35
上段から叩き込まれた剣を避けると、顔のすぐ横を風が通り抜ける。一歩後ずさってそれを流そうと構えた剣は、いともたやすく叩き落とされた。
「そこまで! おいラウテメェ気ィ抜いてんじゃねぇぞ!」
「抜いてねぇよオッサン! 今のはちっと油断しただけだ!」
「戦場で油断なんかしたらあっという間に首がオサラバすんだろうがこのボケ!」
頭上から雷でも落ちるかのように怒鳴りつけられて、ラウは首をひっこめた。上官との手合わせは大概ラウの勝利で場を収めていたが、今日ばかりはその剣技にも力がこもっていない。同じ近衛のテオドールに叱られたのも、恐らくそれが原因だろう。
それというのも最近はよくよく眠れない日が続いていたからだ。昼間は大概こうして訓練があったし、夜になればちょくちょく宿舎を抜け出して下町で情報収集をするという日々だ。幾ら体力に自信があるラウでも、そんな日が続けば判断力も鈍ってくる。
「剣しまって休んでろ! 俺の隊に使えねぇ奴はいらねぇんだよ」
「うっせオッサン――ッ、水浴びてくる」
練習用の模擬刀を放り投げたラウに、対戦相手――テオドールの副官が肩を叩いた。
「ゆっくり休んどけ。隊長もお前のこと気にかけてるんだよ」
「……ッス」
温厚な副官に頭を下げて、ラウはそのまま水浴びをしに向かった。
テオドール率いる第二強襲隊は、数ある精鋭部隊の中でも指折りの実力集団だ。トップのテオドールはもとより、副官である先ほどの男も腕に覚えがある。本来ならば、入隊したてのラウなどは相手にしてもらえないような人間だ。
「畜生、いくら探したって見当たりゃしねぇじゃねぇか」
探せど探せど、毒を盛った犯人はおろかその情報すらつかめない。下町を統治するインメラード子爵にかけあってはみたものの、そちらの方も有益な情報が得られたという知らせは入ってこなかった。用心棒時代からの友達に聞き回っても、結果はなしのつぶてである。
結果が返ってこないと、焦りが見えてくる。そうすれば冷静に考えることができなくなって、更に焦りが増すだけだ。
非効率的だと分かっていても、どうしようもなかった。
訓練所のかたわらにある井戸に辿り着くと、ラウは訓練用の上着を脱ぎ捨てて頭から水を被った。目が覚めるほど冷たい地下水に打たれて、ラウは浅く息を吐く。
小難しいことは一切わからない。ただラウはゼルシアに命じられるがまま、城下での情報集を行っているだけだ。セイムとも中々会うこともできず、向こうの進捗状況を知ることもできない。
ブラウンの髪から雫が滴る音だけが、辺りに響いていた。
冷たかった水が陽の光に晒されて温もりを得る。逆に汗をかいているようで不快になって、ラウは更に水をくみ上げた。
「ラウ」
二杯目の水を頭から被った時、ラウの背後から声がかかる。
麦わら帽子を目深に被った軽装の男が一人、ラウの方へと向かって歩いてきた。
「アマルシアのオッサン」
「オッサンではない。まだ20代だ……どうした、テオドール隊はまだ訓練中のはずだ」
普段ならばゼルシアとシャルローデの所有する薔薇園から出てこないはずのアマルシアだ。ラウも近衛の剣士隊が揃う訓練日以外はまず見たこともないし、特に一対一で話したこともない。オッサンというのも、声から彼の年齢が分からないから便宜上つけただけだ。二十代だと告白されるとは思ってもみなかったと息を吐いて、ラウは濡れた髪をかき上げた。
「休憩だよ。そういうオッサンはどうした? いっつも薔薇園にひきこもって出てこねぇじゃねぇか」
「だからオッサンではない。ミズガルズ嬢といい、最近のお前たちの行動は少し目に余る。何を企んでいるかは知らんが、妙な波風は立てない方が身のためだ」
「わざわざンなこと言いに来たのかよ。説教なら後にしてくれ」
うんざりした表情で肩を竦めるラウの背後に、風が一陣よぎる。
舞うブラウンの髪に舌を鳴らして、ラウは愛刀に手を掛けた。
「説教にしちゃいささか物騒じゃねぇか」
「近衛の評価はそのまま陛下の評価につながると思え。魔導士のミズガルズ嬢ならまだしも、お前一人の動きを止めるくらいならば俺でも容易にできる」
突きつけられているのは、首までも持っていきそうなほど大きな枝切鋏である。ラウの剣で避けようとして、果たして鋏を退けることができるだろうか。
それでなくても、相手は「剣」として長く経験を積んだ歴戦の剣士である。そも位階と強さが比例しているわけではない近衛隊で、アマルシアの実力は未知数もいいところだ。
「おい待てオッサン! テメェそれセイムにもやったんじゃねぇだろうな!?」
