25
「シオヒキガエルの干物、マンドラゴラの球根と女神の涙。それから……あぁ、オドクヘビの尻尾を各三つずついただこうか」
「かしこまりました。お連れ様は何か御入用のものはございますか? そうですねぇ、蠱惑の魔女が生み出した愛の秘薬、ただ今特価にてご提供させていただいております」
「い、いやぁ……ラウ、いる?」
「いや俺もいらねぇ……」
正直、グレイヴの魔道具店よりも胡散臭い薬問屋だった。腰の折れ曲がった老人が一人で切り盛りしているらしいそこに、ノーヴルは何のためらいもなく入っていったのだ。
薬学をかじったこともあるセイムはそれなりに雰囲気にも慣れていたのだが、可哀想なのは付き添いのラウである。豚の目玉や薬液漬けのネズミの胎児などがそこらに置かれた状況で、何も知らない剣士は顔を真っ青にして立っていることしかできなかった。
最初は、セイムも泣き出してしまったものである。
ただ、往々にして胡散臭い問屋は魔導士にとって信頼がおけるものであることが多い。
この店も、恐らく長いことやっているのだろう。或いはヴィア=ノーヴァが愛用していた店なのかもしれない、
「お前、よく平気でいられんな……この、薬草の臭いで酔いそうだ」
「うーん、慣れじゃないかしら? あんまり薬学は得意じゃないけど……簡単な薬なら私も調合できるし、臭いも気にならないわ。なんたって、田舎育ちだしね。薬草なんてそこらに生えてるやつも結構あるし」
「そうかい……」
結局、臭いが駄目だったらしいラウは外で待機することになった。
セイム自身も買いたい材料や薬はなかったから、ノーヴルの会計待ちである。
材料から予想をするに、彼が作ろうとしているのは擦り傷や打ち身、それから体力回復に効果を発揮する魔法薬だ。魔法薬は普通の薬と違って、調合の際に魔力を流し込む。魔力耐性がない人間だと逆に体調不良を起こしてしまうので、専ら魔導士専用の薬として高値で取引されている。
そして、高値ということは調合も恐ろしく複雑なのだ。
「さ、こんな感じでいいかな。ボウヤは外だね?」
「はい。臭いが駄目だったみたいで……あの、お師――ノーヴル。それ、魔法薬の材料?」
「まあね。王都で正規価格なんてぼったくりだよ。これくらいなら私も、片手間で作れる」
普通、魔法薬師でもない限りそんな真似はできませんお師様。
その叫びを飲み込んで、セイムは笑顔を作った。何も言えない事からの、最大限の努力である。
しかしそんなセイムを気に留めたようでもなく、ノーヴルは足早に店を出て材料を全てラウに押し付けた。非難がましい声を上げるラウを黙殺して、美しい人形はある一点を凝視した。
「ノーヴル? どうしたんです?」
「ね、セイム。あれ見てごらんよ」
「あれ?」
細い指先が示したのは、癒手御用達の医療用具専門店であった。包帯や医療大全などを広く取り扱った店であると、横からラウが説明を加える。
「あれ、サヤ嬢じゃないかな? それと、横にいるのは……」
「ジョルジュ様?」
遠目からなので分かりにくいが、確かに店の前で道具を見ている二人は「杖」のサヤとジョルジュに見える。
唯一剣士であるラウだけが事情を理解できていないようだったが、セイムが同僚であると告げると納得したように首を縦に振った。
「あれ、今日は公休ですから……二人ともお休みのはずじゃ」
「よく見ろ、私服だろ二人とも。あー、つーことはあれか、デート」
「いいねいいね、癒手と『魔法使い』の二人か」
それぞれに感想を口にしながらも、何となく見つからないように物陰に隠れる。野次馬精神でやや身を乗り出しながらも、声は潜めたままだ。
ジョルジュもサヤも三人に気付ている様子はなく、恐らくサヤが使うと思われる医療用品を吟味している。おそらく、ジョルジュは完全に彼女の付き添いだろう。欠伸をかみ殺している。
「デートっていうには、ちょっとロマンチックじゃない気が……」
「馬っ鹿セイムお前、わかってねぇな。本当に長く付き合ってる二人はああいうモンなんだよ。死んだ親父とおふくろがあんな感じだった」
「ボウヤの意見には私も賛成さ。ふむ、ジョルジュ君もなかなかやるね。サヤ嬢ほどの魔力を持った女性、探したってなかなかいるもんじゃない――あれだけの魔力量を持った癒手、まず見つからないよ」
ノーヴルの女性を見る所は容姿でも所作でもなく魔力量らしい。なんだか師が心配になりながら、セイムは注意深くその様子を観察していた。
ジョルジュは何か眉を顰めながらも、結局最後はサヤの言うことに同調しているらしい。頭をバリバリと掻いてそっぽを向く様は、最初に会った余裕綽綽の彼のイメージからは程遠い光景だ。
「さ、ボウヤ。ちょっと冷かしてきなよ」
