07

 その日、議会は荒れていた。

 知識神ノーナの花嫁、ティティの祈りが終わり、王宮で官吏として勤めを行う百官の報告の後。宮廷百官の報告を聞いていた帝国の主――ゼルシア・ハイドランジアは、おもむろに話を切り出した。


「先日、王宮前広場で火災があったようだな。イヴァン、被害は」

「はい、リベリア宮へ戻る馬車を操っていた御者でございますが、火傷を負ってはおりますが市民の救助により軽度のものでございました。既に癒手の元で治療が済んでおります。建築物への被害はございませんが、広場の石畳が焼けてしまいました。これにつきましては、現在石工職人に修理を命じております。それと……」


 三十二歳の若さで大陸の五分の一を傘下に収める大帝国の長が、宰相の言葉に片眉を上げた。己が右腕ともいえる銀髪の青年を、暗赤色の瞳が射抜く。若い宰相も、その視線に申し訳なさそうな表情を見せて頭を下げた。


「宮廷魔導士団の到着が遅れてしまったことをここにお詫びいたします。諸卿、お許し願いたい」


 美しい宰相の言葉に、ゼルシアは興味もなさそうに鼻を鳴らした。「悪逆非道」と呼ばれて久しいシュタックフェルトの主は、戸惑う百官に一瞥くれると「そうではない」と低く漏らした。


「そうではない。俺が聞きたいのは謝罪ではなく、事件の被害だ。市民に大きな被害が及ばなかったことに関しては、イヴァン、お前の手腕に問題はないはずだ。だが、俺の眼前たる帝都で、しかもリベリア宮――俺と皇妃の住まう内宮付きの馬車が狙われた。これは由々しき事態である」


 年若い皇帝のその言葉に、議会が揺れた。つい先日も、反皇帝派の集団が西のシンシア神皇国と結託して反乱がおこっている。大きな反乱は彼が皇位を継いでからの十七年殆ど起こっていなかったが、今回は違った。鎮圧のために現場に向かった彼の親衛隊が数人欠けることになってしまった。そんな事件があっただけに、帝都は騎士や剣士ギルド、魔導士たちによって幾重にも警護されていたはずである。


「お、恐れながら陛下。申し上げます」

「リブレッド伯、発言を許可します」

「――あの男が、口に出すのも憚られるあの大罪人が、先日死んだと。そう聞きました」


 恐れと不安が入り混じったリブレッド伯の言葉に、さらに議場がざわめいた。大逆人ヴィア=ノーヴァの死。彼ほどの魔導士ならば、その身が滅んだことはすぐに王宮へと伝えられている筈である。そのために、時の官吏たちは監視のしやすいリディウムの森を幽閉先に選んだのだ。

 しかし、未だゼルシア本人からそのことについて触れる言葉は何一つ発せられていない。

 或いは、ヴィア=ノーヴァが国家転覆を企み帝都を狙ったのではないか。口には出さないまでも、そんな不安が議場を支配していた。


「どうか、陛下。どうか教えてくださいませ。あの男は」

「言わなければ不安なのか、リブレッド伯? ならば……いいだろう」


 不機嫌な瞳が、ゆっくり細められた。一度息を吐くと、顔を青くした痩せぎすの伯爵に向けて、ゼルシアは声を張る。


「ここに、第三十八代皇帝ゼルシア・ハイドランシアが宣言する!」


 その言葉は、本来神の御使いである巫女ティティの許可がなければ発することのできないものだった。強固な帝政を敷いているシュタックフェルト帝国でも、皇帝独断での専横政治は許可されていない。それ故に、ティティと宰相位の人間がそれぞれ皇帝の発言に対して許認可権限と拒否権限を持っていた。

