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「よろしいでしょうか、陛下」
ゼルシアの言葉に、セイムはおずおずと右手を挙げた。発言を許可する代わりに向けられた視線を受け止めて、セイムは噛みしめるように言葉を発した。
「何故、私たちなのです……? お言葉ですが陛下、私達はそれぞれまだ見習いです。その、こういった重要な事件は、イヴァン様や近衛軍のエイリオス様の方が適任だと思われます」
皇帝の暗殺は未遂とは言え大罪である。かつてヴィア=ノーヴァが更迭されたように、地位や名誉に関わらずその全ては剥奪され、殆どの場合は死罪に処されるのが通例だ。そうした事案は、真っ先に近衛隊の中でも最上位の「一本目」ないし「二本目」に速やかに通達されることとなっている。
「俺はお前たちの力を信じているぞ? 粗削りではあるが、その分潜在能力に期待できる」
薄らと微笑みすら浮かべたままそう語るゼルシアを、セイムは何も言わずに見つめていた。暫くの沈黙が続いた後、悪逆非道と謳われる皇帝は射抜くような視線をセイムから外して、小さく息を吐いた。
「やはりお前に嘘は通じないか。あぁ、悪いが俺は存分にお前たちを利用しようとしている。王宮にも派閥と言うものがあるらしくてな、神殿派、学府派、王政派に中立派……俺も把握して切れていないものまであると思うとうんざりするくらいだ。長く近衛として勤めている人間は、それだけそのしがらみに絡めとられやすいんだよ」
既にシャルローデの方はこの話から興味が失せたらしく、一人傍観者気取りのノーヴルを手招きして呼び寄せては何かを耳打ちしている。
(仮にも「皇帝暗殺」の先輩なんだし、、お師様からもなにか言って下さればいいのに)
そうしてセイムが溜息を我慢したのは内緒だ。
しかし、ゼルシアはそれに構うことなく話を続ける。
「お前たちには、現在所属するべき派閥や機関が存在しない。後ろ盾がないということは、逆に言えばその身一つで俺の命令を遂行できるということだ」
本来存在しないはずの「十本目」――その本来の意義は、皇帝が自ら携えた国宝が由来であると言われている。
「ラウ。お前は俺の護衛だ。テオドールから任された仕事が終わり次第、俺のところに来い。そうだな、次第によってはインメラード子爵名義の推薦書でも書かせるか。下町の人脈を活かして情報を集めることも忘れるな」
突然、その鋭い瞳を向けられたラウは飛び跳ねんばかりに驚き、腰に携えた剣にゆるりと触れた。未だ無銘の剣を相棒とする若き騎士は、与えられた機会に小さく震えてすらいた。
「王宮は伏魔殿どころじゃない。悪鬼巣窟の巣だ。生まれてから今まで、ここで生きてきた俺が言うんだから間違いはない。それを知り、この言葉が王の気まぐれでさえあるかも知れんという状況下で、お前は俺の剣として動いてくれるのか、ラウ?」
ラウの瑠璃色の瞳が、僅かに揺らいだようだった。血の気の多く見えるラウだが、その実観察力は人並み以上のものがある。剣士としての腕前もそれなりだろう。だが、移民の子であり後ろ盾もない、序列第十位の「剣」に、皇帝自ら声をかけるというのは異例である。
「……俺は、陛下の剣っすから。やれって言われたら、別に、人殺しだろうと単騎でシンシア乗り込もうとやってのける。陛下、俺に命じてくれ。アンタの命令なら、俺はとうに従う覚悟位できてんだ」
今まで唖然とした表情を浮かべていたラウの瞳に力がこもり、膝をついたその姿は正に王の騎士そのものだった。
高潔で、美しい。
セイムが思わずため息をついてしまうほど、ラウの姿は「らしい」ものだった。
「面を上げよ。ならばその剣、たとえ柄のみになろうとも俺だけの為に振え」
「つつしんで、その命お受け致します、陛下」
まるで、物語の王と騎士のようだ。神々しくもあるその光景が、贅を尽くした皇妃の資質であるということをセイムにすっかり忘れさせる。抜き身の刀身のようなゼルシアの瞳が向けられたことで、ようやくハッとして居住まいを正したほどだ。
「お前はどうだ、セイム。できれば、俺はお前にシャーリーを守ってもらいたいのだが」
「シャ、シャルローデ様をで、ございますか?」
王の背後を守る、リベリア宮の主シャルローデは北方の小国から嫁いだ姫君である。生家は侯爵位を賜っていたが、実権はほとんどないに等しいものだった。
ゼルシアとの間に子もなく、政治的な利用価値がほとんどないとされる第一皇妃ではあったが、無防備な彼女が次に狙われる可能性は決して低くない。
どうぞシャーリーとお呼びになって。シャルローデは先程と同じようにコロコロと笑って見せたが、幾ら権力のない貴族の娘とはいえ、セイムにとって皇妃である彼女は雲の上の存在だ。
「お前がシャルローデの護衛に就くのなら、リベリア宮に一室用意しよう。プリシラ、紫紺の間に空きはあるか」
「はい陛下、リベリア宮は現在陛下のご居室であられる紅蓮の間、シャルローデ様のご居室であられる紺碧の間以外はすべて空いております」
本来ならばリベリア宮は第一皇妃以外にも、第二妃、第三妃とそれに続く側妃たちが居住する部屋でもあるらしい。皇妃はシャルローデしかとっていないゼルシアの代では、それらを使うことすらなかったようだ。
「ちょっと、待ってくださいよ陛下。それって、セイムを側妃として召し上げるとおっしゃりたいんですか?」
「あくまで部屋を与えるだけだ。緊急時にセイムが傍にいなければ話にならんからな。――まあ、そういう邪推をする輩が、まるでいないとも限らないが」
抗議の声を上げたノーヴルに、ゼルシアがからかう様な口調でそう言った。硝子玉の視線が凍り付くが、流石に相手は皇帝である。普段のように噛みつくことはせず、ノーヴルはただ「左様ですか」とだけ返した。
「……と、いうのは性質の悪い冗談であるわけだが……どうだセイム、受けてくれるか。あの男ほどのものかは知らんが、リベリア宮にも呪具や魔導書は一式取り揃えてある。お前が望むなら、新たなものを用意するのもまた考えておこう」
「おそれ多くも陛下、私はラウと同じように、もったいなくも「杖」としての名誉を賜りました。その上、シャルローデ様の護衛という大役に抜擢いただけただけで、私にとっては至上の喜びでございます」
セイムは、今なら膝をついたラウの気持ちが痛いほどわかるようだった。言葉は穏やかで茶目っ気さえ感じられるゼルシアだが、それが纏うのは絶対的な王者としての威厳だ。
これほど強い魅力を持った人間に信頼を置かれるという至福感。男女の別なくもたらされるそれが皇帝としてゼルシアが持つ才覚だというならば、セイムはそんな彼に仕えることが出来るという事実を幸せに思わねばならない。
「では、命じても? セイム・ミズガルズ。リベリア宮にて我が后を守り、かつ王宮の魔導士たちの動静に目を向けよ。同じくノーヴル、セイムの補佐としての働きを見せるよう」
膝をつき、首を垂れたままでセイムはその言葉を聞いていた。
イヴァンやヴィア=ノーヴァがどうして王にそこまで寄り添おうとするのか。それがどこかわかった気がして、顔を伏せたままセイムはわずかに唇を笑みの形に歪めていた。
「玉命、つつしんでお受けいたします」
そうしてセイムは、リベリア宮にて皇妃シャルローデ付きの魔導士になった。
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