02

 シュタックフェルト帝国帝都、フェルティニウム。周辺各国の中でも最も栄華を極めるとされた「魔都」の入り口で、セイムはぽかんと口を開けたまま立ち竦んでいた。

 歴代の皇帝が居を構えるフェルティニウム城が、大通りを一直線に進んだ所にそびえ立っている。多数の属国と自治州を束ねるその責務に相応しい絢爛豪華な城は、もはや帝都名物となっている。乗ってきた乗合馬車での話によれば、城の前にある大広場では、時折勅命が張り出されては物議をかもしているらしい。


 ――とにかく、人の多さも街の大きさも、何もかもがレディウムの森とは異なっている。辺境の地ではその異能ゆえに恐れられる魔導士も、帝都にある最高学府でその能力を磨くために古今東西から集まっているらしい。


「ここが帝都……凄い」


 学士と呼ばれる研究者や魔導士が集う学び舎も、剣士ギルドの登録所も、全てがこのフェルティニウムに存在する。無論市井の薬師や呪い師などを生業にしてこの街で過ごす人間も少なくはないが、セイムのように王宮勤めを目標にしてここにやってきた人間も数多く存在する。現実として学府や王宮は広く市井に門戸を開き、年一度の入試以外にも、不定期にではあるが皇帝勅命による採用試験も開催されていた。


 現皇帝であるゼルシア・ハイドランジアの評判は、周辺諸国ではすこぶる悪い。

 十七年前に齢十五にして時の宰相であったヴィア=ノーヴァと共に父王を暗殺し、皇位継承権第七位という絶望的な立ち位置から皇帝に即位した彼は、使えるものならば新人官吏からゴロツキまで使い潰すという。年功序列制度を廃止し父の忠臣達を片っ端から閑職に追いやった後は、皇帝個人の親衛隊である「剣」と「杖」と呼ばれる集団で身を固めているらしい。


 だがそんな王だからこそ、腕に覚えのある若者たちは帝都に集う。出自も経歴も関係なく、ただ実力と人間性を見る皇帝の元で名を上げたいと考えている者がそれだけ多いのだ。

 無論、その中で実際に目に留まる人物などほんの一握りだ。幾らヴィア=ノーヴァが稀代の大魔導士だからといって、その弟子であるセイムがどうであるかなど、セイム自身にも分らない。全ては、皇帝に謁見してから決まる。そのために自身の知識と魔力を高めるほか、今のセイムに出来るのことはなかった。


「……これから、どうしよ」


 師が「遺産」として残した金貨は、セイムが帝都で数年暮らす程度ならば何の問題もない量があった。平民ならばまず見ることのないであろう量の金貨に恐れをなしたセイムは、適当な量を鞄に突っこんで旅立ったのだ。あの量の金貨を保管する場所も、持ち歩く度胸も、17歳の少女は持ち合わせていない。


 そういうわけで、路銀もまだかなり残っている。セイムが使った乗合馬車は、古くはあるが料金が安く、食事もかなり値段が低いものだった。しかしいつ皇帝に謁見できるとも限らない中で、無駄に金を浪費するような真似はしたくない。森で金銭を扱うことは少なかったが、ヴィア=ノーヴァはよく金で身を滅ぼした宮廷官吏の「昔話」を聞かせてくれていた。ああやって、金を持っているのはよくない。必要な分はポケットの中へ、それ以外は魔導書と一緒に皮袋の中へ。一応魔導を使うのに必要な呪具の類も幾つか鞄からポケットへと移し、取り合えずセイムは当分の宿を探すことにした。



 香が焚き染められた薄暗い部屋で柳眉を顰める男が一人、豪奢な椅子に腰かけ足を組んでいる。見る者によっては傲慢ととられてもおかしくない仕種だが、男はそれすらも許容させるほどの空気を身に纏って、不機嫌そうに座っていた。


