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「ティティ様、神殿の前に近衛剣士隊第七席アマルシア様、並びに第十席ラウ様がお見えになっております。お通し致しますか?」

「まずは持っている「荷物」だけ回収して、それから通して頂戴……すでに神官団を呼びつけてあるわ。どうにもならなかったら私を呼んで。多分、そんなことにはならないと思うけれど」


 静寂と冷気に包まれた神域、最高神ノーナの大神殿のなかで巫女姫ティティはヴェールの下から静かにそう命令を下した。

 既に皇帝勅命は降りている。十七年前に先帝を弑逆した大罪人――ゼルシアの見立てでは魔導令師イヴァン・ヴィクトリカの捕縛に、その裁判権。相手が高級官僚であることから、それらの権力はティティに集中する。


「昼にはジークリンデ殿下が到着なさる予定だから、そちらの方の準備もお願いね。それと、剣士隊の方々の剣は取り上げなくてもいいわ」

「で、ですが神前での帯刀は禁止されております」

「……我らが父にして万能たるノーナのお声を聴いたのです。問題はありません」


 ちょっとした「神託」をでっちあげて、ティティは小さく息を吐いた。真面目な巫女見習いは慌てて頭を下げて下がっていく。こういう時、神殿の主という立場は役に立つものだ。

 冷たい石造りの神体が、咎めるようにティティを見下ろしていた。雷の神と共に国を造った万能神であっても、巫女の言葉がなければ神託を降ろすことも出来ない。ティティは小さく微笑む。


 大神殿最奥、知識の間の扉が開いた。急くような足音と、まるで存在しないかのようにうっすらとした人の気配が近づいてきた。片方はあえてそうしているのだろうか。


「待っていたわ。陛下から話は聞いているから……人形は大丈夫?」


 目深に麦わら帽子をかぶったアマルシアと、肩で息をするラウ。アマルシアの方は近衛の正装である軍服に麦わら帽子のちぐはぐな組み合わせであったが、時折垣間見える視線はゾッとするほど鋭い。敢えてラウの方だけを向いて、ティティは首を傾げた。


「核が壊れているみたいね。元々あの人には必要ない代物だろうけれど、少しくらいは助けてあげる。後でちょっとした魔法をかけてあげるわ」

「ノーヴルは、治るんだろうな」

「それだけは胸を張ってそうだと言えるわね。どうせあの化け物、殺したって死にやしないんだから……そう、用件はそれだけかしら?」


 あえて、それだけかと聞いた。

 アマルシアが纏う独特の気配が濃くなり、ラウの瑠璃色の目が細められた。


「陛下からの要請が出ているということは、既に神殿側でも動きがあるのでしょう」


 麦わら帽子の庭師は、右手の指先を僅かに動かす。それだけでその手には、枝や花ではなく首まで持って行ってしまいそうな大鋏が顕現するのだ。その様子に、控えていた巫女見習いが不敬だと声を上げる。


「ことは枢機である。陛下の命を受けて我らがここに出向いている以上、お話が通っていないとは言わせません」

「お、おいオッサン――やりすぎだっつの」

「今回の件、神殿側は何一つ令師に手を貸していないと、断言していただけますか」


 普段無口で、黙々と薔薇園の薔薇を整えているような男が、それだけははっきりとした口調で問うた。

 不愛想ながらも同僚を気に掛ける武骨な優しさや、不格好な穏やかさはどこにもない。イヴァンと神殿の間で癒着があるとティティが言えば、すぐにでもこの神殿の神官を斬り殺しに行くだろう――それほどの気迫があった。


「さあ、神官たちは都合のいい時だけ私を持ち上げて、それ以外はこんな場所に閉じ込めたっきりなんだもの。殺すというなら殺せばいい。私の代わりはいないけれど、生臭坊主の代わりは死ぬほどいるの」

「ではあなたの首を貰い受けるといったら」

「神の怒りが、あなたに落ちるでしょうね……あぁ、そう言えばボウヤの隣にくっついていた女の子はどうしたのかしら? 確かセイムと言ったかしら。あの子なんて、次の巫女代にうってつけではなくて? 何十年何百年と、暗くて冷たい部屋で一人祈っているのなんて」


