9 迷霧の森へ
ベイブとキャットがやってきてからの数日は、あっという間に過ぎていった。
新参者のゴブリンと猫はすっかりシェーキー魔法店の一員として馴染み、まるで以前からずっとここにいたかのようだった。
そして家の中は賑やかになったし、男二人だけの時よりもゴブリンとはいえ女の子がいると華やかさが違うなとニコは思った。
テーブルに花を飾ったり新しいクロスに変えたり壁に絵を掛けたり、そういう目に見える彩りとは別に、空気感が変わったと感じるのだ。
時折、テオとベイブは口喧嘩をするが、しばらくすればお互いケロッとしている。テオに限って言えば、わざと喧嘩をふっかけて楽しんでいるように見えた。
ある時、テオが自分の部屋で呆けているのをベイブが見つけ、頭がおかしくなったと騒いだことがあった。ニコがここに押しかけてきた時と同じ状態だ。虚ろな目で生返事、魂が抜け出したようになるのだ。
ニコは時間が経てば元に戻ることを知っていたが、ベイブは不気味がった。
しばらくして我に返った彼に、今のは何だと問いただしたが、のらりくらりと話をかわされる。するとベイブは腹を立てて、これでもかと言う程テオを罵った。
途端に彼は子どものようにふくれて「家出してやる!」と叫び飛び出していった。
ベイブの罵りもずいぶん質が悪かったが、それを真に受けて本当に家出するなんていい年した男のすることだろうか。ニコはがっくりと肩を落としたものだった。
そして、二日後には何事も無かったように三人で朝食を食べていたという、何ともオチの無い事件だ。
キャットはというと、このごろニコにもよく懐くようになっていた。眠る時、ニコのベッドに潜り込んでくることも、しばしばだ。
時々ふらりと何日もいなくなっては、妙なものを持ち帰るようになった。
ボロボロになったハンカチの切れ端、壊れたあぶみ、動かない懐中時計、靴から取れたヒール……など、ガラクタばかりだ。
ベイブがニコニコ笑っていいものを見つけたわねと褒めるので、ますますコレクションが増える一方だ。
今日のキャットの戦利品は片方だけのイヤリングだった。ベイブの手にそっと乗せると、自慢げにニャウと鳴いた。
それをベイブが嬉しそうに身につけようとしていると、テオがさっと横取りしてしまった。
「どれ、見せて」
イヤリングに付いている大ぶりの紫の宝石を、指で弾いたり、窓の光に透かしてみたりしている。
太陽の光が反射して、テオの左目も紫のガラス球のように光った。
「ふうん、紫水晶なんてゴブリンにはもったいないな」
と、意地悪く笑った。
「返してよ! それは……ゲホッゲホッ……キ、キャットがくれたんだもの、あたしのものよ!」
ぴょんぴょん飛び跳ねて取り返そうとするが、テオはまったく返す気がないようだった。ベイブを尻目に、自分の耳に付けてしまった。
ゴブリンは意地悪でイタズラ好きと言われるが、ベイブよりテオの方がよほどゴブリン気質だとニコは思った。
ベイブの目が釣り上がる。
「ひどい! 男のくせにイヤリングなんてつけないで!」
またいつものように喧嘩がはじまった。
ハラハラしたり大笑いしたり、以前よりもハチャメチャな生活が幸せで、ニコは楽しくてならない。キャットを抱きながら、二人の喧嘩を見守るのがまるで日課のようになっていた。
この生活が続けばいいのに、と思うニコだった。
「少し出かけようか」
テオはさっとローブを羽織るとそう言った。外出に誘うと言うより、付いて来いと命令している。有無を言わせない物言いだった。
猫のようにベイブの襟首を掴んで持ち上げると、ローブの内側で小脇に抱えた。
「ちょっと! 何するのよ」
「
ベイブは足をばたつけせて抗議する。
イヤリングを奪われた恨みもあって、脇腹を蹴り飛ばしてやったが、テオは問答無用で出発した。
ニコを従えてさっさと通りを歩いて行く。ニコの肩にキャットが飛び乗った。
「何しに行くんですか?」
「コイツを拾った場所にもう一度行ってみる」
