふわと舞っている。テオの趣味の大量の妙な置物や、魔法に使う道具もすべて床にぶちまけられている。

 そして、キャットは今懸命に壁のポスターを破きにかかっていた。

 その壁の前に置いてあった、洋服かけと数着のローブも当然床の上だ。

 バリバリと、ポスターがキャットの爪で破られてゆく。


「ダメよ、キャット! こんなの酷すぎるわ!」


 思わずベイブは、キャットに飛びかかっていった。

 やめさせなきゃと必死だった。




 階下では、キズの消毒を終えたニコが階段を眺めてため息をついた。


「……大変なことになってそうですね。見に行くのが怖いですよ」

「後で、毛をむしってやる」


 テオがボキボキと指を鳴らしていると、急に二階の騒ぎがおさまった。しんと静かになった。

 ベイブがキャットを止めてくれたんだと、ニコはホッとした。

 が、次の瞬間、ベイブの絶叫が響いた。


「い、いやーーーーー!!!」


 耳をつんざくような叫びだ。

 テオの動きは素早い。あの猫めっと吐き捨て、あっという間に階段を駆け上がり部屋に飛び込んだ。


「どうした!?」

「あ、あ、あれ! あれぇ!」


 ベイブは、腰を抜かしたのかあわあわと床を這っている。

 テオが駆け寄るとズボンをヒシっと掴んで、大きな目を更にいっぱいに見開いて彼を見上げた。顔面蒼白で泣きそうな声を上げる。


「な、なんで女がいるのぉ!」

「はぁ?」


 テオの身体がカクンとよろけた。

 キャットに襲われたのかと心配して来たのに、何言ってるんだとテオは首かしげ、次に部屋の惨状に眉を吊り上げる。

 続いて部屋に入ってきたニコも、うわあぁと驚きの声をあげた。そして何故か震えているベイブ不思議そうに見つめる。


「どうしたの? ベイブ」

「女ってなんの話だ……頭大丈夫か、お前?」

「バカァ! いたのよぉ! 見たんだから!」

「何を?」

「だから、あそこよ! お化けなの? 死体なの?」


 そう言って、ピシーっと一点を指差す。

 キャットがポスターを破った壁だった。そこにドアがあった。何枚も重ねられたポスターの下に隠されていたのだ。

 そのドアが半分開いている。

 ニコはあれっと小さな声を上げた。ドアの存在なんて全く知らなかったのだ。

 ベイブがハッと我に帰ったように立ち上がり、テオから後ずさってゆく。そしてニコの足の後ろに隠れた。


「ま、まさか、あんたが殺した……?」


 ギュッと足にしがみつかれニコはドキリとする。

 秘密の扉? 死体? 殺した? あの奥に……? まさかとニコの心臓がドクドクとテンポを上げ始めた。

 あり得ないと思いつつも、突然あらわになった隠し部屋の存在に不穏なものを感じてしまう。重大な秘密が隠されているのかと。

 テオがチッと舌を打った。しまったというように、顔をゆがめてドアに近づいてゆく。


「……見ちまったのか」


 ニコの顔がサーッと青ざめた。なぜ舌打ちをする? なぜそんなことを言う? ニコの心臓はいよいよ早鐘を打ち始める。

 キャットがドアの手前で、のん気に後ろ足で首をカリカリと掻いていた。片目だけ開けてチロリとテオを見上げる。

 テオはシッシと追い払い、肩越しにちらりとニコとベイブを振り返った。目を糸のように細くして、口の端を釣り上げる。


「まあ、見ちまったんなら仕方ないな……紹介しようか?」


 ニーーッと笑った。

 ニコはゾクリとした。嘘だろ? と息を飲んだ。

 ベイブは悲鳴を上げる。


「や、やだぁ! やっぱり殺したのね! 人殺しぃ!」


 ニコの顔が引きつる。そんなはずないと思うのに、ニコは一言もしゃべることができなかった。

 ドアを大きくひらき、テオは手招きする。

 ニコが戸惑っていると、テオはその腕を掴んで強引に隠し部屋の前に引きずってきた。


「え、ちょ、ちょっと待ってくだ……」


 ニコの身体がビクンと震えた。

 薄暗い部屋の中に、白いものが見えたのだ。

 人だ。確かに人だ。

 そんな馬鹿な。

 ニコは大きく目を見開く。

 それは白いドレスを来た、人…………人?


 ニコは目を瞬かせた。


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