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懐刀を手元で一回転させたゼルシアは、そっとそれを左手で包み込んだ。傷がついてしまうと慌てて止めようとしたセイムを制止すると、一気にそれを引き抜く。
「教えられるのは一度きりだ。呪具も、本当にこれでいいのかはわからない。兄上とヴィア=ノーヴァから伝え聞いただけだからな。俺は昔から、魔導に関しては劣等生だ」
鮮血が伝う小さな剣をなるべく見ないようにして、セイムは目を逸らした。昔からあまり血を見るのは得意ではない。けれどゼルシアの方はお構いなしに剣を自分より小さな掌に握らせた。赤い雫が、セイムの掌に落ちる。
この国で、最も尊い血。もっとも気高く激しい、雷神の力を継ぐ男の、血液。
「「雷の血脈」なんて、今まで意識したこともないがな。あの男に出来るんだ、お前にだってできると信じている」
「へ、雷の……って」
それは、代々の皇族のみに伝わる業だ。先程ノーヴルが試用した際、それだけで彼の正体が割れてしまうほどに強力で、魔力の消費量も多い魔導。本来は皇族の血を媒体として発動することが出来るそれは、駆け出し魔導士のセイムにとってあまりに荷が重いものだった。
今になって、体が震えてくる。魔導士にとって最も大きな恐怖は、失敗である。
「で、きません……こんな、試したこともないし、詠唱も知りません――」
「セイム」
思わず口をついて出た不可能という答えに、ゼルシアは柳眉をひそめて強い力を持った響きでセイムの名を呼んだ。小さな体が、大きく跳ね上がる。絶対的な王者としての風格が、セイムを責めているようだった。
「詠唱は、俺の後に復唱しろ。それでいい。魔力も足りないのなら、俺のを好きなだけ使っていい」
イヴァンを見据えたまま、力のこもった声がそう提案する。
他者から魔力を提供して魔導を発動させるという真似はしたことがないが、彼の言い方からすれば恐らく可能なのだろう。師がずっと心配していた実戦経験のなさが、セイムに勇気を与えられないでいる。
「これだけ大掛かりな魔導を仕掛けて、失敗した時の反動が大きすぎます。私だけならまだしも、陛下は」
「それでイヴァンに俺以外が皆殺しにされたら、元も子もないだろうが。いいか、俺の首はいくらでもすげ替えが聞くんだ。皇族は俺だけではないが、イヴァンを止められるのはお前とヴィア=ノーヴァだけだ。……セイム、頼む。俺の信頼を、裏切らないでくれ」
どうしてだか、短剣を握りしめたセイムの手に力が入った。付着したゼルシアの血液はそれなりに量があったが、このままではすぐに流れ落ちてしまう。
決断を、しなければならない。
「……陛下、障壁を張ることはできますか。陛下お一人を包み込むくらいのもので構いません」
「周囲一帯を守ることはできないぞ。本当に精々、俺とお前の二人を守るくらいだ」
「では、その二人分で陛下ご自身の前に障壁を張ってください。「剣」の方々も、出来るだけ遠くに逃げて頂いて――お師様と私は、まあ臨機応変に。扱う術の種類にもよりますが、イヴァン様は……」
「安心しろ、あいつの動きを止めるだけだ。俺も、イヴァンにはそれなりの恩義がある。死なせるのは忍びない」
殺さないというその言葉に安心したのも柄の間、目の前では最上級魔導の打ち合いが繰り広げられている。おそらくは、ヴィア=ノーヴァがこちらの意図に気付いたのだろう。わざと大量に魔力を放出して、セイムの魔力を隠そうとしている。
「いけるか、セイム?」
「……覚悟はできました。先に謝っておきます」
「不要だ。剣を構えろ!」
赤い雫が一つ、剣先から零れ落ちた。
「下弦の黒曜、上弦の金剛、連綿と続く契約の血脈よ。高潔なる魂に宿りし雷神の片鱗よ。我が盟主ゼルシア・ハイドランジア、並びに我が名セイム・ミズガルズの呼応に応えよ――その頤おとがいに咆哮を宿し、万物を絡めとる鳥籠となれ」
言葉を旋律に乗せた途端、セイムの体が一気に重たくなる。それほどの魔力を、詠唱を唱えるという行為だけで消費しているのだ。疲労が蓄積した体に、魔導そのものを放つ体力が無いことは自分が一番わかっていた。
「だ、めだ……」
喚起した魔導を押し留めれば、セイムだけではなくすぐ近くのゼルシアまで粉微塵になってしまう。幾ら障壁を張ったからと言って、これだけの魔導の反動を返せるとも限らない。次から次へと魔力が流れ出していく中で、セイムは先程射抜かれた肩が熱くなるのを感じた。傷口が開いたのか、鋭い痛みに眼の前がかすむ。
「お師、様」
駄目な弟子でごめんなさい。
指先から冷たくなっていく感覚に、セイムは歯噛みした。転移魔導以外で、ここまでの感覚を味わったことがない。未知の恐怖に体を震わせながら、剣を持った方とは逆の手で胸元を探った。癖になってしまったようだと心の中で苦笑しながら、イヴァンから譲り受けた玉石を握りしめる。
「あっ、っつ!」
弾けるように、ぼんやりとした意識が引き戻される。胸元の玉石が、触れられないほどの熱を発している。そのくせ肌が焼ける感覚は一切なく、石だけが勝手に熱を持っているだけだ。
石に混ざったイヴァンの魔力がセイムを拒んでいるのか。
一度はそうも考えたが、やがてそれが間違いだったことに気付かされる。熱く脈打つペンダントからあふれ出すのは、セイムが常にイヴァンに感じていた、清廉で穏やかな魔力だ。
「イヴァン、様」
まるで主を止めろと言っているようだ。
石からあふれる魔力に後押しされるように、セイムは短剣を握りしめた。
「それでセイム、準備はできたのかい?」
ヴィア=ノーヴァの声に、セイムは力強く頷いた。
「お師様、頭下げてください! ラウに、みんなも!」
ビリビリと辺りを包み込む魔力に、イヴァンが驚愕の表情を見せた。彼だけではない。ラウも、エイリオスも、アマルシアも、少女がこれだけの魔導を使うとはだれ一人思っていなかったのだろう。
押し寄せる魔力に負けないようにと力を入れた体を、温かい腕が支えた。既に術式は完成した。六本の雷が、イヴァンの体を捉える。
「ごめんなさい、イヴァン様――今この時、勅命をもって「十本目」セイム・ミズガルズがあなたを捕縛させていただきます」
その言葉を発した途端、セイムは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。決着が、ついたのだ。
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