「嫌よ。行きたくない! あんなところ二度と行かないって決めたのよ」
「つべこべ言うんじゃない。呪いを解いて欲しくないのか?」
文句を言うベイブの額を、テオが指で弾く。
ベイブはムッツリ黙りこんだ。痛いところを突く嫌なヤツだと心底思った。
途中、二頭の馬を借りて、迷霧の森に向かった。
森はインフィニードの西に位置し、隣国ミリアルドとの境にあった。国境線は森の中心部を南北に走っている。
鬱蒼とした森の大半は湿地帯で、年中霧が発生しているため迷霧の森と呼ばれていた。濃い時もあれば薄い時もある。しかし、一年を通して霧が晴れることは無かった。
森には、インフィニードとミリアルドをつなぐルートが二つあるが、その道を外れてしまうと、あっという間に迷子になり二度と帰れなくなるという。
迷霧の森と呼ばれる所以だった。
小一時間ほど馬を走らせると、森が見えてきた。
森の手前の草地に、キラキラと虹色に光る小さな光がフワフワと無数に飛んでいた。
それはピクシーだった。手のひらに乗るほど小さなその妖精は、翅をもち蝶のように花から花へと飛び回って遊んでいた。翅が太陽の光を反射して、くるくると色を変えて輝いていたのだ。
テオたちが近づくと、さーっと飛び上がり遠巻きにした。
小さな光の粒が舞い上がる光景はとても美しくて、ニコはほぉと息をついて見とれてしまった。
クスクスという笑い声が、あちこちから聞こえてくる。可愛らしい少女の声だ。こそこそと何か相談を始めた。イタズラをしようというのだろうか。
しかしテオ達が立ち止まるどころか、森に向かっていると気づくとざわつき始めた。
一人のピクシーがふわりとテオの目の前に飛んできた。
「キョウハキリガフカイ。キケン」
ピクシーの言葉は、皆いつも片言だった。
テオは微笑み、片手を差し出した。彼女はその手の上にちょこんと座った。
「やあ、君は前にも会ったね。教えてくれてありがとう。大丈夫。心配ない」
言われてピクシーは嬉しそうにはにかみ、何か言いたげにモジモジとしている。
するとテオのローブの下から、ベイブがにゅっと顔出した。
「キャーー!」
ピクシーは盛大に驚いて、飛び去ってしまった。
「ふん! 何よ!」
「おい、ピクシーをいじめるなよ」
「いじめてないじゃない! 私の顔見て逃げ出すほうが、よっぽどひどいわ」
テオが肩をすくめると、ニコがクスリと笑った。
彼らは二つのルートのうちの一つ、北ルートの入り口までくると馬を木につなぎ、後は歩いて森に入っていった。
テオはベイブを肩に担いでどんどんと進んでいく。
ピクシーの言った通り、今日は一段と霧が濃い。十数メートル進んだだけで、すっかり霧に取り囲まれてしまった。あっという間に、服はじっとりと湿り気を帯び重くなる。
「ああ、やっぱりイヤ……怖い……」
ベイブがつぶやくと、ニコの肩の上でニャウとキャットが相づちを打つ。
更に彼らは森の奥へと入っていった。
「もう少し行ってから道を南にそれると、獣道がある。それを進むと泉に着くんだ。そこからも獣道が幾つもついている。で、一番しっかりした道を進んでいく。泉から南西に進むんだ。するといつの間にか道は無くなって草むらになってる。そこで卵を見つけた」
テオの話を聞いているうちに、ニコとベイブの顔が険しくなっている。
獣道は分岐したり合流したり、不意に途切れて無くなったりする。時には人道と見誤る程にしっかりとした道もある。間違ってそこに踏み込むと、迷路の中を引きずり回され、自分がどこにいるか分らなくなるのは必至なのだ。
「……よくそんなところを歩いて、迷わず帰ってこられましたね。僕だったら、二度と森から出られないと思います」
「だろうな。オレは方向感覚には自信がある、お前らは真似するなよ」
「しようとも思わないわよ。だいたい、なんで行ってみようと思ったの?」
ベイブが聞いた。
「何かがオレを呼んでたんだ。声のする方に行ってみたら、卵があった」
テオは、人間が造った正しいルートから南にそれた。
