39
リベリア宮の領域を抜け出せば、そこには広大な森が広がっている。あの中に逃げられれば幾らノーヴルとて容易に侵入者を見つけることはできない。
その前に片を付けてしまおうと追いかける背に魔導を放っても、ローブ自体に魔導がかけられているのかすべて跳ね返されてしまう。
「森に入られたら探せないんでね……ちょっと足止めさせてもらうよ!」
せめて後宮付きの騎士たちが騒ぎを聞きつけてやってくるまで。魔力の定着が浅い人形の体で生前と同じ威力の魔導が放てるとは思えなかったが、ノーヴルは唇に乗せた呪詛をいくつか吐き出していく。
「――七つの帝王が統べし九つの授戒よ。影を止め姿を止め、我が命に応じ縛鎖となれ」
「っ!」
「悪いけれど、私の氷は君の足だけではなくて心臓まで止めてしまうかもしれない。大人しくしてさっさと投降してくれよ」
その薄桃色の唇が呪文を唱え終わった頃、走る侵入者の足は完全に地面に縫い付けられている。魔力でもって固めた水分に足を取られた相手側は、手のひらに炎をともしてそれを解かそうと躍起になっているが、それはかなわないようだ。
『悪意』と評される魔導の炎と対するように、魔導の氷は『決別』と呼ばれている。術者ですら焼き焦がす猛火を封じた氷塊は、少しずつ魔導士の体を食らっていくようだった。
「まさかそっちから出てきてくれるとは思ってなかったからなぁ。随分セイムやボウヤ……陛下たちの手を煩わせてくれたみたいだけれど、これで君も破滅だ」
美しい顔立ちに笑みを浮かべたノーヴルの表情は、どちらが悪役かというほど凄絶なものだ。
骨を圧迫するように体を縫いとめていく氷に、表情は見えずとも魔導士は相当焦っていることが見て取れた。
「人形風情が……!」
「悪いがそこらの人形と一緒にしないでくれるかい。これでも私は、当代魔導令師一番の自信作なんだ」
儀礼用の軍服は、本来のそれと違って動きにくい。嵩張る装飾に舌を鳴らしてそれでもノーヴルは首を一度慣らす。魔導士に近づきながら、玉石の埋め込まれた指先でその喉元を指した。
「今頃陛下のご命令で後宮付きの騎士たちが動いている。悪いが君の身柄はここで拘束させてもらうよ。後宮への侵入と皇妃やその侍女達に対する狼藉は国家反逆罪と同等だ……楽に死ねるとは思わない方がいい。もっとも、あの甘ちゃん陛下が君をどうするかなんて、本人にしか分からないけれどね」
あくまで普段の口調を崩さないノーヴルだが、その声には確かに沸々とした怒りを感じさせる。体の半分ほどを氷に覆われた男は、俯いたまま肩を震わせていた。
その胸元で水色の玉石が揺れる。高精度に生成されたそれに視線を向けて、僅かに彼が目を細めた。
「出来損ないのオートマタが、陛下の名を口に出すな」
「君、自分の立場が分かっていないのかい? 或いは、よほど私に喧嘩を売りたいと見える」
「いや、滑稽だっただけだ――国家反逆罪だと? この私が、あろうことか国家反逆とは」
うなだれたままフード越しに笑う男に、ノーヴルは既視感を覚えた。
いちいち癇に障る物言いをするが、引っかかったのはそこではない。あの時と、まるで正反対の立ち位置。あの日ノーヴルは、いや、国を震撼させた大罪人はまるで同じように笑っていた。
――あれは、あの姿はまるで
「君は、一体……」
「お前の弱点くらいはよくわかっている。『ノーヴル』、如何なお前が優秀な人形であれ、魔力の定着が弱い人形と宮廷魔導士では、魔導の威力そのものが違う」
王宮を追放される直前の自身の姿を見せられている。そんな錯覚に陥ったノーヴルに、一瞬のスキが生まれた。そこを、相手は魔力の限界が来たのだと勘違いしたらしい。
「さようならだ『ノーヴル』、もしも壊れていなければ、陛下にどうぞよろしく伝えてくれ」