 けれど、ティティは何も言わない。ヴェールの向こう側の顔は晒されることなく、ただ静かに佇んでいるだけだった。


「ヴィア=ノーヴァが死んだ。この国を守る幾つもの結界を張り巡らし、我が一族とこの国に多大な権益と災禍をもたらした大魔導である」


 名前を呼ぶことすら禁じられた、大逆の魔導士の死。

 本来ならば彼の命が尽きた時点で王宮中に知れ渡ることになっていた。しかし、それについてゼルシアが公的な発言を行ったのは、この朝議が初めてである。


「この宮殿にも、あの男が仕掛けた魔導がいまだ息づいている。我らはあの男から、多くの呪具を取り上げた。無論取り損ねたものもあるが――イヴァン、この意味が分かるか」


 玉座の上で足を組み替えながら、ゼルシアは自分の右隣に控える宰相に問うた。白い法衣を着こんだ男の名はイヴァン・ヴィクトリカ。現在帝国の魔導士たちの頂点に立つ、魔導令師の位を与えられた男である。


「は――あれの魔力によって抑えられていた呪具の暴走が懸念されております。ですが現在は我等「杖」の一同がそれを抑えておりますれば」

「わかったか、リブレッド伯。今回の襲撃に、彼奴は関係ない。それよりも俺が危惧しているのは……イヴァン、エイリオス、現在「杖」及び「剣」は何本存在している」


 問いに答えるようにして、イヴァンと同じようにゼルシアの左隣に控えていた少女が一歩前へ進み出た。年のころは十二、三と言ったところか、背中に身の丈よりも大きな大刀を携えている。


「はい陛下。エイリオスが奏上いたします。現在陛下が携えておられます剣は六本。「三本目」ローリー・ビビーは現在人事不省の為に療養中、「六本目」モニカ・サンドリアと「八本目」ピール・レイルは先日の西方遠征の最中に戦死しております」


「同じくイヴァン・ヴィクトリカが奏上いたします。現在陛下が掲げておられます杖は五本。「一本目」は永久欠番、「五本目」マリアーヌ・フォン・フリッツと「八本目」アリエス・ロッゼが西方遠征の際戦死、「九本目」ロロエンス・オデーリオンは都合により先日退役したため、目下学府の生徒たちの中から新たな杖を選定しております」


 本来十八人で形成される皇帝の親衛隊は、この数年でいくらか数を減らしていた。

 三十年ほど前に小国を吸収した西方の国、シンシア神皇国は帝国の持つ魔導活用技術に目をつけ、何度も反皇帝勢力に力を貸しては帝国側と小競り合いが起きている。その最中で、軍を率いていた「杖」や「剣」が何人も死んでいったのだ。


「そう。俺が掲げるべき杖は、俺が携えるべき剣は、これまでに何本も戦女神ナターリェンの御許にその魂を召上げられてしまった。俺はこの国を総べる人間として、内政の問題でこれ以上臣を殺すわけにはいかない」


 朝議に参加した官吏からは、呼吸の音ひとつさえ漏れ聞こえることはなかった。ただ一人、ベールで顔を隠したティティだけが小刻みに震えている。


「――“十本目”が欲しい。誰よりも強固な剣を、何よりもしなやかな杖を、手元に置きたいと考えている」


 荘厳な空間に次の瞬間響き渡ったのは、絹を裂くようなティティの叫びだった。


「なりません、陛下! 本来お傍に置く九本の剣を新たにお召し抱えになるならばまだしも、皇帝陛下自身が担うべき「十本目」を他の人間に背負わせるなど、ノーナが御赦しにはなりません!」

「ノーナではなく貴様が赦せんだけなのだろう。俺に独断で行動されると宮廷における影響力がなくなるからな」



 玉座からティティを見下ろしたゼルシアの瞳には、明らかな侮蔑と嫌悪の色が浮かんでいた。しかし、ティティの述べるように親衛隊の最後の一席――「十本目」は本来皇帝本人が担う役職であり、それ故の特権をいくつも所有している。そこに皇族でもない人間が据えられるとすれば、それは優に百余年ぶりの珍事であった。


「何も「十本目」に与えられる特権の全てを与えるわけではない。ただ、それ以外は国試の後に正式な任命式を経ねばならないが……「十本目」だけは例外だ。時が満ちれば、それらを上位の職に繰り上げる」

「そんな……ノーナへの冒涜です、今すぐお考え直しを、陛下!」

「くどい。朝議は以上だ。諸卿、職務に戻れ」


 その言葉に王宮百官は目を見開き、ティティは神への冒涜だと空を仰ぎ、王に近しい二人はまた面倒をと肩を竦め――当のゼルシアは苦々しげに眉をひそめていた。

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