33
内宮に戻る前に、セイムはアマルシアと別れた。
「杖」の人間だけでもまだ顔を合わせたことがない者が多くいる中で、「剣」の人間までは把握しきれない。
ただ、あの大きな鋏と目深にかぶった麦わら帽子は、どうやったって忘れることはできないだろう。
自分に与えられた部屋――リベリア宮内、紫紺の間に辿り着いたセイムは、扉の前で息を吐いた。
ノーヴルが中にいるはずだ。それと、恐らく誰かもう一人。
グレイヴの魔力に当てられたのか、それとも転移を行う直前でアマルシアに呼び止められたせいか。妙に神経が高ぶっている。
「ただいま……」
「そこで弓兵、6の8番へ前進。王に向けて射撃」
「剣士、6の7番へ移動。弓兵を撃破……あぁ、遅かったなセイム。待ちくたびれて寝るところだったぞ」
備え付けのテーブルには、盤が置かれている。将兵を動かし王の首を取るという盤遊びに興じていたのは、師と主君の二人だ。
「へ、陛下!? え、なんでここ、あの」
「ここは紫紺の間。すなわち側妃が控える部屋だ。別に俺が足を運ぼうと、何の問題もあるまい。魔導士、4の12から4の18へ前進。宰相を撃破。次で
駒を手に取って勝利を宣言したゼルシアは、緩く着た夜着を揺らして足を組んだ。対面では、ノーヴルが難しい顔で何とかその勝利を覆そうとしている。
しかし、既に王の勝利はゆるぎないものになっていたらしい。悔しそうに溜息をついたノーヴルは、両手を挙げて素直に降参を宣言した。
「流石です陛下。私も盤には自信があったんですが」
「癖のある手を使いながらよく言う。お前の手は俺の師にそっくりだな。あの男もまた癖のある手を好んだ」
「おや、それは光栄です」
ゼルシアの師と今彼の目の前にいるオートマタが同一人物だとは、誰も思わないだろう。
勝利の余韻を味わうかのように酒杯を呷ったゼルシアだが、その姿にセイムは思わず鋭い声を上げる。
「陛下、お酒は……!」
「既に毒味済みだ。それに、あの程度の毒では俺は死なんよ。第七皇子だったからな、俺を邪魔に思う人間は沢山いた。ゆえに、毒薬も慣れっこだ」
既に三十路を越えて幾つか経っているというのに、ゼルシアの表情はまるで子供のようだ。普段眉間にしわを寄せて不機嫌そうな表情を作っている分、笑顔を見せるとそれが一気に和らぐ。
ノーヴルは盤を片付けながら、セイムの分の椅子を手繰り寄せた。そこに座れと、無言で指示を受ける。
「それで、街に出たようだな。成果はあったのか」
「毒薬に使われた玉石の成分を、聞いて参りました。その、お恥ずかしながら、私はイヴァン様のように薬学に精通しているわけじゃありません。普通の薬ならまだしも、魔法薬の詳しい作り方までは」
魔導と薬学は近しい位置にあるが、必ずしも同一ではない。
申し訳なさそうに頭を下げるセイムに、ゼルシアは興味なさげに欠伸をかみ殺した。どうやら彼が求めているのは、そういう答えではないらしい。
「俺が聞きたいのは、成果があったのかということだ。答えよセイム、何が分かった」
暗赤色の瞳に射抜かれれば、自ずと背筋が伸びていく。
必要以上に言葉を発さないゼルシアの威圧感は、人馴れしないセイムをあっという間に包んでいった。震えるようにして声を出そうとする彼女の肩に、ノーヴルの指先が触れる。
「陛下の怖いお顔じゃ、セイムが怯えてしまうじゃないですか」
「悪いが顔は生まれつきだ」
「陛下は笑った方が男前ですよ――何か、分かったんだね?」
言葉尻だけはセイムしか聞こえないように、ノーヴルは声を落とす。
ハッとして顔を挙げれば、ゼルシアも真っ直ぐに彼女を見詰めていた。
「既に、陛下もご存知かもしれませんが……リードリュンゲンの毒薬を精製するには、特殊な素材が必要になってきます。皇族の方々の血液や、玉石から得た液体――並大抵の魔導士には、まず手に入れることが出来ません。王宮の薬師でさえ、陛下のお体から血液を受けることは、至難と言えるでしょう」
「俺の体に触れることが許されるのは、医師団の筆頭医師だけだ。シャルローデも同様に、父の代からの医者でなければ診せん。だが、不可能かと言われれば、そうとも言い切れない」
