40

 ゼルシア・ハイドランジアは、亡き先帝ライオネルの第七皇子であり、母は東の強国リンドバルン公国大公の末の姫君である。血統から見れば二つの国の王位継承権を持つ彼ではあったが、十五のその時まではその立場からどちらの国の後ろ盾をも得ることが出来なかった。

 そもそも、上に兄が六人もいるのであるから、彼に王位が巡ってくることはまずありえない。官吏は誰もがゼルシアを蔑ろにし、力のある貴族はこぞって彼を視界の端にすら入れなかった。


 十二の時に母が没した後はただ一人、時の権力者であるヴィア=ノーヴァ以外は誰も彼を顧みようとはしなかった。

 やがて兄皇子たちが次々と失踪や戦没を繰り返していった中でも、父王でさえゼルシアをのけ者のように扱った。


「十五まで、俺は死んでいた。それでも俺にはジークリンデ兄上がいたからな、いずれは兄上の補佐としてどこか僻地の警備でも出来ればと思っていたが」


 ゼルシア十五歳のある日、その事件が起きた。

 ヴィア=ノーヴァによる先帝弑逆事件、そして当時王位継承第一位権であった第六皇子ジークリンデの更迭。

 全ては権力を欲した大魔導士が、ゼルシアを唆して行った犯行だと発表された。その結果は、言わずもがなだ。


「父上を弑逆奉ったのは、ヴィア=ノーヴァではない。それだけは俺が神明に誓って宣言できる。だが、俺を王位に据えると言ったのはジークリンデ兄上だ。兄上は兄弟の中でも魔導の才が突出していらっしゃったからな。神殿の座主に就きたいと、かねてより父上に進言していたらしい」


 既に老いた先帝は是非ともジークリンデを次期皇帝にと望んだらしいが、彼の死により第六皇子は自由の身になった。不要と分かっていながらもヴィア=ノーヴァに指示し帝王学を叩きこまれたゼルシアの方が、自らよりも王として適任であると議会を説き伏せたらしい。


「では、やっぱり先帝陛下を殺したのは……」

「目星はついているが、確証がない。この眼でそうと見極めるまで、俺は誰かを裁くことはしないつもりだ。……お前にも、お前の師にも、散々迷惑をかけたな。それだけはいずれ、謝罪をしなければならないと思っていた」


 僅かに目を伏せるゼルシアに、セイムは体が震えるのを押さえられなかった。

 やはり、師は無罪だった。それがゼルシア本人の口から聞けただけで、それで十分だった。ずっと彼の無実を信じていたからこそ、そのしっかりとした証言に涙があふれてきそうになる。


 今、此処に師がいればなんと言っただろうか。「当たり前だ」と笑い飛ばすくらいのことはするかもしれない。強く唇を噛んで、セイムは顔を上げた。


「謝罪なんて、きっとお師様は聞き流すだけです。陛下、今はとにかく御身とシャルローデ様の安全をお考えください。ノーヴル――お師様の帰還を待ちましょう」

「……否、神殿に連絡を取った方がよさそうだ。プリシラ、今すぐアマルシアとジョルジュを呼べ。アマルシアはティティの元へ、ジョルジュは兄上の元に向かわせるんだ。今からだと、明日の昼には兄上もこちらへ到着できる」

「畏まりました。至急神殿にも連絡を」


 一礼したプリシラが足早に去っていくのを、セイムは黙って見つめていた。ティティとゼルシアの兄――ジークリンデが召還されるというのは、一体どういう意味なのか。

 それ以前に、ゼルシアはかねてよりティティとの折り合いが悪かったはずだ。どういう事だとその姿を仰ぎ見るセイムに、ゼルシアは僅かに笑顔を見せた。


「安心しろ。俺とティティは共犯者だ。この十五年、あれにはひたすら外宮と距離を置いてもらった。全ては、このためだ」


 その言葉の真意は、対にセイムに伝わることはなかった。乱暴に開かれた扉に、悲鳴に似た声が響き渡ったのだ。


「陛下ぁ!」


 肩に何かを担ぎ上げながら、流れる汗をぬぐうこともなく走ってきたのはラウと、いつかであったアマルシアというもう一人の近衛だった。息を切らしながらゼルシアの前に進み出ると、担ぎ上げていたそれを床にそっと下ろした。


「ノーヴル拾ったんだ! アマルシアのオッサンが見つけて、死、し、」


 煤けてはいるが、白い肌に朝焼けの髪の色――ラウが抱き上げているのは、紛れもなく美しい魔導人形だった。


「お師様!」

「落雷があったため現場に向かった時には、もうこの状態で……炎の魔導でしょうが、損壊が激しい。君がこの人形のマスターか?」


 アマルシアが高い位置からセイムを見下ろしてくる。その声は落ち着いた低音だったが、端々に見える緊張の色は隠せない。


「元は、イヴァン様の人形ですが……私の補助として行動を共にしていました。恐らく、今は私がマスターで間違いないと思います」


 主人の命令で動く一般の魔導人形とは少し訳が違うが、アマルシアはそれで納得したようだった。ラウに声をかけて、無残に焼き焦がされたノーヴルの体を横たえる。


「イヴァンの元に回しますか」

「いや、ティティの元へ向かえ。ちょうどプリシラを向かわせたんだが、入れ違いになったようだな」

「御意」


 一礼したアマルシアが、今度は一人でノーヴルを抱えて部屋を辞する。

 何も言えず立ち尽くすセイムと、混乱しているラウ。状況が分かり切っていないシャルローデと、黙りこくったゼルシアが部屋に残った。


「シャーリー、騒ぎを起こして悪かったな。だが事が事だけに、今しばらく煩わしいままだ」

「いえ、構いませんわ。どうぞ陛下のいいように」


 一礼をしたシャルローデだったが、心配そうな視線をセイムに向けている。あまりに衝撃的なノーヴルの姿に、死の間際のヴィア=ノーヴァの姿が重なるようだった。


「神殿にって、どういう意味っすか」

「そのままの意味だ。あの状態のノーヴルを直すことが出来るのは、ティティかイヴァンしかいない」

「だって、そんな……ティティのばーさんこそ、それこそ信用に値すんのかよ」

「問題ない。そもそも信用していなければ、十七年も俺の戯言に付き合わせるものか」


 ぽかんとするラウに、ゼルシアは軽く首を横に振った。


「最初から、ティティと俺、ヴィア=ノーヴァは組んでいたんだ。父上を弑逆奉った犯人は必ず俺にも何らかの動きを見せるだろう。先帝殺害の罪は、誰が許そうが消えることはない。たとえそれが、俺が最も信頼している人物だとしても」


 そして、セイムの中でも点が繋がって線になった。

 ゼルシアの言動が、ノーヴルの挙動が、そして今までセイムが感じたわずかな歪みが、改めて一つの形を成した。


「そんな、そんなはずはありません……だってあの方は、誰よりも陛下を」


 そうして膝から床に崩れ落ちたセイムを、ゼルシアは何も言わずに見下ろしていた。


「イヴァン様が、そのようなことをされるわけがありません……!」


 悲痛な声は、廊下を走る兵士たちの足音にかき消された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る