「星が動きましたわ。ゼルシア陛下、どうぞご覧くださいませ」

「生憎だが俺は魔導や占星の類は空っきし才がない。嫌味も結構だが、そもそも占いを信じている人間ではないからな」


 黒に近い暗赤色の髪をかきあげて、男は鼻を鳴らした。子供のようにふくれっ面を見せる男を見て、恐らく彼こそが大帝国の主であると見抜くことが出来る人間は、そう多くはないだろう。

 だが、軽装の上から羽織っている上着には確かに王家の紋章――百合と剣が描かれている。現在国内でこの紋章をつけるのを許されているのは、皇帝ゼルシアとその皇妃シャルローデのみであった。


 対してそんなゼルシアに語り掛けるのは、薄いヴェールで顔を隠した少女であった。知識神にしてシュタックフェルトの最高神ノーナの「花嫁」と呼ばれる神職であるティティ・オデッサは、有事になれば「ノーナの天秤」といわれる諮問機関を率いて皇帝その人よりも強い権限を持つこともある。


 表情の見えぬ布の下で何を考えているのかがわからない。そのような理由で、彼女は現在多く王宮から遠ざけられていた。しかし月に一度、定められた日に王はティティの元を訪ねなければならない。それが脈々と受け継がれてきた、王室のしきたりであった。


「陛下、禍つ星が遥か東方よりこの帝都に堕ちた様子……本日よりひと月の間は、城下に下ることのなさりませぬよう」


 香が焚き染められ、薄暗いその部屋はティティと現皇帝、ゼルシア以外が入ることは許されない。その上、当のゼルシアであっても帯刀を許されない特別な空間だった。

 しかし、物騒な予言であっても彼の余裕が崩れることはなかった。むしろティティを見下ろすように鼻で笑うと、秀麗で凶悪な笑顔をそのかんばせに載せた。


「城下に下るな? ふん、馬鹿馬鹿しい。その禍つ星とやら、使えるものならば使い潰せばいいだけの話だろう。現に俺は、そうしてこの十七年を王宮で生きてきた」


 悠然と、或いは嘲るような笑いが、弾けたように部屋の中に反響した。その声は低いが、言葉を発すれば力強く、何処までも通るような響きを持っている。昏い色の瞳に銀色の光彩を宿して、ゼルシアは吐き捨てるように言った。

 

「陛下、これはノーナのご意思です。御身に災いが降りかかることを、ノーナはすでに見透かしております。御身の為に、ここはどうかこのティティの言葉に従っていただきたい」

「俺にとって何が災いかは俺が決める。禍つ星だか何だか知らんが、俺にとって吉星である可能性も十分にある。……それに、この国の君主は俺だ。皇帝たるこの身が巫に従うと? 俺は傀儡も同様というわけか」

「陛下!」


 峻烈にして、苛烈。

 齢十五で兄皇子たちを退け帝位についた若き皇帝はティティの占星を一蹴すると、剣を預けた侍従を呼びつける。既に彼の興味はこの薄暗い部屋で行われる定例の占星よりも、城下で待ち受けるという「禍つ星」とやらに移っているようだ。


「どうかお待ちくださいませ、陛下!」

「ティティ」


 荘厳で、突き刺すような声がティティの鼓膜を貫いたようだった。


「貴様の言いなりになって、兄上方や父上がどうなったのかを忘れたのか? 俺が貴様を信用することはない。絶対にだ。――俺がこうして貴様のもとに通うのは、死なぬ魔女に罪の意識を忘れさせぬようにするためだということを、努々忘れるな」


 そう言い捨てると、靴音も高らかにゼルシアは部屋を後にした。慌てて侍従がその後を追うが、ティティは薄暗い部屋で俯いたまま微動だにしない。


「この、罰当たりが……!」


 呪詛を込めた言葉が、ヴェールの中から漏れ聞こえる。

 ただ、握りしめた拳が色を失っていくのに気付かないかのように、ノーナの花嫁はひたすら与えられた屈辱に耐えていた。

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