04


「よしっ! 多少はまともになったでしょ」


 セイムは満足していた。埃だらけだった部屋を、殆ど一日かけて磨き上げたのだ。疎らに白かった床は木目も美しく、台所回りも覗き込めば顔が映るまでに仕上がっていた。


「お、お腹減った……市場、はもうやってないわよね……」


 明り取りの窓を見上げれば、もうそこには数々の星が散らばっていた。帝都は空気が澱んでいるとどこかで聞いたが、十分占星も出来るほど空は澄んでいる。元々帝都では王宮での占星も多く行われていることから、どこかで術でもかけているのかもしれない――ぼんやりそんなことを思いながら、それでもセイムは鳴り響く腹の音で現実に目を向けた。


 転がり込んだ家を住める環境まで整えたのはよかったが、食料はまるで手元にない。この時間は市場は閉まっているし、だからといって水だけで過ごすのも疲れた体には酷だ。


「酒場、って空いてるのかしら……森にはなかったからなぁ」


 市場には、師に連れられて何度も行ったことがある。見目麗しいヴィア=ノーヴァはその度におまけやら土産をわんさかと抱えるのだが、何時の間にどこかに仕舞いこんでいた。それが今、セイムが鞄として使っている呪具である。使用者の魔力による限界はあるが、大抵のものは仕舞うことが出来る。思えば師が遺した呪具の中で、これだけ率直に役立つものはそうないだろう。


「ここ漁って、食べ物が出てくるわけでもなし」


 いくら鞄をひっくり返しても、出てくるのは仕舞いこんだ金貨と魔導書、呪具だけである。

 仕方がないと腹をくくったセイムは、外套を羽織るとそのまま外に出た。実際赴いたことはないが、これも経験である。酒場で簡単な食事を取ろう。



 家を出ると、道を一本入っているとはいえ流石帝都、あちこちに人の波が絶えず、怪しげな占い師から赤ら顔の官吏まででごった返している。適当な店に入ると、入り口の時点で既に濃密な酒気にむせ返るようだった。

 空いている席はほとんどなく、大衆食堂ともいうべきそこではあちこちからヤジが飛んでいる。そういうところは出来るだけ避けたかったので、セイムは入り口近くのテーブルに落ち着いた。


「あの。ここ、いいですか?」


 剣を携えた用心棒らしき青年が一人で座っていたので、それとなく尋ねてみる。青年の方はそれでようやくセイムに気が付いたらしく、律儀に体をずらして席を開けてくれた。

 この辺りでは見かけない、瑠璃色の瞳の剣士だ。


「いらっしゃい、ご注文は?」

「えーっと、ここ初めてで。おすすめはあります?」

「……ゲイオブルグの果実酒と香草焼きでいいかい? ちょっとラウ、女の子の前だからって調子乗って飲むんじゃないよ!」


 ふくよかな女将のオススメをそのまま聞き入れたセイムは、ちいさくなったまま料理の到着を待った。静かな森で暮らしていたのは、ついこの前までだ。魚料理も肉料理もそれなりに作ることはできたが、帝都のそれがどういうものかはまるで知らなかった。なぜか、そういったことの一切をヴィア=ノーヴァは教えてくれなかったのだ。


「こんなちんちくりんで調子乗るわけねーだろ! ったく……なんだよ、お前見ない顔だな。新入りの娼婦か?」


 茶髪の下から無遠慮に眺めてくる瑠璃色の瞳に、セイムは思わず眉をひそめた。年は近いが、出来るだけ近寄りたくないタイプである。仕草は上品であるが、青年の言葉がどんどんセイムの心証を悪くしていく。