 おっとりとした脅迫に、身じろぎをしたのはラウの方だった。アマルシアは相変わらず表情が読めないが、セイムを見知っているせいかほんの少しだけ殺気が動いた気がする。


「冗談よ。神殿はイヴァン令師にはほとんど触れていないし、あなたにも私は殺せないわ……それより、どうするの? 全て「視て」いたけれど、状況は陛下とあの子にとってかなり不利よ。あの忌々しい魔導大師が完全に力を取り戻した状態ならばまだしも、あの娘と陛下では、まず魔導ではかなわないもの」


 石造りの部屋に、コツン、と踵の音が鳴り響いた。

 壁に埋め込まれた五角形の水晶に触れたティティの声は、それほど深刻さは感じられなかった。ヴェールの向こうの顔が何を考えているのかは知らないが、事は皇帝その人の命に関わる大事件である。

 ラウは前のめりに叫び出そうとしたが、細い指先がそれを留める。


「けれど私は、そんな陛下を信じているわ。あれで人望もある方だと思うし、そうね、先帝陛下の若い時にそっくりで、なかなかの偉丈夫に育ったでしょう? それに、あの小さな杖の娘も、大丈夫。あの魔導大師が手塩にかけて育てた娘だもの、そう易々と手折ることが出来るとも思っていない。全てはノーナの御心のままに、よ」


 お茶目な響きを含ませて、ティティはノーナの像の前に跪いた。清廉な乙女の祈りを受け入れるかのように空気が冴えわたり、小さな鈴の音が響き渡る。しばしの祈りの時間の後で立ち上がったティティはラウを神殿から出るように促すと、心配することはないと声だけで微笑んだ。


「少し外で待っていただける? 彼が起きだしたみたい。折角腕利きの神官を用意したのに、これじゃあ骨折り損だわ……」


 魔法をかけるからとっとと出て行け、と急かされて、ラウとアマルシアは神殿の外に放り出された。ノーヴルに問題がないというのは分かったが、「魔法」とはどういう意味かとラウは首をひねる。


「魔法って何だ? 魔導とどう違うんだよ」

「俺に聞くな。というかラウ、何度も言っているが俺はオッサンではない。まだ三十路前だぞ」

 そう唸るように吐き捨てたアマルシアは、苦々しげに眉をひそめるといっそう深く麦わら帽子をかぶりなおした。何ともちぐはぐな格好に思わずラウも声をかけようとしたが、重苦しい扉が開く音ですべてが掻き消される。


 少し、と言っていたティティの言葉は正しかったらしい。



「待たせてしまって申し訳ないね。早くセイムに会いにいかないと、陛下やあの馬鹿にペロッと食べられてしまっても困る」


 純白のローブに、長く伸ばした髪を風に揺らして。まっすぐ前を見据えた瞳は、何もかもを見透かしているかのように深く透き通っている。


「あんた、は」

「や、ボウヤ。さっきは世話になったね。待たせてしまってなんだけれど、私のセイムをみすみすあの馬鹿に差し出す気はないんだ。さっさと行くよ」


 その口調は、普段ラウを茶化すノーヴルそのものだ。けれどラウの知るノーヴルという魔導人形は少なくともここまで髪は長くはなかったはずだし、何より姿かたちそのものが違う。お前は誰だ、と口をついたアマルシアが、その深い瞳にとらえられて動きを止められる。


「やれやれ、今の若い奴らは人の名前も十分に覚えられないのかい? それとも、私もまだまだ知名度が低かったのか。大抵は不名誉な二つ名がついて回っているよ。えぇと、代表的なのは――『皇帝弑逆の大罪人』だったかな?」


 ぞっとするほど甘く、とろけそうなほど優しい声でそう笑う。右手を翳すと、その場にいる全員を転移させようというのか、指先がほんのりと光を帯びた。強制転移――おそらくは魔導令師イヴァンでさえ、3人同時の転移は不可能に近いだろう。恐ろしく莫大な魔力と緻密な位置計算が必要な魔導を、息をするかのようにやってのけることのできる人物は、恐らくこの国にただ一人しかいない。


「我が名はヴィア=ノーヴァ。知識の深淵を知る、しがない一人の魔導士さ」

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