24

 特殊な町ともいえる六番街だが、食堂くらいはキチンとしている。適当な腹ごしらえをとやってきた食堂は、いつだったかラウに初めて会った場所とよく似ていた。


「お師様、何食べます?」

「私は何でも。食べても食べなくてもって感じだけど……あ、これ頂こうかな。食用ガエルのから揚げ」

「……私、魚介の煮込みで」


 本当は鶏肉料理が食べたかったのだが、ノーヴルが「鶏肉とカエルは食感が似てる」などと言うから食べられなくなってしまった。

 彼は純然にセイムに知識を与えようとしていただけかもしれないが、仮にも年頃の少女である。カエルに似た食感のものを食べたいとはどうしても思えなかった。


 ややしばらくして運ばれてきた料理はおいしそうで、セイムも思わず腹の虫が鳴いた。こういう時、或いはラウならニヤニヤしながら小突いてきそうだが、ノーヴルは何も言わずにフォークを差し出しただけだ。


「お師様って、妙に紳士ですよね」

「何を馬鹿なことを。私はいつだって紳士だよ。ボウヤと一緒にしないでくれ」

「何も、ラウのことなんて一言も言ってないです」


 ぐっと言葉に詰まったノーヴルを尻目に、セイムは料理を食べ進めていく。近海で取れる貝が、スープにいい味を出していた。


 カエルのから揚げも、見た目は普通のから揚げとそう大差ない。食べても臭みなどがあるわけではないと言っていたが、セイムは食べてみるかとのお誘いを丁重にお断りした。


「食用になってるだけましだよ。三十年くらい前までは、野営で食べるものがなくなるとそこらの湿地からカエル取ってきて食べてたもの。泥臭くてさぁ、処理が大変だったんだよ」


 食べ物に感謝をすることは大切だ。セイムはそうヴィア=ノーヴァから教わったが、実際野営で屈強な兵士たちがカエルを取っている様を想像して、なんだかやるせない気分になった。

 そこまで兵士が追いつめられる状況が、つい三十年前まではシュタックフェルトにもあったということなのだろう。


「さて、食べたらどこに行こうかな……薬草も見ておきたいし、私としては君の私服ももう少し揃えておきたいんだよね。休日なのにそのローブじゃ、些か見栄えが悪い」


 唐揚げを頬張りながら、ノーヴルは行儀悪くフォークでセイムの肩のあたりを指した。

 今日もセイムの服装は、厚ぼったいローブである。宮廷魔導士のそれは薄手で装飾も美しいが、やや煤けて季節外れのようなセイムの姿はどうかと思う。


 そう結論を出したノーヴルはあっという間に唐揚げを平らげ、血色のいい唇をぺろりと舐めた。


「よし、こうしよう。まずは服屋で、君に似合う服を買う。仕立ててもらってもいいけど、そこら辺は君の好きにしていいよ。それから薬草の専門店でいくつか薬草を買って、それからグレイヴの店へ」

「私、服なんて必要ないです。森から持ってきたものもいくつかありますし、大丈夫ですよ」

「だーめ。君は女の子なんだし、少しはそうしたことにも気を付けないと」


 駄目押しで「いいね?」と聞かれてしまえば、セイムには拒否する手段が残されていない。了承した旨を小さな声で告げると、ノーヴルはことさらに嬉しそうな顔をして一度頷いた。どうやら、その答えが相当お気に召したらしい。


 煮込みの最後の一口を頬張りながら、セイムは心の中で溜息をついた。昔から、何かにつけて師は彼女を着飾らせようとしていた。


「動きにくいのは、嫌です」

「考慮しよう。でもあまり子供っぽいのは駄目だ」

「……はい」


 すっかり料理を食べ終えた二人は食堂を出て、服屋に向かった。専門街なだけに紳士服から女性用、魔導士専門に剣士ギルド御用達――あちこちに様々な店が存在していた。

 その中でもセイムが気になったのは、若草色の看板をした小さな服飾店だった。タリア・シューゼンの店とだけ書かれた看板の横には、可愛らしいワンピースを着た人形が飾られている。


「お、お師様! ここ、このお店がいいです」

「うん、いいんじゃない? 君が着たい服を選ぶといい。しかし……タリア・シューゼン?」


 どこかで聞いたことのある名前だ。眉を顰めるノーヴルとは対照的に、セイムは惹かれるように店の中に入っていった。慌てて彼もそれに続く。


 店の中は、落ち着いた色で統一されていた。先ほどのワンピース以外にも、女性用の薄手のコートやロングのスカートも置いてある。装飾が多くなくて素朴なそれは、どれもこれもセイムの好みだ。


「あら、いらっしゃい。好きに見てって」


 少しの間セイムとノーヴルが店の中を見ていると、店の奥からうっすらと日焼けした肌の女性が顔を出した。長い髪を高い位置で結い上げている彼女こそが、おそらく店の主であるタリアだろう。


「あ、はい……えぇと、お店の前のワンピースは」

「あぁ、あれと同じのがいいの? 奥に色違いもあるけど――まずは採寸さね。ちょっと、休みだからっていつまでサボってんのさ! とっとと出てきて採寸手伝いな!」


 雷のような声を店の奥に向かって発したタリアに、思わずセイムの方も飛び上がる。それに気が付いたのか、女主人はコロコロと笑ってセイムに頭を下げた。


「あぁ、悪かったね。びっくりさせたかい? いやね、今息子が採寸するからちょっと待ってておくれよ? 慣れてるから心配しなくても大丈夫」


 最後の方は、息子が採寸する、のあたりで眼光を鋭くしたノーヴルに向けてのものだったらしい。確かに婦人服の採寸を男性がするというのは珍しいが、あくまで向こうはそれが仕事だ。セイムの方にはあまり抵抗はなかった。


