13

 略式での任命式が終わった後、セイムとラウはそれぞれの上司について場所を移動していた。フェルティニウム城でも官吏たちが執務を行う外宮モルディア宮と、皇帝や皇妃の私的な場所である内宮リベリア宮がある。「杖」と「剣」の本陣ともいうべき各々の談話室は、それぞれモルディア宮の左右に位置していた。


「万が一リベリア宮にて大事が発生した場合、我等はこの場所から速やかに内宮へ馳せ参じることになっています。女性に限っては、シャルローデ様のお部屋に入ることも許されているのですよ」

「万が一って、例えばどういった場合ですか?」

「例えば……そうですねぇ」


 セイムを先導するイヴァンが、困ったように眉を寄せた。口に出すのもはばかれるようなこと。それが何なのか、流石にセイムも理解できないほど子供ではない。

 皇帝の弑逆。

 どんな身分の者でさえ、どんな理由だろうと死罪が確定する大罪の中の大罪だ。長い帝国の歴史の中で、皇族の暗殺を企てて死を免れたものはたった一人。


 ヴィア=ノーヴァだけだ。


「主に近衛がリベリアに参内する理由は大きく分けて三つ。一つは皇帝及び皇妃、或いは皇太子や妾妃その人に直接危害が及んだ場合。一つは側仕えの人間に危害が加えられた場合。そしてもう一つは、近衛から皇族暗殺及び国家転覆、それに準ずる罪状の人間が出た時――確か宮廷典範によるとそうでしたよね、イヴァン令師」


 セイムの問いに答えあぐねていたイヴァンに助け舟を出したのは、セイムの横で何食わぬ顔をしていたノーヴルだった。あまりにも教科書通りの答えに驚いたのか、創造主であるイヴァン自身ですら目を丸くしてノーヴルを見詰めている。何故お前が知っているとでも言いたげな表情だった。


「先日、宮廷典範には一通り目を通しておきました」

「そ、そうでしたか……えぇ、今彼が言った通りです。ただ、陛下の御世になってからは我等もそう内宮に参ずる機会もなくなっています。陛下自身、剣術の熟達者であられますから」


 一瞬面くらったような表情を見せたイヴァンも、話し終えた頃には元通りの穏やかな笑顔に戻っていた。

 しばらく歩くと、広い外宮同士をつなぐ渡り廊下の終端までやってきた。交差する杖が描かれた扉は、謁見の間にあったもの同様重厚なものだ。


「こちらが「杖」の面々が集まる談話室です。今日は急だということもあっていくらかしか集まっていませんが……ジョルジュ、いますか?」


 イヴァンが軽く扉を押すと、それ自体がわずかに光を帯びた。お茶目っぽく右目を閉じたイヴァンが言うことには、一定量の魔力を流し込まなければ開けられない仕組みになっているらしい。確かに、近衛隊の機密があるはずの部屋だというのに、警備の兵も見当たらない。


「イヴァン、選定試験は終わったの? ……その子」

「えぇ、新しい我らの同胞です。「十本目」のセイム――セイム、挨拶して」


 僅かに開いた扉の中から覗いたのは、不審そうな碧眼だった。慌ててローブの裾を払うと、セイムは勢いよく頭を下げる。


「こ、この度「十本目」としてこちらに配属されました。セイム・ミズガルズと申します――あの、よろしくおねがい、します」

「セイムの補佐で、イヴァン令師の作ったオートマタです。個体名はノーヴル」


 さりげなく自分の紹介もしたノーヴルは、セイムを視線から庇うように前に進み出た。自分よりもほんの少しだけ大きな後ろ姿に絶対に追いつくことのできない師の背中を見たセイムは、思わず一歩後ずさった。

 けれど気後れしたセイムを、イヴァンの両手が捕まえる。


「ジョルジュ、そんなところから顔を出すから彼女が驚いているじゃないですか。観察もいいですけど、開けてあげてください。慣れない試験と謁見で、セイムも疲れているんです」


 穏やかに窘められた部屋の中の人物は、そう言われてようやく扉を開いた。見れば碧眼のうちの右側は片眼鏡に覆われた青年だった。背が高く、ゆったりとしたローブを着ていても針金のような細さと鋭さを感じさせる。


「気分悪くしたなら、ゴメン。随分若かったからさ。ジョルジュ・オリエンティウス。「三本目」で、『魔法使い』って呼ばれてることもあるけど、ジョルジュって呼んでいいよ」

「どうも……ジョルジュ、さん」


 貴族の子弟然とした育ちの良さはうかがえるが、セイムの頭からつま先までを無遠慮に眺めるその様子はあまり好きになれそうにはなれなかった。年はラウと同じくらいだろうか、理知的な面構えが彼を少し大人びて見せていた。


「今日はサヤもいるよ。君に会いたいってはしゃぎ回って疲れちゃったみたいだけど」

「あっ、君!」


 いきなりセイムの手を掴んで歩き出したジョルジュに、思わずノーヴルが声を上げた。しかし当のジョルジュ本人は素知らぬ顔で、レンガ造りの暖炉のそばにあるソファまでセイムを連れてくるとゆっくり立ち止まった。