キャットがニコの肩から飛び降りた。ニャウーニャウーとしきりに鳴く。道をそれるのを嫌がっているようだ。
「おいで、キャット。はぐれたら大変だよ」
ニコは手を差し出したが、キャットは動こうとしない。
テオは構わずに下草を踏みしめ歩いてゆく。
「放っとけ、行きたくないヤツはそこで待ってろ」
「だ、大丈夫ですか? キャット、迷子にならなきゃいいけど……」
恐る恐るニコが続く。
少しでも遅れると、テオの姿が霧にまかれて見えなくなってしまう。
ニコは後ろ髪を引かれたが、必死に後をついて歩いた。キャットの鳴き声が、だんだん小さくなっていく。
しかし何の躊躇もなくテオは進んでいく。
「あの日、オレを呼んだのは君だろう?」
テオはベイブに語りかける。
「家に居ても感じたよ。森で誰かが呼んでるってね」
「そんな覚えはないけど……そうなのかなあ。誰か助けてって願ってたから……え?」
不意にベイブはブルっと身震いして、テオの頭にしがみついた。
テオが立ち止まり、霧の中にうっすらと見える木々の影を見上げる。
「ねえ、今何か気配がしなかった?」
「ああ、何かいるな……」
「な、なんですか?! なんか出たんですか?」
テオの言葉にニコはドキリとした。きょろきょろと周囲を見回す。
霧で良く見えないことが不安をあおる。ただの木が化け物に見えてくる。
「進もう」
テオは歩き続けた。
泉を過ぎ、獣道をすすむ。
「……付いて来ている」
「怖い」
ベイブは震えていた。
どこからか、何者かがじっと見つめている。まとわりつくような視線が、彼女に恐ろしい出来事を思い出させるのだ。
あの時と同じ真綿で首を締められるような恐怖感だった。彼女はこの森で呪いに囚われてしまったのだ。ベイブはブルブルと頭を振った。
テオは彼女を肩から下ろすと、左腕で抱きかかえた。
「ちゃんとつかまってろよ。……ニコ、お前はそこを動くな。後で迎えに戻るから」
「ええぇ~! ちょっと待ってくださいよぉ!」
ニコは抗議むなしく置き去りにされ、テオは白い闇の中を猛然と走りだした。
まったく周りが見えない霧の中を、テオは迷いなく走る。足場は悪く木々に行く手を阻まれるも、ぶつかることなく進んでいく。
その樹上を同じスピードで移動してくるものがいるのだ。
「やっぱり、こっちについてくる。お前かオレ、どちらかを狙っているな」
「いや!」
「大丈夫」
胸にしがみつくベイブをしっかりと抱えて、テオは疾走する。無言の追走を続けている樹上のものに意識を送りながらも、駆ける足に迷いはない。スピードを落とすことなく走り続けた。
木の上を飛び移りながら追ってくる何者かは、テオのほんの数メートル後方という距離をぴったりと保ち続けている。
試しに速度を緩めれば、ソレも合わせてくる。
テオはチッと舌を打ち、立ち止まった。すると木の上にいる何者かの気配も動きを止める。姿は見えないが、こちらを伺っているのは明白だった。
テオは小声で呪文を唱えた。するとローブを高く巻き上げて、疾風が吹き荒れた。渦巻く風が、瞬く間に霧を吹き飛ばす。
ザワザワと揺れる木々の枝に、ちらりと黒く大きな獣の影が見えた。
次の瞬間、それはうなりを上げて飛びかかってきた。
ベイブをかばったテオの右腕に、獣の歯が食い込んだ。
「キャー!」
ベイブが悲鳴を上げた途端、獣の姿は消えていた。
ザンっと木を揺らす音が遠ざかってゆく。
「去ったか」
ふんとテオは鼻を鳴らした。
恐る恐る眼を開けたベイブは、すぐに彼の腕に注目した。怪我を治してあげなければと、彼の袖をまくる。
「……腕、噛まれたでしょう? 大丈夫なの?」
「噛まれてはいない。ただの幻術だ。脅しだろうな」
見ると、テオの腕には傷一つ無かった。
ベイブはほっと息を吐いた。しかし顔色は悪く、ずっと震えていた。
あの獣は魔法も使えるようだ。このことは、森に魔女の存在を予感させた。
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