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「よく考えてもみろ、神殿は治外法権――陛下の命令だって拒否できる権限を持ってる」

「だったら、ティティ様が陛下を害する必要なんてないはずじゃ……」


 どこで誰が聞いているかわからない。

 イヴァンの執務室に特殊な呪具が仕込まれていた時と同じように、遠隔操作で話を聞かれているとも限らないのだ。ことさらに声を小さくして、セイムとラウは会話を続ける。


「……陛下が玉座に就かれてから17年、神殿の権力はその都度ごとに少しずつ削がれていっている。先帝陛下の御世で神官団が力を持ちすぎたっていうのもあるんだろうけれどね、イヴァン様は例の魔導大師のように、絶大な権力を持っているというわけでもないから」


 意外なことに、ラウに助け舟を出したのはノーヴルだった。

 腕を組み扉に寄りかかったままの状態で、ノーヴルはラウの目を覗き込む。セイムが話題に突っこんだ所で言葉が詰まったということは、彼は聞いた情報を本当にそのまま話しているだけに過ぎないのかもしれない。


「先代の御世のように戦争が続けば、或いはイヴァン様も神官団を押さえるだけの権力を手にしていたかもしれないね。けれど、最近はもっぱらシンシアとの国境での小競り合い……それだって、決してすべてが成功しているわけじゃない。今の令師に、神殿を押さえつけるだけの力はない。それを知った神殿側が、ティティ様を担ぎ出したってことも可能性としては考えられる」

「じゃあ!」

「けれど、あくまでそれは一つの可能性だ。ボウヤ、物事を一つの観点からとらえるのは危険だよ。あらゆる可能性、あらゆる視点から考えるんだ」


 身を乗り出したラウをそう斬り捨てて、ノーヴルは目を閉じた。元々、この件について何かを詳しく助言するつもりはないのかもしれない。簡単に答えを出してくれないのは、師が生きているときから変わらない――やや意地悪なノーヴルの行動に苦笑しながら、セイムもこれまでのことを反芻する。


「でも、ティティ様なら確かに薬を精製する材料を手に入れることも、難しくはないかも……勿論、材料だけなら「杖」の方々でも入手は可能だけど」


 セイムだって同僚であるイヴァンやジョルジュ、サヤなどは出来るだけ疑いたくはない。まるで知り合いのいない王宮の中で何かと面倒を見てくれる彼らはセイムにとって支えのような存在だ。そうは思っても、進展の見られない状況が焦りを強くしていく。


「私の方でも、もっといろいろ調べてみる。薬の作り方とか段階とかは調べられたから、あとは中の、「杖」の人たちにも、色々聞いてみるよ」


 とりあえず、今並べられた情報で言えるのはそれしかない。

 引き続き城下や専門外での聞き込みを続けるというラウの部屋を後にして、セイムとノーヴルは城の中を歩いた。時間的にも、このままリベリア宮に帰ってもいい頃合いだろう。


「正直、ジョルジュ君とサヤ嬢にあの毒薬は作れないかな」

「え?」


 内宮に帰る道すがら、人通りのない廊下でノーヴルはポツリとそう言い放った。

 「杖」の中でも実力は折り紙付きの二人だ。魔法薬の心得があればリードリュンゲンの毒を作ること自体は難しいことではないだろう。セイムが首を傾げると、ノーブルの方は立ち止まって小さく息を吐いた。


「あの二人の魔力は、魔法薬に使える魔力じゃないんだよ。ジョルジュ君に関しては元々特質的な魔力をしている。魔法薬に使う魔力は個人差を除いてもある程度普遍的なものでなきゃいけないんだよ。彼の魔力じゃ、薬の効能自体が不安定になる。同じ理由で、癒手であるサヤ嬢も無理だ。だから癒手と薬師の職務は分かれているんだよ」


 「杖」に特殊な役職を持っている人間は、大方その二人しかいない。現在退役してしまった人間も含めて、条件的に除外できるのはジョルジュとサヤだけだ。


「少なくともセイム、私たちはこの二人を疑う必要はない。もっとも、金にものを言わせて薬を買い付けたっていうんなら話は別だけど、ボウヤの様子からそれもなさそうだ」


 それを聞いて、セイムはホッと息を吐いた。少なくとも、その二人に注意を向けることはしなくてもいい。そうなれば、注視するべき人物も少し限られてくる。

 しかしホッとできるのもつかの間だ。胸元の首飾りを握って気合を入れ直す。犯人の目星がついていない以上事態が進展したとは言えないのだから、気を抜いている暇はないはずだ。


「お師様」


 道を行こうと、歩き始めたノーヴルに声をかける。完全な美を体現した魔導人形は、どこか固いままの表情でセイムの方に振り返った。


「どうしたんだい?」

「お師様は、もしかして犯人が誰かを、御存じなのではありませんか?」


 ふと、そんなことを問う。

 ラウに対する先程の言葉といい、彼の言動は諸々を見透かしているような気がした。もしかして師は、自分たちが今持っている以上の情報を所有しているのではないのだろうか。一縷の望みを賭けて、セイムはその朝焼けの瞳をまっすぐに見据えた。


「お師様は、肝心なところは決して教えてくださいません。勿論それが私の、魔導士としての成長に繋がってきたということは十分に理解しています。でも、事は枢機にかかわります」


 ゼルシアが表だって動けない現状で、セイムが頼りに出来るのはラウとノーヴルだけだ。直属の上司のイヴァンでさえ、彼らは疑ってかかれという。

 そんな中で持ち得る情報を共有できないのは、セイムにとっても酷く心細いことだった。


「お願いですお師様。何か知っているなら、教えてください。私達だけじゃ――」

「セイム」


 半ば悲鳴にも似たセイムの声は、優しく穏やかなノーヴルのそれにかき消された。両手を握り、セイムに目線を合わせるその仕種はまさしく生前の師そのものだ。


「お師様、」

「私は別に意地悪をしているわけじゃないんだ。ただ、確証が持てない。これ以上信憑性に欠けることを話して、君たちを混乱させるわけにはいかないからね。……私も、出来ればそうとは思いたくはないんだが」


 困ったように笑うノーヴルは、それ以上何かを語ろうとしなかった。規則的な靴音が、遠くの方からやってきたからだ。


「セイム様、ノーヴル様、こちらにいらっしゃったのですね」


 感情を垣間見せ無い声音は、ノーヴルよりもよほど人形らしい。

 シャルローデの侍女であるプリシラが、無表情で廊下の奥から歩いてやってきた。


「プリシラさん」

「シャルローデ様から、是非セイム様、ノーヴル様お二方とお食事をとのお誘いです。陛下も後にご同席なさるとのことで、お部屋に戻り次第紺碧の間に向かって頂きたく」


 慇懃に頭を下げたプリシラに、セイムとノーヴルが顔を合わせる。シャルローデからの達しならば、セイムが拒否することは許されていない。

 すぐに了承したとを伝えると、優秀な侍女は「それでは」と顔を上げた。


「紫紺の間にお二方の服を用意してございます。至急お部屋にお戻りいただき、お着替えを」


 その言葉に、セイムは目を丸くしてプリシラとノーヴルを交互に見た。

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