ゼルシアは指を三本立てて、その内の人差し指と中指を逆の手で触れた。
「まず、俺の兄弟のうち、ご存命なのは兄上が二人だ。かつてこの国の皇太子だったアレハンドロ兄上と、ナターリェンの神殿で座主を務めるジークリンデ兄上……ジーク兄上は神殿の奥深くにいらっしゃるが、アレク兄上は現在皇位継承権を返上し、別の国に居住している。狙われるとするなら、アレク兄上が最も危険だ。俺に関しては、自分の身を守るくらいの武は心得ているつもりだが」
ゼルシアの兄のことを、セイムはほとんど聞いたことがなかった。
イヴァンの口からジークリンデのことは聞いたことがあっても、かつての皇太子のことまではまったく知らない。皇族の地位を返上したというのだから本来は知ってはならないことなのかもしれないが、ゼルシアは特に何を気にした様子でもない。
「アレク兄上の元に使いを送りたくても、今は動けん。ジーク兄上に関しては近々俺が神殿に出向くが……あの女と一緒というのが厄介だ」
「あの女?」
「ティティだ。あれは俺のやることなすこと気に入らんらしいからな」
吐き捨てるようにそういうと、ゼルシアは酒杯を一気に呷った。
よほどノーナの花嫁のことを嫌い抜いているのか、その鋭い視線にはあからさまな嫌悪が宿っていた。
普段怒りをあらわにすることが少ない人物なだけに、セイムも思わずつばを飲み込む。
「へ、陛下。一つ、お尋ねしても?」
「あぁ、なんだ」
「薬学の隠語について、詳しくはありませんが――あの毒薬には、幻獣の牙、つまり神々の領域のみに分布する香木が使われています。或いは、神殿関係者が」
「なるほど、その線も捨てられないな。神殿の関係者ならば、ジーク兄上や父の遺品の血液まで手に入る。それに、神殿の魔導士団は総じて並の魔導士以上の能力を有する……魔法薬を作ることも、難しくはないだろう」
深く息を吐き出す音に、セイムは思わず眉をひそめた。
街に出る前にも図書館に寄ったが、「幻獣の牙」というのは精神を高揚させる作用がある香木のことだという。
主に戦いに向かう兵士が使うことから、多くは戦神を祭る神殿に植えられている。或いは、その木が生える場所に神殿を建て、神に戦果を祈るのだという。
希少な材料だが、確かに高位の魔導士や神殿付きの人間ならば手に入れるのは不可能ではない。
「あらゆる可能性を考えれるべきです、陛下。相手は何も神殿と決まったわけじゃない。相手を絞り込めば、その分見えるものも見えなくなってしまう」
「でも、相手が誰かわからないなら対策の立てようが――」
思わずノーヴルに食って掛かったセイムだが、次の瞬間には両手を口で押さえて沈黙する。
咄嗟とはいえ師に口答えをしたことを恥じているのか、その表情は申し訳なさそうに曇っていた。
だが、ノーヴルは気にせずうっすらとした微笑みを浮かべている。
「そう、相手が誰かが分からなければ、対策の立てようがないんだ。故に私は、陛下が選んだ人間以外を疑う」
挑発的なまでの言葉に、ゼルシアはまた酒杯を傾けた。
今度は悠然とした笑みを唇に乗せて、聡明な皇帝は上機嫌に喉を鳴らす。
「では、王宮の人間すべてを疑うというわけか。セイム、ラウ、シャーリー、そしてプリシラにお前……たとえ俺の実の兄であっても、お前は容疑者だと言い張ると?」
「無論。そのために私はセイムの補佐をしているんですよ。彼女の足りない部分は、及ばずながらこの私が支えて見せましょう」
ノーヴルのその言葉に、セイムは頬が引きつるのを感じた。
恐らく師ならば、ヴィア=ノーヴァという男ならば、本当に王宮全員を疑ってかかることもできるだろう。だが、補佐に回るのは完全にセイム自身だ。王宮で奉職する官吏全員を調べるなんて途方もない真似は、彼女には出来ない。
「面白い。ではセイム、ノーヴル、頼むぞ」
くつくつと意地悪な表情で笑い続けるゼルシアに、セイムは拒否の言葉を吐くことはできなかった。
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