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「入り口から三番目の棚最上段に薬草があるだろ? それを取ってこっちに寄越してくれ。それと机の上に置いてある魔導書は、特殊な魔法をかけてあるから絶対に触らないでくれよ。魔導と違って、僕の『魔法』はまだ不安定なんだ」
今日のセイムの仕事は、ジョルジュに与えられた研究室での手伝いだった。先日からイヴァンがナターリェンの神殿――ジークリンデ元皇子の元へ出向いているため、セイムは基本的に他の「杖」の手伝いとして駆り出されることになっている。
ともあれ、イヴァンの執務室よりはよっぽど整頓された研究室で、セイムは小さく首を傾げた。
「あの、ジョルジュ様。一ついいですか?」
「なんだい」
「『魔導』と『魔法』は、何が違うんです? ジョルジュ様、結構な頻度でご自分が使う能力を『魔法』って、仰いますよね?」
並べられた試験管を興味深げに眺めるノーヴルは、その空間にいるだけですでに上機嫌だった。魔法薬の一種だろうか、虹色の光を跳ね返すその薬は、恐らく並大抵の魔導士では作ることが出来ないものだろう。
セイムの問を受けたジョルジュは片眼鏡を押し上げると、その指先に魔力を走らせた。
普通の魔導士ならば、詠唱もなしに魔力を放出すればそこから現れるのは小さな火花ひとつである。上位魔導士になればなるほど詠唱を省略した魔導の発動が可能になるが、ジョルジュの指先からほとばしった魔力は霧のような白い気体であった。
「僕の魔力は変質的なの。魔力としての絶対量は潤沢だけど、攻撃や防御に回せる魔力じゃないっていうか……説明が難しいな、素材はあるけどモノにならないっていうの? 簡単な攻撃魔法ですら、僕が扱うと伝説級の魔導を扱うのと同じくらい技量や魔力を消費する」
形にならない魔力。
その形容がこの霧であると肩を竦めたジョルジュは、手近な魔導書のレプリカを取るとそれを軽く放り投げた。魔導書の類はどれもかなりの重さがある筈だが、華奢なはずのジョルジュは顔色を変えることがない。
慌ててそれを受け取ったセイムの方が、重さにやられて片膝をついてしまった。
「どういうわけかね、呪具を介さない方が僕の魔力には適してるみたいなんだ。微量の魔力でもこうして直接体にまとえば、今みたいに重いものだって軽く運ぶことができる。例えば剣士がこういう能力を持っていたら、便利だと思わない? 理論が先に立って資質が必要になる魔導じゃあこうはいかない。突然変異がいつまでも突然変異であると思う? いつかこの魔力を持った人間が世の中にもっと台頭してきたとき、僕の研究は役に立つはずだ。無論、この研究に目を付けた陛下の名前も世に轟くことになるだろう」
まくしたてるジョルジュの話に、セイムは半分ほどついていけなかった。
しかし横で試験官を眺めていたノーヴルの眼光は鋭く、彼の話をしっかり噛み砕いている。
やがて、ノーヴルは眉間に薄いしわを刻みながら右手を挙げた。
「あの、ジョルジュ様。それってちょっと無理がありませんか? ジョルジュ様が仰る理論を実証するには、魔導的な要素を持たない剣士たちに魔力を付与する必要があるけど……そんな夢物語のような魔導、古今東西を探してもどこにもない」
例えば死を克服したヴィア=ノーヴァをもってしても、まるで魔力の要素がないラウに魔導を使わせることはほぼ不可能だ。
魔力やそれに付随する能力は全て生まれ持っての才能であり、素養がなければどれだけ望もうが魔導士になることはできない。
魔導士が剣を持って戦うことはあっても、剣士が魔導を使うことは理論的にはまったくできないことになっている。
それを指摘されたジョルジュは、勝ち誇るような笑みを浮かべて人差し指を一本立てた。
勝利宣言のように高らかな響きの声に、思わずノーヴルは顔を思い切りしかめる。
