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木々の間を縫うように走り抜けようとしたラウは、奇妙な浮遊感に襲われて思わず手足をばたつかせた。高い位置であきれた表情を見せるのは、アマルシアである。自らも胎に傷を負いながら、器用に鋏でラウの服を引っ張り上げる。
「はなせ、オッサン! あのままだとセイム死んじまうだろうが! それに、陛下だって」
「魔導士同士の戦闘に俺たちの出る幕はない。お前は少し、彼女を信用してやれ」
いきり立つラウの体を押し留めるように、アマルシアが低い声を出した。夜の闇に乗ずることが出来れば、恐らく背後からイヴァンを仕留めることが可能だろう。しかし彼ほどの魔導の使い手が対策を練らないはずがない――歯噛みしながら、鋏を一度振り回す。空しいほどに軽い音が響いて、ラウが地面に落ちただけだった。
「……無力だなどと、考えるなよ」
既にエイリオスが構えをとっている。アマルシアやラウも、その人声があればすぐ動くことはできるだろう。
「陛下とセイムを信じろ。俺たちに出来るのはそれだけだ」
隙さえ見せてくれれば、か細い魔導士の体など一閃だ。
昏い瞳に鋭い光を宿して、騎士たちはその時を待っている。
*
「私の魔力が切れているところを狙いたいって気持ちもよくわかるよ。そういう手には嫌というほど嵌められてきた。しかし残念なことに、そんなバカげた計画で私を貶めようとしてきた人間はみな死んでいった。イヴァン、お前はもう少し聡明な子だと思っていたんだけれどね。……少なくとも、おかしな嫉妬に駆られて理性を失うようには見えなかった」
呪具を持たないヴィア=ノーヴァに、魔力強化の呪具をまだ隠し持っているであろうイヴァン。紅玉が填められた腕輪から発された炎が、大口を開けてその後ろで控えていた。
「皇帝陛下その人の為に生きろと教えてくださったのは、あなたではありませんか。大師? 私はその教えを忠実に守っているに過ぎない。あなたは最早この王宮には必要ない。陛下の治める御世に、あなたとセイムは必要ないんだ!」
イヴァンが叫んだ途端、その空間が眩い光を放つ。均等に分散された魔力が、白く魔力を纏ったまま周囲に舞っていた。降り注ぐ雪、或いは散り行く花弁の様な美しさのそれだが、その実は禍々しく熱気を孕んでいる。
――触れれば爆発するのか、あれを一つずつ撃ち落とすのは至難の業だ。舌打ちを一つ、ヴィア=ノーヴァは軽く息を吸った。
「下弦の黒曜、上弦の金剛、宵闇より出でて邪を食らう邪よ。海神の蒼玉、瑪瑙の三角、仄昏き智の深淵にて口開ける百魔の王よ。我が名ヴィア=ノーヴァの求めに応じてその貪欲な口を開け」
親和性がある二属性の魔導を、さらに二つ掛け合わせる。
一般の魔導士ならば魔力を極限まで吸い尽くされ死んでもおかしくないほどの大技で、ヴィア=ノーヴァはイヴァンの攻撃を食らいつくした。空中にぽっかりと空いた穴が、文字通り炎の狼を噛み砕いたのだ。
「セイムのように聡明な子は大好きなんだけどね、聞き分けのない馬鹿は嫌いだよ。……誰が王を守るべきその杖を、王の同胞たちに向けろと教えた。もしシャルローデ妃が死んでいたら、お前は皇族暗殺の大罪人だ」
自嘲するように、ヴィア=ノーヴァは唇の端を歪ませた。背後でかすかに動いた魔力を気取られないように、魔力を讃えた瞳をイヴァンから逸らすことはしない。
「シャルローデ様は、陛下のよき理解者様であります。陛下が気配を察して毒杯を取り上げることも、またリードリュンゲンの毒にお強いということも、存じておりました。私は元々、薬師の元で鍛錬を積んでいた身」
くつくつと笑い声を零すイヴァンは、魔力ごと食われた腕輪を地面に投げ捨てると、首から下げた色の薄いペンダントを取り出した。
「特一級の玉石……今までどうしてだか使う機会がなかったのですが、きっとこのために与えられたようですね。水色の尖晶石――石言葉は「実行性」でしたか? 私が持つどんな玉石よりもささやかで、どんな玉石よりも能力が強い、とんだ皮肉です」
泣きたいのか笑いたいのか、歪な表情でそう呟いたイヴァンが、高らかに声を上げる。紛うことなき勝利宣言。悲願だった、師を越えるという途方もない幻想。それが実現するのだ。白い身体は、歓喜に震えているようだった。
「紺碧の太陽、紅蓮の満月、三ツ頭の竜王が従える四千の眷属よ。紫紺の魂、山吹の四肢に産声を上げて我が名イヴァン・ヴィクトリカの名の元に共鳴せよ――さあ、さようならです「師匠」! あなたの可愛いセイムも、じきそちらへ送って差し上げましょう」
叫んだイヴァンの手に握られたペンダントが、怪しげな光を放つ。ヴィア=ノーヴァと同じく四つの属性を絡めた魔導の力に耐えきれなくなったのか、その体を守るように身に着けられていた呪具がほとんどはじけ飛んでしまっていた。
ひきつけておいたのは、正解だったか。
指を一つ慣らすと、先程と全く同じ魔導がイヴァンのそれを食らいつくした。青ざめた顔を一瞥して、肩を竦める。馬鹿な弟子を持つと苦労するが、まさかここまで手を焼くとは思わなかった。彼は自分がいなくても大丈夫だと思っていたから、信頼していたからこそ、尚更。
「……それでセイム、準備はできたのかい?」
恐怖と驚愕に目を見開くのだとでも思ったのだろう。飄々とした態度を崩すことなく、それどころか喜色満面にそう微笑みかける。
それは静かな争いの只中に拾い上げたかつての皇子でも、知らぬ間に歩む道を別った眼前の男でもない。
十七年、その絶望と孤独を癒し続けた愛弟子に、全幅の信頼を寄せて。
「お師様、頭下げてください! ラウに、みんなも!」
半ば悲鳴に近い声を上げながら、セイムが短剣を掲げていた。既に詠唱を唱えた後なのか、肌に突き刺さるような魔力が辺り一帯を支配する。
「まさか、セイム……君は」
呆けたような表情で、ヴィア=ノーヴァが今度こそ目を見開いた。思っていたよりもよほど上等な結果だ。
「ごめんなさい、イヴァン様――今この時、勅命をもって「十本目」セイム・ミズガルズがあなたを捕縛させていただきます」
震える声の直後、地が揺れるような爆音の中で六本の稲妻が輝いていた。
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