「ミズガルズ嬢には正当な理由があった。故に宿舎まで送り届けたが……お前からは未だ理由を聞き及んではいない」
「俺だって正当な理由くらいあるっつーの!」
ゼルシアからの命令だ。
そのまま事実を伝えることができたらどれだけ楽だっただろうか。
他言無用の命令を思い出したラウはそこで一度下唇を噛んだ。感情に流されて要らないことを言ってしまえば、それこそゼルシアからの信頼を不意にすることになってしまう。
騎士として、主君の期待を裏切るような真似だけはできない。
「……六番街で、母ちゃんが店やってんだよ。いくら専門街っつっても夜の戸締り女にさせられねぇだろうが」
後で、母であるタリアに殴られる覚悟はできた。
王宮から抜け出すダシに使われたと知られればそれこそラウはタコ殴りにされるだろうが、これもゼルシアの信頼にこたえる為である。
死んだ父親だってきっと笑って許してくれるはずだ。
「そう、だったのか。それはまた無粋なことを聞いてしまったな」
「いいぜ、多分俺よか母ちゃんの方が腕っぷしは強ぇしよ」
明らかに狼狽の色を見せるアマルシアに、ラウは内心拳を握った。帽子の制で表情こそ分かりにくいが、アマルシアは人情に訴えれば簡単に揺れ動くタイプらしい。
剣士隊の人間はテオドールもそうだが、どこか感情的な者が多かった。それを逆手に取るような真似をしたのには良心も傷むが、ゼルシアの命がかかっていることだ。大目に見てもらおう。
「だが衛兵に許可は取っておくといい。近衛隊の身分証を見せれば、正門から中に入ることができる」
「おー、ありがとよオッサン」
「だから、俺はオッサンでは……もういい。それよりいい加減に服を着たらどうだ? 風邪をこじらせるぞ」
深くため息をついたアマルシアは、色々なことを諦めたようだった。
着替えに持ってきた服を羽織りながら、ラウは模擬刀を蹴り上げる。右手に収まったそれをくるくると回しながら、考えを巡らせるように瑠璃色の瞳をゆっくりと伏せた。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「なんだ」
「例えばの話だぜ。例えば、今の近衛隊で陛下に正面切って喧嘩売れる人間って、どれだけいるんだ?」
「……能力による。状況を限定しろ」
アマルシアがてっきり不敬だと声を荒げると思っていたラウは、冷静な回答に一瞬面くらった表情を浮かべる。しかしぐっとこらえて表情を作り直すと、改めて限定した状況での質問を返す。
「魔導士なり剣士なり、腕っぷしで陛下を倒せる人間がどれだけいるかっつーことだ」
「陛下は剣術の熟達者だ。皇帝として即位される前から、その能力は先代近衛軍団長ヤカーハ殿によって鍛え上げられている。剣術という一点のみにおいてならば、近衛でも勝てる人間は二人……「一本目」エイリオス・オプティプス並びに弟の「二本目」ゼルダネス・オプティプスのみだ」
ラウは初めて聞いたのだが、二人はヤカーハの孫であるという。確かに先代皇帝の元で名を馳せた大剣士の血縁ならば、それは妥当な評価なのかもしれない。
忙しく帝国中を飛び回っている双子の名前は有名だが、その多忙さゆえにラウでさえまともにその姿を見たことはなかった。姉のエイリオスは王宮にいるというが、剣士ギルドの相談役でもある彼女はなかなか人前に出ることができないという。
「じゃあ、魔導士はどうだ」
「我が近衛の魔導士団は、その能力にかなりのばらつきがある。単純に攻撃力だけでその答えを出すならば、宰相のヴィクトリカ卿くらいか」
「でも、陛下は魔導使えねぇんだろ? だから剣士の道を選んだんじゃねぇのかよ」
「いくら魔導士とはいえ相手は生身の人間だ。陛下ほどの使い手ならば、魔導の発動前に術者を切り伏せることも不可能ではない」
不機嫌そうなゼルシアの顔を思い出して、ラウは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
一人の剣士としても、ゼルシアの能力は並大抵のものではないだろう。だがそれを凌駕できる人間が、近衛の中だけで三人もいるとは。
「……あぁ、それともう一人」
一本、アマルシアが指を立てた。
こちら側からは見えないはずの彼の視線に射抜かれるような感覚がして、ラウはその場から動けなくなる。
「『花嫁』殿。つまり大神殿座主のティティ・オデッサ殿ならば、或いは陛下を害することも不可能ではない」
低く、だがはっきりと呟かれた言葉に、ラウは全身が総毛立つのを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます