03

 帝都に暮らすならば家を借りたい。できれば、家賃の安いところ。

 二日ほど宿屋で過ごしたセイムは、そう決意した。同じように宿屋を拠点としている魔導士は何人もいたが、やはり経費がかさむのが問題だ。懐はまだ暖かいとはいえ、何か仕事を探さねばこの先の生活は厳しいものになるだろう。それなら、宿屋よりも質素な家を借りた方が安上がりだ。


 それに、占いを生業にする女魔導士から聞いたところによると西の大国であるシンシア神皇国との小競り合いで、皇帝の親衛隊から数人の欠員が出たらしい。悼むべきことではあるが、欠員が出たということはそれを補充する必要があるということだ。大概の場合それらは宮廷に仕える他の魔導士で補うものだが、選定する人間がゼルシア皇帝であるというからどうなるかわからない。


 そうなれば、野心ある魔導士たちは自分を取り立ててもらおうと血眼になるはずだ。大量の魔導書を鞄に入れて持ち運んでいるセイムは、カモになってしまっても文句は言えない。


 つまり金銭的問題と自営の目的で、セイムは家を借りることを決意した。そうと決まれば話は早く、広場の市民掲示板で貸家の情報を探すことにしたのだ。



「それで、家を借りようと思ったんです」

「なるほどねぇ。お嬢ちゃん、魔導士見習いか……それで、お師匠様はどこだい? その年で学府にも通わず修行だなんて、よほど高名な魔導士のお弟子さんなんだろう」

「……え?」


 取りあえず、安い家。

 掲示板に載っていた貸家の中で最も賃料が安い物件を借りたいと思い、大家のところに駆け込んだのは昼過ぎのことだった。厚ぼったいローブを着ていると汗がじんわりと滲み出てくる。

 とにかく家を見せてくれというセイムの言葉に反応した強面の大家は、セイムに先ほどの質問を繰り返した。

 ――師匠はどこにいる。

 それはセイムにとって、ある種の地雷のような言葉だった。


「し、師匠、ですか」

「いるんだよなぁ。魔導士ってその身一つが担保だから、適当なこと言って身分偽装するような奴っていうのが。お嬢ちゃんは身なりもしっかりしてるし、そんなことはないだろうけどねぇ」


 試すような視線が、セイムの頭から足までをぐるりと舐めまわした。

 森にいた頃には感じたことのない居心地の悪さに体が震える。まだ、ヴィア=ノーヴァの死から一月ほどしか経っていない。思い出すだけでも、セイムの目尻には涙が浮かんできた。


「……はい、とても有名な魔導士です。けれどお師様は、私が修行するにあたってご自分の名前を出すことを、良しとしませんでした。あの方はあまりに、有名すぎるので」


 嘘ではない。ヴィア=ノーヴァの名前は、帝国民ならば誰もが知るものだ。口に出すことすら禁忌である先帝弑逆の大罪人として、その名はあまりに有名すぎる。

 しかし大家は疑念の視線を下げようとはしない。向こうも商売であるのだから当たり前だろうが、こういう時市井の魔導士は圧倒的に不利だ。ギルドに登録している剣士ならば登録証が身分証の代わりになるし、王宮や学府に務めている者は一目でそれと分かる証拠を身にまとっている。


 けれどセイムとしてもここで引き下がるわけにはいかない。呪具の一つである麻の鞄から、青い石を一つ取り出した。玉石と呼ばれる、高位の呪具である。


「師から預かった呪具は、すべてこの鞄に入っています。これ自体が呪具なので、私の魔力量によってどれだけ物が入るかも変わってくるんですけど……よければ全てお見せしましょうか?」

「おいおい、たかがあばら家一軒借りるのにそりゃ大げさだぜ。俺ァ魔導は使えねぇがよ、呪具っつーのは魔導士の命っつーよな」

「はい、私たちは媒介の呪具を奪われてしまえば、殆ど普通の人と変わりがないので」


 賭けだった。セイムの誠意に向こうが応えてくれれば、この賭けは彼女の勝ちだ。だが、もしも大家がそれに応えてくれなければ、別の家を探さなければならない。その時もまた企業秘密ともいえる自分の呪具を晒すようなことをすると考えれば、一回で家が決まるに越したことはない。


 大きな二つの目が、大家の顔をじっと見つめる。

 破裂音が家の中に響いたのは、それから少し経ってからだった。


「わかった、わかったよ! 嬢ちゃんが本気なのはよーく分かった! けど他の奴らの前であんまりそういう事しちゃあなんねぇ。俺がたまたま良心的で優しくていい男だからよかったものの、ここじゃ他人は信用しないに限るぜ。王様だって、いつ俺らを裏切るかわかったもんじゃねぇ」

「良い男……?」


 こういう時の冗談の返し方を、師から教わったことはない。セイムは顔だけならヴィア=ノーヴァを超越するような造形の人間には会ったことがないし、世間的な「いい男」の基準が一切わからなかった。しかしセイムの頭に浮かぶ疑問符には気付かない振りをしたのか、男はニヤリと笑って太い指で鍵を摘み上げた。


「そうと決まりゃ、家に案内するぜ。ボロ家で治安も悪いが、確かに安さだけは保証してやる」


 家が古いことは覚悟していたが、治安まで悪いのか――ひきつった笑顔を浮かべて、セイムは内心ちょっとだけ後悔した。



「帝都三番街、ロデリーナ地区。三番街っつーと歓楽街だ。夜になると騒がしいし、治安も悪い。とくにこの辺は売春宿が多いな。お嬢ちゃん、気をつけな」

「ば、売春宿ですか?」

「おうよ。男の天国だわな。まあこの辺は高級娼館が多いから、お嬢ちゃんみてぇに色気のない娘っこは相手にもされねぇ」


 つくづく大家は失礼な男だ。もしかしてさっきの「いい男」発言を根に持っているのかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。腰からぶら下げた鍵をガチャガチャとやっては、ああでもないこうでもないと話を切り替えてくる。


「おお、この鍵よ。ホレ、開けてごらん」


 寂れた鍵を一本受け取ると、それを錠に差し込む。何処か湿ったような音がして、ゆっくり扉が開いた。


「……うわぁ」


 思わず、セイムは絶句した。

 埃をかぶった床は真っ白だったし、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。水回りは近くに井戸があるから心配する必要もないし、それがだめなら魔導を使う。家具やベッドも備え付けではあったが、やはり埃まみれだ。

 早まったかもしれない――先程呪具まで出してしまったため後には引けなかったが、セイムは天を仰ぎたい気持ちでいっぱいになった。


「賃料は月額マギー銀貨3枚とピッケル銅貨8枚。ここいら一体の家賃相場はベリオン金貨1枚から1ベリオン7マギーくらいだから、格安だぜ」


 帝国で流通する三種類の貨幣は、それぞれ10枚で上位の貨幣1枚と交換だ。マギー銀貨10枚と3枚では、どちらが得かなど子供でもわかる。

 それに、汚いとはいえ掃除をすれば家も使い物になるだろう。

 セイムは一度振り返って大家に向き直ると、勢いよく頭を下げた。


「ここで決めさせていただきます。よろしくお願いしますっ!」

「おうよ、今日からここはアンタの家だ。好きにしな」


 元より家に対する愛着がないのか、サインと頭金を確認すると大家の男はさっさと家を出て行ってしまった。埃臭い家に一人取り残されたセイムは、家の小ささがなんだか森にあった師の家のようだと思いながらも、当面の家を確保したことにとりあえず安堵した。

「て、言ってもまず掃除しなきゃよね」


 あちこち歩いて、居間から井戸に行く体力はセイムにはなかった。魔力を垂れ流しにすることはあまり好ましいことではないが、掃除の分くらいならば魔導で賄ってもいいだろう。多少なら負荷もかからない。


「そっか……森ではお師様も一緒にお掃除してたもの」


 森を出てから帝都に着くまで、息つく暇もなかった。慣れない馬車に乗って帝都に出てきて、ようやくセイムは腰を据えて物事を振り返る時間が出来たのだ。

 気づけば師が儚くなって、ひと月が経っていた。即ちセイムが一人ぼっちになってから、同じ時間が経っているということだ。


「……お師、様ぁ」


 家を出た日から、彼女は泣くのをやめた。それは今まで彼を信じていた自分を疑うことになるからだ。ヴィア=ノーヴァがそうと言ったことは、必ず実現する。彼は今まで、天候やその日の出来事までなんだって当てることが出来たのだ。

 だからいつか、セイムは師に会うことが出来る。それだけは確信していた。


「帝都は、広いわ……お師様、絶対に見つけますから」


 目的がある人間は、それがない人間に比べて強くなることが出来る。セイムは小さく自分に喝を入れた後に、古ぼけた木のバケツを手繰り寄せた。

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