08
数日前に焼けたはずの石畳は、すっかり新しいものに取り換えられていた。宮廷魔導士とお抱えの石工たちによる昼夜を問わない仕事のお陰で、フェルティニウムの顔ともいうべき王宮前広場はその美しさを取り戻している。
広い円形の広場を囲むようにして立っている屋台の活気は、数日前の悲劇など微塵も感じさせなかった。
「ここが広場。帝都の人間に対するお触れとかは大体ここで掲示されるから、毎朝見に来ても損はねぇ。人間、知らないことが多い方が損するもんだ」
「す、ごい人……」
「当たり前だろ。市場なんかはここが一番安いし、何より本とか高級なモン以外は大抵揃う。鍛冶屋もあるんだぜ」
帝都に足を踏み入れて数日しか経っていないセイムは、ラウの楽しそうな背中を眺めてただうなずいているしかなかった。聞けば彼は西方の大国シンシアからの移民だそうだが、住んでいる期間はシュタックフェルト帝国の方が長いらしい。本人も、自分は根っからの帝都っ子だと言ってはばからない。
「ねえ、呪具とか玉石を取り扱ったお店はないの? あと、本屋さんがないっていうのは……」
「そういう高級なモンは貴族の居住区か専門店しか取り扱ってねぇの。お前のお師匠様言わなかったのか?」
「そういえば、聞いたことないわ」
「マジで何者だよお前の師匠」
呪具にはその能力に応じて特一級から五級までのランクが存在するが、ヴィア=ノーヴァが持っていたそれはほとんどが特一級品、或いは一級品だった。セイムが魔導を習い始めたころに少し等級の低いものを使ったが、それでも三級品――一般的な魔導士が使う程度だ。
作った呪具師や元になる玉石によってはその値段も天と地ほどの開きが出る。特一級品の呪具ともなれば、三つ揃えれば小さな国の国家予算を越えるほどになるという。
「ラウも、剣のランクとかあるでしょう?」
「そりゃ、一国の将軍が持つような剣とかはまた別だけどよぉ……俺のなんか普通の無銘剣だぜ。親衛隊に入隊出来りゃ、銘柄付きのが下賜されるらしいけどな」
「へぇ、じゃあギルド長とかも凄いの、持ってるんだ」
「おう。今の剣士ギルドシュタックフェルト支部長は、特一級品【輝聖シリウス】っつーのを持ってる。一回だけ見たけど、俺もいつかああいうのを携えてみたいもんだ」
やはり剣にも同じようにランクがあるのか。今まで師が独自で手入れをしていた呪具を、一度しっかり見てもらいたいと思っていた。専門店街にそういう店があるというのなら、今度探してみるのも手だろう。
全財産が収まった鞄を抱え直して、セイムは小さく決意した。
「なんだよ、行ってみたいのか?」
「え、うん。また今度探してみる」
「バカ、選定試験までに手入れしとかなきゃなんないんだろ? 俺も鍛冶屋に剣取りに行かなきゃなんねーし、付き合う」
この数日間セイムはラウにくっついていたのだが、彼はかなり面倒見がいいらしい。下町に住んでいることを聞いたが、彼を兄貴と慕う人間も少なくはないという。
そうぼんやりと思いながら、セイムは先導するラウの背中を見詰め続けていた。剣士と魔導士の体格差もあるだろうが、彼は背中が広いような気がする。
思えば、こうして同じ年頃の人間と出歩いたことなんかないかもしれない。ヴィア=ノーヴァは見た目こそ若かったが、あれで三十年以上宮廷で仕官していたらしい。実年齢はセイムの父や祖父と言っても過言ではないだろう。
「ねぇ、ラウ」
「あー?」
「皇帝陛下の直属になったら剣が下賜されるって言ってたけど、魔導士もそうなの?」
「そりゃお前、宮廷魔導士がしょぼい道具持ってたら格好つかねぇだろ」
それもそうか。
納得したセイムはラウと取り留めもない話をしてしばらく歩いたが、住宅街の五番街を出たところで周りの景色が一変したのに気付いた。
目に見えた変化ではないが、魔力の流れを感じることが出来る。
「ここ、」
「そう。ここが六番街、専門店の街だ」
辺りを見渡せば、怪しげな薬草を取り扱う店から占星術に必要な呪具だけを専門で取り扱う店、そしてラウの言うとおり書店や鍛冶屋も多く見受けられる。
これほど大きな専門店街は見たことがない――そわそわと落ち着かないセイムに苦笑を漏らして、ラウは右手をまっすぐ指さした。
「あの黄色い看板あるだろ、あれの三軒向こうが確か魔導士の出入りする店だったと思う。俺は剣取ってくるから、好きに見てろよ」
「いいの?」
「おう」
「い、いってきますっ!」
ヒラヒラと手を振るラウの横を走り抜けて、教えられた店に駆け込んだ。確かに店の佇まいこそ怪しいが、見ただけでそれと分かる逸品も取りそろえられている。
セイムは知識欲と好奇心の赴くまま、店内に足を踏み入れた。
「いらーぁしゃい。こちらグレイヴ魔道具店。人工モンスターの体液から古の魔導書まで取り揃えております……おや、随分若いな」
