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「リードリュンゲンの毒……原材料はウズネカズラの根、すり潰したサラマンドラの干物と、玉石から特殊な方法で精製した液体が少々。大体、玉石から液体をってどうやって……」


 リベリア宮でセイムが寝起きするようになって、五日ほどが経っていた。

 下町の自分の家から通うことがない分朝寝坊が出来るとも思っていたが、そう悠長に構えてもいられない。ゼルシアから直接の許可をもらい、食事をとり朝議が終わるまでの時間は図書館に籠って調べ事をする。

 ノーヴルはギリギリまでシャルローデの傍で彼女の警護をしなければならないから、下手には動けない。効率が悪いと彼は怒ったが、セイムが傍にいられない分ノーヴルがシャルローデの警護をしなければならないのだ。


「それと、幻獣の牙、月光の涙、神々の洗礼を受けた雷の血脈――って、なにこれ」


 恐らく魔術的な意味を秘めた隠語だろう。

 雷の血脈というのは、恐らく雷神ゼルの加護を受けた一族、つまり皇族の血液だということは想像がつく。しかしあとの二つに関しては、セイムも聞いたことがないものだった。薬学に関しては、恐らくイヴァンに聞いた方が話は早いだろう。


 だが、ゼルシアはイヴァンにすら事の詳細を話すなという。

 それどころか食事に毒薬が混ぜられたという大事件をゼルシアは隠蔽し、あらゆる手段をもって外に出ないようにした。

 事件を目撃した侍女たちは王宮の外に出ることを禁じ、全てを監視下に置くことで情報の漏えいを徹底的に防ぐという。


 どうしてゼルシアがそこまでして全てを隠したがるのか、その真意はわからない。

 どれだけ頭をひねっても、彼がイヴァンや他の近衛たちを使役しないということは、彼女にとって大きな疑問となった。


「お師様も、分かってるなら教えてくれたっていいのに……」


 ノーヴルも、今回は何も言わず「陛下に従え」の一点張りだった。

 普段過保護なまでにセイムに干渉してくる彼とは思えないほど、その言葉は頑なだ。恐らく彼は彼で、色々なことを考えているのだろう。


 結局始業の時間が来るまで、セイムは答えに辿り着くことはできなかった。

 何も言うなとは言われているが、調べ事をしていた時の質問だと言えばイヴァンも答えてくれるだろうか――玉石のことは、グレイヴ辺りに尋ねればそれとなく教えてくれるかもしれない。


 執務が始まる少し前にイヴァンの執務室に入ると、既に上司は大量の書類を捌いていた。宰相位である彼は朝議の司会も務めているはずだが、どうやってセイムよりも早く仕事入り出来るのだろうか。


「おや、おはようございます。ノーヴルは一緒ではないのですか?」

「そ、そんなにいつも一緒にいるわけじゃ」

「そうですか? 私には二人はいつも一緒にいるわけでは……あぁ、ラウの方でしたか」

「何の話を――イヴァン様!」


 面白がってくつくつと笑いをこぼすイヴァンに、セイムが声を張り上げる。

 最近分かったことなのだが、イヴァンは笑いのツボに入るとなかなか抜け出せない人間であるらしい。

 しばらく引かない笑いの波を越えてから、目にうっすらと涙を浮かべたイヴァンは何かに気付いたように顔を上げた。


「どうしました? 浮かない顔をしていますが、何かあったのですか?」

「いえ、特に……あ、イヴァン様にお聞きしたいことがあって」

「聞きたいこと? 私が答えられることであれば」


 ぴたりと笑いを止めたイヴァンに、セイムは彼の机に近づいた。心なし声を落とし、出来るだけ質問の意図が伝わりにくいように言葉を選ぶ。


「薬物や薬草の隠語についてなんですが、詳しいことが分からないので書物が読めないんです。簡単な物ならわかりますが……例えば大魔女エスペラルカが使った媚薬とか、神経をマヒさせる暗殺集団クルーダンの秘薬とか、その材料が分からなくて」



 流石にリードリュンゲンの名を出すのはやめて、薬学では同じくらい有名な二つの薬の名前を出した。

 するとイヴァンは軽く目を閉じて、暗唱するように答えを教えてくれる。


「エスペラルカの媚薬に使われているのは大樹の加護と乙女の黒髪。それと諸々の調合物……隠語が使われているのは、あと太陽の秘跡ですか。まあ、乙女の黒髪はそのままの意味です。ですが、それ以外は大概規則性があるのですよ」


 書き損じの紙の裏を使い、イヴァンはいくつかの文字を書いていく。

 隠語と言ってもそう難しいものにしてしまっては後世まで知識が伝わらない。それゆえに、薬師はまず最初にその対比表を覚えるのだという。

 全くヴィア=ノーヴァの学問では触れられなかった部分の話に、セイムは思わず机に身を乗り出した。


「薬学における太陽と月とは、それぞれ剣士と魔導士を指します。太陽が剣士で、魔導士が月ですね。太陽の秘跡とはすなわち剣士の使う特別な呪符を言うのですよ」

「呪符? 魔力を持たない剣士がいくら呪符を持ったって、どうにもならないんじゃ……」

「えぇ。ですがこういうのは民間信仰でしてね、戦いの無事を祈って作られるものなのです。中には人の血を沢山吸ったものもあるでしょう。それらを秘跡として、薬師や魔導士はこの薬を精製するのです」


 興味があるなら簡単な表を作ってくれるというイヴァンに、セイムは一も二もなく頷いた。取りあえず月光の涙が魔導士に関するなにかであるという検討はついたので、それだけでも儲けものだろう。


 流石にあれこれと聞いてしまえば彼の仕事の時間を奪ってしまうことになるので、本当に重要なものを書いた裏紙以外は自分で調べることにした。書いてもらった紙をいそいそと懐にしまったところで、リベリア宮からやってきたノーヴルがドアを開ける。


「遅れてしまって申し訳ありません」

「いえ、さほど遅れてはいませんが……何かありましたか?」

「リベリア宮が紺碧の間、シャルローデ様の元におりました」


 思わず、セイムが目を見開いた。

 あまりに真っ直ぐな言葉は彼らしくもなかったが疲れたように息を吐いて次の言葉をこぼすノーヴルに、セイムはそっと胸をなでおろす。


「陛下のご命令でして。ナターリェンの加護篤き慰霊祭を行うまで、万一にも皇妃様の身に何かあってはならないと。私は人形ですし、間違いが起こることもありませんよ」

「そう……ですね。西方遠征の際に亡くなった兵士の家族が、陛下を逆恨みしているということも考えられます。警備に万全を期するのは当たり前のことです」


 納得したようにうなずいたイヴァンは、その理由での遅参ならば致し方ないとまた書類に向かった。

 ノーヴルはしたり顔でセイムを見て、それからすぐ補助の仕事に戻って行ってしまう。

 とにかく、今は分からないことや知りたいことを埋めていくしかない。

 情報収集の方は人脈に恵まれたラウがしてくれるというから、自分に出来ることは知識で賄わなければならないところだけだ。

 

 少なくとも身一つで動けるという点はゼルシアから評価されているのだから、そこでだけは成果を上げなくてはならない。

 セイムは出来上がった書類を抱えながら、小さな決意を胸に灯した。

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