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「数は知れんが……これは魔導士か、それもただの魔導士ではないな」


 鋭い月光を浴びたゼルシアの剣が、轟と音を立てて虚空を薙いだ。何かを確かめるように何度か剣を振るうと、そのうちの一度で明らかな手ごたえを感じる。

 恐らくこの周囲にも、何人かの魔導士が陣を張っているのだろう。


「姿を消す魔導というのは、存在するのか」

「高位の魔導では、視覚そのものに魔導をかけて姿をくらます術というのが存在します。もしくは一種の幻覚性薬物にも、そういう効果があるものは存在しますが……広範囲に姿を消すならば、魔導の方が的確化と」

「高位魔導か、流石はイヴァンと言ったところか……」


 不意に、真一文字の一閃。

 何かが崩れ落ちる音を聞いたその場所にゼルシアが的確な蹴りを入れると、あっという間に不可視の刺客の姿が見て取れた。ゲホゲホと咳き込みながら、目を閉じて死の瞬間を待っている。


 無慈悲な表情でそれを見下ろしたゼルシアは、吐き捨てるように言葉を紡いでいった。

「……おい、起きろ痴れ者が。貴様に聞きたいことがある」


 腹部を真一文字に赤く染めた魔導士が、もう一度蹴りを入れられて短くうめいた。意識を失わせないように斬りつけたのか、痛みに顔を真っ青にして薄く目を開ける。


「セイム、後は頼むぞ。俺はちょっとした尋問で忙しいんだ」


 何の感情もこもらない声でそう言うと、ローブの胸ぐらをつかんで無理矢理に魔導士の体を起こす。その光景に、思わずセイムも息をのんで目を逸らした。

 冷静でありながら、噴き出さんばかりの怒りを孕んだ声が相手を射抜いていく。思わず目を逸らしたセイムは、それでもぎゅっと自らの手を握りしめた。


「陛下、失礼致します……月光の調べ、生命の薄皮の上にて縁を繋げ」

「セイム?」

「傷口を繋げただけです。その、見ていられなくて」


 明らかに、ゼルシアは怒っている。その表情は憤怒というものからはほど遠く静かだったが、普段の彼は理由もなく人を傷つけるようなまねはしない。諌めるような口調でそう言えば、ゼルシアの方もばつが悪そうに視線を逸らした。どうやら彼は、何処までも非常になれる人間ではないらしい。


「悪かった。焦っていたのは、認めよう」


 ローブの胸ぐらをつかんだ手は離さず、そう言った。幾らか落ち着いたのか至極理性的な口調で質問を投げかけるゼルシアにセイムも少し安心して、呪具を構えなおす。

 風向きや現在位置から広範囲を暴くならば炎の魔導がいいだろう。だが、下手をすれば地理的条件に劣る此方が消し炭ということも考えられる。セイムは思案し、そして目を閉じた。


「流石に森燃やすわけにもいかないし……海神の蒼玉、双子の星煌めく星図の終わり、暴き立てられた虚飾と彷徨う氷柱に貫かれ四肢を晒せ」


 詠唱を使わない小規模な魔導だと、魔力の消費が少ない代わりに数を打たねばならなくなる。セイムやゼルシア自身の身の安全を鑑みると、この辺り一帯の魔導士の魔力を読み取って一斉攻撃を仕掛けた方が得だ。現れた氷柱に追いかけられる魔導士たちの悲鳴を聞いて、セイムはまたゼルシアの方を振り返った。既に「尋問」は終了していたらしい。


「吐いたぞ。イヴァンは森の中だ。……恐らく魔力を感知させないようにしているのだろうが、探すことは可能か」


「魔力を絶っているとなると、殆ど目視での捜索になります。ただ、イヴァン様はそこまで徹底的に身を隠すつもりは、ないのかも。だっていくら自分の部下とはいえ、凄まれてぽろっと自分の居場所を言ってしまうような人間に情報を渡すほど、あの方は愚かではないと思います」


 恐らく最初から、自分の居場所を知らせることが目的だったのか。そう言えば、ゼルシアは低く舌打ちをしてつるりと顎を撫でた。ややしばらく考えた後で、未だ足元でうずくまる魔導士に目を落とす。