「ちんちくりんでも、娼婦じゃないわ。セイム・ミズガルズっていう立派な名前がある、これでも魔導士よ」

「魔導士ぃ? ってことはお前も選定試験に名乗り出るのか?」

「選定試験って、皇帝陛下の……」


 そのあたりで、ちょうど料理が運ばれてきた。よく焼き目のついた厚みのある鶏肉だった。甘い香りの果実酒と並ぶと、すぐさまセイムの腹が空腹を訴える。


「おい、気をつけろよ。ゲイオブルグの酒は美味くて安いが悪酔いしやすいんだ」


 ラウと呼ばれた青年が、横から盃を奪い取っていく。元々セイムも酒に強い人間ではないので構わなかったが、横柄な彼の態度が些か鼻につく。

 お仕置き代わりに、そっと右手中指に嵌めてある指輪を撫でた。これも、彼女がヴィア=ノーヴァから受け継いだ呪具の一つである。


「いっ……! なんだこれ、氷?」

「魔導よ、かなり略式だし簡素だけど。あんまり子ども扱いしないで」


 剣士と魔導士は、古今東西仲が悪いものと相場が決まっている。

 魔導士は生まれ持っての資質と以後の修行で能力を発現させるためにそれを持たない剣士を見下している節があるし、剣士はそんな魔導士をひ弱な人間だと言って蔑んでいる。今は表立った抗争がなくても、昔話を紐解けば英雄と賢者の対決など掃いて捨てるほど存在していた。


「とんだ跳ねっ返りだな――ま、おのぼりさんってことで見逃してやるよ。そう、話がそれちまったけど、選定試験だ。試験官は「杖」と「剣」のトップ二人に、皇帝陛下」


 酒が入って上機嫌になったのか、ラウは指を二本立てた。もくもくと香草焼きを口に運ぶセイムの隣で、用心棒は夢を語るように胸を張った。


 曰く、王宮の人員不足はそこそこ大変なものであるらしい。実力がある人間は重用されるのが現在の施策ではあるが、それも限りがある。それに加えて、先日ゼルシア皇帝の大叔父であるディレクソン辺境伯が遠征に失敗、皇帝親衛隊の数人を含め、大量の剣士や魔導士を失うことになった。故に現在、本来18人存在すべき親衛隊は12人に数を減らしているらしい。


「魔導士は元々欠員が一つあるからな。俺は剣士隊希望だからそっちのことはわかんねぇけど」

「……ふぅん」


 何も知らないセイムに、ラウの話は有り難かった。どこか酒で口を割らせている気がして申し訳なくも思ったが、彼が特に嫌そうでもないのでそれでもいいということにしておく。とかく、帝都に知り合いのないセイムはこういった情報を手に入れるのには苦労する。


「ラウ、さんは。王宮で剣士になりたいの? ギルドに所属するとかじゃなくて」

「おう、つーか、さんはいらねぇな。年近いだろ。あのな、俺は国一番の剣士になるんだよ。それなら皇帝陛下の直属、つまり「剣」の一本目になった方がいい。ギルドはランクだの称号だの、めんどくせぇ」


 さも面倒くさげに息を吐いたラウに、思わずセイムも吹きだした。面倒だという理由で、自由の利くギルド登録を渋る人間がいるとは思わなかった。大きなギルドの戦士ならば、国境を渡る時も煩雑な手続きは必要ない。確かに上位ギルドになればしがらみと付き合っていくのも仕事の一つだが、王宮勤めの方がそれは多いだろう。


「知らねぇのか? 皇帝の直属なら、ある程度の自由は認められてる。国外は無理でも、国内ならどこにだって行けるんだよ。城から出て下町で暮らそうが、辺境の町で過ごそうが、皇帝から直接の指示がない限りは自由だ。たとえ大臣様だろうが、「剣」と「杖」の人間はそれに縛られねぇ」


 夢を語るラウの瞳は、眩しいほどに輝いていた。自分が王宮で働きたいと思うのと同じように、彼もまた自分の理想をもっているらしい。


 ちょっとだけ、悪いことをしたかもしれない。


 先ほど小規模とはいえ魔導をぶつけてしまったことを申し訳なくなって、セイムは瑠璃色の瞳の剣士に向き直った。やや考えるそぶりを見せて、セイムはわずかに口を開く――それと同時に、食堂の外で爆音が響いた。


「な、なんだぁっ!?」


 咄嗟に剣を握りなおしたラウと同じように、セイムも鞄を抱き寄せた。治安が悪いとは重々聞いていたが、ここまでなんて聞いていない。

 咄嗟に張り巡らせた魔力の糸に引っかかった妙な気配に、セイムは銀貨一枚をテーブルにおいて店を出た。後ろから、ラウが走ってくる。不思議な色の瞳には、明らかな焦燥と驚きが見え隠れしていた。

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