「そう、それこそが僕の『魔法』なんだよ! 僕のように魔力を魔導として使えない人間、素養のない人間にも魔力が付随できるようにする仕組みを開発するんだ。ほら、呪具だって魔力を帯びるだろう? その僅かな魔力だっていい。極端な話を言えば、癒手が魔力を流し込んで傷を治療する、あの方法と同じさ。力のあるものが一人いて、最低限の力を供給すれば兵士は盾がなくても戦えるし、農民は肉体労働で体を傷める心配もない」
普段の余裕が立ち消え、目を輝かせて研究について語るジョルジュはまるで子供のようだった。
しかしなぜかノーヴルも躍起になって、その理想に対しての反論を語る。
「未だ辺境の村では魔導士は化け物扱いですよ? そんなところでどうやって魔力の安定供給を成しえるんですか」
「だから、それを解消してこそ魔導士の立場も今以上に揺るがないものになるってことだろう?」
白熱した男二人の議論に水を差さないように、セイムは遠くの方で研究室の片付けを始めた。魔導書のレプリカなどは殆どがヴィア=ノーヴァに読ませてもらったのとかぶっているが、知らない本は読んでみたくなった。
後で図書館にないか調べてみよう――そんなことを考えながら本を書棚に仕舞っていくと、表紙が真っ白な本を見つけた。
古い魔導書などはレプリカであっても劣化や保護のための薬品で色がくすんでいることが多い。羊皮紙ではなく純白の紙というのもまた珍しいから、出来たのは近年か。
まだ討論を続ける二人を横目に著者名を覗いたセイムは、そこで思わず言葉を失った。
「ジョ、ジョルジュ様」
「だから君が言ってるのは……なに、その魔導書がどうかした?」
「あの、この本の著者名って」
「あぁ、『名前のない賢者』か。それはレプリカじゃなくて原本だから、大切に扱ってくれ。閉架から借りてきたんだ。また貸しはマーリアさんに怒られるから、返してきてくれたらそのまま借りていいよ」
名前のない賢者――ジョルジュが便宜上そうあらわした著者名の欄には、紛れもなくヴィア=ノーヴァの名が記されている。
王宮では禁忌中の禁忌である名前だ。彼が魔導書を残していたことも知らなかったが、閉架とはいえそれを借りられることもセイムは知らなかった。
ちらりとノーヴルの方を見ると、彼はばつが悪そうに目を反らした。
「まさか、知らないわけじゃないよね? 『名前のない賢者』。呪いが強すぎて未だにその名を呼べる人物が皇帝陛下一人しかいないっていう、伝説の魔導師さ。君もお伽噺とか、聞いたことあるでしょ?」
「い、田舎育ちだったもので……あの、ちょっとだけ読んでも?」
「いいよ。僕の研究に役立ちそうなことは書いてなかったけど……あ、でも一つだけ興味深いことがあったな。それこそ神殿とかティティ様に異端扱いされるような話だけどさ」
僅かに、ノーヴルの周囲の空気が変化した。
それはおそらく、長年ヴィア=ノーヴァの元で育ったセイムでなければ気付けない程僅かな変化だ。怒っているわけではない。どちらかと言えば、焦っているのか。
「雷の魔導を、一般人が使う方法について記されている」
「雷の魔導?」
「皇家にのみ体質的遺伝で伝わる魔導さ。元々が天候を操る高位魔導だから他の国でも使える人間は少ないけれど、このシュタックフェルトでは扱える人間はたった二人しかいない。現皇帝ゼルシア様と、その兄君ジークリンデ様。……ねえ、これって魔導士としては常識じゃない? 学府で習ったと思うけど」
「私、その、学府出てなくて……すいません」
そうなのかと首を傾げるジョルジュの向かいに立つノーヴルを見つけると、彼は何とも言えない表情で窓の外を眺めていた。
ヴィア=ノーヴァが何かを隠すときの癖である。
あとで徹底的に追及しようと息をついて、セイムはジョルジュからその魔導書を借り受けた。
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