「俺が出るのを待っているのか、それともお前か……おそらく前者だろうな。ならばその誘いに乗ってやろうじゃないか」


 ぽっかりと浮かぶ月を仰いで、ゼルシアは姿の見えぬ相手にそう呟いた。

 この十七年、イヴァンはいつだって自分の傍にいた。そこが深い魔導師の、それでも表面しか見えていなかったとは思わない。思いたくもない。


 玲瓏な月に見降ろされ、雷の神をその名に宿した男は笑う。


「セイム、索敵を続けろ。ここは俺の城、俺の庭、俺の領域だ。周囲を気にする必要はない。万が一イヴァンを見つけて会戦になったら、迷わずあいつを射抜け」

「陛下……?」

「イヴァンの仕事――宰相位、魔導令師というのはな、ただ皇帝の補佐役というわけじゃない」


 血を振り払った剣を再び鞘に納めると、ゼルシアは先んじて森の中を進んでいく。セイムもそれに後れを取らない様に、小走りで後を追った。

 ギャアギャアと不気味な鳥の声が、そこかしこから聞こえてくる。


「俺が道を誤り、国民を苦しめるような真似をすれば、それを諌め国のかじ取りをするのがその役目だ。それは、お前の師匠と俺の父の間でも起こったことでもある。父は、さっさと仕事を放棄してリベリアに籠ったきりだったからな」


 愛するものを次々と失い心を崩した先帝を、公私の面で支えたのは時の宰相ヴィア=ノーヴァだ。国も自らも滅んでやむなしと呟いたその男の頬を、最強の魔導士は忌々しげに引っ叩いたのだという。


「故に、俺も宰相には最も信頼できる人間を置いた。能力的にはあの男に劣るが、イヴァンは紛れもなく俺の友だったんだ。間違えた時には道をただし、進むべき道を共に歩む。俺の背後を任せたのがシャルローデなら、俺の横で支えるのはイヴァンだった」


 それまで硬質で張りつめていたゼルシアの声に、僅かに感情の柔らかさが差したようだった。背後を追うセイムからその表情を見ることはできないが、泣いていたり怒っていたりするわけではない。きっと、いつもの不敵な表情のままだろう。


「剣を、向けろと言われれば。そうしなくてはならなくなったら、俺はきっと躊躇する。お前には酷なことを頼むと、そう理解しているが――頼む、セイム」


 足を止めたゼルシアが、一呼吸おいてセイムに向き直った。

 実年齢よりもよほど若く見えるその相貌が、少しだけ年を取ったように見える。セイムが思っているより、感じているよりもずっと、一人ぼっちのゼルシアは狼狽していた。


「もしも、俺がアイツを止めることが出来なかったら。その時はセイム、お前が止めるんだ。俺と共にその魔導でアイツを焼き焦がしても、氷の剣で刺し貫いても構わん。俺が許す。イヴァンが拘っているのは俺だ。俺一人のせいで国を引っ掻き回すわけにはいかない」


 壊れ行く父の背中を見て育った。

 落ちくぼんだ眼窩に映るのは今生きて必死にもがいている息子たちではなく、早逝し美しい思い出になったかつての愛妃と、彼女が遺した子供の面影。若く美しく、そして楽しかった若かりし頃の思い出だけ。

 ああはなってはいけない。皇帝として即位する気が毛頭なかったゼルシアでさえ、直感的にそう思ったものだ。


 だが、セイムはゆっくりと首を振ってから、胸元の首飾りを握りしめた。


「今陛下に死なれてしまっては、国が本当に滅んでしまいます。先帝陛下の時はゼルシア様がいらっしゃいましたが、今陛下の直系皇族はいらっしゃらないのですから――お師様ならこんな時、確実に陛下の命を優先します」

「あの男は国の為に平気で俺を切り捨てると思うが?」

「私の知っているお師様なら、全部まとめて拾い上げる道を選ぶはずです。たとえ、その結果自分に汚名がかかろうとも。国と民と、そして王が健やかに生きる、最善の策を選びます」


 先帝を救えなかったヴィア=ノーヴァは、ゼルシアにかかる疑念の全てを自分の身をもって払拭した。新しい皇帝が、健やかに国を総べることが出来るように。国民が要らぬ不安を抱かぬように。結果としてそれが彼の培ってきた全ての栄光を地に落とすような真似であったとしても、躊躇はしなかった。

 その癖養い子の自分には何も言ってくれない師匠の背中を見てきたからこそ、セイムは同じ選択肢を選ぶことが出来る。


「イヴァン様も生きて捕縛します。陛下も死なせません。お師様みたいにはいかないかもしれないけど、絡まった糸は解してみせます」


 一人ぼっちのゼルシアに、一人ぼっちのヴィア=ノーヴァ。そして一人ぼっちのティティ。


 きっとセイム一人では、かつての師の半分の仕事も出来ないだろう。最悪イヴァンも死んで、ゼルシアも死んで、国は滅茶苦茶。

 けれど彼女には頼れる友達がいる。生きていることを信じている師匠もいる。ラウは出会ってまだ全然時間も経っていないけれど、十分背中を預けられる友人だ。


「だから、陛下もそんなこと、言わないでください」


 真っ直ぐゼルシアの目を射抜いて、そんなことを言う。

 生温い風が吹き抜けるとゼルシアは呆れたように笑い、そして何もなかったように踵を返してまた歩き始めた。

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