46

 ざわめく木々の隙間から感じた何かに、セイムは顔を上げた。


「……今のは……?」


 暗い森の中で見えるのは当然木々たちと先を行くゼルシアの背中くらいのものだが、確かに今感じた強力な魔力は、セイムがよく知ったものであるはずだ。


「どうした、セイム?」

「いえ、なんでも……」


 枯れた枝を踏みしめながら進む夜の森は、暗いうえに寒い。道を照らすのはセイムが作り出した氷のランプだ。解けないように魔力を流し込んだランプの中に、同じく魔導で作り出した炎を入れる。肌寒さばかりはどうにもならないのでローブを寄せながら、セイムとゼルシアは不気味な森を進んでいった。


「どうだ、イヴァンの魔力は感じるか」

「うぅ、なかなか難しいんです。魔力検知って。あの、例えば私みたいに思い切り魔導を使う機会が多ければそれだけ探しやすくなるんですが、イヴァン様ほどになるとそれを計算に含めた上で行動なさると思うので」

「そういうものか」


 範囲が広すぎるのもまた問題である。張り巡らせた魔力の糸に引っかかるものがあればすぐセイムにも分るのだが、先ほどから探り当てられるのは小動物や鳥ばかりだった。先ほどの兵士は嘘を言ったのではないか――そんなことを考えながら、乾いた音のする足元に目を落とす。


「……向こうは、恐らく俺たちがここにいることを分かっているんだろう」

「はい。私の魔力をたどれば、自ずと」

「それで俺たちがイヴァンの居場所を探しているというのも腹立たしい。いるのがわかっているならさっさと出てきたらどうなんだ?」


 寒い中を歩かされているのと、積りに積もった苛立ちがとうとうゼルシアの口をついて出た。何処となく拗ねたような表情で舌を鳴らすと、それでも薄着のセイムを気遣うように上着を脱ごうとする。


「わ、駄目ですよ陛下。お風邪を召してしまいます」

「風邪ひくのはお前の方だ。急いでいるからと言って着替えすら待ってやらなかったのは、悪かったと思っている」


 それでなくとも足元が悪いのに、セイムよりも二回りほど大きいゼルシアの上着を着ればさらに身動きが取れなくなってしまう。そう言ってゼルシアに上着を突っ返すと、また不機嫌そうな表情で鼻を鳴らされた。


「名前を呼べば、あいつはすぐに俺の傍にやってきたんだ」


 ぽつりとそう零して、ゼルシアはその大きな掌で顔を覆った。絞り出すようなそこの声は何処までも痛ましく、苦しげであった。けれど周囲で吹き荒れる強風が一陣駆け抜けるころには、その表情も何時もの毅然としたものに戻っている。嘆いたところで、イヴァン本人を探し出さねば何もわからないのだ。


「名を、呼べば……?」


 どうしたものかと眉根を寄せるゼルシアは、そこで一つの考えに辿り着いた。

 思えばイヴァンがゼルシアの傍らに立つのは、決まって彼がその名前を口にした時である。普段は公務の邪魔にならないように、かつ自分の執務をこなすため、大抵はどこか別のところにいることが多かった。朝議以外でイヴァンがゼルシアの傍に控えていることが少ないのは、そんな理由があるからだ。



「俺が名を、その名を呼べば――イヴァンは常に傍らに立っていた。そうだ、だとすれば」


 全てのカギが、自分だったのだと。

 それを悟ったのか、ゼルシアは口に手を当ててもう一度眉をひそめた。どうにも、出来すぎている気がする。それが罠だと考えるのは簡単だが、それ以外ではイヴァンを探し当てることなど到底できそうもない――。


「陛下、それはあんまりにも」

「そう、あまりに安易で、馬鹿馬鹿しい。俺が知るイヴァン・ヴィクトリカは、誰よりも思慮深い男だ……」


 セイムも、そんな容易なことがあるものかと胸元の玉石を握りしめる。賢者としての名声をほしいままにするイヴァンが、そんな容易い真似をするとも思えない。

 或いは、賢者ゆえにわざと手のかからない手段を提示しているのか、どちらにせよ試してみないことには全て憶測に過ぎないのだが。


「俺の、背後に付け。何があっても庇いきれない」


 その背にセイムを隠すようにして、ゼルシアはその瞳で何もない暗がりを睨み付けていた。


「イヴァン、どこにいる」


 普段、執務の時と同じように。気安い友に話しかけるのとはまるで違う声音は、まさしく王としての威厳に満ち溢れていた。


「呼びかけに応えろ。俺は、待たされるのが嫌いだ」


 その精悍な顔つきにわずかな緊張を含ませながら、鋭い命令は確かに夜の闇に消えていった。駄目だったのか。ゼルシアが苛立ちも露わに舌打ちをしようとした瞬間、またもや風が鳴る。あの吹きすさぶ冷たい風ではなく、どこか温かく緩やかなそよ風。知性と温厚さを兼ね備えた優しい声が、そっとその風に乗って響き渡る。



「お呼びになりましたでしょうか――陛下の一の杖、イヴァンはこちらに」


 いつも、執務室でセイムに笑いかけるのと同じ笑顔。人望の厚さが見て取れる穏やかな表情で、純白のローブを着た魔導士はいつの間にかそこに存在していた。


「や、セイム。君も陛下と一緒だったとは……寒い中探させてしまいましたね。風邪をひかないよう、今日は暖かくして眠るといい」


 薄着にローブという格好のセイムに目を止めて、イヴァンはそう微笑んだ。王宮に仕官してから毎日のように見てきた、あの笑顔だ。


「イヴァン、様……」

「こんなに足元の悪い中、陛下にはわざわざご足労を賜りましてまことに恐縮です……ノーヴルが一緒だと思ったのですが」


 自分が作り出した人形には何の興味もなさそうな表情をして、イヴァンは首を傾げた。しかしやがて何かに気づいたように手を合わせると、申し訳なさそうに頭を下げる。


「ノーヴルは、壊れてしまったんでしたっけ。いやはやうまく逃げられたからいいものの、凍傷になりかけの足を引きずったままの転移は骨が折れました。まさか雷の魔導を使うなんて考えていなかったものですから……やはり、マスターの手を離れる人形というのはいけませんね」


 その言葉を聞いた途端、セイムは自らの内側から何かが湧き上がってくるのを感じた。。真っ赤に染まっていく視界のもやを振り払うように高い咆哮を上げると、ありったけの呪具を鞄の中から手元によせる。


「やめろセイム!」


 その身を盾にしてセイムを庇おうとしたゼルシアの声は、届かなかった。持てるだけの魔力を叩きつけようと魔導の形をイメージした瞬間、肩に鋭く熱い塊を感じる。


「え、」

「あぁ、やはり若いというのはいいですね。生命力に満ち溢れ、天井の見えない素晴らしい力。陛下の杖として、君は「一本目」を目指すことのできる資質を存分に有している」


 歌うように軽やかに、しかし指先だけは赤銅色の呪具と紅玉の玉石を放すことのないまま。



「私はそれが、酷く忌々しい」



 肩を焼き焦がされたセイムの悲鳴と、ゼルシアがセイムの名を呼ぶ声が森の中にこだまする。

 イヴァンはその光景を眺めながら、その赤い唇を優雅に歪めてみせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る