薄暗い店の奥から、生あくびをかみ殺したような声が聞こえる。思い切り肩を跳ね上がらせたセイムが思わず右手の指輪を撫でようとした。
「随分いい指輪じゃないか。原石はリッシーア共和国産の蒼玉。属性は氷で等級は……驚いたな、一級品だ」
「ひぃっ!」
先ほどは視線の先、店の奥から聞こえた声が、今度はセイムのすぐ後ろから聞こえる。振り向こうにも、右手を絡めとられて身動きが取れなかった。
これでは魔導を発動しようにもどうすることも出来ない。
「そう警戒しないでくれ。俺はこの店の店主で、クリムゾン・グレイヴと呼ばれている」
「……グレイヴ、さん」
「そう。呪具師兼鑑定士だ」
セイムの手を取ってくるりと体を回転させたのは、柔らかい黒髪の青年だった。恐らく見た目の年齢は、ラウとそう変わりはない。ただ魔導士というのは、一定以上の実力を持つと外見まで偽装することが出来る。それはヴィア=ノーヴァのことで体験済みだった。
猫毛の男の瞳の色は真紅だ。恐らく、光があまり苦手ではないのだろう。セイムが入ってきたドアを煩わしげに一瞥すると、指を鳴らして閉めきってしまった。
「見たところ魔導士見習いってところだろうが、どうしたんだ? そんな業物級の逸品、そこいらの魔導士が持ってるようなもんじゃないが」
「あ、貰ったもので……師匠から」
「それほどの呪具を持つんだ。さぞ高名な魔導士だろ――名前は言えないか?」
「は、はい……」
申し訳なさそうにセイムが頭を下げると、グレイヴは特に騎士にしていないと言った表情で片手を振った。わずかに細められる瞳は、恐らく人を魅了できるものだろう。流し目の攻撃力は高い。
「別に、有名な魔導士ならそういう事も有り得る。それで、今日は何をしに来たんだ? それだけの呪具を持っておきながら買い物というわけでもないだろ?」
「はい。あの、こちらの呪具を幾つか見ていただきたくて。手入れも師匠がしていたので、まるっきりわからなくて」
セイムは肩にかけた麻の鞄から、ありったけの呪具を取り出した。それだけでグレイヴは目を丸くしたが、鞄自体も呪具であると告げるといよいよその真紅の瞳が涙で潤んだ。何をどう感動しているのかはわからないが、微かにても震えている。
「待ってくれ、こんな……こんな呪具、今どき宮廷にだってあるかどうか……あぁ、これはシンシア産の玉石、こっちは往年の名呪具師アンドレ・パッソの遺作じゃないか! どれもこれも一級から特一級品――手入れの仕方も実に素晴らしい」
どこか恍惚とした表情でそう締めくくったグレイヴは、少し考えるように目をつぶると、冷静さを取り戻した瞳でセイムを見据えた。その感覚が、何処か師に似ているようにも思える。
「長く鑑定士としてやってきたが、これほどの呪具を携えることが出来る魔導士を俺は一人しか知らない。追及はしないと約束した以上これ以上は問わないが――あの方は死んだのか。まあ、人である以上いずれ終わりは訪れる」
「……お知り合い、なんですか」
「勿論。若い頃には随分と世話になった。ただ手入れをしていたのがあの方ということは、俺はもう口出しはできない。状態は完璧だ。元々が純度の高い玉石を使っているからな、いちいち手入れをしなければ使えないような粗悪品とは訳が違う」
だから安心していいと、グレイヴは最後に笑った。ただ、ここでは呪具や魔導書の修理も請け負っているというので覚えておいて損はないだろう。
しかしセイムはその事よりも、彼女が知らないヴィア=ノーヴァを知っている人間に会えたことが何より嬉しかった。道具以外の全ての痕跡を絶って居なくなってしまったかのような師の、その姿を知れただけでも十分収穫があったと言える。
「ありがとうございます。あの、また来てもいいですか? 魔導書もたくさんあって、今日は持ってきていないんですけど」
「あぁ、暇なときにでも寄ってくれ。次は茶でも淹れて君を待とう」
手を振る店主に頭を下げて店を出たセイムは、そこで結構な長居をしてしまったことに気が付いた。今頃、ラウが待っているかもしれない。
セイムは呪具を詰め直した鞄を抱えて、待ち合わせ場所につながる石畳を蹴り上げた。
*
「――これでよろしいので?」
「上出来だよ。お陰で彼女の元気な姿を見られた。君には感謝しなきゃね」
「こちらこそ、あのような呪具を見せていただけるだけで、三百年は寿命が延びますね」
薄暗い店内。鮮やかな真紅の瞳が見つめるその場所に人影はなかった。しかし腕利きの呪具師は穏やかな笑みを崩さないままで続ける。
「死んだと聞いていたから心配していたのですが、あなたにその心配は必要なかったようだ」
上機嫌に呟いて、クリムゾン・グレイヴはゆっくりと店の奥に戻っていった。
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