14

 相変わらず何もないセイムの部屋に、ほんの少しだけ荷物が増えたのはつい最近のことだった。いつもと同じように硬く軋むベッドから体を起こすと、簡素なクローゼットが目の前に飛び込んでくる。そこには純白のローブが窮屈そうに収まっていた。金糸で蔓をかたどった刺繍が施されたそれは、王宮に仕える魔導士の正装だ。黒地に銀糸で稲妻をかたどった刺繍がある剣士のそれとは、まるで対極にある。


 それから、荷物はもう一つ。

 というか、一人。


「おはようセイム。朝議が始まる前に準備を始めないと、イヴァン令師が帰ってきてしまうよ」


 ノーヴルは結局、セイムと同じ家に住むことになった。帝都での勝手がわからないとセイム自らイヴァンに頼み込んだのだが、人格者として有名な魔導令師は二つ返事でそれを快諾してくれたのだ。


 それと後から明らかになったことだが、ノーヴルの両目と両手の人差し指、中指にはそれぞれ属性の違う玉石が埋め込まれているらしい。予備動作なしの魔導の発動はそれで片が付いたが、問題はヴィア=ノーヴァが使った「術」である。

 無機物であるオートマタの体に魂を宿す術だなんて、セイムは聞いたことがなかった。


「それはセイム、いわゆる企業秘密というやつさ。一応東の大陸に似たような術があるから、今度調べてみるといい」


 それとなく聞いてみれば、そんな答えが返ってきた。今度国立図書館で調べてみようと決意したが、もれなく禁術であろうそれの答えは図書館にあるものか。

 しかしながら、身体の仕様は最高傑作ともいえるだろう器に稀代の大魔導士ヴィア=ノーヴァが宿ったそれはある意味兵器のようなものだろう。意思を持った兵器。そう考え付いた瞬間、セイムは心底震え上がった。


「ん……お師様……?」

「顔を洗っておいで。魔導士として知識を得るための時間を無為に過ごすことは罪だ」


 すっかり身支度を終えたノーヴルが、備え付けの椅子に座ってお茶を飲んでいた。人工物の体が食事や水分を欲しがることなどないのだが、本人にとってそれは嗜好品のようなものであるらしい。


 笑顔で急かすノーヴルを見るなり飛び起きたセイムは、冷水で顔を洗うと呪具が詰まった鞄を肩にかけ、そのままローブを羽織った。まだ見習いで官位を持たないセイムは朝議に出ることを許されていないが、王宮住まいの他の魔導士と違って彼女は城下からの出勤になる。急がなければ本当に上司を待たせることになってしまうのだ。


「どうする、転移でも使うかい? 今の君には難しいかもしれないけれど、練習と思って」

「見習いの魔導士がそんな大がかりな魔法を使ったりなんかしたら、お師様のこともばれてしまいます! 普通に、歩いて参内します」


 ノーヴルは転移如きどうとでもないと言いたげだが、そこは駆け出し魔導士と天下の大魔導の差である。元より空間転移や物質転移の魔法は最高等技術であったし、通常は大がかりな器具や準備を必要とする。しかしどういう仕組みかヴィア=ノーヴァはその身一つで転移が可能だった。


(やっぱりお師様は、元々体が呪具か何かで出来てるんだわ)


 それなら外見が変わらなかったのも頷けると勝手に納得しながら、セイムはノーヴルと連れ立って大通りを歩いた。露天商の声を聴きながら歩く朝の帝都は、なかなかの賑わいを見せている。



「セイム!」


 ちょうど二人が王宮の正門から中に入ろうとした時、向こう側からひょこりと顔を覗かせた男が一人。


「おはよう、ラウ……あなたも今来たの?」

「おう。取りあえず今日もテオドールのおっさんと基礎鍛錬だと。俺は早く実戦に回されてぇのに」


 黒地の軍服に銀糸の稲妻――セイムと同じく真新しいそれに身を包んだラウが、練習用の剣をぶら下げながら不満げな声を上げた。正式な任命式を行われていないため、彼も未だ見習いの身分のままなのだ。


「つーか、お前なんでその人形と一緒なわけ? 一緒に住んでんのかよ」

「私はセイムのサポートをイヴァン令師に言付かっていてね。まあそれ以外にも色々事情があるんだよ。ボウヤに口出しされる筋合いはないね」

「……悪いセイム、俺こいつ嫌いだわ」


 確かにヴィア=ノーヴァの実年齢を考えるとまだ二十代も前半のラウは「ボウヤ」なのだが、現在ノーヴルとしての外見年齢はセイムと同じ十代後半だ。自分より若い男にボウヤ呼ばわりされたラウは、こめかみをひくつかせながら乾いた声をあげた。