 ソファを――否、正確にはソファに寝ている人物を指さして、片眼鏡の魔導士は気だるげに首を傾げた。


「彼女、サヤ・シューヴァルド・グリューン。子爵令嬢だけど、その辺あんまり気にしなくていいみたいだよ。もとより僕たちに生まれの違いなんて些末な問題だから。ちなみに「七本目」で、「杖」の中だと唯一の癒手。前に一人いたけど、死んじゃったから」


 癒手とは、医療系の魔導に長けた専門職の総称である。ただの医者で直らないような刀傷や魔導による内傷などは、まずこの癒手の力がなくてはならない。ただその重要性に反比例して癒手の成り手、医療魔導を扱える人間が少ないというのが、シュタックフェルトをはじめとした大国の悩みでもある。

 「杖」に選出されるほど魔力量の多い癒手は、各国喉から手が出るほど欲しい存在であるのだ。


「サヤ、さん。癒手ってことは、後方支援なんですね」

「僕が止めても彼女は進む。それが癒手の使命だって言ってさ。だから僕、彼女のお守なんだよ。前のシンシア遠征なんて行ったら、死んでたのはマリアーヌじゃなくてサヤだったかも」

「ジョルジュ」


 言葉を続けたジョルジュに、イヴァンの鋭い声が飛んだ。何事かと目を白黒させるセイムを引きもどして耳元で理由を教えてくれたのはノーヴルだった。


「マリアーヌ女史はさっきの筋肉男……テオドール・フォン・フリッツの実の妹さ。「杖」の一員だったけど、先日シンシア遠征で戦死してる。今はちょうど、王宮も色々過敏になってる時期なんだ」


 その言葉に、セイムはそもそも選定試験が行われることになった理由を思い出した。あくまで欠員が出たからこそ自分は選ばれたのだ。そうでなければ、テオドールの妹をはじめとする犠牲がなければ、セイムは今こうして王宮にいることは出来なかった。

 当然のことながら、自分の今の地位は犠牲の上に成り立っている。その事を実感した途端、セイムは自分の立ち位置がどうしようもなく重たいものであることを再認識した。

 しかし頭上から穏やかな声が降ってきたのは、セイムが反射的に唇を噛みしめようとした瞬間だった。


「マリアーヌのことは残念だけど、僕らは前に進まなきゃいけないんだろ」

「……えぇ、そうでしたね。死者を悼むことこそすれ、我等は死者に寄り添ってはならない。セイムにも不安な思いをさせてしまいましたか。大丈夫ですよ、私達は心からあなたを歓迎しています。ジョルジュは言葉遣いこそこんな風ですが、案外良いところもある人なので」

「ちょっと待って、案外って何」


 どういう意味だと眉を寄せるジョルジュを上手くからかうイヴァンの構図は、セイムが思っていた近衛隊のイメージを簡単に覆した。彼らは思っていたよりずっと人間味があって、ずっと親しみやすい。


 ただ、騒ぎ立てる男二人を煩わしく思ったのか、ソファの上で丸まっていた女性がうっすらと目を開けたのはその時だった。


「うん……? ジョルジュ、に、イヴァン様?」

「おや、起こしてしまいましたか」

「おはようサヤ。君が待ってた新人、来たよ。セイムだって」


 深緑の瞳をした女性だった。ジョルジュよりも少し年上なのか、垂れ目がちの瞳には穏やかな光が宿っている。豊かな金髪を起き上がり様に後ろへ流すと、サヤと呼ばれた女性魔導士はセイムの方をじっと見つめてきた。


「お、はようございます。新しく「杖」に任命された、セイム・ミズガルズです」

「新しい、お仲間……あぁ、あなたが!」


 しばらくぼんやりとしていたサヤの表情は、途端に玩具を見つけた子供のように輝きだした。少し固いままのセイムの手を取ると、千切れんばかりの勢いで上下に振りだす。


「私、サヤ・シューヴァルド・グリューン! 会いたかったわセイムちゃん。怪我とかしたら、すぐ私のところに来てね!」

「は、はいあの、手が」

「思ってたよりずーっと若いのね! やっぱり指導はイヴァン様が付くの? ずるいずるい、私もセイムちゃんの面倒見たい!」


 穏やか、と感じた先ほどの印象を、セイムはすぐに撤回することになった。愚図る子供のように頬を膨らませてイヴァンに抗議をするサヤは、ジョルジュに背中から押さえられてようやく静かになった。

 ジョルジュにしろサヤにしろ、濃い――本当にここでやっていけるのだろうかという一抹の不安に輪をかけるように、イヴァンが申し訳なさそうな笑みをセイムに向けてきた。


 どうしたものかと助けを求めるようにノーヴルの方を見れば、彼もまたひきつったような表情でセイムに向けて薄く唇を開いていた。


「ごめんセイム。私がいたころから比べても、「杖」に集う変人たちにそう変わりはないみたいだ」


 彼女にしか聞こえないような大きさでそう呟いたノーヴルに、セイムはいよいよどうすることも出来ずにただその状況を眺めていることになった。

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