「なんで俺が! つか、さっきから言ってるけど俺はボウヤじゃねぇっ!」
「ちょっと、二人とも声が……!」
思わず叫んだラウと、それを止めようとしたセイム。そして面白そうに笑いを浮かべるノーヴルが、そろって動きを止めた。
碧眼を揺らし、口元をわななかせたジョルジュが、こちらを見ている。
しまった――その瞬間、三人の心は一つになった。
「セイムちゃん!」
「あ、おいサヤ!」
先日とは違い、髪を結いあげたサヤがセイムの方めがけて走ってきた。ヒールを履いたまま駆け出すサヤに溜息ひとつ漏らして、ジョルジュがそれに続く。
いかにも良家の子女然とした服装のサヤは、両手を広げてそのままセイムを抱きしめた。それはもう、とびっきりの力を込めて。
「セイムちゃんもお休みなのね! 私はジョルジュとお薬を見に来たの。今度新人癒手の研修に使うんだよ――えっと、セイムちゃん、デート?」
「え、いやあの私も道具を見に……デートじゃなくて、あの」
「俺、第二強襲隊所属ラウ・シューゼンっす。おふくろの店がこの辺にあって、コイツに町の案内がてら荷物持ちを。一応、「剣」の十本目なんすけど」
どもるセイムに助けを出すように、ラウが頭を下げた。ノーヴルについてはジョルジュも事情を知っているらしく、深く追及されるようなことはなかった。
もっとも、ジョルジュは視線をあちこちに飛ばしてそれどころではない様子ではあったが。
「もしかして、ジョルジュ様もサヤ様とデートですか? いいですね、サヤ様、お綺麗ですし」
意地悪な笑顔でそう聞いたノーヴルに、ジョルジュが顔を跳ね上げる。耳まで真っ赤になっていて、幾ら色恋に疎いセイムであってもその心情は容易に理解することが出来た。
「僕は別にそんな、やましい気持ちでサヤに付き合っているんじゃない! あ、いや付き合ってるって、そうじゃない。そうじゃなくて、僕の『魔法』にもこういった癒術を取り入れることはできないかという研究の一巻であって、別に僕個人がサヤに特別な感情を抱いているとか、そういうことじゃないんだ!」
「えー、でもジョルジュがついてきてくれるって言ったんじゃない?」
「そ、それはサヤがいつもどこかで道草ばっかり食ってるからであって……ああもうっ! とにかく、僕はサヤのお守なんだっ!」
言わなくてもいいことまでペラペラと言ってしまったジョルジュは、その後サヤの手をひっつかんで何処かに走って行ってしまった。
ある意味、おっとりとしたサヤとジョルジュはお似合いなのかもしれない――離れていく背中を眺めながら、ティーナはそっと息を吐いた。
「いやしかし、慌ただしいねぇ」
「いや、悪いのアンタだろ……つーか、この後どうすんだよ。予定、入ってんのか?」
「あぁ、グレイヴの店に行かなくちゃいけないんだ。ボウヤ、ついてきてくれ」
思い出したように体を翻すと、ノーヴルは上機嫌に歩き出した。心なしか鼻歌まで聞こえてくる。
こんな師匠を見るのは久しぶりだ。王宮に奉職するようになってからは毎日忙しくしていたから、セイムにとっても彼にとってもいい気分転換になったのだろう。
相も変わらずきれいに整備された道を歩く。森に住んでいた頃は、雨が降る旅に道がぬかるんで酷い思いをしたものだ。ただ、素足を泥の中に入れて遊ぶのは楽しかった。まだ体も健康だったヴィア=ノーヴァと一緒に、泥のぶつけ合いをしたこともある。
そういうことを思い出すと、楽しいことばかりが思い浮かんでくる。無論今が楽しくないわけではないが、思い出はきらきらしいものだ。
「セイム、どうかしたのかい?」
「いえ……あ、もうお店着きます?」
「ボーっとしてたけど、きっと久々に出かけたから疲れたんだね。店、もう着いたよ」
顔を上げると、店の前にはグレイヴが立っていた。手招きをされて彼の前に立つと、赤い瞳の男は首飾りをそっと付け直してくれる。
「あ、どうでしたか? これ」
「素晴らしい玉石だ。等級は二等級だが属性は定まっていない――希少な石だ。持ち主の魔力によってその姿を変える。恐らく君の使い方によっては、特一等級の玉石よりも効果を発揮するだろう」
二等級という数字だけを見ればヴィア=ノーヴァから継いだ呪具に見劣りはするが、それでも駆け出しの魔導士が持つには十分すぎる逸品である。
思わず首飾りを握りしめると、グレイヴは唇に薄い笑みを浮かべた。
「まだ誰にも使われていない、恐らく原石から掘り出した玉石だろう。大事にするといい」
その言葉に、首飾りを握りしめたセイムは大きく首を縦に振った。
自分だけの、誰にも使われていないその首飾りが、宝物になった瞬間であった。
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