 一方で無遠慮にラウを睨み付けているノーヴルは、その秀麗な顔をあからさまに歪ませて鼻を鳴らした。


「つーかよぉ、セイムお前今なにやってんの? 俺は鍛錬だけど、魔導士の仕事ってあんまり想像できねぇんだけど」

「今は――主にイヴァン様のところで書類仕事してるの。「杖」の皆さんは大抵官職や研究職についているし、まずは周りを知ることからって」

「あー、んじゃ大がかりな儀式とかはしてねぇのか。最初はそんなもんかね」

「儀式、は……多分私たちの仕事じゃなくて神殿の方の仕事かな」


 帝都や王城の警備と言った剣士隊の大きな仕事と比べて、魔導士隊の仕事は非常に地味なものだ。宰相位にあるイヴァンでさえ午前中は細々とした書類に目を通すだけで潰れてしまうし、午後もほとんど机から離れない。時折その書類の中でも重要なものだけをゼルシアのところに持っていくが、セイムの知っている限りで彼がゼルシアの元に赴いたのは一度か二度程度だった。

 ジョルジュやサヤはそれぞれ担当の機関で働いているらしいし、他の「杖」の面々に至っては現在帝都にいない人間ばかりだという。


 そんなわけで、セイムは王宮で働きだしてからこの数日、殆どを山と積まれた本や書類に囲まれて過ごしていた。


「まあ、お前魔導士だしな。ある程度見て決めてもいいんじゃねぇの?」


 思ったより早く着くことが出来た為、ラウも加えた三人で各々目的の場所を目指す。ラウは帝都警備よりも最前線で戦いたいらしく、既にテオドール率いる第二強襲隊に配属希望を出しているらしかった。


「でもお前、令師付きなら陛下にも会えるんじゃねぇの?」

「うーん、連れて行ってもらったことはあるけど、扉の前で待ってたかな。イヴァン様もお忙しい方だから、陛下の傍には別の方が控えてらっしゃるみたいだし。……えぇと、ラ・ヤカーハ様だったっけ」

「帝国陸軍の名誉元帥じゃねぇか……そりゃ、イヴァン様じゃ出る幕ねぇな」


 ラ・ヤカーハという名前をセイムはつい最近聞いたばかりだったのだが、何でも先代の「剣」の筆頭であったらしい。元帥は皇帝であるゼルシアのみが持つと称号だとばかり思っていた彼女は、それに酷く驚いたのだった。


「ま、上手くやってんならいいけどよ。お前色々抜けてるし」

「ぬ、抜けてる? そうかな」

「頭はいいけど知らないこと多すぎんだよ。ゴミ出しの方法だって喧嘩のやり方だって、上手く知らなきゃ痛い目見るのはこっちだ」


 バリバリと頭を掻いたラウが、セイムの方を見て深くため息を吐いた。この男が口は悪いがかなりのお人よしであるらしいことを、セイムはここしばらくで嫌というほど思い知らされていた。

 やがて目的の場所が近づくと、ラウはひらひらと手を振って鍛錬場へ向かっていった。

 官吏でごった返す中庭には、セイムとノーヴルだけが残される。


「セーイム。ラウの言うとおりだよ、確かに知らないというのはそれだけで大損だ。だが君は、ついさっき帝都に辿り着いて、ほんの少し前に王宮に奉職しだしたばかりじゃないか。まだ学ぶための時間は沢山あるさ」


 白を基調としたイヴァンの執務室に入ると、そこに人の影はまだなかった。人嫌いなのか、セイム以外の補佐官をつけていないのが彼と他の上級魔導士たちの大きな違いだった。静謐をそのまま空間に移し替えたような部屋の中で、セイムはようやく息をついた。


 特例の「十本目」が王宮に勤めだしたことは噂として広く伝わっているようだが、今のところセイムにはこれと言った影響はなかった。彼女の年頃の魔導士ならば周りを見渡せばそこらに転がっている。

 ただ、やはりさまざまな話は耳に入ってくる。今のところセイムがその噂話から逃れるためには、イヴァンの執務室か図書館にでも籠るしかなかった。


 これも、知らなければ痛い目を見ることなのだろうか。

 朝議から戻ってくるであろうイヴァンのためにお茶の用意をしながら、セイムは小さく首を傾げた。

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