 それでもよばれてすぐには採寸をするはずの店員がやってこなかった。しびれを切らしたのか、タリアが奥へもう一度怒号を発する。


「ちょっと、聞いてんのかい! ラウ!」

「は?」

「ラウ?」


 セイムとノーヴルが声を漏らしたのは、殆ど同時だった。

 どういうことだと顔を見合わせる二人の耳に、乱暴な足音が聞こえてくる。


「んっだよ! 巻尺変な場所に仕舞いやがって……おかげで道具箱ひっくり返して探す羽目になったじゃねぇか!」

「いつもそこに置いてあるんだよ! 変な場所に仕舞うのはアンタの方だろ。ホラ、さっさとお客様に挨拶!」


 怒鳴り声のやり取りに唖然としながら、セイムは震える手で店員を指さした。

 普段の黒い軍服ではなく木綿の簡素なシャツ姿だったが、その姿を見間違えるほどセイムは薄情ではない。


「ラ、ラウ?」

「あー、すんません挨拶遅れ……って、客ってお前か!」


 その瞬間、ラウの頭には文字通り鉄拳が落ちた。

 言うまでもなくラウの体は前に傾き、思い切り床にたたきつけられる。


「お客さんだって言ってんだろ!」

「コイツ同僚なんだよ! 俺と一緒に試験受けたやつ! 前に言ったろちんちくりんの魔導士一人いるって!」

「ち、ちんちくりん!?」


 心外だと声を上げようとしたセイムを、瞬間的にラウが睨み付けた。悪い、だが今は何も言うな。読心術は使えないはずのセイムの頭の中に、必死の訴えが届いたようだ。

 そんなラウに気圧されるようにして、セイムは二、三回頭を上下させる。ローブを着ていたのが功を奏したようで、タリアはそれ以上ラウを叱りつけようとはしなかった。


「えぇと、近衛隊「杖」十席のセイム・ミズガルズと申します」

「あら、その若さで? それにしてもしっかりしてるんだねぇ……女の子ってのはいいわね、野郎と違って無茶しないし大人しいし」

「おー悪かったな毎日ボロボロで帰ってきてよぉ。つーか、セイムお前またなんでこんなちっせぇ店に来てんだよ」


 採寸用の巻き尺を手元でもてあそびながら、ラウは苦々しげにそう呟いた。

 セイムにはそういう経験がないが、自分の実家の店に同僚が来たらそうもなるのか。それも、よりによって婦人服店。とりあえず採寸をするというラウに従いながら、セイムはぼんやりと家族について想像していた。


「あー、動くなよ。あと、触っても変な意味じゃねぇからな。なっ!」

「大丈夫よ、ラウもお仕事なんでしょ? っていうか、ラウのお家が六番街にあったっていうのが驚き」

「違ぇよ、店は六番街だけど家は三番街なの。下町育ちっつったろ? おふくろが店開いたの何年か前だしな」


 手際よくサイズを測りメモを取ってから、ラウはそれをタリアに渡した。ワンピースが長かった場合は、裾を詰めてくれるという。


「色は何色がいいんだい? 外にあった白いの以外にも、水色と薄い緑、それから一応黒もあるけど」

「緑がいい。ね、セイム?」

「え、あ、はい。緑にしてください」


 先に答えを出したのは、ノーヴルだった。心なしかふくれっ面で飾ってある生地を確かめるように触っている。

 言われたとおりに服を取りに行ってしまったタリアの背中を視線で追いながら、セイムはどうしたものかと首を傾げた。何故だか完全に、師の機嫌を損ねてしまっている。


「セイムは白も似合うけど、ローブが白で拭くまで白いと味気ないからね」

「は、はぁ……ありがとうございます?」


 急に機嫌が悪くなったノーヴルに、ラウも頭の上に疑問符を浮かべている。

 ふん、と鼻を鳴らしたノーヴルが更に生地を弄んでいると、やがて奥からタリアが戻ってきた。手には、薄緑色のワンピースが乗っかっている。


「はい、ちょうどセイムちゃんに合ったサイズがあってね。手直ししてないけど、すぐに着られるはずさ」

「わ、ありがとうございます! あの、またここにきても?」

「近衛隊の魔導士様が御用達なら、アタシももっと頑張らなきゃねぇ。歓迎するよ、今度ご飯でも食べにおいで」


 ワンピースはそこまで値が張るものじゃなかった。セイムの年頃ならばこれくらいの服を着ていてもおかしくはないし、何より彼女自身が気に入っている。浮かれたまま店を出ようとするセイムに、そう言えばとタリアは声をかけた。


「これからどっかに行くのかい?」

「はい、薬草を買いに」

「そう、じゃあこのバカも連れてきな。どうせいたって働かないんだし、荷物持ちにちょうどいいだろ? そこの坊ちゃんも、線が細いから不安だしね」

「な、私は――!」


 セイムは、見た。

 普段ノーヴルに不本意ながらボウヤと呼ばれているラウの、ニヤニヤした笑顔を。しかもその顔が割とセイムの想像通りだったから余計笑えない。お前だって坊ちゃんじゃねぇか。そんな声が聞こえてくるような気さえする。


「――好きにすればいいだろうっ!」


 流石に実年齢はタリアよりも上です、なんて言うことも出来なくて、ノーヴルは早足で店を出た。顔を見合わせたセイムとラウが同時に吹きだして、その後を追いかけるのはそのすぐ後のことだ。

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