一瞬、その一瞬が勝敗を決した。
魔導士の白い指先から、白い花びらが舞う。否、あれは花びらではなく、至極純度の高い魔導の炎だ。
それを認識した時には、既にノーヴルの体は幾百幾千もの花びらに周囲を囲まれている。
「な――」
そして、爆散。
極限まで圧縮された炎が、端からその体を焼き尽くしていく。作り物の体は痛みを認識はしなかったが、押し寄せる熱気にノーヴルは目を細めた。
「く……待て!」
せめて、あの男がどこにいたのかを知らせねばならない。
苦痛を感じぬまま焼け焦げていく指先を見つめたまま、ノーヴルは声高く咆哮した。
黒く煤けた指先に、青白い雷光がともる。
そしてその日、内宮の領域内に雷神の咆哮が轟いた。
*
地面をゆするような音が聞こえて、セイムは美しく彩られた窓を見上げた。
「申し訳ございません、姫様、セイム様……私がそばについておりながら、賊の侵入を許すなど」
「相手が宮廷魔導士の格好をしていたのならば、陛下の侍従と思ってしまっても仕方がない事よ。セイム様も、庇ってくださってありがとう。ノーヴル様が無事だとよろしいのだけれど……」
悔しそうに唇を噛むシャルローデは、落ちた扇子を拾い上げた侍女から受け取っている。その様子は、先ほど生死の間際に立ち会った人間とは思えないほど気丈なものだった。
「あの、シャルローデ様、大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫ですわよ。体には、これっぽっちも、傷はついておりませんわ! あぁ、武をもって名を馳せる、このマインゲルン公爵家の誇りを踏みにじられたこと以外は!」
それどころか、自分が賊を捕まえられなかったと地団駄踏んで口惜しがっている。普通皇妃はそんなことはしないし、たとえ皇帝その人に命令されようと出来るものでもない。しかしやがてぽかんとした表情でその様子を眺めているセイムに気付いたのか、シャルローデはいつもの優しげな微笑みを宿した。
「あら、ごめんなさい見苦しいところを」
「い、いえ……」
シャルローデの怒りが収まったころ、ようやく本物のゼルシアが顔を出した。話を聞いた走ってきたのか、僅かに息が上がっている。
「騒ぎがあったと聞いた。シャーリー、セイム、怪我はないか」
「わたくし達は無事ですけれど、ノーヴル様が賊を追って外へ。先ほど大きな音が聞こえましたわ」
「……視認した。あれは間違いなく魔導だ」
僅かに視線を下げたゼルシアが、セイムの前まで進み出た。濃い色の瞳でセイムの顔を覗き込み、何とも言えない表情をした。恐らく笑っているのだろうが、何処か困っているようにも、泣きそうな様にも見える。
「ノーヴル――あれは、ヴィア=ノーヴァだな。賊と会戦したんだろう」
「なんの、ことですか」
「俺に嘘が通用すると思っているのか? 仮にもこの国の君主として、お前が生まれる前からこんなところに閉じ込められてきた俺に」
ゼルシアの口調は、怒っているわけでも攻めたてているわけでもなかった。
ただ、静かにそう問う彼にこれ以上白を切ることはできない。何よりその眼でまっすぐ見据えられると、セイムは何も言わず膝を折ってしまいたくなる衝動に駆られるのだ。
「どうして陛下は、それを御存じなのですか?」
「簡単だ。皇族の秘技たる雷の魔導、それを血の加護もなしに使用できるのは、俺の知っている人間ではあいつしかいない。イヴァンも、ティティですら、そんな真似は出来んよ」
今度は、酷く昔を懐かしむように。
ゼルシアは微笑んで、それから素早く扉に視線を移した。急く足音が、遠くから聞こえてくる。
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